さぁ、3月、弥生となった。
字のごとくいよいよである。右も左も覚悟をもって迎えることである。
その覚悟は、悪事には悲惨にしての心構え、善事には好ましい心構えである。
どちらも足をしっかり地につけて身構えることである。でなければ、驚きのあまり倒れてしまうからである。
涙に嬉し涙と悲しみ涙があるように、涙は同じに見えても、全く逆としてある。
それが世のありのまま、どう見るかは人の自由。だから、諦かに見れなければならない。そうでなければ
ありのままに騙される。
季節は弥生、弥栄にある。生命がもえるのである。
一つ、高い学歴があり、学識豊かであって、経歴が好くあっても正しいとは限らない。
まして、金融支配社会、金の奴隷となっている学者もいる。御用学者である。尤もらしく鞭撻する。
多くはその肩書に騙されて信じる。いい社会的地位に騙されてしまうのである。
今の社会、大企業、団体と名の付く不祥事多々ある。特に政治家の不祥事、何年も前からと知らされても、その言い訳に騙されてしまうのは、
甚だいかん。洗脳とはかくも恐ろしいことだ。二度と有ってほしくない事と言いながら、何度となく繰り返される。
特にも国を司る、治めるところにあっては許されてはならない。でなければ日本丸という船は沈没する。
大きいところは正しいというのは正しくはない。不祥事が起こっている事態が真実である。