生命エネルギーである霊魂には老いも死もない。
そのため、常に若々しくある。人間の肉体にたとえれば二十歳くらいの若さ。
人間の肉体は物質であるために永遠ではない。必ず滅っする。物理には制限がある。
意識という霊魂は物質ではなく、物理の制限は受けない。永遠なる存在である。
老若関係なく死んでも、どちらも二十歳くらいの若さのエネルギーの輝きとなる。
大小はある。人生経験の長短にも由るものの、エネルギーの真実の悟りにあるか否かにもよる。
小さくとも輝きの鋭いエネルギーと、大きくとも輝きの鈍いエネルギーがある。
これは、エネルギーの真実の覚りによる。
霊魂、その意の識するところが要である。
人間という動物に宿して、その感覚を受して、勘を養う。
個人個人のコツを道理に学び、得るのである。物理に宿る訳である。
して、意識が物理の制限から離れた時、唯識と覚っていれば、真実の自由を得る。
そもそも霊魂、意識に遮はない。障壁、隔たりを生むのは意識の誤りからである。