つらいと思う日々に

いたずらにわが身世にふる・・・

弥栄

2024-03-01 | Weblog

さぁ、3月、弥生となった。

字のごとくいよいよである。右も左も覚悟をもって迎えることである。

その覚悟は、悪事には悲惨にしての心構え、善事には好ましい心構えである。

どちらも足をしっかり地につけて身構えることである。でなければ、驚きのあまり倒れてしまうからである。

涙に嬉し涙と悲しみ涙があるように、涙は同じに見えても、全く逆としてある。

それが世のありのまま、どう見るかは人の自由。だから、諦かに見れなければならない。そうでなければ

ありのままに騙される。

季節は弥生、弥栄にある。生命がもえるのである。

一つ、高い学歴があり、学識豊かであって、経歴が好くあっても正しいとは限らない。

まして、金融支配社会、金の奴隷となっている学者もいる。御用学者である。尤もらしく鞭撻する。

多くはその肩書に騙されて信じる。いい社会的地位に騙されてしまうのである。

今の社会、大企業、団体と名の付く不祥事多々ある。特に政治家の不祥事、何年も前からと知らされても、その言い訳に騙されてしまうのは、

甚だいかん。洗脳とはかくも恐ろしいことだ。二度と有ってほしくない事と言いながら、何度となく繰り返される。

特にも国を司る、治めるところにあっては許されてはならない。でなければ日本丸という船は沈没する。

大きいところは正しいというのは正しくはない。不祥事が起こっている事態が真実である。

 

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