日蓮正宗 正林寺 掲示板

法華講正林寺支部 正林編集部

創価学会の偽造本尊義を破す

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

(御法主日顕上人猊下御講義「創価学会の偽造本尊義を破す」※転載)

 創価学会の偽造本尊義を破す 

                  日蓮正宗宗務院

 

      発刊に当たって

 第四十六回全国教師講習会第一日の八月二十八日、総本山広布坊において、御法主日顕上人猊下による特別御講義が行われた。
 この日、全国から参集した教師僧侶、および特別に聴聞を許された法華講代表信徒七百余名に対し、御法主上人猊下は、邪教・創価学会の作成と見られる「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」と「日顕宗の邪義を破す」と題する両書を題材として、これを完膚なきまでに破折されるとともに、血脈法水伝持の御境界から種々、甚深の御指南を賜った。
 これらの文書は、冒頭に「新階某」なる文責者の氏名等を載せているが、その内容からして、創価学会が「創価宗」の理論武装を企図して作成したものと推定できる。
 御法主上人猊下におかれては、これら大謗法の文書を軽々に看過すべからざることを鑑みられ、詳細にわたる甚深の御指南をもって、徹底的に破折・粉砕されたのである。
 そこで今回、その第一として、創価学会の両文書に対する破折のうち、前者の「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」なる邪論についての御指南を一書にまとめ、発刊する次第である。
 これは、創価学会が偽造、販売する、いわゆる『ニセ本尊』の欺瞞性を正当化せんと論じたものであるが、御指南を拝読すれば判るように、引用文献の切り文、文意のスリ替え、専門用語に暗いことに起因する短見・偏見等々、まことに我見・我意に満ちた内容に終始するものである。
 本宗僧俗各位におかれては、創価宗の邪義の所以を知るとともに、御法主上人猊下の甚深の御指南を拝し奉り、これを信解して、もって創価学会員の再折伏に活用されることを望むものである。
   平成九年十月十二日

日蓮正宗宗務院

 

目  次

 


 (序) 

第一項 「本尊書写は法主以外でも条件付きで認められて来たのが歴史上の事実」の妄説を破折する 

第二項 「形木本尊は古来より末寺で発行」の妄説を破折する 

第三項 「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」の妄説を破折する

第四項 「御本尊の開眼という化儀は坊主(教師)の正式なマニュアルには無い」の妄説を破折する 

第五項 「日顕宗の主張は、過去に『ニセ本尊』で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明」の妄説を破折する 

第六項 「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」の妄説を破折する 

第七項 「脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため」の妄説を破折する 

第八項 「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」の妄説を破折する 

第九項 「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する 

第十項 「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」の妄説を破折する

 (本文中、創価学会の言い分については、アミカケを付して、読者の便宜に供した。)

 

※『(序)』 へつづく

 


序 「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 御法主日顕上人猊下御講義

  創価学会の偽造本尊義を破す

                         平成九年八月二十八日
       於 総本山広布坊

 


 序 「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」の妄説を破折する

 これから申し上げることは、皆さん方の手元にお配りしてあります資料、二つありますが、一つは「創価学会資料(一)」としまして「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」というものと、もう一つが「創価学会資料(二)」として「日顕宗の邪義を破す」というのがありますね。この二つになっておるわけです。
 そこで、最初にまず、「日寛上人の御本尊下付の正義の証明」ということについて、向こうの言い分を少しずつ挙げながら、こちらからさらに、それに対して会通乃至、破折をしていくという次第であります。


  日寛上人の御本尊下付の正義の証明
 経文どおりに三類の強敵がすべて出現したことで、学会が法華経の行者の位を勝ち取って、いよいよ本格的な世界広宣流布の時が訪れていますが、広宣流布の旗印として日本国の流布の時に先駆けした日寛上人の御形木御本尊が再び世界広宣流布のこの時に出現したことには、極めて意義深いものがあります。
 この聖業を妨害しようとする天魔の勢力の言い分は、この御本尊が「ニセ本尊」であるという、文証もなく歴史的な事実にも反する単なる言いがかりでしかなく、ただ学会員の信心を破壊することを目的としたいやがらせでしかありませんが、
  「邪正肩を並べ 大小先を争はん時は 万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり」(P.494)
  「一乗流布の時は 権教有って敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し、是を摂折二門の中には法華経の折伏とは申すなり」(P.503)
  「若し善比丘 法を壊る者を見て 置いて呵責し駆遣し挙処せずんば 当に知るべし、是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駆遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子 真の声聞なり」(P.1307)
等々の御金言で大聖人が繰り返し指南されているとおり、今こそ断固として正義を主張し、邪義を破折していかなければなりません。
 本論文は、邪義破折のための参考資料として、御書等の文証、歴史的事実をもとに、御本尊に関する真実を取りまとめたものです。会員への激励に、邪宗日顕宗との対論に活用してください。
   (文責 新階 央 問合せ先 TEL・FAX 0422・44・6574)

 一番最初に、今のようなことを言っておるわけであります。特に注目すべきは、一行目の「学会が法華経の行者の位を勝ち取」るということを言っておりますが、これはあと(「日顕宗の邪義を破す」についての破折の御講義)にもっと詳しく出てきます。実に途方もない彼等の思い上がりであり、邪義を構築しておるのであります。
 まことに、仏敵、法敵、魔性の集団・池田創価学会が「法華経の行者の位を勝ち取」るなどと、あたかも趙高が王位に居せんとするが如き言である。池田創価学会が法華行者ならざることは、天下周知の不正直団体、大聖人を利用・悪用する団体であるところに、その証拠があります。特に、日寛上人の本尊を勝手に在家が分限なく私に専用することは、「三宝欠如」「魔性本尊」「簒奪」「非道」「唯物形骸」「変造」「背逆」「矛盾撞着・自語相違」であり、その理由は後述いたしますが、これは明らかに『ニセ本尊』であります。
 もし文証を言うなら、勝手に在家自体が血脈の上の本尊を血脈の筋道に背いて作ってよいという文証は全くないということが、まず、はっきり言えると思います。
 次に、彼等の挙げた『聖愚問答抄』と『如説修行抄』と『阿仏房尼御前御返事』の各文は、邪法の者があるときはこれを破折すべく示された大聖人様の御指南であり、これはまさに現在の創価学会に対してこの邪義を破折せよ、との御命令の文であります。これのみにとどまらず、彼等の挙げる文証はすべて逆さまであり、さらには、文義のスリ替えと切り文がほとんどであることを付言しておきます。
 以下、創価学会のいわゆる「御本尊下付の正義の証明」なるものについて、順を追って会通と破折を加えてまいります。

 

※『第一項 「本尊書写は法主以外でも条件付きで認められて来たのが歴史上の事実」の妄説を破折する 』へつづく

 


第一項 「本尊書写は法主以外でも条件付きで認められて来たのが歴史上の事実」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

第一項

 創価学会が言う「本尊書写は法主以外でも条件付きで認められて来たのが歴史上の事実」の妄説を破折


(1)本尊書写は法主以外でも条件付きで認められて来たのが歴史上の事実


 御本尊の「書写」とは、戒壇の大御本尊又はそれ以外の(一機一縁の)大聖人の御本尊、日興上人の御本尊等を「書き写す」ことを言います。当然手で書くもので、印刷や彫刻等のことは「書写」とは言わず、後述するとおり「形木」「模刻」等と呼んで、書写とは全く異なる手続きによって古来より下付されてきたのが歴史上の真実なのです。

 まず、御本尊の書写について「戒壇の大御本尊又はそれ以外の(一機一縁の)大聖人の御本尊、日興上人の御本尊等を『書き写す』こと」だと言いますが、他山・他門のことならいざ知らず、もし大聖人の正系門下たる大石寺における書写についてのことなら、全然、大違いです。
 総本山歴代上人の御本尊書写は、大聖人の御化導の上より、三大秘法整足の大御本尊の御内証を、唯授一人の相承をもって書写申し上げるのであります。創価学会は、信心を欠く故に御内証書写の意義を没し、単に文字を書き写すことだと解釈しているのは、浅識の馬脚を表しています。
 次に、印刷、彫刻の御本尊について、それは書写と言わず、形木、模刻等と呼び、「書写とは全く異なる手続きによって古来より下付されてきた」と言うのです。この「書写とは全く異なる手続きによって」とはまことにおかしな表現で、やみくもに「手続き」ということにこだわっています。
 これは、彼等が、形木の場合は種々の手続きが必要であると勝手に考えて、今回の『ニセ本尊』配布を正当ならしめようということの伏線と思われます。しかし、こと御本尊における限り、いつの時代も総本山根本の筋目をもって一切の処置が行われてきたのです。
 さらに大切なことは、宗門が学会の企てを『ニセ本尊』と言うのは、そんな形式上の手続きを言うのではないことを、まず一言しておきます。


 本尊書写は、通常は歴代の法主が行うのですが、必要に応じて末寺でも書写しても良いと第九世日有上人が認めています。ただし、末寺で書写する場合は原則として判形(御本尊の左下の「◎世 日△ 花押」の署名)を書いてはならないこととされています(富士宗学要集第一巻 日有上人「有師化儀抄」P.71、日亨上人「有師化儀抄註解」P.111)。「第二十五条 末寺に於て弟子檀那を持つ人は守(お守り御本尊)をば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持(大石寺住職)の所作に限るべし」
 (通解:末寺において弟子檀那を持っている人はお守り御本尊を書いても良い。ただし判形は書いてはならず、大石寺の住職(貫首)の書くものに限らなければならない。」
 「第二十六条 曼陀羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず」
 (通解:御本尊は末寺で弟子檀那を持っている人は書いても良いが、判形は書いてはならない。」

 これについては、日有上人の『化儀抄』に、守乃至、漫荼羅の書写を末寺等に一時、許したのは、当時、戦国・戦乱の時代でもあり、交通の事情等によって現今のような下附の手続きのとれない状況下の、一往の許可であります。故に、書写は一往許しても、判形は絶対に許さないという意味があるのであります。
 しかしまた、正しく考えれば、これを許すこと地体が、本山の唯授一人、手続の師のところに本尊書写の大権があったことを、日有上人御自身が明らかに示されているのであります。そういう根本における血脈尊厳の方式があったからこそ、その時代時代における適時の、また、漸時の応用があったのであります。
 しかし、それはすべて、大局的に総本山の法主の許可を受けているのである。それを、末寺の書写を許可されているというようなことを一々挙げている意味は、それによって本筋を否定しようというところの、創価学会の主張の一つの準備であるということが言えるのであります。
 しかし、あとで学会の誤った論証についてこれを打ち破るなかに第五十九世日亨上人のお言葉が出てきますけれども、こういうことは一時、日有上人の時代に許されたが、その後、こういう寛容に馴れることなく、何百年来の宗門の僧侶が敢えてそういうことをしなかったことは本当に喜ばしいということを、やはり日亨上人がおっしゃっておるわけです。
 ですから、こういう形は、一時、許されたということであって、特にその後、ずっとなかったということであります。


 第五十九世堀日亨上人は「此の判形こそ真仮の分るる所にして猶俗法の如し」(富士宗学要集第一巻日亨上人「有師化儀抄註解」P.113)と、判形に印鑑証明のような意味を持たせている旨を述べています。

 この「印鑑証明」という言い方ですが、実にふざけきった者どもであります。つまり、日亨上人の「猶俗法の如し」の語をとらえて「判形は世の印鑑証明のような意味だ」と言う。ここに彼等の引文における最初の切り文を指摘します。
 引用の『註解』の文は漫荼羅の判形について述べる所ですが、彼等が切り捨てたその直後の文には何とあるか、少々引用してみましょう。
「此の判形こそ真仮の分るゝ所にして猶俗法の如し、宗祖の御書中所々に判形云云の事あり・思ふべし・中にも大曼荼羅には殊に判形を尊ぶこと唯一絶対の尊境なるを以つてなり」(富士宗学要集一巻一一三)
とあります。この「中にも……」以下の文は、大漫荼羅が唯一絶対の尊境であること、したがって、その判形はまさに御本仏の境智とその主体を顕す意義が明らかではありませんか。
 しかるに、これらの文を切り捨てて頬被りを決め、前文の「俗法の如し」の所だけをとって「印鑑証明のような意味を持たせている」と、在俗的解釈のみをもって軽賎しているのです。この狡猾・無慚さは、さすがに仏法の逆賊・池田の手下どもであり、立ちどころに悪事露顕する浅はかさも、よく似ているようであります。
 判形の重大性は、特に『御本尊七箇之相承』に、
  「日蓮と御判を置き給う事如何。三世印判日蓮体具師の曰わく、首題も釈迦・多宝も(乃至)  天照・八幡等も悉く日蓮なりと申す心なり」(日蓮正宗聖典三七九)
との根本法体を示されておる。また、これを受けて、
  「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何(乃至)代代の聖人悉く日蓮なり  と申す意なり」(同)
と、歴代の判形の大事をも同時に示されておるわけであります。
 これは本尊書写の人でなければその正意が解らない文とも言えますが、歴代の判形も、厳然たる本尊の証明であります。
 特に、ちょっと言っておきたいのは、皆様方が客殿において丑寅勤行等に拝される「譲座本尊」の御模刻の御本尊様、その御本体は御宝蔵に格護されてあり、春の霊宝虫払法要の時に奉掲申し上げますけれども、ここには本尊の唯授一人の血脈相承という上における深い意義があります。このことについてもあと(本書117頁※第七項に掲載)で出てきますけれども、そういうことから言っても、「印鑑証明」などとは全く軽しめた、ずるい言い方であり、これを書いた莫迦どもが「判形とは言っても、別にどうということはないんだ」という言い方をしたいのであり、浅識、大謗法の言であります。


 この判形を勝手に書いたのならば問題であるとの指摘を受けるかも知れませんが、末寺の申し出を受けて開始された今回の学会による御本尊下付はこれとは全く異なり、「書写」ではなく、後述するとおり日亨上人が明確に承認された「形木」という方法によっていますが、活版印刷等によるこの「形木本尊」の末寺での下付を禁じるどころか、相承を受けていない者による「本尊書写」の事例さえ、古来より宗門の歴史に記録されているのです。
 具体的には、日興上人、日目上人の時代に、死ぬまで相承を受けなかった寂日坊日華(本弟子六人のうちの一人)が八体の御本尊を(堀日亨「旧版富士日興上人詳伝」妙蓮寺寺宝目録より)、更に富木日常(常忍)も二体、日高が五体、日朗が五体、日仙(本弟子六人のうちの一人)が一体(日目上人滅後に更に三体)、日大が一体の御本尊を書写して判形まで書いているのです。(富士宗学要集第八巻 P.214
等、日蓮聖人門下歴代大曼陀羅本尊集成)
 このうち寂日坊日華(日興・日目両上人入滅の翌年の建武元年1334年に没)と日仙は最後まで富士門流にあったのですが、日興・日目両上人の存命の間に御本尊を書写しており、そのことが問題とされた記録は一切無く、逆に日興上人は入滅の年も日仙とともに令法久住のために戦っていた記録が残されているのです。(富士宗学要集第五巻 P.190 日興上人御遺跡の事)
 これらの事実から、当時は御本尊書写は決して相承を受けた者に限定されていなかったのですが、日興上人が五老僧に対する破折として述べているとおり、他門流での本尊書写や、不信の者への形木本尊の授与という事態が生じたことから(富士宗学要集第八巻第七章脇書の項参照、富士一跡門徒存知の事 P.1606)、第九世日有上人の時代になって、一定の化儀を定めたものであることが理解できます。

 これについては、まず初めに、創価学会の『ニセ本尊』を「末寺の申し出を受けて」云々と述べているのですが、この「末寺」という言い方が実にずるいのです。では、末寺と言うのなら、本寺はどこなのか。
 ところが、『ニセ本尊』の申し出は、創価学会に対して成田宣道が平成五年六月六日にしております。一方、平成四年十一月十二日に日蓮正宗を離脱して以来、浄圓寺はもう既に実質的に総本山大石寺の末寺ではなくなっているのです。また、成田宣道なる者も、大石寺末の僧侶でもなければ、日蓮正宗の僧侶でもなくなっておるわけです。故に、ここで「末寺」と言っている意味が解らない。これは「創価学会の末寺」ということかも知れません。
 しかるに、大石寺の末寺ととれるような言い方をして、どっちともとれるような実にずるい言い方で、卑劣な形をとっておる。
 故にこれは、「末寺」でなく、邪宗の坊主が勝手に学会へ申し入れたことであり、血脈伝承の総本山の全く関知しない非合理な『ニセ本尊』であると言えます。
 また、今回の創価学会の『ニセ本尊』下附を彼等が「日亨上人が明確に承認された『形木』という方法による」と言っていることは、書写ではなくて形木という方式をとり、活版印刷による形木本尊の末寺での下附は禁じていなかったということですが、『ニセ本尊』に「書写之」とある以上、当然、元は書写本尊であります。
 また、過去に形木の本尊を末寺より下附があったことをもって、学会の『ニセ本尊』を正当化しようとしているのです。しかし、末寺が、ある時期に弘通教化の上の必要上、形木本尊を下附したことはありますけれども、それはすべて、総本山法主の許可を受けているわけであり、法主に背いて形木を出したことなど、絶対にないのです。
 また、これは宗門全体が、その中心たる血脈相伝を拝受する上で、本宗の寺院僧侶たる正式の承認を受けている立場で行っているのである。きちんとした寺で、きちんとした住職が、しかも管長の承認を受けてそこに住し法を弘通しておる住職が、その責任の上において法主の許可を得て行っておるわけですから、なんらの問題もないのであります。それを、このようなことを言って、何か宗門の過去の在り方が、いかにも自分達の『ニセ本尊』と同じなんだという言い方をしようとしておるのは、全くの欺瞞であります。
 次に、寂日房日華師や日仙師、これはたしかに興門本六の方々ですけれども、この方々が本尊を書写したということを言っております。しかし、日華師筆と伝えられる本尊について日亨上人は、同書において、はたして正筆か否か疑義を呈しておられるのに、敢えてそのことを隠しているのは不正直と言うほかありません。日仙師などは讃岐に行かれているのですから、これは当時の遠隔地の弘通において、交通等の事情によって、原則的には唯授一人の付嘱の書写ということに限っておるのですけれども、日興上人が弘通者として相当すると見極められ,法門相承の真義を受けたと認められる者に対して,特に許可されたということがあったのであります。しかしそれは、その時々の状況によっておるわけである。
 そういう、血脈相承を受けていない者でも本尊を書写したことがあり、しかもそれが一般的な形で、ずっと流れとしてあったように言おうとしておるわけですが、学会の言う「御本尊書写は決して相承を受けた者に限定されていなかった」などということは、中心・基本に背いた暴論であります。
 これはあたかも、爾前経を云々して法華経の正意を否定するようなものであります。つまり、爾前経は方便の形で説かれたけれども、本筋は法華経にある。三世常住の法華経という本門の上から見れば、法華経は久遠以来、一貫した本仏の悟りであり、真実の教えである。それに対して、時どきに出世された仏が爾前経を説かれるわけであります。しかし、最後には真実の教えである法華経が説かれてくるのです。
 その化導の全体を御本尊書写の上より見れば、本筋の唯授一人血脈相承がまず厳として存在する。そこから必要に応じて、ある時期においては方便としての「許可」が現れたけれども、ついにはきちんと元の正しい在り方へ戻ることになるのです。また、実際、今はそのとおりになっておるわけです。
 ですから、そのことを例に挙げて、だから中心となる唯授一人の血脈相承はないのだ、あるいはいい加減なものだと言いくるめようとするけれども、そういうことは絶対にありえません。しかし、こういうことを言って、なんとか少しずつでも中心の血脈相承を否定していこうというのが彼等のねらいであります。
 要するに、学会の『ニセ本尊』は、在家が勝手に出しているということが、まず第一に挙げられます。在家乃至その団体が血脈上の御本尊を勝手に出したことは、正系門家すなわち、日蓮正宗においてはかつて例のないことであります。したがって、まさに大謗法行為であるということが言えます。
 次に、彼等は在家であり、正しい宗門の本尊を左右する資格がないにもかかわらず、これを行なったのは、まさに越権の行為である。
 もう一つ大事なことは、なにびとの許しを得て『ニセ本尊』を授与したのかということです。もちろん、自分らで勝手に行った、無許可の専横である。したがって、先程も指摘したように、「末寺の申し出を受けて」云々の言葉が出てくるのです。そういう言い方をして、自分らが勝手にしたことではない、末寺から許可をもらったんだというような、まるで頭隠して尻隠さずみたいなことを言っておる。しかし、それらはすべて、ごまかしの言であります。

 

※『第二項 「形木本尊は古来より末寺で発行」の妄説を破折する 』へつづく

 


第二項 「形木本尊は古来より末寺で発行」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

第二項

 創価学会が言う「形木本尊は古来より末寺で発行」の妄説を破折する

(2)形木本尊は古来より末寺で発行


 形木本尊とは、大聖人等の御本尊(通常は本門戒壇の大御本尊)又はそれを歴代法主が書写したものを版木に刻み、又は写真製版等にして印刷したものを言います。「書写」とは異なる化儀であり、古来より末寺で行っており、本山でも第八世日影上人の時から行ってきたと日亨上人が記述しています。
 なお、この形木又はお守り本尊は、「仮本尊」であると堀上人が解説しています(富士宗学要集第一巻「有師化儀抄註解」P.113)。この「仮本尊」という言葉の意味については、御書にも日蓮正宗の正依(宗規で規定されている「御書」「日興上人、日有上人、日寛上人の遺文」)にも見つからない新しい用語と概念であるため、十分な検討の必要があります。これについては後に譲ることとしますが、学会の草創以来の御本尊のほとんどは形木であり、間違いなく功徳はバンバンと出ましたから、仮本尊であるかどうかは全く本質ではないことが理解出来ます。
 従来この形木の本尊は、日達上人の時代の初期には法道院の法華講の印刷会社で「本紙」(装丁する前の御本尊の印刷物)を印刷し、それを束にして直接各末寺に送付して、各末寺がそれぞれ「紙幅(紙で表装したもの)」の御本尊にして信徒に下付する方式をとっていましたが、昭和四十年代になってからは大石寺が一本化して表装し、各末寺に送付する形態に変更されたのです。
 これらの事実を裏付ける証拠として、昭和五十五年十二月に宗門内の四国有志僧侶が正信会に対して反論するために作成した「祖道の恢復と真の正信確立の為に」には、「学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来御本尊の摺(すり)形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。化儀抄の「末寺に於いて弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず、本寺住持の所作に限るべし云々」の許容のまま御守り、御形木御本尊を図せし証拠、東北四国等にも残っておる。むしろ御本尊授与の御法主の大権が確立され宗門の綱紀統制されしは、創価学会の全国的な折伏による宗門側の対応の成果にあらずや。」
と、学会の折伏大行進以前には、御形木御本尊等の発行も授与も各末寺で当然のように行われていたのであり、最近坊主になった生臭の禿人(単なるハゲ)には「宗門第一尊厳の化儀」の過去の変遷など全く理解できていないのです。もしも知っているのならば、純粋で信心深い学会員をだますためにウソをついているのです。

 この所で学会は日亨上人の記述を引いて、日影上人の頃から御形木があったとか、日達上人の初期は法道院法華講の関係で印刷し、それを各末寺に送っていたが、昭和四十年代になってから大石寺で表装・送付を行うように一本化したとか、そのほか四国有志僧侶の言などを引いて、御本尊に関する事柄に、 さも変遷があったようなことを言っております。
 ところが、その方法は、その時代その時代で、色々な状況において存するわけです。 鎌倉、室町、戦国、江戸、明治以降も、その時代に応じて形木本尊等の化導の形が変化することは当然である。それらのことを問題視する創価学会が莫迦なのであり、周りのことを言い立ててその中心を薄めようという、創価学会の低劣な策略であります。

 大切なのは、いかに方法等に変化があっても、一貫して総本山の血脈法主の指示乃至、許可によるところの本寺と末寺の関係が厳として存在したということであり、この中心の在り方には絶対に変化がない。また、その上からの御形木下附であります。
 ところが、これを否定する悪心があるために、方法・形態の変遷を問題にして、中心を否定しようとする幼稚・浅薄な論法であると言っておきます。
 それから、文中、御形木御本尊について「功徳がバンバン出た」という言い方をしていますが、この言い方も学会の「御本尊は幸福製造機」とする唯物本尊的な考え方を示すもので、まことにもったいない言い方です。
 御本尊は日蓮大聖人の御当体であり、尊極の法体であります。我々末法の衆生は、功徳聚にまします御本尊に帰命し、修行することにより、功を積み徳を累ねさせていただくのであって、御本尊を自分達が幸せになるための単なる機械のように即物的に考え、「功徳がバンバン出た」などと言ってはばからない信仰の浅さが「法主にのみ御本尊に関する権限があるとするのは邪義」などという邪見を生み、さらには『ニセ本尊』を作製、販売するような大謗法を平気で犯すに至っているのです。
 「御本尊は幸福製造機」という言い方は、広布進展への方便であったとはいえ、このような御本尊軽視の謗法の元となる、摧尊入卑の考え方の一因となった面があったと言うべきでしょう。


 今回末寺の申し出を受けて開始された、学会による日寛上人の御本尊授与は「書写」ではなく「形木」であり、これまで学会員一般に授与されてきた御本尊もほとんど全てがこの「形木」です。功労の方々に下付された特別御形木御本尊も「書写」ではなく「形木」なのですが、どちらの形式であれ、草創期以来偉大な功徳が数え切れないほど得られています。
 逆に代々の法主直筆の御本尊や板本尊を何体も受持しながら、謗法にまみれて広布を忘れた根檀家が多いことを考えれば、信心が無ければ御本尊もただの物体に堕してしまうことを学会が証明したことになるではありませんか。さらに後述するように、御本尊下付の手続きによって功徳に違いがあるなどという考え方は、日蓮正宗の「正依」にも背き、大聖人の魂を墨に染め流して書かれた御本尊も、形式要件によって不完全なものになるという、完全な大謗法の考え方で、明らかな間違いです。
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(P.1244)なのです。

 ここでは、まず初めに「末寺の申し出を受けて」の「末寺」の言については先にその不当性、欺瞞性を破折したとおりであります。
 次に「今回の学会による日寛上人の御本尊授与は『書写』ではなく『形木』であり、学会の草創期以来、形木本尊に偉大な功徳があった」旨を述べています。この所で、特に「書写」でなく、学会の授与本尊は「形木」なのだ、という意味を強調しています。 そして次に、書写本尊や板本尊を受持する根檀家について、広布を忘れた謗法が多いと誹謗し、御本尊も信心がなければ「ただの物体に堕してしまうことを学会が証明した」と自讃しています。しかし、それを言うなら、むしろ根檀家のように正法寺院への不変の結縁があればともかく、それもなく、学会の折伏でいったん入信しながら退転し、大聖人様に誓ったはずの正法受持を無慚に破り捨てた者どもがいかに多いことか、勘定したことがあるのでしょうか。現員数の何層倍もの者が、完全な邪教の徒、無信の徒となっていることは、広布、広布と威張っても、実態は正しく救えなかったことを、学会が自ら証明しているではありませんか。少しは責任を考えたことがあるのでしょうか。
 次に「さらに後述するように、御本尊下付の手続きによって功徳に違いがあるなどという考え方は、日蓮正宗の『正依』にも背き(中略)形式要件によって不完全なものになるという、完全な大謗法の考え方で、明らかな間違い」だと、「手続き」にこだわった言い方をしています。しかし、この文はだれが読んでも文意不明確で、わざと判らないように書いているとも取れます。
 単純に反論すれば、御本尊下附の手続きによって功徳に違いがあるなどということは、宗門では全然、関知しないし、だれも述べていないのです。にもかかわらず、学会でしつこく「手続き」を云々することは、目が眩んでいたずらに空を切るに等しい筋違いであります。
 思うに、宗門で学会の今回の印刷、配布を『ニセ本尊』と言うことに対し、学会はまず、勝手に「書写」と「形木」とは手続きが全く異なると述べ、学会の形木本尊を宗門で『ニセ本尊』と言うことは、そのような形木としての手続きについて言っていると勘違いし、そのような宗門の主張は間違いだとして言い逃れようとすることらしいのです。しかし、そうとすれば、まことに愚にもつかぬ思い違いである。宗門で『ニセ本尊』と言う理由として、彼等の言うような、いわゆる「書写の本尊とは手続きの異なる、形木という形式要件だから『ニセ本尊』だ」などと言ったことは、全くないことであります。
 宗門で『ニセ本尊』と言うのは、それが形木という形式とか手続きだからというのではなく、血脈上の本尊を、正しい資格もない者、池田、秋谷等が私する専横を言うのであり、すなわち、池田らの魔性が入った、下種三宝のお心を踏みにじるものだから『ニセ本尊』と言うのです。
 したがって、この項の最後に『日女御前御返事』の有り難い御文を引くも、その冒頭の「此の御本尊」の文が、大聖人の御仏意による正しい御本尊でなく、魔性の本尊である以上、これを持つ者は正しい功徳なく、三悪道行きなのであります。


 学会の出現によって富士の濁流が浄化され、自分達が昔やっていたことをすべて棚に上げてしまったようですが、今度は学会による御本尊下付によって、御本尊の力は純粋な信心によってのみ無限に引き出されるのだということを全世界に示そうではありませんか!

 ここの所については、「学会の出現によって富士の濁流が浄化され」たなどと、こういうような莫迦なことを言っているようであります。この言は、本当に無慚無愧、憍慢この上ない言葉だと思います。
 彼等は、学会の出現以前の富士は濁流であったと言いますが、かつて創価学会よりの作詞、作曲の提供で一時使用した「日蓮正宗の歌」というのがあります。その一番は、

「青雲高く陽に映ゆる、富士の麓に七百年、常に立正安国の、聖い使命を逞しく、掲げたまえる大仏法、日蓮正宗仰げいざ」
というもので、みんなも知っているでしょう。この歌詞は自分達で作ってきたものですが、そのなかには「聖い使命を逞しく」と言っておりながら、今になると「富士の濁流」だと言っておる。本当に二枚舌の、くるくる変わる連中で、これは何も今に始まったことではないが、実にあきれ返る無道心の者どもであります。
 ここで彼等は「自分達が昔やっていたことをすべて棚に上げて」云々と、いかにも大石寺に謗法があったように言うが、これも自画自賛の立場より、流浪の身が親元を忘れた言であります。
 富士の清流によってこそ、一時的にしろ、自分らも正しい信仰につけたのではないか。その元を全く忘れておるというところを、むしろ我々ははっきり見極めて、そこを折伏していかなければならないと思います。
 歴代上人が、あらゆる時代の逆風と、謗法擁護の封建制度の色々な時代のなかで、いかに正法護持、令法久住に心を尽くされたことでありましょうか。そのために七百年の今日まで、清流が伝わったのであります。その時代その時代のなかで、あるいは正法の弘通が思うように伸びることの不可能な状態もあり、そのほか色々な姿はあったけれども、それを捉えて「富士の濁流」とか謗法呼ばわりするということは、時代の流れの実相を知らぬ低劣な認識であります。
 正流七百年、今に変わらざる法統あればこそ、派生集団・創価学会の一往の広宣流布相も存したのである、ということをはっきりと指摘すべきであり、この「濁流」の言は、源を忘れ、その根を截る大莫迦者であると断じます。
 また、「学会による御本尊下付によって、御本尊の力は純粋な信心によってのみ無限に引き出される」ということを言っておりますけれども、既に学会の本尊下附は『ニセ本尊』となって無限の誤りが伏在する以上、その本尊に対しての純粋な信心のあろうはずがありません。必ず仏罰の現証、謗法の罪苦となって長劫に流れることと思います。

 

※『第三項 「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」の妄説を破折する』へつづく

 


第三項 「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

  第三項

 創価学会が言う「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」の妄説を破折する



(3)世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止
 五十九世堀日亨上人は、世界広布の時には、法主が御本尊の授与を独占してはならないと御指南されており、形木の本尊をその具体例として挙げられています。「宗運漸次に開けて・異族に海外に妙法の唱え盛なるに至らば・曼陀羅授与の事豈法主一人の手に成ることを得んや、或は本条の如き事実を再現するに至らんか・或は形木を以て之を補はんか・已に故人となれる学頭日照師が朝鮮に布教するや、紫宸殿御本尊を有師の模写せるものによりて写真石版に縮写し・新入の信徒に授与せり」(富士宗学要集第一巻「有師化儀抄註解」P.113)
 (通解:宗運がだんだん開けて、異民族や海外で妙法の唱えが盛んになったならば、曼陀羅の授与について、どうして法主一人の手で行うようなことができようか。あるいは化儀抄二十五、六条のような事実すなわち末寺での本尊書写を再現することに至るだろう。あるいは形木本尊でこれを補うだろう。以下略)

 この「(3)世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」という表題は、まさに日亨上人の『有師化儀抄註解』の文についての創価学会独特の切り文であり、文意のスリ替えであります。「法主独占を禁止」などという、「禁止」などの文意は『化儀抄註解』のなかの、どこにもないのであります。これは『化儀抄』の第二十六条の本文、すなわち、
  「曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云」(富士宗学要集一巻一一一)
の文について、かなり長文の註解をされた所でありますが、このかなり長い文章のなかで、まず厳正なる宗門の漫荼羅義について、次のように言われているのです。
  「曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り・敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや、故に今唯文に付いて且らく愚註を加ふ、元意の重は更に予の窺ひ知る所にあらざるなり」(同一一二)
 この文のなかの「敢て・沙弥輩の呶々する事を許さんや……」以下の文で日亨上人が特に謙下されているのは、この『註解』が明治四十年から大正六年、すなわち、四十歳代に書かれたものを、四十余年後、『宗学要集』再版に際し編入されたもので、登座以前、相承を受けておられぬ時の著述だからであります。したがって、本尊に関する決定をなすお立場でなかったことは、火を見るより明らかであります。
 故に、この辺からも、この『註解』の文中に「法主独占を禁止」するなどの趣意があろうはずはないのであります。まさにこれ、日亨上人に対する冒涜の言であります。
 そして、その次が大事なのであって、
  「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり」(同)
と断られております。ここに、書写と授与と、共に「宗門第一尊厳の化儀」とされている文をしっかりと拝さなければいけない。これは創価学会のような勝手な本尊授与を「不可」として誡められている文であります。しかし、こういう自分に都合の悪い所は、頬被りしてわざと抜き、引文していない。これは切り文の証拠です。
 日亨上人はさらに論を進めて、
  「然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令不退の行者たりとも・本山を距ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞の戦国時代には・何を以つて大曼荼羅を拝するの栄を得んや、故に古来形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し」(同)
と言われています。つまり本尊授与は、古来の厳正なる法規において法主に限ることを述べておる。しかし、交通の不便、戦乱等によることによって、日影上人が形木にせられ、日有上人が末寺住職へ判形を禁じた書写を許されたことを挙げ、「そのようなことも一時はあった」と言われつつ、実際においてその後の宗門は、祖意を守り、本尊に関して厳正であったことを次の如く述べられております。
  「有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり」(同一一三)
 この文中、「寛容の度」というのはゆるやかなこと、すなわち、御形木にしたり、あるいはまた、判形を加えなければ末寺の住職も御本尊を書写してもよいということを言われたということです。また、「祖意」というのは大聖人、日興上人の御本尊に対する厳正なお心ということですが、日亨上人がこのように述べられる意は、いったんはこういうことを許可されたけれども、その後、長い間、創価学会の如き不逞の輩がほとんど出ていなかったことを、逆に証明されているわけなのです。
 さて、この文に続くのが、皆さんの手元の資料にある創価学会の引文の所になります。
 彼等の引く、この日亨上人の「異族に海外に妙法の唱え盛なるに至らば・曼陀羅授与の事豈法主一人の手に成ることを得んや」という文は、原文には「法主御一人」とあるにもかかわらず、彼等は意図的に「御」の字を削り、「法主一人」として、日亨上人の意を歪曲しているのです。
 さて、この文は、特に御本尊書写における法主一人の身に対する配慮であり、その時間的、物理的な分量の限界を心配されているのです。
 多忙を極める法主の日常では、多くの御本尊書写は容易ではないので、広布が進み、信徒が増加したときを考察された結果、次に続く二文の案を擬推されただけであります。したがって、創価学会の言う如き「法主独占を禁止」などの意趣は全くありません。まさしく文義のスリ替えそのものであります。
 故に、続いて「本条の如き事実」すなわち、判形なく書写を許す方式と、形木による弘通の方式を述べておられるに過ぎません。そして、その後、宗門は具体的事実として、まさしく形木方式で広く御本尊流布を行っているのであり、その一方で、可能な範囲で法主の書写による御本尊下附をも行っているのです。
 また、この日亨上人の文は、過去の例より未来を推し量って、自らの意見をもってあてがわれている所である。つまり、ここに示される「至らんか」とか「補はんか」等は疑問を示す語で、自ら決せざる言葉なのであり、けっして決定した意見ではない。また、仮りにそういうことが行われる時が来たにせよ、金口血脈の法主の許可を得ないで、勝手にやってよいなどということは、このなかのどこにも言われておりません。
 前文の、
  「大権は唯授一人金口相承の法主に在り」
  「曼荼羅書写本尊授与の事は・宗門第一尊厳の化儀なり」
と言われているお言葉からも、資格のない在家団体が行うべからざる趣意が明らかであります。しかるに彼等は、自分らの引く文の日亨上人の言をもって「本尊下付の法主独占を禁止」した、などと言うのは、意味も趣旨も違う断定をしておるのです。これは「耳を覆うて鈴を盗む」のたぐいであり、まさに文意の誇張であり、スリ替えであり、切り文であります。
 こういう欺瞞を平気で行うのが創価学会なのです。創価学会の会員は、このような明らかな目暗ましによる人権無視をされているということを、強く感ずるものであります。


 「三には後代の法主が宗祖開山等の曼陀羅を其侭模写し給ひて更に模写の判形を為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの・四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの判形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等に分つを得べきか・此中に一と三とは事なかるべし」(富士宗学要集第一巻 「有師化儀抄註解」P.113)
 (通解:三番目は、後代の法主が大聖人、日興上人等の曼陀羅をそのまま書写し、さらに書写した旨の判形を書いたものを形木又は写真製版等で印刷したもの。四番目は、代々の法主が書写した版又は形木に、平僧が自分の判形を加えて、又は平僧が自分で御本尊を書写して自分の判形まで加えたもの等に分けられよう。この中で一番目と三番目とは問題ない。)
 しかも、後段の文では、今回の学会の下付のやり方にそのまま該当する方法を挙げられて、「事なかるべし」と、全く問題ない旨の判定をされています。すなわち、
 「後代の法主(今回は日寛上人)が宗祖開山等の曼陀羅(今回は戒壇の大御本尊)を其侭模写し給ひて更に模写の判形を(今回は日寛上人が)為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの」
とは、まさに僣聖増上慢の出現する今の「時」を見越した御仏智としか思えないような的確な御指南ではありませんか。

 先程も読みましたが、『化儀抄』第二十六条の本文をもう一度紹介しますと、
  「曼荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし、判形は為すべからず云云、但し本寺住持は即身成仏の信心一定の道俗には・判形を為さるる事も之有り・希なる義なり云云」(富士宗学要集一巻一一一)
という文があります。この条文中の「本寺住持」以下の文について日亨上人が、その事例はこのようなものであろうかと推測して解釈されたのが、一、二、三、四の解釈であり、そのうちの三と四が、創価学会がここに引いておる所です。ただし、これはあくまで日亨上人が推測されている文であり、それを忘れてはいけないのです。
 さて、その末文において「一と三とは事なかるべし」と言われたのは、「形式としては違法には当たらぬであろう」と言われただけであります。それよりも、創価学会が一連の愚論の終わりに「僣聖増上慢の出現する今の『時』を見越した御仏智としか思えないような的確な御指南だ」などと大見得を切っているのは、実際は全然、的外れの、不成立の言であることを教えてあげましょう。
 『註解』中の一、二、三、四における、三の文中の字をよく確かめてみなさい。
  「後代の法主が宗祖開山等の曼荼羅を其儘模写し給ひて……」(同一一三)
とあるではありませんか。「模写」と「書写」とは富士門流の用語において、意味が違うことも知らないのか、と指摘するものです。
 しかるに、そのあとの創価学会の「通解」では、『註解』の「模写」の字を「書写」と書き変えております。模写と書写の意味の違いを知っていて、わざと頬被りしているなら狡猾な欺瞞であり、知らずに同じと思っているなら本尊を論ずる資格もない素人の低見である。すなわち、模写と書写は全く違った本尊形式なのであります。
 現在、総本山御宝蔵に安置する、文安二年、日有上人が、古来、総本山に蔵する弘安三年三月御顕示の大聖人御真筆御本尊を模写ならびに模刻され、模写の判形をなされたのが、いわゆる模写の本尊であり、これは、他にも宗門内の類例が存するのです。 『註解』の三の趣旨は、この本尊をさらに形木または写真版としたことを言われているのであり、だから「其儘」と書かれているのであります。
 一方、書写の本尊とは、「其儘」の形に模写するのでなく、大御本尊の御内証を拝した法主の唯授一人の血脈相伝の上から、存略自在の意をもって書写されるのであります。
 学会では先の文に、『註解』三の文を評して、
  「今回の学会の下付のやり方にそのまま該当する方法を挙げられ(中略)全く問題ない旨の判定をされている」
として、さらに、
  「後代の法主(今回は日寛上人)が宗祖開山等の曼陀羅(今回は戒壇の大御本尊)を其侭模写し給ひて更に模写の判形を(今回は日寛上人が)為されたるものを形木又は写真版等となしたるもの……」
がそれだと、御丁寧な説明つきで述べています。この所をよく見ると、学会の「通解」で「書写」と変えたにもかかわらず、再び「模写」にしているのです。要するに「模写」と「書写」の区別さえ判らぬ、噴飯の誤解であると言えましょう。
 模写とは、その形態を、文字の字体や位置等まで原形の御本尊の如く写し奉ることを言うのです。しかるに、日寛上人の御本尊は模写ではなく書写であり、しかもその相貌は戒壇の大御本尊とは異なる略本尊なのです。
 したがって、日亨上人『化儀抄註解』中の三の条項に的確に該当するとして得々たる今回の学会の『ニセ本尊』作製の根拠は、日亨上人が挙げられた一乃至、四の条項のなかの第三のみならず、他のいずれにも該当しません。敢えてこれを言うならば、日寛上人が本門戒壇の大御本尊を御書写あそばされた大行阿闍梨本證坊日證師授与の御本尊は「曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り」と日亨上人が仰せられたところに該当しますが、この尊い日寛上人の御本尊を、総本山から離脱した謗法僧と邪教集団が結託して、本宗本来の血脈の法義に背反して手前勝手に授与書きを削除した上、写真版として頒布するところに『ニセ本尊』の所以があります。
 まさしく『ニセ本尊』は、後代の御本尊の類型を種々に擬推された日亨上人の想定にもない、大謗法の産物であります。したがって、「世界広布の時は本尊下付の法主独占を禁止」という表題は、真っ赤な嘘を恐れげもなく主張し、自分らの作り上げた嘘を誇張しておるという次第であります。

 

※『第四項 「御本尊の開眼という化儀は坊主(教師)の正式なマニュアルには無い」の妄説を破折する 』へつづく

 


第四項 「御本尊の開眼という化儀は坊主(教師)の正式なマニュアルには無い」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

第四項

 創価学会が言う「御本尊の開眼という化儀は坊主(教師)の正式なマニュアルには無い」の妄説を破折する


(4)御本尊の開眼という化儀は坊主(教師)の正式なマニュアルには無い

 日蓮正宗の正式な化儀については、僧侶の中でも住職になることが認められた「教師」の位についたものが習得しなければならない化儀を網羅したマニュアルとして「日蓮正宗教師必携」という書物に記載されています。
 この本には、僧侶の心得から始まり、葬儀のやり方はもとより、「諸式範例」として、結婚式や起工式ならまだしも、上棟式、進水式、安産祈念、命名祈念、厄払い祈念、進学祈念、就職祈念、自動車祈念、旅行祈念等々あらゆる人生の節目に、祈念と称した邪宗まがいの気休めを与えて供養を搾り取るやり口を懇切丁寧に指導しているのです。
 ところが、この微に入り細にわたって宗門の「正しい化儀」をまとめたこの本の中で、「開眼」について記載されているのは、何と「数珠の開眼」についてだけなのです。その全文を紹介すると、
  「○開眼の事
  数珠は必ず御開眼を済ませてから使用する。
  御開眼は、読経唱題中に、導師が数珠を両手にかけ、「南無妙法蓮華経」と祈念する。」
と、わずかこれだけしか書かれていないのです。
 要するに、勤行唱題をするだけなのですが、実はこの作法は御書に照らしても大きくは間違っていません。御書には、
  「仏は所生・法華経は能生・仏は身なり法華経は神なり、然れば則ち木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(P.366)
  「此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり」(P.1145)
と、開眼供養は法華経(南無妙法蓮華経)の力によってのみ可能なのだと示されているのです。決して坊主の力などによるものでないことは御書を読めばあまりにも明らかなのです。
 それでは、「日蓮正宗教師必携」には、御本尊の下付の際の化儀についてはどのように記載されているのでしょうか。
 「第三章 授戒並びに御本尊下付」の「第一節 授戒式(付、謗法払)」には、かつて学会員が寺院で御授戒を受けていた頃の作法が大変具体的に書かれていますが、もちろん「御本尊の開眼」については一言も触れられていません。
 「第二節 御形木御本尊下付」には、下付の手続きとわずか五行の作法が書かれているのみです。当然ここにも「開眼」については全く記載されていません。
 そして「第三節 常住御本尊等の下付並びに信徒宅入仏式」には、たいへん興味ある内容が書かれているのです。それは、「開眼」が行われていないどころか、表装又は彫刻を行って御本尊を完成させるのは、信徒が自分で(当然仏具屋に頼んで)行うことになっているのです。詳細は以下のとおり。
「総本山より寺院へ御本尊が下付されてきたとき、住職は直ちに内拝を行い、願主の姓名などを確認し、万一総本山に具申する必要があるときは、直ちに具申する。次に、願主に通知し、表装、または彫刻の荘厳工程を経て、完成次第寺院に捧持せしめ、更に内拝を行うのを可とする。別状がなければ、願主の願いにより、入仏式の日取りを決定する。
 願主より入仏式の願い出があったときは、御本尊を寺へ捧持させ、住職が内拝を行い、そのまま(未表装の場合は表装させて)預かり、式の当日住職が捧持する。」
 そしてこの後は安置後に末寺住職が勤行をするだけなのです。「法主の開眼」などは、どこにも一切記載されていません。
 この文章中の「常住御本尊」とは、宗門で「本紙」と呼んでいる未表装の御本尊のことで、まだ御本尊として未完成の段階で「開眼」の儀式を行っているというのでしょうか。末寺が受け取った時点で、一旦この「本紙」は信徒に渡されて表装又は彫刻(板本尊にすること)を行い、我々が通常御本尊と呼んでいる姿が完成する訳です。

 ここに『教師必携』という書名が出てきますが、たしかに宗門の教師の心得としてそういう本があります。それを取り上げて、そのなかに諸式範例を詳しく述べているにもかかわらず、開眼については数珠の開眼だけであることを言い、さらに「第三章 授戒並びに御本尊下付」について、その「第一節 授戒式」と「第二節 御形木御本尊下付」には全く開眼のことはなく、さらに「第三節 常住御本尊等の下付並びに信徒宅入仏式」には、開眼が行われていないどころか、信徒が自分で御本尊を完成させることになっている、と浅識の言を吐き、以下、「総本山より寺院へ御本尊が下付されてきたとき、住職は直ちに内拝を行い……」以下、入仏式に至るまでの手続きの文を挙げ、「そしてこの後は安置後に末寺住職が勤行をするだけなのです。『法主の開眼』などは、どこにも一切記載されていません」と、鬼の首でも取ったかの如く、法主の開眼祈念のないことを主張し、開眼の不必要を論証せんとしております。
 要は、開眼というのは数珠のことしかない、だから宗門に開眼などというものは何もないんだ。したがって、宗門は創価学会の本尊のことを、開眼をしていないから『ニセ本尊』だと言うけれども、それは違うんだ、ということを言いたいのです。しかし、これは全く、素人の浅ましさであります。
 そこで、まず彼等は開眼供養について知ったかぶりを発揮し、『本尊問答抄』と『四条金吾釈迦仏供養事』のなかの二文を引いて、「開眼供養は法華経(南無妙法蓮華経)の力によってのみ可能」で、坊主の力によらないことが御書を読めば明らかだと、憍慢・不遜の言を吐いています。しかしこれは、一を知って十を知らず、総じての法華経の功徳の文にのみ囚われて、自らの破法による別しての罪業に全く無知なのであります。
 開眼供養も、その他の一切の法華経による祈念の功徳を得ることも、すべて法華経を正しく信得した者にして初めて可能です。しかるに、池田大作やその配下の者どもは、法華経の心に背いた大逆ある故に、いくら法華経を信じたと思い込み、なずきを砕いて祈っても、正しい功徳は成就しません。『松野殿御返事』に、
  「但し此の経の心に背きて唱へば、其の差別有るべきなり。此の経の修行に重々のしなあり(乃至)悪の因に十四あり。一に憍慢・二に懈怠・三に計我・四に浅識・五に著欲(乃至)十四に恨善なり」(御書一〇四六)
と示される十四誹謗の一々を池田や創価学会に当てはめるとき、世の中にこれ以上ぴったり契合する者どもは外にありません。したがって、彼等がいくら口先だけ、有り難い御書の御文を引いて功徳を誇ろうとも、事実においてその徳は成就しないのです。
 すなわち、彼等が我意・我見を逞しくして、坊主の力などによらないと御書を錯誤して僧宝を軽蔑する心中は、まさに憍慢、計我、浅識等であり、開眼供養の根本精神たる妙法に背いているのです。つまり「此の経の心に背」いているのであり、宗祖大聖人の呵責はまさに彼等に当たります。
 次に『教師必携』について一言しましょう。
 だいたい、この『教師必携』という書は、宗内一般教師が色々な寺務を執る上に必要な知識を記した書なのです。したがって、法主とか管長について「かくの如くすべし」という事柄を記すべき性質の書物ではないのです。その名称が明らかにそれを示しているではありませんか。
 そこに「管長心得」とか「法主心得」とあれば別ですが、全ページことごとく、一般教師の寺務心得であり、したがって、御本尊に関して法主の行う一切の事柄が『教師必携』に指示とか規定など、あるはずはない。こんなことはたとえ素人でも、少し信心のある人なら明らかなことです。創価学会は、信心、信心と言いながら、謗法にまみれた不信心に徹底しているから、このような普通以下の誤りを犯すに至るのであります。
 まず、創価学会の挙げる『教師必携』の第三章第三節の説明文、「総本山より寺院へ御本尊が下付されてきたとき」以下の文が、既に御本尊様が総本山の手から離れて末寺に移った段階からのことを示しているでしょう。つまり、総本山の手から離れた段階から、御本尊に関する教師の心得の説明は始まっているわけなのです。
 総本山においては、歴代上人より現住・日顕に至るまで、こと御本尊に関する一切はことごとく、かたじけなくも諸仏成道の刻みである丑寅の勤行において、下種本因の四妙たる妙境・妙智・妙行・妙位の正義をもって、事の一念三千の御本尊に対し奉り、開眼草木成仏の深意により、妙境妙智一体不二の御祈念を申し上げておるのであります。この行事は、書写本尊、形木本尊その他、一切を含めていささかの例外もありません。 また、創価学会がいくら歯ぎしりしようとも、譲座本尊の本義による代々の法主の仏法伝承の位は、厳然たる事実なのです。
 そして、これは法主の権限ですから、『教師必携』に書くべき事柄ではない。しかし、この事例を見聞する宗内の僧俗が、この宗門の丑寅勤行において法主によって祈念せられた意義と事象について非常に尊く思い、これを「開眼の本尊」として、創価学会が勝手に製造した、特別の丑寅勤行の祈念もない『ニセ本尊』と区別をしたのであります。
 故に、本尊に関して、総本山伝統の敬虔な祈念をもたない創価学会の本尊を『ニセ本尊』として区別する一つの証左として「正宗の本尊に開眼あり」と言うのは当然なのです。
 また、これはあとからも出てきますけれども、師僧背逆の離脱謗法僧どもが「御本尊の祈念を、我々が見たことがないから、そういうことはなかった」などと言っておるようですが、法主自らの権限事項をそんな小僧どもに教える必要もない。私は今も所化・小僧に対して「今日はこうこうで、こういうことをしているんだ」などということを、ひとことも言ったことはありません。だから、あの離脱僧どもは何も知らないでいたわけです。それで今になって、「開眼はなかった」などと創価学会の者どもに言ったりしているらしいけれども、そんなものは問題になりません。あるいは、創価学会に習った虚偽策謀の言とも言えましょう。
 さらにまた、そのほかの種々の推測や独断は、『教師必携』の読み方も判らない学会の低俗な迷想である。法主・管長のことは『教師必携』に規定がない道理とともに、もう少し頭を冷やして文章を正しく読め、ということを言っておく次第であります。


 そして、藤本メモに記録された日達上人の言葉に照らせば、この段階で自分で勝手に御安置しても何の問題もないということが明らかになるのです。
「個人が受けた御本尊だから.その人又は会の宝物だから.どのように格護しようがとやかく云えない.紙幅を板御本尊にするということは.前からも行われている、御開眼とか.入仏式とかは.信仰上からは.僧侶にお願いするのが本当だが、しかし、これも個人の自由で.僧侶を呼ばなければいけない.という事でもない」(藤本メモ)
 そうすると開眼、とりわけ「法主による開眼」とは一体何なのでしょうか。法主が自ら書写した常住御本尊においてさえ、御本尊として完成してからは一切法主による開眼など行われていないことは、この宗門として正式に採用している化儀=作業手順を読めば明らかではありませんか。

 ここに「藤本メモ」という語が出てきましたが、これに関連して、このあとの所でいわゆる「模刻本尊」のことを正当化している文章が出てきます。その問題については私ではなく、水島教学部副部長から皆さん方に、いかに創価学会がインチキで、嘘つきであるかということをはっきりと話してくれると思います。その時に「藤本メモ」のことについても、藤本総監自身から話があると思います。
 ただ、ここで指摘すべきことは、「藤本メモ」によって日達上人のお言葉を引用しているが、それは総本山通常の法主の行事についてではなく、学会が勝手に模刻した本尊についての日達上人のお言葉なのです。したがって、他の正規の御本尊とは一切、関係がないのですが、創価学会が、さも関係があるように述べているということです。
 また、先程も申しましたが、『教師必携』には法主の行う開眼祈念などは記載しないことが当然であり、その記載がないから法主の開眼そのものがないなどと邪推するのは、筋違い極まる愚論です。
 以前から今日に至るまで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主が祈念をしているということを、再度、申しておく次第であります。


 まして、かつては法道院から直接末寺へ配送されていた御形木本尊においてをや、です。まやかしの神秘主義は断じて打ち破らなければなりません。

 これについて申しますと、以前に法道院より各末寺が送付を受けた御形木御本尊について「開眼がない」と推測しているのですけれども、当時の法道院主管の早瀬道応師、のちの日慈上人は、総本山の法主の許可によって、当時の形においてお取り次ぎをしていたのです。故に総本山の正しい化儀に、なんら反していないのであります。
 ですから、なんでもかんでも手当たり次第に非難の材料にする学会の姿は、まさしく怨念の鬼とも言うべきでありましょう。


 御義口伝や御講聞書にも、
  「開とは信心の異名なり」(P.716)
  「信心を以て眼とせり」(P.818)
  「此の御本尊より外には眼目無きなり」(P.841)
等とあるとおり、開眼といっても特別なものではなく、御本尊への信心のことを言うのだと理解できるではありませんか。

 これもまた、こういう御書の文証を引いてスリ替えているのです。つまり、信心さえあれば何もいらないんだという言い方をしているわけですが、創価学会は、その信心地体が十四誹謗のすべてに当たり、間違っておるのです。
 しかも、ここでは『御義口伝』や『御講聞書』の文を挙げて「開眼といっても特別なものではなく、御本尊への信心のことを言うのだと理解できる」と言っておるのですが、この文証そのものが、実は文証になっていないのです。
 『御義口伝』の、
  「開とは信心の異名なり」(御書一七二八)
の文は、諸仏出世の本意である一大事因縁を明かされた「開示悟入の四仏知見」を講ぜられた御文であり、開眼の意の「開」の御教示でないことが明らかであります。
 また『御講聞書』の、
  「信を以て眼とせり」(同一八三〇)
の「眼」とは、舎利弗が過去世に乞眼婆羅門に「眼」を乞い取られて菩薩道を退転したことを明かされ、信心の不退を促されるに当たっての御教示であり、これも開眼の意の「眼」ではありません。
 信心がどだい、池田大作の憍慢、計我、浅識、著欲その他、十四誹謗のすべてを受け継ぐ狂ったものである上に、本宗の開眼の本意も『教師必携』等の文書の意味も全く解らず、やみくもにこじつけようとするから、このように、スリ替え、こじつけがたちまち破綻してしまうのです。


 それとも法主が御本尊を書写した途端に、未完成の「本紙」の段階で特別に開眼の儀式を行っているとでもいうのでしょうか。それならば逆に、書写された後は信徒が勝手に表装又は彫刻してから御安置しても、開眼されている以上どう扱おうが何の問題もないことが確定するではありませんか。取って付けたような屁理屈では、ますます論理が破綻するのです。

 ここでは、彼等が言う「本紙の段階で開眼の式を行っているなら、そのあと信徒が、その本尊をどう扱おうが、なんの問題もないことが確定する」旨を言っているが、前述のとおり総本山での法主の開眼祈念はあらゆる御本尊について、すなわち、直接の書写本尊から形木のお守りと安置本尊に至るまで、すべての御本尊について行っているのであります。
 したがって、そののちのお取り扱いについても正しい規定によるべきであり、創価学会の勝手な論議は大謗法であります。
 創価学会の『ニセ本尊』は、印刷されたのち、開眼がないことは、自ら言う如く明らかである。故に、今回の学会の『ニセ本尊』は、その元は日寛上人が二百七十八年前に書写あそばされ、その時に当然、開眼をされたわけですが、それによって学会が勝手に作った大量の『ニセ本尊』の印刷のほうは、全く開眼されていないわけです。
 創価学会の言は、この元の本尊と大量印刷の実際との違いを、言葉の綾で一つにしてごまかそうとするものである。創価学会が言う「取って付けたような屁理屈」とか「ますます論理が破綻する」という言葉も、そっくり創価学会に返上しておく次第であります。


 もしも「法主の開眼が必要である」などと言う、宗門の化儀に無知な輩がいたら、「開眼の儀式は常住御本尊完成のどの段階で、どんな作法をとるのか具体的に言ってみろ!」と厳しく破折しなければなりません。そいつは「宗門第一尊厳の化儀」を破壊する輩であるだけでなく、正しい信心を破壊しようとする悪知識だからです。
 ちなみに、日達上人や日顕の奧番として法主の日常を数年にわたって目の当たりしてきた数人の離脱僧侶たちの証言では、日顕は御本尊書写をステテコ姿で行ったこともあれば、御形木本尊に至ってはダンボール箱を山積みにしておいて、それを一切何の開眼もせずに末寺に発送していた時もあったのですから、日顕宗が言っている化儀がいかにお粗末なウソ八百であるかが分かろうというものです。

 まず、いわゆる離脱僧の逆僧どもの言っておる「ステテコ姿」などということが一切、嘘であるであり、誹謗であるとはっきり言っておきます。
 それから、「開眼が必要なら、御本尊完成のどの段階で、どんな作法か具体的に言ってみろ」と言いますが、今まで破折したことで充分だし、今も既に破折しているわけです。
 ただし、それ以上に知りたかったら池田教をやめて、ひざまずいて教えを乞え、ということを言っておいてください。


 相承書である本因妙抄には、正しい信心のあり方について明確に御指南されています。
  「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く」(P.872)
(通解:信心強盛にただ余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身がそのまま仏身である。是を天真独朗の即身成仏と名付ける。)
 同様の御指南はこの他にもたくさんありますが、要するに末法の御本仏の出世の本懐である御本尊に一心に題目を唱えること以外に、法主や坊主や開眼の手続きのような、何か別の介在物が存在しないと成仏できないなどという教えは、出世の本懐を不完全な教えに貶めるものであり、絶対に邪義以外のなにものでもありません。

 こういう言い方は、このあとのすべてに通じております。要するに信心さえあればいいんだということなのですが、その信心の元に「総別の二義」ということがあるのである。このことはあと(「日顕宗の邪義を破す」についての破折の御講義)に出てきますけれども、総別をきちんと立て分けた上での、きちんとした信心でなければならないのでありまして、そこを彼等は「総別などということは全くないんだ」というような言い方で、その文義をないがしろにしております。
 ここでは『本因妙抄』を挙げて、信心さえあれば開眼などはいらないということを言っておるが、総じて言うときにおいて、一切衆生の成仏はまさに南無妙法蓮華経の上において存するのですから、その点においてはなんびとも即身成仏の大功徳を得るのです。しかし、その信心の形は、いわゆる大聖人様から日興上人、日目上人と血脈の上において正しく御本尊の深義が伝えられておるのであり、法体の相承、さらに言うなれば金口嫡々血脈相承という意義、さらに法門の相承、そしてそれらの上において信心の血脈における信心の成仏ということが存するのです。
 したがって、それが『本因妙抄』であろうと何抄であろうと、その信心の功徳という所だけを取り上げて、それがさも全体であるかのように言っておるということです。
 要するに『本因妙抄』のこの文は、総じて根本の事の一念三千の妙用による入信の一切衆生の成仏を説かれているのであるが、別しての師弟相伝による仏法の常住と弘通の極理を示すものは、彼等がわざと切り文で省略した、前文の「久遠名字の本門を本と為す」の文にあり、これは相伝によって今日まで、その三大秘法の法体が総本山に伝えられているのです。創価学会の者どもは、その深い意義に暗いのである、と言っておきます。

 

※『第五項 「日顕宗の主張は、過去に『ニセ本尊』で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明」の妄説を破折する』 へつづく

 

 


第五項 「日顕宗の主張は、過去に『ニセ本尊』で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

  第五項

 創価学会が言う「日顕宗の主張は、過去に『ニセ本尊』で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明」の妄説を破折する



  (5)日顕宗の主張は、過去に「ニセ本尊」で信徒を地獄に落とし続けた歴史を証明

 日顕宗の輩が、それでもなお法主の開眼をしていない御形木御本尊を「ニセ本尊」と呼び、これを拝むと地獄に堕ちるなどと言うなら、宗門はこれまで信徒を地獄に堕とすお先棒を担ぎ続けてきたことを証明してあげましょう。
 前述の学頭日照師が朝鮮に布教するのに縮刷(名刺大)の御本尊を下付したのみならず、各末寺ではこれまでほとんど当たり前のように独自に形木の本尊を下付し続けて来たのです。
 一例を挙げれば、品川妙光寺では、機関誌「妙の光」昭和十二年九月十六日付けで「謹告」を載せていますが、何と戒壇の御本尊ではなく、妙光寺に「秘蔵」してきた大聖人の(一機一縁の)御本尊を写真にしてお守りとして授与(販売)していたのです。
「此の曼陀羅は、我妙光寺に古来秘蔵する、日蓮大聖人御真筆であります。今回事変に当たり、特に之を謹寫(写)し、もって出征将士に御授け申すことと致しました。」(「地涌からの通信」NO.26 P.177)
とは、邪宗のお守り販売かと思えるそのあまりのお粗末さに、あいた口が塞がらないではありませんか。

 法主が開眼していない創価学会の本尊を『ニセ本尊』と呼び、地獄に堕ちると言うのは、もう一つはっきり言えば、清浄な開眼が行われていないとともに、池田や秋谷等の大謗法の魔性が入ったのが『ニセ本尊』であるから、地獄へ堕ちると言うのであります。そのほかにも多くの『ニセ本尊』に関する謗法の理由がありますが、それは逐次に述べるとして、右当面の宗門への誹謗について破折します。
 宗門に対し、学頭・日照師の件、各末寺における形木本尊の授与の件、品川・妙光寺の件を挙げ、いずれも独自に本尊を下附したことが開眼なき違法で、信徒を地獄へ堕としていたと言っております。しかしながら、これは今回の創価学会の『ニセ本尊』下附とは本質的に意義・内容を異にしております。
 すなわち、その時どきの宗門情勢による化導の相違はあるけれども、御本尊について書写・授与の大権を持つ本筋の総本山唯授一人の血脈の法主が厳として存在されており、当時の末寺寺院が正式な立場の上から種々の意義において本尊下附を行ったことは、やはり法主の許可を得ておる意味があるのです。これは創価学会が、日亨上人の『化儀抄』第二十六条に対する註解の文中、切り文として出していない所、すなわち、わざと挙げなかった部分(本書42頁以下を参照)にこの趣意が明らかに示されております。その統率のもとに一大正法宗団が形成されているのであり、その当時の時どきに宗門で認められた寺院や教師が布教や信徒育成のために行う御本尊に関する弘宣行為は、基本的に総本山の許可によるものであり、創価学会の如き勝手なものではありません。
 また、宗門として公認し、布教を許可する寺院の本尊下附行為は、常に総本山法主の意によるところの趣意があるのだから、本筋より逸脱したものではない。これは正しい信をもって宗団の中心の血脈を拝するところ、それに付随する意義を持っていることが当然であり、これは本筋の血脈相伝を頭から否定している創価学会の邪義とは天地の相違であって、彼等には想像もつかないことであります。

 故に寺院の本尊下附行為は、まさに正法の血脈より弘通を許す関係上、全く法の上において合っておるわけである。創価学会は寺院でない在家集団でありながら、血脈の本尊の印刷、製造、配布を、前例もなく、資格もなく、許可もなく行っておるが、特に魔性・池田の大悪心が入っておる故に、清浄なる総本山法主の開眼のないことと相まって『ニセ本尊』と言うのである、と言っておきます。


 また、住職になる者が必ずマスターしなければならない「正しい化儀」について書かれた「日蓮正宗教師必携」においても、「第5章 葬儀回向」の箇所で、「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない。」
と書かれています。この「未来本尊」とは、邪宗日蓮宗が葬儀専用に開発した「導師本尊」という「ニセ本尊」を形木にしたものです。これには大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる「五道冥官」等の偽の経文の悪鬼とも言えるものが書かれており、江戸時代より古くから邪宗日蓮宗で始めた葬儀向けの化儀を、宗門でも江戸時代になって取り入れたものです。

 次に『教師必携』の、
  「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない」  (同書八〇)
という文を取り上げています。これは一往、前にこういう例が宗門にあったから、このように『教師必携』に書いたわけです。
 これについて、この「未来本尊」とは邪宗・日蓮宗が葬儀専用に開発した導師本尊という「ニセ本尊」を形木にしたものだ、と誹謗し、「これには大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる『五道冥官』等の偽の経文の悪鬼とも言えるものが書かれており、江戸時代より古くから邪宗・日蓮宗で始めた葬儀向けの化儀を、宗門でも江戸時代になって取り入れたもの」と言い、この導師本尊がニセものである以上、それを形木にした未来本尊もまた「ニセ本尊」である、と言うのです。
 しかるに、それならば第一に、邪宗・日蓮宗の葬儀用の化儀が導師本尊であって、これを宗門が江戸時代に取り入れたと言っておるが、そういう実例の明らかな証拠があるなら提出してみよ、当て推量は慎めということを、はっきりここに言っておきます。
 次に「五道冥官等は偽の経文の悪鬼だ」ということを言っておるのですが、欲界、色界、無色界の三界・二十五有と六道十界の衆生のことは広く経文に説かれており、その上の論釈に五道等が存することは古来の通義であります。悪鬼ということを言うのであれば、大聖人御本尊中の鬼子母神、十羅刹女も、その元は悪鬼ではないか。御本尊の中に入って本有の尊形となっておるけれども、その元の形は悪鬼であります。
 要するに、冥府における五道冥官も三界の外ではなく、本仏所有の法界の中にあるのです。特に大聖人様は『戒法門』という御書のなかに、五道冥官を挙げられております。創価学会の認識は素人だましの、狭小の眼識によるところの迷見であります。
 次に「大聖人が書かれた御本尊とは明らかに異なる」とも言っておるが、これは本尊の内証口伝を受けていない者が形式だけを見て、その漫荼羅弘通の規模の広さを知らない偏見であります。
 冥界へ向かう衆生への化導救済の意義より、天照太神、八幡大菩薩の代わりに閻魔法皇、五道冥官を書かれることは、「南無妙法蓮華経 日蓮在御判」を中心とする一念三千の本尊に在ってはいささかの違法もないのであり、これを「ニセものの本尊」とすることは、本尊相伝のない創価学会の短見・邪見なのであります。
 創価学会は歴代上人のなかで、日寛上人こそ大聖人直結の方であると讃しているが、その日寛上人の在家に授与された数幅の御本尊に、明らかに天照、八幡の代わりに閻魔法皇、五道冥官と書かれておる御本尊が現存しております。また、日寛上人の御師・二十四世日永上人の書写にも閻魔法皇、五道冥官の書き方が拝され、さらに上代の御先師にも存在しております。その血脈の上からの流れは、近年では日応上人、日亨上人、日開上人にも同様の書写の御本尊が拝せます。特に先師日達上人はこの意味において導師御本尊をお示しであり、私もその上から伝承して、冥界へ向かう信徒の化導のための本尊として、いわゆる導師漫荼羅として「閻魔法皇、五道冥官」を書写申し上げておるのであります。
 創価学会では日寛上人のお徳を特別に取り上げて、「大聖人直結」などと珍妙な語を捧げるが、この日寛上人に五道冥官の本尊書写があるのは、一体どう言い訳するのか。日寛上人も創価学会で言う「ニセ本尊」を書かれたことになるわけです。ということは、日寛上人もまた「ニセ本尊」を書いたインチキ不当の法主となるはずであり、今回の『ニセ本尊』もそれに類する悪法主の書写だということになるのではないか。
 常に目先だけのところを取り上げて誹謗を繰り返すから、このような論旨の破綻をきたすのである。恥を知れ、と言っておきます。


 この「導師本尊」がニセモノである以上、「ニセ本尊」を形木(印刷物)にした「未来本尊」こそ本物の「ニセ本尊」ではないでしょうか!

 これについては、逆にこの導師本尊が血脈付法の上の衆生救済の正しい本尊であるから、したがって、その形木本尊も正しい本尊であった、ということを述べておきます。

 この「ニセ本尊」を、古来より当たり前のように、しかも「未来本尊」という名前をつけて、棺や骨壺の中に入れて、土葬、火葬等を行っていたことが、宗門の「正しい化儀」のマニュアルに明確に書かれているのです。

 『教師必携』において「過去においては未来御本尊を発行していたけれども、今は行わない」ということを書いた理由は、過去のある時期に、冥界に趣く御信徒の信心の上からの安穏救済のために歴代上人が大慈悲の上から御形木の未来本尊の授与を許されたことがあったのであります。すなわち、『寂日房御書』の、
  「此の御本尊こそ冥途のいしゃうなれ」(御書一三九四)
という大聖人のお言葉の文義からも、土葬、火葬等、死者の精霊が漫荼羅のお伴をするという意義であります。しかし、これはその時代時代の機に対する化導の変遷によるものである。したがって、下種の法体たる金口血脈の一貫せる伝承は万年不動であるけれども、その経過のなかの時と機に対する化導方式には、時代によってある変化が存しているのは当然であります。
 そこで、日達上人の代、私が教学部長のころでしたが、『教師必携』を新たに作製するに当たり、時代情況から鑑みて、これから以降は行わないということに定められたのであります。ですから、その元の一貫する正しい化導ということにおいての間違いは、いささかも存在しないのであります。


 これは日興上人が富士一跡門徒存知の事で
「曼陀羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り」(P.1606)
と破折された五老僧の末裔が、宗門に古来より巣くってきたことの証明ではないでしょうか!

 ここに引く日興上人の『富士一跡門徒存知事』についても、彼等は文の意味を正しく拝することができず、誤った見方より誹謗しています。『存知事』に、
  「曼荼羅なりと云ひて死人を覆ふて葬る輩も有り」(御書一八七二)
というのはことごとく、前後の文から拝して大聖人御自筆の御本尊についておっしゃっていることなのです。つまり、その本義を弁えない五老門流が造仏本尊に執われた結果、大聖人様の御自筆本尊を非常に軽く見、賎しめるという事例を述べられた所なのは明らかです。だから、日興上人門下においては重大な決意をもって、大聖人様の御本尊を「これ以上の大事大切な御法体はない」という信仰のもとに守護すべきことを示された文なのであります。
 それと、歴代の血脈伝承の上の時代による化導方式としての未来本尊とを一緒にする頭の悪さは、救いようがない。まさに創価学会の素人解釈であり、噴飯の錯誤と言うべきである。だから「五老の末裔が宗門に古来より巣くってきた証明だ」などの悪口は、全く当たっていないのであります。
 何よりもかによりも、日寛上人は「五道冥官」を入れた、おまえらが「ニセ本尊」と称する導師本尊を書かれている以上、不当の法主となるはずだから、さっさと今の『ニセ本尊』を取りやめ、大逆賊の池田大作にでも本尊を書かせたらどうだ、と言っておきます。


 また、すでに示した宗門内の四国有志僧侶による「祖道の恢復と真の正信確立の為に」の中で、
「学会伸展の初期の頃地方末寺にて御未来御本尊の摺形木を出していた所もあり、御棟札も書いていた。」
と記されていることからも、純真な学会員の出現によって、邪宗の習慣を中止したということも理解できるのです。

 次に、四国有志僧侶の文献より「宗門の末寺で未来本尊の摺り形木や棟札を書いたことがある」ことを載せているが、これはやはり日有上人以来の化儀が、色々な形で時代時代のなかで出たり引っ込んだりしながら伝わってきた経緯があるわけです。しかし、今日の宗門では、こういうことが信仰上まぎらわしいから、一切行わない次第であります。
 先程紹介した日亨上人の言葉に、
  「有師斯の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり」(富士宗学要集一巻一一三)
とおっしゃっているとおり、大綱においては古来の清浄な伝承が存するのであり、本宗における化儀のなかに「邪宗の習慣」などは、ありえようはずがないのであります。
 それが「純真な学会員の出現による」などと言うのは、まさしくうぬぼれである。そうではなく、むしろ時の流れによるところの対処において、総本山中心の化儀の舵取りの結果であるということを、はっきりここで言っておきます。


 なお、参考までに、「日蓮正宗教師必携」の葬儀の際の化儀についての解説には、
「寺院より当該宅へ読経に出張できないとき、願い出によりやむをえずその家へ導師御本尊のみを貸与する場合もある」
と、通夜、葬式に坊主が出席しない場合の導師本尊の貸与願の様式まで定めています。日犬宗が主張する「葬儀に坊主が来ないと成仏できない」などというウソは、この坊主の手持ちマニュアルで完璧に崩れさってしまっているではありませんか。そのうえ、貸し出しされるのが「ニセ本尊」ではせっかく生前に題目をあげて積み上げた功徳を破壊して、成仏の邪魔をされるだけではないでしょうか。

 次に『教師必携』の文を挙げ、僧侶が出席できない場合の御本尊貸与の様式の定めについて「葬儀に坊主が来ないと成仏できない」という嘘は「坊主の手持ちマニュアルで完璧に崩れた」ということを言っているけれども、これも実に揚げ足取りの屁理屈であります。
 これは、寺院の受け持ち範囲が広大で、住職一人であるような場合、時として、二、三の葬儀が同時に重なったような場合を言うのであります。そのときは当然、一つの身で行けないが、次の日、次の日の順序で回向に回る故に、その晩のお通夜を御信徒の方々が行う場合に、まず御本尊を先にお貸ししてあげるという規定なのです。それを創価学会は、実情も判らず、文章だけで矛盾を必死に探して誹謗の材料とするから、このようなわけの判らない、お粗末なことを言っておるのであります。
 なお、葬式による成仏、不成仏は、その形式の云々よりも、下種三宝を尊信する心のありや否やが成仏、不成仏の決定となるのです。つまり三宝に背く創価学会は、まさに不成仏の団体と言えましょう。
 次に「そのうえ、貸し出されるのが『ニセ本尊』ではせっかく生前に題目をあげて積み上げた功徳を破壊して、成仏の邪魔をされる」ということを言っておるけれども、彼等の言う「ニセ本尊」とは、「閻魔法皇」「五道冥官」と示された御本尊のことを指しております。
 ところが、創価学会の二代会長の戸田城聖、四代会長の北条浩、理事長の小泉隆等の葬儀は全部、この創価学会の言う「ニセ本尊」であったことを、この文書を書いた人間は知っているのでしょうか。この創価学会の者どもの言い分によれば、これらの人々はすべて、生前の功徳は破壊され、結局、三悪道に堕ちていることになるのであります。また、平成三年までの創価学会の会員は、寺院に依頼して葬式をしたほとんどがその功徳を破壊されておるということになります。なんと、この筆者自らが、創価学会の自分達の先人、それも戸田二代会長まで「地獄行きだ」と言っているわけで、まさに自家撞着と言えましょう。
 この言葉は、これを書いた創価学会員自ら、創価学会の先輩・先人が全部、堕地獄であることを証明するものであります。いかにこの返答をするのであるか、と質問しておきます。

 

第六項 「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」の妄説を破折する つづく

 

 

 


第六項 「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

  第六項

 創価学会が言う「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」の妄説を破折する

   ※当第六項については、水島公正教学部副部長が破折された。

 

 まことに僣越ではございますが、御法主上人の御命を賜りましたので、資料(一)の第六項、「学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの」という主張について、模刻事件の経緯と今回新たに判明した事実を元にして、創価学会の虚偽を明らかにしたいと思います。
 初めに、本尊模刻事件の経緯を簡単に申し上げます。
 創価学会の本尊模刻が初めて公式の場で言い出されたのは、昭和四十九年九月二日の宗門と学会との連絡会議の席上、当時の池田会長より、学会本部の御本尊を板本尊にしたい旨の願い出があった時です。この当時、連絡会議に出席され、要点を記録されていた藤本総監殿がおられますので、通称「藤本メモ」に関する件は、のちほど総監殿よりお話を頂くことになっております。
 このころ、学会では、認可された本部安置の御本尊だけでなく、このほかに、池田大作授与のお守り本尊や関西本部安置の本尊、ヨーロッパ本部安置の本尊など、七体の本尊を無断で模刻しておりました。これが昭和五十三年に至って日達上人の知るところとなり、日達上人のお叱りを受けて、七体の模刻本尊は総本山に納められました。
 この直後、日達上人は一宗を統括し、御本尊にかかわる権能を所持あそばされる御法主のお立場から、創価学会が二度と過ちを犯さないという前提で、十月三日付の「院達」をもって本尊模刻事件に関する論議を禁止されました。
 そして、昭和五十三年十一月七日に総本山において「創価学会創立四十八周年記念幹部会」が行われました。これが、いわゆる「お詫び登山」です。その席上、学会を代表して辻副会長が、
  「不用意にご謹刻申し上げた御本尊については、重ねて猊下のご指南を受け、奉安殿にご奉納申し上げました」(大日蓮 昭和五三年一二月号三六)
と、学会の非を詫びたことによって、一往、模刻事件を終息することとなりました。
 しかし、学会は平成二年以後、悪し様に宗門を誹謗し、「学会に誤りはなかった」「模刻事件は日達上人の失態をかばって学会が罪をかぶったのだ」と言い始めたのです。
 そのため宗門としても、事件の真相を明かすべく、事件発覚当時、日達上人の御命を受けて調査に当たられた大宣寺住職・菅野慈雲師が、平成四年の東京第二地方部の総決起大会において、当時の詳しい状況を開陳されました。また、平成五年十一月一日号の『大白法』には、二面にわたって「検証、御本尊模刻事件」と題した特集を組んで、精細な検証のもとに事件の真相を掲載しております。
 以上が大まかな経緯であります。



(6)学会の御本尊彫刻の事件は日達上人を守るために完全に無実の罪をかぶったもの

 御本尊の彫刻とは、書写された本紙又は紙幅の御本尊を木の板等に彫刻することを言います。謹刻とも模刻とも呼びますが、前者は丁寧な、後者は正式でないニュアンスを含んでいます。
 御本尊を木の板等に彫刻したものは、古来より、戒壇の大御本尊はじめ紫宸殿御本尊等数多く存在します。(富士宗学要集第八巻 第三曼陀羅脇書等)
 例えば、戒壇の大御本尊は、大聖人が弟子の日法に謹刻させたもので、大聖人の直筆である紙幅の御本尊は、現在御宝蔵に保管されています。
 宗門機関誌「白蓮華」等の広告では「御本尊彫刻を受け付けます」と掲載されており、法主の許可などが必要とはどこからも読みとることはできません。

 まず、「直筆である紙幅の本門戒壇の御本尊は、現在御宝蔵に保管されている」と言っていますが、大石寺の御宝蔵にはもちろんのこと、この世のいずこを探しても、彼等の言う「紙幅の戒壇の大御本尊」なるものは存在しません。このような前代未聞の珍説がどこから生まれたものか判りませんが、これも創価学会お得意の、ないものをあったが如く偽る、悪しき体質の一例です。
 また、次の行の「宗門機関誌の広告に『御本尊彫刻受け付けます』とあるが、法主の許可が必要とはどこからも読みとれない」という言い分でありますが、日蓮正宗において、御本尊にかかわることはすべて、御法主上人の御允可のもとになされてきたことは疑う余地のないことであります。御本尊の謹刻はむろんのこと、紙幅の御本尊の表装やおきよめについても、御法主上人の直々の允可によるか、あるいは御法主の允可を受けた末寺住職の指導のもとに行われてきました。信徒が勝手に御本尊の模刻を仏師に依頼したり、紙幅本尊の表装を勝手に表具師に注文することは、従来、許されておりません。
 昭和三十年代の『聖教新聞』を見ますと、頻繁に「常住本尊・御守御本尊表装謹製、○○表具店」という広告が掲載されておりますが、これらの広告から御本尊の表装について寺院の指導を受けるべきことなど読み取れません。しかし、当時の創価学会員は、だれしも当然の如く、御本尊に関するお取り扱いは寺院の指導を受けていたではありませんか。機関誌の広告を取り上げて、御本尊の謹刻に御法主上人の許可が必要ないとする主張は、余りにも幼稚な愚論であります。


 かつて学会が御本尊を勝手に八体も模刻したと、正信会の輩が叫んでいたことを、日顕宗も再び叫びだしていますが、この御本尊問題の経緯を詳細に分析すると大変な事実が明らかになります。
 その第一は、昭和四十九年当時宗門の庶務部長であった藤本日潤が残した各種会合等の記録である「藤本メモ」の内容です。
 この藤本メモの信憑性は、当時の宗門との会合で記録された学会側の議事録(正信会が学会機密文書として公開)と非常に正確に一致していることからも十分に信用がおけるものです。
 この藤本メモの昭和四十九年九月二日付けには、雪山坊での学会と宗門との連絡会議の議事録として、学会側は池田会長(当時)他五名、宗門側は阿部教学部長(当時)他三名出席のもとで、
  「7.本部三階の御本尊の件 ―板御本尊にしたい」
と記録されており、更にその翌日の9月3日に行われた大奥での連絡会議の法主への御報告の記録には、
  「7の件 ―OK」(「藤本メモ」、参照「地涌からの通信」NO.26 P.177)
と明確に記録されているのです。

 この所は、通称「藤本メモ」にかかわることです。これについては総監殿より御説明があると思いますので省略します。


 このことについては、八体の御本尊を謹刻した宗門御用達の仏師の赤沢猛・赤沢朝陽社長が平成五年九月三十日付けの聖教新聞で更に具体的に証言しています。
「日達上人が最初から了解されていたことも、私は直接、確認しています。それは同じく四十九年の秋頃でした。仕事のことで、大奥の対面所で日達上人とのお目通りがありました。本来の用件が終わって、猊下はいったんお帰りになろうとしたんですが、思い出したように戻ってこられて、「そういえば、学会本部の御本尊は赤沢で彫ってるんだよね」と聞かれたのです。私が「そうです」と答えますと、猊下は「他のもやってるのかい」と言われました。私が「はい。やりました。たしか、池田先生が猊下様に申し上げたと言われておりましたが」と申し上げると、「うん。池田会長から聞いているよ。あと五、六体やらせてもらいたいと言っていたな」と言われて、部屋を出ていかれたんです。」
 ここまではっきりと日達上人自らが了解をしていた内容であったにも関わらず、昭和五十年一月十日の大奥での御報告の議事録には、
「6.伊藤康二(品川区小山4・14・10)より藤本宛書簡(学会本部で紙幅御本尊を板御本尊に彫刻、入仏式をやったことが聖教新聞に出ている件について質問)御披露―G)日昇上人御本尊の彫刻については.前に話しがあったかどうか記憶ない.許可した覚えはない.正月登山の時に.会長から「板本尊にしました」という報告はあった.個人が受けた御本尊だから.その人又は会の宝物だから.どのように格護しようがとやかく云えない.紙幅を板御本尊にするということは.前からも行われている.御開眼とか.入仏式とかは.信仰上からは.僧侶にお願いするのが本当だが.しかし.これも個人の自由で.僧侶を呼ばなければいけない.という事でもない」(注:文中「G」とは日達猊下のこと)(「藤本メモ」、参照「地涌からの通信」NO.26)
と、御本尊の彫刻の件を池田先生に対して了解したことについて、日達上人は失念していたのです。それでも彫刻したことも、開眼がなかったことも特に問題ではない、という趣旨の発言をしていたことが明らかになっているのです。

 ただいまの前半部は、平成五年九月三十日付の『聖教新聞』で、座談会形式の宗門攻撃記事のなかで、赤沢氏が昭和四十九年の秋ごろ、日達上人にお目通りしたという話です。
 現在、学会では本尊模刻事件に関しては、この赤沢氏の話を唯一の証拠として、「だから日達上人は御本尊模刻を承知していたのだ」と主張しております。しかし、この赤沢氏の話にはいくつか、おかしな点があります。
 その第一は、ただいま読み上げた後半部分に、昭和五十年一月十日の大奥での御報告としての記録を挙げておりますが、このなかで日達上人が、
  「日昇上人御本尊の彫刻については、前に話しがあったかどうか記憶ない。許可した覚えはない」
と仰せられた、とあります。もし赤沢氏の話が事実ならば、日達上人は四十九年の秋ごろに承知していた御本尊彫刻という信仰の大事を、三、四カ月後の五十年一月にはすっかり忘れていたということになります。日達上人の記憶力が人並み優れておられたことは、おそばに仕えた者ならばだれもが熟知しているところであり、御本尊にかかわる大事を三、四カ月で忘れてしまうことなど、考えられないことです。
 第二の点は、日達上人が七体の模刻を昭和四十九年の段階で承知されていたと言うのは、あとにも先にも赤沢氏一人でありますが、これに対して、ただいま御紹介した昭和五十年一月十日の「許可したおぼえはない」との記録と同様に、菅野慈雲師のお話によれば、昭和五十三年正月に至って、本尊模刻の実態を聞かれた日達上人はたいへん驚かれ、
  「とんでもないことだ。まことに無礼なことである」 (大日蓮 平成五年一一月号七八)
と仰せられた、とあります。
 また、この時、大石寺主任理事として日達上人のおそばに仕え、模刻本尊の収納に当たられた妙縁寺住職・光久諦顕師のお話によりますと、この時、日達上人は、
  「このようなことは承知していないし、許可したことはない」
と仰せられ、創価学会に対して、ただただ、あきれ返っておられたとのことであります。
 さらに、昭和五十三年六月二十九日には総本山大講堂において全国教師指導会が行われましたが、この席上、日達上人は全国の教師一同に対して、
  「学会の方で板御本尊に直した所があります。それは私が知らなかった」 (大日蓮 昭和五三年八月号四四)
と明言されています。たった一人で聞いたという赤沢発言は、疑う余地のないこれらの事実と完全に食い違っています。
 第三は、非常に大事な点ですが、七体のなかに、お守り本尊の模刻があるということです。本宗においては古来、個々に授与される鎮護御本尊は、本人が死亡した場合はお寺に納めることが原則であります。これを、かりそめにも板本尊として彫刻し、他人に拝ませることなど絶対に許されることではありません。宗門において許されざる行為を、山法山規を厳守された日達上人が、これを承認したり黙認されることなど、ありえません。
 これらの三点から見ても、赤沢証言は、極めていかがわしいものです。
 さらに赤沢証言の発生を考えてみますと、創価学会は平成三年以降、模刻事件について宗門からたびたび破折されながら、明確な返答ができない状態が続きました。そして、平成五年の九月に突如として赤沢証言が出てくるのです。これなども、前年の平成四年に菅野慈雲師によって当時の真相がより鮮明に明かされたことで、創価学会が窮余の一策として虚偽の話を作り上げ、赤沢氏に証言させたものと推測できるのであります。いずれにせよ、赤沢証言は全く信用できない、作り話であると断ずるものであります。
 なお、ここで彼等は「彫刻された八体の本尊」という言い方をしていますが、この表現も狡猾な意図を持っています。「慈折広布の本尊」といわれる一体は日達上人の追認を受けておりますが、ほかの七体は違法に彫刻したものですから総本山に回収されているのです。今は「八体の本尊」を論じているのではなく、無断で勝手に模刻した「七体」を、創価学会が犯した重大な事件として論じているのです。
 次に、後半の部分は「藤本メモ」に関するものですので省略いたしますが、その結論として「御本尊の彫刻の件を池田先生に対して了解したことについて、日達上人は失念していたのです」とあります。これをもって、彼等は「日達上人が失念した事実をかばうために、学会は完全に無実の罪をかぶってきた」と主張するのであります。
 しかるに今回、私どもは内事部の協力を得て、模刻本尊の実物を調べましたところ、今まで全く気づかなかったことですが、模刻本尊の板が台座に差し込まれている部分、通常、この部分を「ほぞ」とか「あし」と言いますが、この箇所に彫刻師の名前とともに、彫刻した年月が刻まれているのを発見しました。これらは七体のうち五体に刻字され、お守り本尊と学会本部会長室安置といわれる二体には刻字がありませんでした。
 ここで注目されるのは、昭和四十九年一月二日の「賞本門事戒壇正本堂建立本尊」といわれる模刻本尊の「ほぞ」に「昭和四十九年四月 朝陽」とはっきり彫りつけられていたことです。確認のためにある彫刻師に問い合わせたところ、生地の板に彫刻が終わった段階で刻字をし、そのあとで漆と金箔を施す工程に回すのだそうです。
 それはさて置き、先程の経過でも申し上げましたように、池田が最初に「学会本部の御本尊を板本尊にしたい」と願い出てきたのは、昭和四十九年の九月です。しかし、実はそれよりも五カ月も前の四十九年四月には、既に無許可で彫刻を終えていたという確かな証拠が今回、発見されたわけであります。まさしく二十三年の間、隠れていた証拠が、その時を得て、創価学会の邪義を許してはならないとの御仏意によって、全く偶然の形で我々の目の前に現れたのです。
 これによって、創価学会が、今は亡き日達上人に「失念」という罪をかぶせようとした卑劣な奸策は、ものの見事に砕け散ったと言うべきであります。悪事はいつか必ず露見し、嘘は必ずばれるのであります。
 なお、彼等は昭和四十九年の四月に模刻した事実が発覚した場合を想定したのでしょうが、赤沢氏の話として、昭和四十八年の暮れに池田から模刻を依頼されたとか、昭和四十九年の正月には池田が日達上人から直々に内諾を得ていたなどと言っております。しかし、先程も申し上げましたように、赤沢氏の話は全く取るに足らない作り話です。日達上人が宗門の全教師の前で「私は知らなかった」と仰せられた事実を、御遷化ののち、十四年も経過してから「日達上人は実は御存じだった」と言い張るのですから、赤沢氏は日達上人が嘘をついていたと言っているに等しいのです。したがって、このような話をまともに相手にする必要は全くないのです。
 また、『聖教新聞』では、
  「学会には猊下に黙ってやらなければならない理由など何一つないわけです」
などと開き直っていますが、やましいことがあったからこそ、公開もできず、昭和五十三年に至って日達上人のお叱りを受け、こそこそと本山に運び込んだのではありませんか。
 いずれにしても、学会の本尊模刻事件の実態は、昭和四十九年九月二日の連絡会議における申し出が初めてであり、その後に取ってつけた赤沢発言などは何の証拠にもならないことを銘記すべきであります。


 この御本尊彫刻の件は、正信会問題が起きた時の学会批判の大きな争点の一つであったため、宗門内の僧侶有志が正信会に反論するために作成した文書「祖道の恢復と真の正信確立の為に」の中で、後に正信会に行ってしまった「W師」のかつての発言として、
「御本尊模刻の件については、総監、教学部長、早瀬理事等の証言によれば、会長登山御目通りの刻、御本尊模刻を願い出た所、法主上人自ら黙認されたことを承知しているのである。従って今こちら側でこの件をついてゆけば、それでは事実はこと聖教で公表するだろう。秋谷副会長はその意向であると言っている。かかる事態になれば法主上人の御徳にきずがつくことは免れない。故にこの件に関しては是以上言うべきでない。宗務院として強制力ある通達をもってこれを達しなければならない。この件に違反すれば宗制宗規に照らして厳正な処置をとらねばならないと考える。(昭和五十三年十月四日宗務院との話し合いの中での報告)」
「学会側に「不用意に謹刻云々」と言う言辞を入れて発表してくれれば、納まると説得したのは誰であったか。週刊誌でY弁護士が、活動家の諸師方と密接に協議し、学会にも納得させて、自分が全部原稿(脚本)を書いたと告白しているではないか。」
と、山崎正友が正信会と結託して「不用意に謹刻云々」という言葉を入れさせたと、事件の舞台裏を説明しており、実は学会は日達上人を守るために、全く問題のなかった御本尊謹刻の無実の罪をかぶってきたというのが真実だったのです!

 ただいま読み上げた前半部分は、正信会のWなる者の「模刻問題をつつけば法主上人の御徳にきずがつく」旨の発言ですが、これは学会側の巧妙な情報戦略に乗せられて、自称正信会の僧侶が躊躇せざるをえなかった、というだけのことであります。
 また、「学会側に『不用意に謹刻云々』と言う言辞を入れて」云々とありますが、最近、学会では「実は、不用意に謹刻云々の発言は、宗門が作成した文書を読んだだけ」と弁明しております。
 しかし、総本山において、御法主上人の御臨席を仰ぎ、宗門の全教師と二千名の学会幹部が出席した公式の会合で、学会を代表して副会長が発表したものを、あとになってから「実は読めと言われたから読んだだけ」とする言い逃れは見苦しい限りであり、社会の良識が通じない異常集団の、たわけた世迷い言と言うべきであります。


 したがって、謹刻された御本尊は、決してニセ本尊などと言うようなものではなく、その証拠に、正信会との関係を配慮して一応回収された七体の御本尊は、正式な御本尊として御宝蔵に保管されており、議事録のおかげで宗門として正信会に対して言い訳が可能だった1体は何の問題もなく学会の会館に御安置されたままなのです。
 実は、九州・別府の末寺に在勤していた御僧侶Y師は、その当時住職だった佐々木秀明が、他の坊主と5人で日達上人のもとに直接面談に行った時のテープを聞かれたのですが、池田先生の御本尊の彫刻の打診について日達上人が「わしも耄碌して覚えてないんだよ。」と発言されていたことを確認しており、正信会の中心的存在だった佐々木があわてて全国の坊主に学会誹謗のビラ配りを止めるように指示していたという事実を証言しています。その当時宗門中枢にいた者は皆知っているのです。知らずに騙されて脱会した方々があまりにも可哀想ではありませんか!

 彼等はここで「七体の御本尊は正式な御本尊として御宝蔵に保管されている」と言っておりますが、これも全くのでたらめです。七体の模刻本尊は、正式な本尊ではなく、単に外形だけを似せた、彫刻された板に過ぎないので、御宝蔵ではなく、現在は倉庫に保管してあるだけのことです。
 これについて、ある学会幹部が「模刻本尊が謗法だと言うならば、いつまでも本山に置くことはない。叩き割るなり、焼却すればよいではないか」と言ったそうですが、稀代の大増上慢・池田大作と、策謀集団・創価学会を後世に語り継ぐ証拠の品を、そうは簡単に割ったり焼いたりはできません。これら七体は、後代への戒めの意味も含め、大石寺に永く留め置くべきであると思うのであります。
 次は最後の段になりますが、テープのなかで、日達上人が学会からの本尊模刻の打診について「わしも耄碌して覚えてないんだよ」と仰せられたというものです。このYなる僧侶とは離脱僧・吉川某のことと思いますが、離脱僧と正信会僧という珍妙な取り合わせによるこの伝聞がどこまで信用できるものか、はなはだ怪しい限りですが、創価学会ではこのことをもって、無礼千万にも日達上人が老耄のために失念したと言うのであります。もちろん、日達上人が最晩年に至るまで毅然として一宗を教導あそばされたことに対し奉り、だれもが等しく尊仰申し上げてきたところであります。
 しかし、もし万が一にも日達上人がそのように仰せられたのならば、当時の状況に思いをいたさなければなりません。
 当時、数々の謗法と逸脱を犯した創価学会に最後の機会を与え、できうるならば清浄な信徒集団に蘇生するよう努力された日達上人は、一方において、本尊模刻問題を糾弾すべしとする一部の僧侶がいたため、これらに対して種々説得されておりました。この言葉は、そのようななかで、一宗を教導あそばされるお立場から、学会を庇護するために、磊落かつ洒脱の御気風をもって事態の鎮静を計られたものと拝察できるのであります。
 この尊い日達上人のお心を踏みにじる、無慚無愧の創価学会に与同し、剃髮の師である日達上人を耄碌呼ばわりする離脱僧・吉川こそ、恩を仇で返す不知恩、師敵対の者と言うべきであります。
 以上、簡略ながら本尊模刻事件に関して、創価学会に対する破折の一端を述べてまいりましたが、要は、創価学会では昭和四十九年四月には既に本尊模刻をしていたという、動かぬ事実が判明した以上、「日達上人が模刻を許可しながら失念したのだ」とか「学会が無実の罪をかぶってきた」などの学会の主張は全くの作り話であり、取るに足らない空言となったのであります。
 しかし、現在でも、ほとんどの創価学会員は「学会に誤りはなかった」と信じ込んでおります。私達は、誤った情報に踊らされる、これら迷える学会員を覚醒せしめるために、御法主日顕上人猊下の御指南のもと、僧俗一体となって、慈悲と忍辱の心を堅持し、再折伏を実践していかねばならないと存ずるものであります。
 以上をもって、本尊模刻事件に関する報告ならびに破折とさせていただきます。


※「藤本メモ」に関する藤本日潤総監の発表

 最近の邪教創価学会の御本尊に関する邪義・妄説に対して、ただいま御法主上人猊下より直々にこれを破折・粉砕する甚深の御指南を賜りまして、一同と共に篤く御礼申し上げます。猊下、まことに有り難うございました。
 なお、学会の妄説のなかの御本尊模刻の件について、ただいま水島教学部副部長より破折の発表がありましたが、そのなかのいわゆる「藤本メモ」の部分につきましては、当事者である私にということでございますので、私のほうから申し上げたいと存じます。
 昭和四十九年九月二日の記録として、雪山坊における宗門と学会との連絡会議において、七番目に「本部三階の御本尊の件ー板御本尊にしたい」ということがあり、翌九月三日の記録のなかで、日達上人猊下への御報告として「7の件ーOK」と記されております。
 この本部三階の御本尊というのは、六十四世日昇上人の昭和二十六年五月十九日お認めの「大法弘通慈折広布大願成就」という為書きのある紙幅御本尊であり、この御本尊が、永年、陽が当たって傷んできたので、もったいないから、板御本尊にしたいという、こういう願い出でありました。
 これを翌九月三日、日達上人に御報告申し上げ、日達上人は御承知あそばされたということであります。
 ここで大事なことは、日達上人は、学会の「板御本尊にしたい」という意味は、今までの日昇上人の紙幅御本尊はおしまいして、新たに日達上人に板御本尊の御下附を願い出るものと、このように思われて、そういう意味で御承知であったということでございます。日昇上人の御本尊そのものを板御本尊に彫刻することを許可せられたのではないということであり、このことは、先程も出ましたが、菅野慈雲師の『大日蓮』五七三号に発表されている手記のなかで、日達上人のお言葉として、
「板本尊にしてほしいという願いはあったが、その後、御本尊下附願いが正式に出てこないので、どうしたのかと思っていたら、既に板本尊に直していたということを後から聞かされた」(同書七八)
と、こういう仰せからも明らかであります。
 ですから、次に挙げている四カ月後の「藤本メモ」、昭和五十年一月十日の日達上人への御報告の記録のなかで、「6、伊藤康二より藤本宛書簡(学会本部で紙幅御本尊を板御本尊に彫刻、入仏式をやったことが聖教新聞に出ている件について質問)」、これを御披露申し上げたところ、日達上人は、
  「日昇上人御本尊の彫刻については、前に話しがあったかどうか記憶ない。許可した覚えはない。正月登山の時に、会長から『板本尊にしました』という報告はあった」と、こう仰せられている。
 その「記憶ない、許可した覚えはない」という内容は、まさに日昇上人の御本尊そのものを彫刻することについては「話も聞いていないし、許可した覚えもない」という意味であって、四カ月前の九月の池田の願い出をお忘れになったということでは、けっしてないということであります。
 学会では、このメモの「前に話しがあったかどうか記憶ない」というお言葉を巧みに利用して、日昇上人の御本尊の彫刻をいったん許可しながら失念したとし、ついでに他の七体の模刻の件も、赤沢の作りごとを前提として、日達上人が失念してしまったということにしているのであります。
 こうして、すべて罪を日達上人にかぶせ、その「日達上人を守るために学会は無実の罪をかぶった」などと、とんでもないことを言っているのであります。
 平成五年九月三十日付『聖教新聞』の赤沢証言が全くの虚構であることは、先程の水島副部長の発表に明らかであります。
 次に、先程の昭和五十年一月十日「藤本メモ」の、日達上人お言葉の続きとして、
  「個人が受けた御本尊だから、その人又は会の宝物だから、どのように格護しようと他がとやかく云えない。紙幅を板御本尊にするということは、前からも行われている。御開眼とか、入仏式とかは、信仰上からは、僧侶にお願いするのが本当だが、しかし、これも個人の自由で、僧侶を呼ばなければいけない、という事でもない」
というお言葉であります。
 まず、「紙幅の御本尊を板御本尊になおすということは、以前からも行われていることであり、受けた人の考えによるものであるから、そのこと自体に他の人がとやかく言うことはできない」という仰せでありますが、このことと御法主の許可を頂くという手続きとは別であります。板御本尊にするかどうかは本人の意志によるけれども、そのための手続きとしては御法主上人のお許しが必要であるということは、本宗の信仰の上から当然のことであります。
 しかし、この本部三階の御本尊については、前年の九月に申し出を受けたという経過もあるので、一往与えて、追認という形をとられたわけであります。もし許可の必要が全くないものであれば、他の七体の模刻本尊を総本山へ納めさせる理由も全くなくなるのであります。
 ところが、先程の水島副部長の発表によれば、「正本堂建立本尊」は昭和四十九年四月には既に模刻されていたとのことですから、この本部三階の板御本尊も、その申し出のあった昭和四十九年九月二日には、既に勝手に模刻をし終わっていたとも考えられるのであります。
 彼等は既に「正本堂建立本尊」を模刻しておきながら、そのことを隠して、素知らぬ顔をして本部三階の板御本尊を願い出ているのでありますから、卑劣と言うほかはありません。ことほどさように、池田創価学会の虚偽・悪業の体質がいかにひどいものであるかが判るというものであります。
 次に「御開眼とか、入仏式とかは、信仰上からは、僧侶にお願いするのが本当だが、しかし、これも個人の自由で、僧侶を呼ばなければいけない、という事でもない」というお言葉であります。
 これは、学会が、本部三階安置の御本尊を模刻し、昭和五十年元旦に入仏式まで行ったという、特殊なケースに対する御指南であり、しかも、これに不審を懐いた伊藤康二氏に対する内々の御指南である、ということを知らなくてはなりません。すなわち、通常、総本山より正規に下附される御本尊とは一切、関係がない、ということであります。日達上人は、伊藤氏が本宗の信仰に混乱をきたさないよう御配慮されつつ、御法主としての大慈大悲のお立場から最大限に学会を包容あそばされ、追認あそばされた、と理解すべきであります。
 したがって、このお言葉のなかでも「御本尊の御開眼とか入仏式とかは、本来的に僧侶の導師によって行うべきである」ということを仰せでありますが、ここで仰せの「僧侶」とは御法主上人御自身であり、あるいはその御代理の僧侶を意味する、ということは言うまでもありません。しかしまた、既に入仏式まで行ってしまった学会を擁護され、また追認あそばされるという情況の上で、敢えて「僧侶(御自身)なしでもやむをえない」旨をお示しになっているのであります。このため、日達上人は、御法主による御開眼のない模刻御本尊の入仏式を、本来的、また一般的な意味で、まして積極的な意味でお認めになっているのではけっしてない、ということであります。
 それを学会は、「彫刻したことも、開眼がなかったことも特に問題ではない」というふうに解釈して、あまつさえ「学会は日達上人を守るために全く問題のなかった御本尊謹刻の無実の罪をかぶってきたというのが真実だったのです」と強言するに及んでは、何をか言わんやであり、日達上人の御慈悲を踏みにじる無慚無愧、この上ないものと言わなければなりません。
 どうか皆様方には、大謗法集団・池田創価学会の、このような卑劣な策謀にいささかも紛動されることなく、どこまでも日蓮正宗僧侶として、あるいは信徒として、御法主上人猊下の御指南を根本に、堂々と正法正義の広宣流布、折伏、再折伏に励み、もって、まずは本年度のそれぞれの目標達成を目指し、さらに平成十四年の三十万総登山に向かって勇猛精進せられますよう、心よりお祈り申し上げまして、私の発表とさせていただきます。
 まことに有り難うございました。

 

※『第七項 「脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため」の妄説を破折する 』へつづく

 

 


第七項 「脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

第七項

 創価学会が言う「脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため」の妄説を破折する



  (7)脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため
 脇書とは、御本尊の左脇に授与された相手の名前や日付を記載したもので、その意味について日興上人は「富士一跡門徒存知の事」で、
「日興弟子分の本尊に於ては一一皆書き付け奉る事・誠に凡筆を以て直に聖筆を黷す事最も其の恐れ有りと雖も或は親には強盛の信心を以て之を賜うと雖も子孫等之を捨て、或は師には常随給仕の功に酬いて之を授与すと雖も弟子等之を捨つ、之に依つて或は以て交易し或は以て他の為に盗まる、此くの如きの類い其れ数多なり故に所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」(P.1606)
(通解:日興が弟子に下付する本尊に、一つ一つ全部脇書を書くことは、本当に下手な筆で大聖人の聖筆を汚すのは恐れ多いけれど、ある時は親に信心強盛だからと下付しても子孫が御本尊を捨て、ある時は弟子に常随給仕の功として授与しても、退転して捨ててしまう。こうしたことから、御本尊を売り買いしたり、盗まれたりするような事例がたくさんある。だから下付した本人の名前を書き付けるのは、その人が立派な信心をしていたということを後代に名誉として残すためである。)
と、下付した本人は立派でもその子孫や弟子の代になると御本尊を捨てたり、売ったりする者がたくさん出たので、下付した相手の名前を御本尊に書くのは、後代にその本人の高名、名誉を残すためであると、脇書きを書く理由を示されています。

 ここに「脇書と御本尊との関係は授与された人の名誉を残すため」だというようなことを言っておりますけれども、ただ単にこれだけのためではないのです。
 こういう題を立て、まず「脇書き」とは「御本尊の左脇に授与された相手の名前や日付を記載したもの」だとし、その意味について日興上人の『富士一跡門徒存知事』の、
  「日興弟子分の本尊に於ては(乃至)後代の高名の為なり」(御書一八七二)
の文を引いて述べております。これも全く素人の、「葦の髄から天井を覗く」式の短見を露呈しています。
 第一に、ひとくちに脇書きと言っても、「授与書き」と「添え書き」と「授与年月日」の区別さえ判っておらず、一概に脇書きと言っているけれども、まさに一知半解であります。
 第二に、これらの脇書きが左側に限ると思っている無知が挙げられます。しかし、必ずしも左側に限るものではない。
 第三に、『富士一跡門徒存知事』に示される「一々皆書き付け奉る事……」とは、大聖人の御本尊における添え書きであり、大聖人の授与書きとは全く別なのであります。つまり、大聖人が御本尊に特に授与された人の名前をお書きになる場合がある。これは弘安年間の御本尊には特に多いのです。その場合に、日興上人の弟子分については、日興上人が御本尊の脇のほうへ別に名前を書いて、「この者は日興第一の弟子なり、仍て申し与うる所、件の如し」ということを書かれておるのですが、それを言っておるのです。故に、大聖人の授与書きとは別なのです。学会の者どもは、その区別もついてないのであります。
 したがって、『存知事』に「後代の高名の為なり」と書かれた意味も、大聖人より直接賜ったところの御本尊の授与書きとは全く別に、日興上人がその名前と添え書きの趣旨を御本尊に書き加えられたことを述べられておるわけです。これを「脇書き」という語において二つのことを一つにして、その意味を曖昧にしております。
 しかし、別して言えば、日興上人の「後代の高名」という語は実に重大な意義をもって、その僧俗の仏道成就を顕されておるのであります。創価学会の如き誹謗者は、形だけを見て、少しもその意義が判らないのであるということを、まず言っておきます。


 そもそも従来宗門において御本尊の書写に関する相承書として取り扱われていた「御本尊七箇相承」にも、この脇書きについては一言も触れられていません。

 これは、ちょっと横へ走って、「御本尊七箇相承に、この脇書は一言も触れていない」ということを言っていますが、これは莫迦の見本みたいな言葉です。
 御本尊の深い内証深義を相伝される文書に、一々、授与書きや年月日など、対告等に関することをお書きになるはずがないのです。化導に関する内面の深意と外相との区別が判らないのが、素人のあさましさと言えましょう。

 (なお、日顕宗はこの相承書を、平成新版として新たに出版した御書から削除してしまいました。この中には「受持法華本門の四部の衆を悉く聖人の化身と思ふ可きか」という素晴らしい言葉が書かれているのですが、日顕と大聖人が不二の尊体と詐称する輩にとっては都合が悪いのでしょうか。それともニセの相承書なのでしょうか。
 次に、宗門で「平成新編」として新たに出版した御書から『御本尊七箇之相承』を削除したということを言っておる。これは、たしかに今回、収録しませんでした。しかしこれは、この御書が一般普及用、言うなれば信徒用として出版する関係から、御本尊の深義を内容とする『御本尊七箇之相承』は特に除いたのです。
 つまり、過・不及と言いますが、過ぎた考え方と及ばない考え方とがある場合に、例えばここで創価学会が、大聖人と日顕が一体不二だからなどと誣告して批難していますが、そのようなことは宗門でだれも言っていません。私だって、ひとこともそんなことを言ったことはない。けれども、ただ御本尊書写の上からの御内証において、特に先程も言いましたが、譲座本尊の「南無妙法蓮華経 日蓮」の左脇に、日興上人が必ずお名前を書かれるところをお書きにならないで、右に書かれているのです。そして御自身のお名前をお書きになる所へ「日目 授与之」とお書きになっております。この意味が大事なんですね。その意味において、御本尊の内証と書写、そして授与の大権を含み具えて、そのなかに日目上人を導き入れておられるわけなのです。ですから、そういう上から、その元の意義において「代代の上人悉く日蓮」というような御文が『御本尊七箇之相承』にはあるのであります。
 そうすると、今度はそれを読んで、直ちに「だから、今の猊下は大聖人様だ」などと、あまりに過ぎた解釈をしてはいけない。かといって、創価学会のように血脈を否定して軽蔑することは、なお誤りです。
 ともかく、『御本尊七箇之相承』は、深く、かつ中正な拝し方が必要ですから、むしろ一般用の御書からは抜いておこうという考えだったのです。そこで今回、それは抜いてあります。けれども、何か困ることがあるとか、隠す必要があるから省いたのではありません。
 次に、その文中に「受持法華本門の四部の衆を悉く聖人の化身と思ふ可きか」ということがあるけれども、これが日顕と大聖人が一体不二の尊体と詐称する輩にとって都合が悪いから抜いたのか、と邪推していますが、まことにこれは「下司の勘ぐり」と言うほかはありません。この文の「四部の衆」とは、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の四衆、すなわち、正法正義に基づく現日蓮正宗の僧侶と檀信徒、いわゆる法華講の皆さんの正法護持の信心の功徳にあてがわれたものなのです。だから語尾に「か」という字がついておるのであり、そうだと断定されてない。「受持法華本門の四部の衆を悉く聖人の化身と思ふ可きか」ということなのです。
 けれども、これはけっして狂った謗法団体の、池田大作とか創価学会のことではないのです。あの者どもはこの文を見て、非常に有り難い文書であり、これは我々のことを書いているんだと言いますが、うぬぼれるのもいい加減にしろと言いたい。
 また、その次に「ニセ相承書なのでしょうか」と言っていますが、ここにむしろ創価学会の本音が出ているのです。いかに狡猾な智慧で文義をごまかし、はぐらかし、この御文全体を色々な形で薄めて、今までの相承がなかったような形にしようとしても、結局、池田らの逆徒においては、この相承書があることは本来、まことに都合の悪い意味があるのです。だから「ニセ相承となってくれればよい」という気持ちが、こういう「ニセの相承書なのでしょうか」という文として、思わず表れたのでありましょう。


 実は日顕の父親日開が、この相承書のとおりに御本尊を書写せず仏滅後二千二百二十余年と書いたため、信徒からわび状を書かされたという、因縁の相承書なのです)

 次に、六十世日開上人のことに触れているが、歴代上人のなかには宗旨上の特別な拝仰の上から「二千二百二十余年」と書写された例があります。例えば、十七世の日精上人、十九世の日舜上人、四十一世の日文上人等の御本尊の一部に拝されますが、通常の書写はもちろん、「二千二百三十余年」と書くのが古来の通規になっております。私も登座以来、一幅も「二千二百二十余年」と書写申し上げたことはありません。すべて「三十余年」と御書写申し上げております。
 しかしながら、「二千二百二十余年」という御本尊だから拝んではいけないなどということはない。総本山塔中久成坊の本堂に昔から安置されている常住板御本尊には「二千二百二十余年」とお書きになってある。しかも、この裏書きに二十六世日寛上人の判形がある。これは、もう明らかに「二千二百二十余年」の先師の御本尊を日寛上人が允可されて、そして彫刻されておるのです。
 要するに、相承を受けない者が、特に在家の者がこういうことを簡単に云々すべきではないということだけを、ひとこと言っておきます。


 端的に言うと、脇書きは御本尊として必要不可欠な部分ではなく、その証拠に大聖人直筆の御本尊でも、脇書きを書いていないものが多数存在しているのです。特に大聖人の御本尊では、脇書きとして「日付のみ」を書かれたものが一般的で、授与した相手の名前を書いたものは比較的少ないのです。これに対して、前述のような理由で日興上人の時代に脇書きとして授与者の名前を書くことが常態化したものと考えられます。

 ここで「脇書きは御本尊として必要不可欠な部分ではない」などと結論づけ、その証拠として、大聖人自筆の御本尊にも脇書きのないものが多数あり、日付だけを書かれたものが一般的で、授与者の名前を書かれたものは比較的少ないなどと、聖意を謗じておる。これも一知半解以下の考え方だと断じます。
 前にも指摘したとおり、まず「脇書き」という漠然とした言い方で、大聖人の直接の授与書きと日興上人の添え書きとを混同している。大聖人様の御一期の御化導においては、そんな創価学会の莫迦どもが凡眼凡智をもって測ることのできない深いお心が存するのです。それをこのように簡単に言うことが、もう浅識謗法に当たると思います。こういう不用意の言は、大聖人御一期の御化導の順序次第に暗いことを表しておると思います。
 日寛上人は『観心本尊抄文段』に、大聖人の御本尊につきましては「弘安以降本懐究竟」ということを結論づけられておるのです。それについて日寛上人の挙げられた理由として、仏滅後二千二百二十余年と三十余年のことがありますけれども、これを論ずると、これだけでもって長くなってしまいますから、これは省略しておきます。けれども、この仏滅讃文の理由のほかにも、弘安以降において大聖人様の御本尊が究竟あそばされたということをはっきり拝せられるところの例証は多いのです。
 もちろんこれは、誹謗団体の創価学会などに言う必要はありませんが、しかし、この筋から拝して、弘安以降本懐究竟ののち、有縁の弟子・檀那の化導のために授与書きを示された御本尊は、実に八十数幅中の八割以上に及んでいるのです。つまり弘安以降は、八割以上の御本尊様に、ちゃんと与えられる相手の名前、つまり授与書きが書かれておるのです。そこを考えなければいけない。
 それに対し、授与者の名前を書かれたものは少ないと学会の言っている御本尊の時期は、文永年間は二十数幅中の一幅だけ、建治年間も二十数幅中の五幅に授与者名を拝するのみであり、あとは名前が書かれておりません。ですから、文永と建治年間の授与者名を書かれた御本尊は、その期間中の御本尊の約一割であると言えます。これは、大聖人が弘安以降の御本尊において、御本仏の御化導の境智の御究竟ののちに有縁の僧俗を化導し給うため、授与者名を数多く示されておるということが明らかなのであります。この大慈大悲を、創価学会の下司どもは、なんと心得るのであるか。
 だいたい、道理よりして、授与者名は「その者に与える」という対告の表示であり、そこに授ける方の意志が存しておることは自明の道理なのです。世間の道理でも、明確な意志を示す文書には、必ずこちらの名前を書き、相手の名前を書くでしょう。いわゆる当事者の名前を記すことが常識であります。そんなことも解らない創価学会は、よほどの莫迦か阿呆である。
 前にも述べたけれども、日興上人の添え書きは、大聖人様の授与書きのある御本尊にも、重ねて別の所に名前とその趣意を書かれておるのであり、そんなことなど全く知らないらしいのです。つまり、大聖人の授与書きと日興上人の『門徒存知事』に示される意味の添え書きとは、同じ御本尊のなかで全く別に書かれてあるのである。
 だから、その添え書きは日興上人のみのことであって、それを「脇書きとして授与者の名前を書くことが常態化した」などと知ったかぶりをしているが、そんな莫迦なことはない。既に論ずる如く、大聖人、日興上人の御本尊にも、初めからはっきり授与書きを示される御本尊が数多く存するのであります。また、添え書きは日興上人だけが、特に御自分の縁故のある弟子分が大聖人様から御本尊を頂かれたときに、それについてお書きになっておるわけです。だから、それ以降にはそういうことがないわけで、こういうことを言うのは創価学会の素人のあさはかな推測に過ぎないのであり、事実と大きく懸け離れた噴飯の邪推である、と言っておきます。


 また、この脇書きには後代の加筆も多数存在するばかりか、驚いたことに一体の御本尊に何人もの名前が書かれている例もあるのです。例えば、蓮蔵坊にある徳治二年の日興上人の御本尊は二回加筆されて三人の名前が、元徳二年の日興上人の御本尊は三回加筆されて四人の名前が書かれています(富士宗学要集第八巻 P.186等)が、法主以外の者(通常は末寺の住職)が書き込むことが当然のように行われているのです。正和二年の日興上人の御本尊には、沙弥(所化小僧)の者の署名入りで書いた脇書きもある(同 P.183)のです。

 このようなことをわざわざ挙げて、後代の加筆があることなどについて悪し様に述べています。そして、御本尊の授与書きも脇書きも実にいい加減で、どうでもいいように印象づけようとしている、実に狡猾極まる悪心の姿であります。
 本宗においては本来、御本尊の加筆は法主上人がなされるものでありますが、ごくまれなこととして、当時の交通等の事情もあり、時の法主上人の御認可を拝して、法主上人以外の者が授与書きを認めた例があります。彼等の挙げた例がこれに当たります。
 彼等はこれについて「驚いたことに」と言っていますが、少しも驚くに当たらないのであり、「当然のように行われている」などと言うことは、単なる悪口であるとのみ指摘しておきます。


 このような「メモ書き」でしかない脇書きに名前を書かれた人間しか成仏できないなどという御書の文証があるなら出してみろ!と破折してあげましょう。

 ここに「破折してあげましょう」とあります。あきれたものではありませんか。皆さん、逆にはっきり徹底して、この狂った愚見を破折してあげようではありませんか。
 さて、この創価学会の論者は「『メモ書き』でしかない脇書き」などと、言うにも事を欠いて全く意味の反する稚論・謗論を述べております。メモというのは、一体なんでしょうか、皆さん御存じでしょう。メモとはメモランダムのことで、覚え書き、控え、備忘録、簡単な書き留め、記録等の意味です。したがって、これは「汝に与える」という授与の意味は全くありません。自分のほうの手書きなのです。そうでしょう。つまり何かの行為について、自分の側でもって「ああ、そうか」と書き留めたり、「約束したから、明日の何時にあそこに行かなければ」というように、自分のために書いておくものです。これを書いて相手に渡すものではない。
 ところが授与書きは、相手に渡すものなのであり、しかも御本尊授与という大事について、授与の方、すなわち、仏の大慈悲によるところの明白な意志を顕示し、相手に対する信行上の認可による下附を顕すものであります。また、御本尊を受ける側からは、その本人の信心・護持を認定され、示されたものとしての本当の喜びと精進の念を生ずる意義があるのです。だから、この授与書きがメモに過ぎないなどということは、言葉の意味を失するとともに、全く信心のない謗法者の才覚である。
 また、「脇書きに名前を書かれた人間しか成仏できないなどという御書の文証があるなら出してみろ」ということを言っているが、これは創価学会得意の趣意のスリ替えであります。脇書きの有無に関して、成仏、不成仏があるなどということは、宗門のだれも言ったことはないのです。言うはずもない。逆に、「本尊の脇書きに名前を書かれた者以外は成仏できないなどということを宗門の人間が言っていると言うなら、その証拠を出してみろ」と言ってやりましょう。
 当方の主意は、創価学会が日寛上人の『ニセ本尊』を勝手に製造するに当たり、日寛上人が大行阿闍梨本證坊日證師へ授与された御意志を踏みにじって、勝手に授与書きを抹消したこと、また、受けた本證房日證師の心を踏みにじって、御本尊中の授与者の名前を消したこと、これが道理と義理に背くものと言っておるのである。世間でも、所有の筋道の決まったものを、勝手に我がものとするのをなんと言うか、これを盗人と言うのであります。


 妙観の中でも若干勉強した者の場合には、堀日亨上人の、
 「当流にては対境の本尊を授与せられ示書(しめしがき)中の人とならざれば・信心決定即身成仏と云ふこと能はざるなり」(富士宗学要集第一巻 P.112「有師化儀抄註解」)
を引く者がいるかも知れませんが、脇書きに名前を書かれなければ成仏できないなどとは、当然のこととして御書のどこにも書かれていません。ここで堀上人が言われているのは、「法華講中」等と書かれた「脇書の中の人」つまり「学会員とならなければ一人だけの信心ではダメだ」という見解なのです。

 皆さん、これはなんと言えばいいでしょうか。皆さん方が笑っている姿そのものです。学会の思い上がりというか、手前勝手なうぬぼれ解釈というか、なんともあきれ果てた、論外の粗言です。
 要するに、日亨上人の『化儀抄註解』の「信心決定即身成仏」の文を引いて、ここでも「脇書きに名前を書かれなければ成仏できない」など、当方で言ってもいないことを誤解し、誣告する、トンチンカンな言を吐いております。
 まして、「法華講中」等と書かれた脇書きのなかの人とは、すなわち学会員であるとの、論理の飛躍以上のでたらめは、まことに鉄面皮で、開いた口がふさがらない。狂った正法誹謗団体、嘘で塗り固めたインチキ団体、しかも脇書き、授与書きを「メモ」として否定する創価学会が、そんな資格は絶対にない、ということを言っておきます。


 生死一大事血脈抄には、
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり」(同 P.1337)
とあるとおりなのです。

 ここでは『生死一大事血脈抄』の有名な御文を引いて、学会が正しいということの例証にしておりますが、結局これも、初めの「総じて日蓮が弟子檀那等」という「弟子檀那」の文が一番問題なのであります。彼等がそれを引いたならば、「おまえ達、この『弟子檀那』という文をよく考えてみろ。池田大作や創価学会の不正直極まる仏法違背、そして大聖人を利用し悪用して金もうけを企み、下種三宝に背く者どもを、大聖人はけっして『弟子檀那』とは言われないのだ。したがって、以下の有り難い『血脈抄』の文も、学会員には全く該当しない。今日の学会員の様々な罰の現証が、これを物語っているのだ。また、広布の団体、広布の団体と誇称するが、創価学会は、広布の根本宗団たる日蓮正宗の派生団体だったに過ぎないのである」ということを、はっきり教えてあげましょう。


 また、相承書の一つである本因妙抄には、
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり、是を天真独朗の即身成仏と名く」(P.872)
等と、大聖人の仏法の偉大な力を示す御文が厳然と記されているのです。

 次に『本因妙抄』を引いて「大聖人の仏法の偉大な力を示す御文が厳然と記されている」と言っていますが、これは先にも述べたように、引用の文のすぐ上に「久遠名字の本門を本と為す」と示され、それから「信心強盛にして」云々とあるのです。この「久遠名字の本門」というのは三大秘法であり、日興上人、日目上人とその御法体は伝えられて、下種三宝常住の法体が日蓮正宗にあるのです。
 したがって、これに背く池田や創価学会は、「信心強盛にして」と仰せられる、その信心が狂っているから「久遠名字の本門」を見失って迷境に堕しているのである。故に、凡身即仏身ならず、凡身即三悪道を露呈するのである、と指摘しておきます。


 これらに対して相手が何か文句を言ったら、
  「問うて曰く経文は分明に候・天台・妙楽・伝教等の未来記の言はありや、答えて曰く汝が不信逆(さかしま)なり 釈を引かん時こそ経論はいかにとは不審せられたれ経文に分明ならば釈を尋ぬべからず、さて釈の文が経に相違せば経を捨てて釈につくべきか如何、彼云く道理至極せり」(P.259)
 (通解:問うて言うには、仏の経文には明らかにあるが、天台・妙楽・伝教等の未来記の言葉はあるのか。答えて言うには、あなたの不信は反対である。人師・論師の釈を引いた時にこそ経文にはどうかと不審を持つのである。経文に明らかならば釈を尋ねてはならない。では、釈の文が仏の経文に相違していたら経文を捨てて釈につくべきであるかどうか。彼が言うには、その道理はもっともである。)
  「設い天台の釈なりとも釈尊の金言に背き法華経に背かば全く之を用ゆ可からざるなり、依法不依人の故に」(P.529)
  (通解:たとえ天台の釈であっても釈尊の金言に背き、法華経に背いていればまったくその言葉を用いてはならない。法によって人によらざれ、だからである。)
等々の数多くの御書で大聖人が御指南されているとおりに、御本仏の言葉を根本としなければならないことを徹底して理解させようではありませんか。

 次いで『撰時抄』の文で天台の釈と釈尊の金言との軽重を説き給う文を引いて「このように大聖人の御書のお言葉を根本としなければならないことを徹底させよう」と述べています。しかし、御本仏のお言葉を常にはっきりと理解し、お受け申し上げて、正しく信心修行に邁進しているのは、日蓮正宗の僧侶であり、法華講の皆さんであります。すなわち、真実の「御書根本」は創価学会にはなく、日蓮正宗にあるのです。
 なぜならば、大聖人の御書を拝読しても、結局、正しい相伝によらなければだめなのです。日興上人が『遺誡置文』に、
  「御抄を心肝に染め極理を師伝して云云」(御書一八八四)
と御指南されるとおりなのです。創価学会は、相伝の上からの仏法の本義を自ら否定し、勝手な解釈をしておるから、いくら御書を挙げようとも、その論理と筋道は全く筋違いで意味をなさない。それは自分らの信心が狂っているから、結局、御書の正意に外れた形が随所に出てくるのであります。
 だから、大聖人が常に御書中に仰せのように、釈尊の一代仏教を広く読んだ各宗の人師達でも、正しい相伝と付嘱を受けた天台、伝教等のように、法華経を中心とした正しい一代経の拝読をすることができなかったではありませんか。すなわち、そこには一代経の趣意を乱し、乱脈な解釈をした南三北七その他、華厳、三論、法相、真言等の人師達の誤りがありました。これは結局、同じ釈尊一代の経文を見ているけれども、正しい相伝・付嘱によらなければ正しい解釈はできない、ということなのです。
 また、大聖人の御書を拝しても、一致派だとか八品派、あるいは寿量一品派等の色々な各日蓮宗の派がある。これはみんな正しい相伝によらないから、文上・文底、種脱の法門、さらに三大秘法について、勝手な解釈の相違が出てきているのです。
 創価学会もそのとおりである。御書根本だ、御書根本だと言っているけれども、結局、自分勝手な狂った見解・解釈は、すべて根本の相伝を否定するところから来ているのです。故に、その解釈も行動も、すべて聖意に反してくるのであります。御本仏の言葉によっていると思いつつ、その実体は蜃気楼の如く空虚であり、大謗法を構成するのは、根本の下種三宝への信解がないからです。
 皆さん方も創価学会員と対応するとき、「学会は御書の肝要と相伝に、すべて背いている。日蓮正宗に背いているのが何よりの証拠である。また、『日顕宗』などという言葉は学会が勝手に言っているだけで、この地球上のどこにも存在しないのだ。『日顕宗』と言いながら、その実は日蓮正宗を誹謗しているのである。だからこそ、御戒壇様にお詣りできないではないか。そういう考え方で御書をいくら読んでも、全部、狂ってくるのだ」ということを、はっきり言ってもらいたいと思います。

 

※『第八項 「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」の妄説を破折する 』へつづく

 


第八項 「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

第八項

 創価学会が言う「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」の妄説を破折する


  (8)一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技
 そもそも「一機一縁の御本尊」の意味さえも分からずに非難しているようなので、その誤りを正せば、大聖人の直筆の御本尊のうち、本門戒壇の大御本尊を「万機万縁の本尊」と呼び、その他を「一機一縁の本尊」と呼ぶのが本来の定義です。
 広義には、御歴代の書写したものや御形木御本尊のことも「一機一縁の本尊」と呼ぶようになりましたが、正しくは前者の用法であり、後者のことは従来から「分身散体」又は「分身散影」の本尊と呼び、通常は「一機一縁の本尊」とは区別しています。日蓮正宗の化儀が途中から変化したので、学会も「一機一縁の御本尊」という表現を形木本尊にまで使用するようになってしまったのです。

 ここでは「一機一縁の御本尊の不特定多数への下付は宗門の得意技」というおかしな表題をつけているが、なかの論旨は種々雑多、支離滅裂であり、とりとめのない愚論で、ただ正宗を誹謗しているに過ぎません。
 だいたい「一機一縁」ということは、本来、一機というのは一人の機、一縁ということは一人の仏縁なのです。だから、これは個々個々の信心の上からの仏縁によるところの化導の形を言うのであって、それが常住御本尊にせよ、御形木御本尊にせよ、授与された対告衆が存在して初めて、一機とか一縁という語があるのです。
 それから、本門戒壇の大御本尊様は、閻浮総与、世界総与の大御本尊であって、創価学会の言うような「万機万縁の本尊」などの言は、私は聞いたことがないが、だれが言っているのでしょうか。
 つまり「万機万縁」と言えば、これは機を中心とした言い方になるのです。教義上、創価学会の狂った考え方のなかに、この機根中心があると言えます。
 日寛上人は『観心本尊抄』の題号について「如来滅後五五百歳に始む」か「始まる」かというと、特に他門の諸説と異なり、「始む」と読めと言われておるのです。すなわち「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」とお読みするのですが、これは上行菩薩が出現して自ら始められるから「始む」という意味なのです。いわゆる「応」であり、「能化」に約するのです。
 同様に、戒壇の御本尊様についても、大聖人様の御所有の上からの名称でなければならない。それは、大聖人様が一切衆生総与という意味において、日興上人へ相伝あそばされているわけなのです。その場合は能化、すなわち、仏につく言葉であります。それに対して所化、すなわち、衆生あるいは機という一般につく言葉が万機万縁である。しかし、機根のなかには、ずいぶん狂った者も、間違った者も多くあります。だから、直ちに万機万縁などと言うのは不適当であり、能化の仏様のお心の上から「一閻浮提総与」と申し上げるべきであり、これこそ本当の正しい呼称でなければならないのです。
 また、歴代上人の書写や御形木を「分身散体」とか「分身散影」の本尊と呼んで、一機一縁の御本尊とは区別すると言っておるが、だれが区別したというのでしょうか。もし創価学会が区別したなら、御本尊に対する越権であり、増上慢の謗法を露呈したものである、と断ずるものであります。


 もしも日顕宗が「化儀は化法と一体で変わらない」などと嘘を言ったら、歴史上の事実として根本の化儀が変わってきたことを教えてあげましょう。まず勤行は昔は「朝は六座、夕方は1座」だったのです。「化儀秘決」(富士宗学要集第1巻)には、
  「夕勤は一座なること如何、答て云く開山上人已来、当門の法式なれば其子細に及ばず先例に任する処なり乃至暁の勤め六座の所表如何」(同 P.274)
  「夕勤何ぞ一座に限るや、答ふ上代よりの儀式なり」(同 P.279)

 次に「もしも日顕宗が『化儀は化法と一体で変わらない』などと嘘を言ったら、歴史上の事実として根本の化儀が変わってきたことを教える」などと大見栄を切って『化儀秘決』の文を挙げ、「朝勤は六座、夕勤は一座だったのが、変わってきた」と言っているが、これについては、莫迦も休み休み言えと、まず一喝しておきます。
 日蓮正宗の法義は、宗祖大聖人、日興上人以来、根本の化法によって化儀が確立しているのであります。特に日寛上人の『当流行事抄』には、助行として方便品と寿量品を読誦し、正行としては久遠名字の妙法を余行に渡さず直達正観する事行の一念三千の南無妙法蓮華経を唱え奉るという、勤行の正軌を示されておるのであり、これは七百年来、いささかも変わっていないのであります。
 すなわち、化儀と化法は本来、一体なのであります。この基本が変わらないことを化儀化法の一体と言うのである。ただし、勤行の形式は、諸堂宇の変遷等で幾分の変化はあっても、やはり、おおむね変わっていないのであります。
 だいいち、創価学会は勤行様式が変わったということで『化儀秘決』を出しておるけれども、こんな莫迦な話はありません。というのも、これは房山の化儀について述べているものだからです。大石寺から背いて房州に行き、妙本寺を創った日郷という人がいますが、この日郷から十一代目に、非常に学匠ではあったけれども、日我という人がいる。その人が書いたのが『化儀秘決』なのです。だから、房州・保田の妙本寺のことを言っているのです。そういう文献を持ってきて大石寺の化儀が変わったと言うのは、的外れではありませんか。つまり、大石寺の化儀の書物でないものを持ってきて、それを元として大石寺の化儀が変わったんだと言うことは、筋違いもはなはだしいのであります。
 また、六座、一座というのは、日興上人からではなく、日郷以来の化儀を日我が、開山以来のものと言ったのであります。
 日蓮正宗においては、古来、五座、三座の勤行が行われてきたことは、日寛上人の享保四年二月十六日付『福原式冶状』に、
  「五座三座の格式相守るべし」
と示されていることによっても明らかです。
 とにかく、房山の化儀を持ってくるということは、暗夜の礫の如く当たらぬ例証であり、これは自分達の馬脚を表すものです。
 ところで、それなら、なぜ、日亨上人がこの『化儀秘決』を『富士宗学要集』に載せたのかという文句を言ってくるかも知れませんが、日亨上人は教学上の参考資料を集めて、それを挙げられたのであります。だから『化儀秘決』のなかに、下種仏法という上において参考とすべきものもあるから、その文献を載せたということに過ぎない。よく『富士宗学要集』の「緒言」を読みなさい。
 総本山大石寺を正系とするならば、保田妙本寺はあくまで傍系でありますから、その化儀によって正系の総本山の化儀を云々することは全くできない、ということを言っておきます。


 また、御本尊についての化儀で、宗門の住職になる者が必ずマスターしなければならないマニュアルとして「日蓮正宗教師必携」という本があります。この中に、葬儀の際に棺や骨壺に入れて焼いたりしていたニセ本尊(導師本尊のコピー)である「未来本尊」の化儀について、変化した旨が記載されています。
「古来末寺において、御形木の未来本尊を発行する習いがあったが、今は行わない。」(教師必携 P.80)
 そんなニセ本尊よりはまだましですが、戒壇の御本尊以外の一機一縁の御本尊を後世の法主が板本尊にしたものを、法主でもない者が写真製版で縮小したものを、不特定多数の外国の民衆に授与した事例が正宗の中では認知された形で記録が残っています。
 富士宗学要集第一巻(有師化儀抄註解 P.113)には、昭和の初期に学頭(大学頭の次の位)の日照が(当然法主の開眼など行わずに)、一機一縁の御本尊である
「紫宸殿御本尊(天皇家に与えられたもの)」を日有上人が書写したもの(富士宗学要集第八巻 P.194 脇書「文安二年乙丑十一月六日、九世日有在判、須津の庄鳥窪の住持日伝に之を授与す」の本尊)を写真製版で縮写し、朝鮮の新入信徒たちに授与した事実が記録されています。

 次に『教師必携』を引いて、未来本尊を下附しなくなった記事についてしつこく再論していますが、先に充分に破折したとおりであります。
 色々な時期において化導の形は異なるけれども、すべて総本山の法主の血脈を中心にして、その大きな裁量と許可のもとに行ったことなのである。そういうことを一々挙げて論ずるのは、周りを崩しつつ、なんとか中心を否定し、自分達の所業を正当化しようという薄汚い根性がはっきり見えておることでありまして、別に問題とすることはありません。
 ただし、学頭・日照師の件に関連して、「一機一縁」ということについて狡猾な論を述べているので、次の所で破折しておきます。


 これは、「一機一縁の本尊」を御歴代が「書写」して「特定の人に授与した本尊」を、「形木」にして「開眼せず」に「不特定多数」に授与したもので、このことが何の問題もない下付のあり方として、日亨上人によって化儀の解説として記録されているのです。
 このことからも、「一機一縁の御本尊は不特定多数に授与してはならない」などと言う日犬宗の主張は、歴史的事実に反し、根拠も無い、つまり真っ赤なウソであることは明らかなのです。

 ここで、さらに彼等は学頭・日照師の実例について述べるなかで「御歴代が『書写』して」という語を使っていますが、日亨上人の『化儀抄註解』(富士宗学要集一の一一三)の第三項では「模写」であり、この点、学会は混同し、誤解しています。前にも破しましたが、「模写」と「書写」では、方式が全く異なることを言っておきます。
 なお、日照師の件について、「開眼せず」というのは彼等の邪推に過ぎず、開眼がなかったという証拠はない。あるなら挙げてみることです。
 次に「開眼せず」ということが『化儀抄註解』中、第三項に特定されているかの如き言い草であるが、そういう文は本来、当然のことであるが故に全く書かれていません。「開眼せず」とは、学会の勝手な付け加えです。このように彼等の論法は、不正直極まるものなのです。
 次に、以上の不正確な論を元として、「一機一縁の御本尊は不特定多数に授与してはならない」ということを宗門の主張だとしてスリ替え、歴史的事実に反し、根拠もない嘘であると誹謗しています。これは彼等の大得意な、ずるさによる、問題の表現をぼかして概念のスリ替えを計る常套手段です。宗門で謗法と言うのは、目下、学会が行う『ニセ本尊』のことであって、直ちに「一機一縁の本尊」のことではありません。
 つまり「梨は果物である」という判断・論定は正しいが、逆に「果物は梨である」という論定は論理上、明らかに誤りです。果物という概念には、梨のほかに柿、リンゴその他を含むからです。
 そこで、学会の『ニセ本尊』は、奪って言えばニセだから一機一縁と言えないが、形式上、与えて一機一縁とは言えます。しかし、一機一縁の本尊が『ニセ本尊』とは言えません。一機一縁の語には『ニセ本尊』以外の多くの本尊を含むからです。したがって、学会の右文中のあとのほうの「一機一縁」は、宗門が不可とする意味で『ニセ本尊』のことを指しているにもかかわらず、それを漠然と「一機一縁」と言うところに論理上の矛盾があり、スリ替えがあるのです。
 学会の『ニセ本尊』は、日寛上人が大行阿闍梨本證坊日證師へ授与された旨の授与書きを勝手に削除して御本尊の意を改変し、また、日照師の例の如き宗門の正しい教師による指導があるわけでもなく、その関係から血脈伝承の法主の許可を受けることもなく、かつ正しい開眼もなく、さらに、法脈上、全くその資格のない池田などの俗人が行っているということにおいて、通常の一機一縁の本尊とは大違いな代物なのです。
 したがって、『ニセ本尊』はニセと言うべき理由多々にして、一般的な一機一縁の本尊とは異なるが、それを一切無視し、宗門を誹謗しておるのです。つまり、一機一縁という広い概念の語を使って宗門の『ニセ本尊』に対する破折をぼかし、論理上の矛盾を犯しつつ、宗門の主張を否定するという愚を示しているのです。
 故に、「歴史的事実に反し」、「根拠も無い」、「真っ赤なウソ」を述べているのは、宗門ではなく、逆に創価学会である、と断定しておきます。


 今回の学会による御形木御本尊の授与は、由緒正しい「本門戒壇の大御本尊」を、中興の祖である日寛上人が「書写」して「特定の人に授与した本尊」を、「末寺の允可に基づいて」「形木」にして「開眼せず」に「不特定多数」に授与するもので、「一機一縁の本尊」を同じようにして授与することよりはるかに素晴らしいではありませんか。日顕宗の輩は、歴史的な事実にも反し、証拠も無くて、一体何が問題だと言うのでしょうか。

 

 これが問題だということを、これから申しましょう。先程の話とちょっと重複しますけれども、しょうがないでしょう。
 ここが、なんとか自分らの『ニセ本尊』が正当なんだということを言いたい、一番中心の部分に当たっているのです。
 まず、「今回の学会による御形木御本尊の授与」は、「由緒正しい『本門戒壇の大御本尊』を、中興の祖である日寛上人が『書写』し」たもの、これは当然です。それから「特定の人に授与した本尊」、これも当然である。それを「末寺の允可に基づいて」と言うが、これは問題です。さらに「『形木』にして『開眼せず』に」とある、これも問題。さらに「『不特定多数』に授与するもの」、これは特に大問題です。

 これらの言は、全く「盗人、三分の理」の如くであると思いますが、これを言いたいために、今まで関係のないことや色々なことを言い立ててきたと思われます。まあ、創価学会の頭の悪さは、自分達の何が悪いのか、ちょっと目が眩んで解らないらしいから、この言について指摘してあげようと思います。
 さて、この言で問題とすべき第一は「末寺の允可に基づいて」であります。これは先程も言いましたけれども、もう一ぺん言いましょう。
 この「末寺」とは浄圓寺で、「允可」した者とは成田宣道を指すのは自明である。しかし、末寺とは、どこの末寺を言うのか。成田がこの本尊の提供を申し出たのは、平成五年六月六日であり、浄圓寺、成田宣道が被包括関係廃止を議決したのが六カ月と二十五日前の平成四年十一月十二日であるから、学会へ御本尊の提供の時は、既に日蓮正宗の寺院でも大石寺末でもなく、また、成田宣道も日蓮正宗あるいは大石寺末の僧侶でもない。
 すると、創価学会の言う「末寺」とは、この言葉には必ず本寺があるはずだが、どこが本寺なのでしょうか。もちろん、大石寺が日蓮正宗の末寺として許可したものでないことは、はっきりしておきましょう。特に成田宣道は、血脈法水に背く破法、破戒、無慚な悪僧であり、この地獄僧の允可だと言っても、正法の世界と道理には通用しないのであります。
 「末寺」と言うべき実体のないものを「末寺」と言うところに、寺に関係があるという根拠を残そうとする、狡猾な自己擁護が明らかである。それとも「創価学会の末寺」とでも言うのでしょうか。もしそうなら自分自身のお手盛りであり、正しい末寺によって許可されたという理由にはならないのであります。
 また、末寺そのものが信徒に御形木御本尊発行の允可を与えたことは、かつてないのであります。
 次に、第二として「形木にして開眼せず」の文でありますが、これは前にも論ずる如く、新しい紙を使って形木印刷をしたのだから、血脈法水中の歴代上人の本尊の場合、総本山古来の例に則り、開眼すべきであります。日寛上人のお心は『有師化儀抄』の文の如く、現在の手続の師、すなわち法主のところに、もぬけられているから、これを行わないことは仏法の法脈の道理に背反します。
 次に、第三の「不特定多数に授与する」の言、これが一番問題です。この「授与」という語こそ、最も重大な謗法である。いわゆる「授与」とは、だれが不特定多数に授与するのか。池田か秋谷か、はたまた創価学会の事務機関内の理事等の決定なのか。いずれにせよ、血脈付法の尊厳なる本尊を、これら在家の者どもが勝手に授与する資格を、だれから与えられたというのか。また、授与してよいという許可を、だれから与えられたのでしょうか。
 疑いもなく、そのような資格を与え許可をした、正しい血脈伝承の方がいるはずはありません。それとも自分達にその資格たる血脈伝承があると言うのだったら、それは自分達が勝手に作る権利であり、思い上がりと、憍慢、計我、著欲の念慮による謗法行為であります。したがって、このような大聖人を悪用する、邪心・魔心によって作られた本尊は魔性が入ったものであり、形は日寛上人の本尊ながら、その心に魔が入っておること、邪神の神社における神札と同じであります。
 彼等は「はるかに素晴らしい」とか「一体何が問題だと言うのでしょうか」など、頭の低劣さをむき出しにしておりますが、おまえらの『ニセ本尊』にはこのような欠陥がある、ということを言っておきます。


 「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」(P.1355)
とあるとおり、証拠も無い口から出まかせのことばかり言うから、日顕宗は邪教なのだ!と断固として責めましょう!
  「一乗流布の時は権教有って敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可べし、是を摂折二門の中には法華経の折伏と申すなり」(P.503)
  「邪正肩を並べ 大小先を争はん時は 万事を閣いて謗法を責むべし是れ折伏の修行なり」(P.494)

 ここでは『祈祷抄』『如説修行抄』『聖愚問答抄』の三抄の文を挙げて、「口から出まかせを言う日顕宗を責めましょう」と言うが、これらの引文の破折の向かっている先は、すべて創価学会を指しているのである。すなわち、これら大聖人様のお言葉はことごとく、日蓮正宗の僧俗が創価学会に向かって破折すべしという御指南である、と言っておきます。


 ちなみに、大聖人が自ら著された御本尊にはいろいろな書き方があり、全てに共通しているのは、たった「南無妙法蓮華経 日蓮」だけなのです。例えば日達上人の御形木御本尊も、戒壇の大御本尊と比べると菩薩たちの一部が省略されています。しかし当然功徳には何の変わりも有りませんでした。要するにこれら全てを貫く法則とは、形式ではなく信心の一念、ただ心こそ大切なれ、なのです。
 学会の草創期に、日寛上人の御本尊を旗印に日本国への流布を進めた際には、御本尊には偉大な功徳があることを宗門内外に示し、今また一閻浮提広宣流布の時に日寛上人の御本尊を旗印に全世界に向けて、偉大な功徳を生み出すのは三類の強敵を呼び起こした我ら法華経の行者の信心の一念であることを証明しようではありませんか!

 ここでは「要するにこれら全てを貫く法則とは、形式ではなく信心の一念、ただ心こそ大切なれ、なのです」と言っているけれども、日寛上人には、
  「夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず(乃至)故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし」(大石寺版六巻抄四二)
という御指南がある。したがって、間違った御本尊を拝みながら、信心が大事だと言うこと自体が間違いである。それなら、信心さえあれば大日を拝んでいいのか、念仏を信仰してもいいのかということにもなるではありませんか。したがって、まず対境が正しくなければならないわけで、こういうところにも彼等の言っている矛盾があります。
 すなわち、創価学会の『ニセ本尊』は、今までも言っておるとおり、資格のない者が許可なく、正当な開眼もなく、勝手にあちこちに撒き散らしているところの、最大の不正・不善の対境なのであります。
 ここに「学会の草創期に、日寛上人の御本尊を旗印に日本国への流布を進めた際には、御本尊には偉大な功徳があることを宗門内外に示し」云々と書いてありますが、以前の日寛上人の形木御本尊の下附の時と今は、全く事情が変わっておる。当時は、宗門の御法主上人の允可のもとに、宗門の正しい寺より下附されたのであり、今回の『ニセ本尊』とは全く事情が違っておるのです。その辺も、はっきり指摘すべきであります。 当時の在家団体・創価学会、およびその会員は、御本尊をお寺から受けるだけで、今のようにおこがましくも自ら授与をするということには、全く関与していなかったのです。池田、秋谷、創価学会の者どもは、こういう根本の違いが解っていないわけで、「前にも日寛上人の御本尊で功徳があったんだから、今度も功徳があるんだ」ぐらいの浅はかな考えなのでしょう。しかし、それは大謗法なのです。
 要するに、我々は、実際の形が前とは全く違っているということを、はっきりと見抜いておく必要があると思います。

 

※『第九項 「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する』 へつづく

 

 


第九項 「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

  第九項

 創価学会が言う「御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い」の妄説を破折する



   (9)御本仏(大御本尊)の近くにいて大聖人を裏切った輩は御本仏在世から数多い

 日顕宗の輩は、言うに事欠いて、学会は日顕を否定して御本尊下付をしているから大御本尊を否定しているという、全く論理もなく、歴史的事実に照らしてもおかしなことを叫び始めています。

 このような頭の悪いことを恥ずかしげもなく言えるのも「頭破七分」の故でありましょう。
 本門戒壇の大御本尊は、宗祖大聖人の御本懐、三大秘法の随一であり、その法体は末法万年の広布伝承のため、二祖日興上人へ金口の血脈とともに相伝せられ、以来、日目上人、日道上人と瀉瓶して今日に至っています。故に、御戒壇様の伝承は血脈相伝を離れては存在しないのであり、これは七百年来の道理、文証、現証に明らかである。故に、現法主の血脈を否定し、背き、悪口雑言する池田や創価学会が御戒壇様に背いていることは、当然すぎるほど当然であります。
 その現証として、池田も秋谷もその他の者どもも、全く御戒壇様に参詣できない状態を自ら作り出してきたではありませんか。これこそ御戒壇様に背いている明らかな現証であります。
 また、このように歴代伝承の血脈相伝を受けた法主に悪口と悪行三昧を撒き散らす池田とその一味の者に対し、大聖人様の御法魂たる大御本尊様が、けっしてお許しになるはずはないのです。故に、実際に大御本尊を否定しているとも言える、池田大作の「物体」云々という不敬な言辞もあり、創価学会の大御本尊への背反は決定的である、と指摘しておきます。


 日蓮大聖人の時代にも、大進房、三位房等のように、大聖人のすぐそばに居ながら、見事に大聖人を裏切って信徒をいじめた弟子(坊主)がたくさん出現したではありませんか。逆に、大聖人にはほとんどお会いできなくとも、純粋に信じ続けた在家の庶民を、大聖人は抱きかかえるようにして最大に大切にされたではありませんか。

 今も全く同じ構図が見られます。つまり、大御本尊のすぐそばで、大御本尊に完全に背く出家の坊主どもが純粋な在家信徒をいじめているのであり、逆にそれら大御本尊に背く坊主どもの弾圧にも微動だにせずに、大御本尊から遠く離されていても、大聖人の言葉を胸に、広宣流布に前進し続けている在家の学会員がいる訳です。

 創価学会のこのような主張を称して「我田引水」と言うのです。なんでもかんでも、みんな自分が正しいと言っております。
 まず、大進房とは、熱原の滝泉寺の行智と結託して大聖人に弓を引いた人物です。また、三位房については、『聖人御難事』に、
  「はらぐろとなりて大づちをあたりて候ぞ」(御書一三九八)
ということを大聖人は仰せになっており、要するに大聖人に対する敵対の行為があったということがはっきり判ります。この二人の共通点は、正法正義、そして大聖人に背いて邪宗邪義の人と結託したことである。
 この邪宗邪義の者と結託しているというのは、まさに今の創価学会であります。他宗他門へ頭を下げて回って「仲良く、よろしく」と詐り親しんでいる。さらに『中外日報』等を抱き込み、そういう邪宗の新聞と関係を結んび、日蓮正宗に対し虚偽の悪口を徹底的に書き立てさせる。こういう現証、この悪口三昧を書き立てる虚偽の行為は、まさしく平成の大進房であり、三位房である。これが創価学会の所業です。
 それに対して、創価学会の如き名聞名利に囚われず、利欲にこだわらず、七百年来の法統を正しく守り、丑寅の勤行怠慢なく、僧俗一致和合して広布へ前進する現日蓮正宗の僧俗こそ、内と外より宗祖大聖人の御法魂にお仕え申し上げるものであります。
 日蓮正宗を悪逆非道の讒言をもって罵詈誹謗する池田、秋谷、創価学会こそ、大聖人違背の大罪人である、ということを申しておくものであります。


 「霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」(P.756)
  (通解:霊山とは御本尊と日蓮大聖人の眷属で南無妙法蓮華経と唱える者の住所を説くのである。)
  「法華経修行の者の所住の処を浄土と思う可し何ぞ煩しく他処を求めんや」(P.72)
  (通解:法華経を修行する者の住んでいる所を浄土と思うべきである。どうしてわ ずらわしく他の場所を求めることがあろうか。)
  「法華涅槃を信ずる行者は余処に求む可きに非ず此の経を信ずる人の所在の処は即ち浄土なり」(P.72)
  (通解:法華経を信じる行者は他の場所に求めてはならない。この経を信じる人がいる場所はそのまま出浄土なのである。)
とあるとおり、法華経の行者が題目を唱える所こそ霊山浄土であり、大御本尊をエサにした登山の誘いに乗せられ、参拝料等の形で謗法への供養をしようものなら、
  「まことの心なれども供養せらるる人だにも・悪しければ功徳とならず、かへりて悪道におつること候」(P.1486)
  (通解:本当の真心からの供養であっても、供養される人が悪人であれば功徳とはならない。かえって悪道に堕ちることがあるのだ。)
の経文のままに、堕地獄の罰を受けることになってしまいます。大聖人は立正安国論の中で、悪への布施を止めよ!と宣言されているのです。大聖人門下であるならば、どうして日顕宗に供養するようなことが出来るでしょうか。

 ここで創価学会の引く最初の『御義口伝』の一文と、『守護国家論』の二文に示される所は、まさしく日蓮正宗の総本山大石寺であり、また全国の寺院であり、さらに信徒の方々の御本尊安置の場所を言うものであります。また、そういう僧俗の修行の徳を言うものであって、創価学会の似非信者、似非行者のことでは絶対にないのであります。 したがって、彼等の引く『窪尼御前御返事』に仰せの、
  「まことの心なれども、供養せらるゝ人だにもあしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」(御書一五八二)
との御文は、謗法の者に供養することはすべて悪道に堕ちる原因となる旨、教示されたものです。
 故に、創価学会の会館などへ、邪悪の幹部に金儲けをさせるために足を運び、広布ならぬ悪財を捧げることこそ堕悪道であり、反対に、下種三宝まします総本山へ登山参詣の功徳は莫大であることを、はっきり知るべきであります。

 

※『第十項 「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」の妄説を破折する』へつづく

 

 


第十項 「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」の妄説を破折する

1997-10-15 | 創価学会の偽造本尊義を破す

 

第十項

 創価学会が言う「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」の妄説を破折する



  (10)本尊について御書には何と書いているか知っているのか?

 日顕宗は古い葬式仏教の本尊論を振りかざして純真な学会員を騙そうとしますが、そもそも御書に書かれている本尊観・本仏観を根本にすれば全ては明らかになります。しっかりと第三の千年の人間観を打ち立てましょう!

 ここでは「本尊について御書には何と書いているか知っているのか?」という表題で色々なことを言い、相変わらず謗法の我見によって大見栄を切っておるわけです。しかし、真の大聖人様の本尊義は、日興上人より日寛上人乃至、歴代上人へ相伝されております。
 まず、この創価学会の慢な言に対し、彼等が大謗法につながる教学上の悪癖を指摘しておきましょう。それは、法(仏)と機との関係において、機を中心として法を解釈することです。
 具体的には、池田大作如き底下の凡夫が、御書中、下種仏法に約しての御本尊の人法に関する種々の法語を直ちに自分に当てはめ、例えば「人法一体」とは組織と自分の一体化だとか、「倶体倶用」の体とは俺のことだと誇るようなことです。これらを観心偏向と言って、教学上、信仰上のひどい誤りを生じます。すなわち「未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂う」、いわゆる増上慢となり、ついには「謂己均仏」の邪宗禅にも通じて、三悪道に堕すに至るのです。『上野殿御返事』に、
  「日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人々はあしく候げに候」(御書一二一九)
と示されるとおりなのです。この「等」の字は在家を含んでいます。
 すなわち、池田大作の如く、うぬぼれ、慢、臆病、鼻持ちならぬエセ人格、それでいて執拗な我執による確信があるため、その悪縁に連なる者どもの魂を抜いて、利欲生活にからめつつ、勝手次第に引き回し、弟子として悪用します。これが池田創価宗の実体であり、その教学という代物は、自我中心の執着による狂った愚見をいよいよ構築しつつあるのです。
 創価学会が自らの非を棚に上げて三類の強敵なるものを邪想し、法華経の行者の位を勝ち取ったとか、池田が大聖人より二人目の法華経の行者だとか、途方もない大嘘を言い出すのもそれであります。
 「しっかりと第三の千年の人間観を打ち立てましょう」などの自画自賛は、あらゆる宗教、特に日蓮正宗を否定して創価外道宗を打ち立てる野望であり、まさにその愚かな世迷い言を述べているのであります。
 創価学会などは、たかが昭和の初期に信徒の形で現れた団体でありまして、本尊と御書の深い実義の関与にはあずかっていない、表面上の見解のみなのであります。しかるに、「御書には何と書いているか知っているのか」などと、慢千万にも御書の文証の一部分だけを頼りにしている。しかし、御書の素人読みによる観心偏向は、かえって我意・我見や邪見を増すのみであり、池田や秋谷の言う「御書根本」の狂いは、まさにその好い例であります。
 御書においては、三大秘法、御一代の施化において順序次第がある。また、開合があり、附文・元意があり、文義の隠顕があり、三重秘伝、教相・観心、仏意・機情、文・義・意等、重要な意が含まれているのであって、これらの大切な所伝を日興上人は、
  「御抄を心肝に染め極理を師伝して云云」(同一八八四)
と仰せであります。
 すなわち、これらの御書の解釈の始末と、さらに本尊、三大秘法の実体・実義は、ただ日蓮正宗にのみ存するところであります。創価学会は、ただやみくもに文を挙げ、曲がった信心を自覚せず、「信心をもって南無妙法蓮華経と唱えれば、我等は仏である」という無知を顕しているのであります。
 思うに、あらゆる日蓮門下の邪宗も、すべて御書を根本と称しているのです。しかるに、その解釈、立て方が中心を外れて狂っておる故に邪義となっておるわけです。創価学会の「御書根本」も、我見をもって中心の相伝血脈の法義に逆らう故に、すべての文の解釈が仏法上の正しい深意に背き、能所混乱となり、狂ってきておるのである、ということを申し述べておきます。


  ①「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(P.760)
  ②「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(P.1244)
  ③「所詮妙法蓮華経の当体とは法華経を信ずる日蓮が弟子檀那等の父母所生の肉身是なり」(P.512)
  ④「此の三身如来全く外になし我が身即三徳究竟の体にて三身即一身の本覚の仏なり」(P.412)
  ⑤「我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり」(P.1304)
  ⑥「過去久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」(P.1446)
  ⑦「無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり」(P.754)
  ⑧「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ(中略)凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」(P.1358)
  ⑨「法体とは南無妙法蓮華経なり」(P.709)
  ⑩「法体とは本有常住なり一切衆生の慈悲心是なり」(P.711)
  ⑪「如来とは本法不思議の如来なれば此の法華経の行者を指す可きなり」(P.772)
  ⑫「法華の行者はかかる大難に値うべしと見えたり、大難に値うを以て後生善処の成仏は決定せり」(P.825)
  ⑬「法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし」(P.230)
  ⑭「今日蓮等の類の意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮が弟子檀那等なり、されば無作三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(P.752)
   (注・各引用文先頭の丸数字は、読者の便宜のため、文責者が挿入した。)

 ここでは手当たり次第に御書の十四文を羅列しており、その一々について特に創価学会の付け加えも解説もないのですが、これらの御文に対する彼等の解釈には、その根本に観心偏向、未得謂得、未証謂証の慢者たる池田の流れを汲む錯乱ある故に、仏法の本義・大義をもすべて自己の所有とする我所見となり、大なる如き破法が存在することは、推測に難くありません。
 したがって、差し当たり、この諸文についての正式の解釈をごく簡略に述べ、顛横の見解に対する頂門の一針とするものです。まず、
 最初①の文は『御義口伝』の文で、下種本仏宗祖大聖人の法華経の行者の深い御内証を、末法弘通三大秘法の随一たる本門の本尊として示されたのです。
 ②番目は『日女御前御返事』における、末法の正しい大聖人の御本尊による二而不二の衆生の大功徳を示された文で、池田崇拝の邪信・創価学会の者どものことではありません。
 ③番目は『当体義抄』の文で、下種本門事行の上の妙法受持の功徳を仰せられています。これも正法正師の正義に基づいて、初めて可能なのです。
 ④番目は『一念三千法門』の文で、佐前早期の御書のため、直ちに本門の構格による妙法受持の法軌を示されず、天台の理の一念三千を一歩進めて本門の仏身に論及される観念成仏(受持成仏に対する)の文です。故に、
  「是をしるを如来とも聖人とも悟りとも云ふ」(御書一〇七)
と仰せなのです。しかし、その元意に寿量文底の妙法受持、事行の一念三千成仏義が秘められているのです。この文をもって、短絡的に「我が身が三身即一の仏身」などと言うのは、野狐禅の素人法門となるのです。
 ⑤番目は『阿仏房御書』の文で、大聖人の直弟子として南無妙法蓮華経と久遠元初名字の妙法を唱える、宝塔寂光の住処の功徳を示し給うのです。
 ⑥番目は『船守抄』で、これも文の表面にのみ引っ掛かる創価学会の者どもの短絡的な迷いに陥り易い文ですが、この「衆生」とは宗祖大聖人の下種本仏の御内証、三身即一身の上の法身、すなわち、宗祖大聖人の己証なのであり、創価学会の如き邪信の衆生のことではありません。
 ⑦番目の『御義口伝』寿量品の文は、南無妙法蓮華経の宝号を持つ本仏大聖人の弟子・檀那の当体蓮華仏たる功徳を示された文です。この「弟子」とは、続いて「檀那」という語があるから、この場合は出家を意味します。下種仏法の万年流伝中、僧としての出家は欠くべからざる存在で、これを否定し、悪し様に罵る創価学会は、弟子の資格も檀那の資格もなく、この文意から全く外れているのです。
 ⑧番目は有名な『諸法実相抄』の文で、体本用迹に約して久遠元初人法一箇の本仏と色相荘厳の釈迦・多宝との本迹の違いを判ぜられたのです。この、
  「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし云云」(同六六五)
とは、『総勘文抄』の、
  「釈迦如来五百塵点劫の当初、凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知ろしめして即座に悟りを開きたまひき」(同一四一九)
と示された、凡夫即極久遠元初自受用身のことであり、一般の凡夫のことではありません。まして十四誹謗のすべてに当たる、池田大作・創価学会のことではないのは当然です。池田大作・創価学会は、この「凡夫」を直ちに自分達のことだと短絡しているのです。
 ⑨番目に挙げているのは『御義口伝』の冒頭の文です。附文の辺は法華経品々の題目ですが、元意の重では久遠名字の妙法、三大秘法惣在の南無妙法蓮華経なのです。この「法体」を一般凡夫とか創価学会員と言うのは、前者は約理のみの見方、後者は謗法・破法の滅徳により該当しないのです。
 ⑩番目はやはり『御義口伝』に「仏所護念」を説かれるなかで、護念の体を南無妙法蓮華経と示されて七種に約釈されるなかの第六・法体に約すの文です。これは久遠本仏の常住三身相即中の法身、応身の内容を示されたものであります。本仏妙悟の法界中の衆生なのであり、そこに具する本有の慈悲なのです。謗法の創価学会の者どものことではありません。三世を貫く一切衆生の仏性を仰せなのです。
 ⑪番目の『御義口伝』の文は、まさしく如来の持ち給う一切衆生引導の大施主の意義を御指南であり、特に末法出現の上行菩薩たる大聖人御自身を仰せであります。池田大作のことではありません。
 ⑫番目の文は『御講聞書』の法華経の行者に関する大難の文で、この総意は特に『開目抄』に明らかです。十四誹謗の創価学会とは、全然、懸け離れた御文です。
 ⑬番目の『開目抄』の御文は、大聖人様がまさしく法華経の行者であることを決定あそばす、重大な条件を示し給う文です。池田大作や創価学会は、この「三類の怨敵」の一分であり、それは勧持品の三類を示す経文にまことに明らかです。まして彼等が法華経の行者の位を勝ち取るなど、天をも望む莫迦さ加減であり、自らの数々の悪心・悪業を反省しない外道なのです。
 ⑭番目の文は『御義口伝』寿量品の、如来に関する総別を示し給うのですが、その主旨は前にも論じた如く、本仏日蓮大聖人と、その教えを正しく持ち、真の広布に向かう日蓮正宗の僧俗のことなのです。もちろん、別して究竟即の無作三身とは、一天に二日なく、三世にただお一人の法華経の行者・宗祖大聖人であります。池田大作が身のほども顧みず「大聖人より二人目の法華経の行者」などと言い、また、会員に言わせることは、この御文の正意に背く大謗法なのであります。
 以上、ごく簡略に彼等の挙げる文について、その邪解を見越した意味から正義を述べましたが、このように、本尊人法の法体、修行、開合、境智冥合等の文義を順序不同に羅列するところ、山に入って山を見ざるが如く、その誇示し誇揚するところの「御書根本」というものは、深く信によって拝さねばならぬ尊い大聖人の御書の文義を、自己中心の観心偏重の邪義をもって能所を混乱する三宝背反の解釈にある、と断ずるものであります。
 もちろん、これらの御書の解釈の正義と、本尊、三大秘法の実体・実義は、ただ日蓮正宗にのみ存するところである、ということを申し述べておきます。
 要するに、創価学会が、日寛上人書写の、大行阿闍梨本證坊日證師に授与された本尊を勝手に印刷し会員に配布することは大謗法であるが、さらに克明に数えれば、次の如き謗法の理由が存するのであります。
 一つには、血脈相伝の大義、下種三宝の御法魂に背き、仏意に反する。したがって、その形骸のみの本尊に仏意と三宝の法魂は全く存在しない。故に三宝欠除の『ニセ本尊』である。
 二に、歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は現法主の承るところにあり、その大義に背いて血脈上の本尊を勝手に作るのは、池田と創価学会の魔性が入っている故に魔性・魔心『ニセ本尊』である。
 三に、日寛上人も代々の血脈伝承によって本尊を書写せられているのです。その血脈上の本尊を邪まに掠め取るのは簒奪の所業であり、したがって無許可簒奪の『ニセ本尊』である。
 四に、その資格のない者が、勝手に血脈上の本尊を印刷、配布するは、つまり授与するのは血脈相伝の仏法上の道義に反します。すなわち非道の『ニセ本尊』である。
 五に、無知の会員を誑かすため、形のみ似せた本尊を示すは、仏法の精神なく形骸のみであり、唯物形骸の『ニセ本尊』である。
 六に、日寛上人は本来、大行阿闍梨本證坊日證師に授与されたのであり、その授与書きを勝手に抹消し、変造しています。すなわち、ほしいままに本尊を変造する大逆であり、変造の『ニセ本尊』と言うべきである。
 七に、日寛上人の書写本尊を用いつつ、日寛上人の御意志、大行阿闍梨本證坊日證授与のお心、すなわち、日寛上人に背く背逆の『ニセ本尊』である。
 八に、長い間、池田や創価学会で言ってきた宗門の法主への血脈尊敬と、近年まで現法主の書写本尊を信仰せしめてきた現実に矛盾する。これ、矛盾撞着・自語相違の『ニセ本尊』である。
 また、創価学会が自らを「未曽有の仏意仏勅の団体」と言うのが、そもそも大きな誤りであります。本来の仏意仏勅、広布の宗団は日蓮正宗であり、創価学会はその派生団体に過ぎないのです。
 その派生団体も、本体の血脈仏勅宗団に従っているうちは、仏勅団体の一分の意義があったけれども、池田を中心とする悪逆・背反が明らかとなって以来、全く仏意仏勅団体の傘下より懸け離れた謗法団体となったのであります。だから創価学会が、自ら仏意仏勅団体であると自画自賛しているが、これは慢であり、うぬぼれであります。
 故に、創価学会が、大聖人直結の信心の血脈があるところに本尊授与の資格があるとの理由により本尊を作るということ自体、大謗法であります。
 そういうところから、もう一つ見方を変えて、十四誹謗のほうから考えますと、創価学会は、
 一に、自ら本尊に関する権能がないにもかかわらず、ありとする思い上がりは「慢謗法」である。
 二に、正しい大聖人の本尊の伝承は、七百年来、血脈法水にあるにもかかわらず、これを無視して本尊偽造を企てるのは「計我謗法」である。
 三に、下種三宝万年の相伝を否定し、その本義に背いてよしとするは、三宝の深義を知らぬ「浅識謗法」である。
 四に、宗門を恨み、貪瞋癡の三毒の感情をもって本尊を変更すること、また、それによる利得を図るは、共に貪瞋癡の「著欲謗法」である。
 五に、下種三宝の正流を信ぜず、背逆の本尊を作るは「不信謗法」である。
 六に、下種三宝の正流が三世常住である鉄則を、ありうべからずと疑うのは「疑惑謗法」である。
 七に、下種三宝の正流を悪口罵詈、妄語をもって謗り、その結果として『ニセ本尊』を作るのは「誹謗謗法」である。
 八に、「軽善」「憎善」「嫉善」「恨善」は、すべて下種三宝と御本尊の正脈に対する背反であり、『ニセ本尊』の作為はまさにこの四つの誹謗に当たっておるということを申し上げて、創価学会の『ニセ本尊』についての十カ条に関する、私の破折とする次第であります。

(文責・大日蓮編集室)