まりっぺのお気楽読書

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スコットランド王ジェイムズ1世王女 イザベラ

2015-11-05 22:00:24 | スコットランド王妃・王女
実家に寄りつかなかった王妃
ジェイムズ1世王女 イザベラ・オブ・スコットランド
ブルターニュ公フランソワ1世夫人


1426~1494

ロバート1世王女マージョリーの後は、名前と嫁ぎ先はわかるのですが
特にエピソードがないので箇条書きでだだっと紹介します。
嫁ぎ先はほとんどが国内の有力貴族なので省略します。

ロバート1世と二人目の妃エリザベス・ドゥ・バラには二男二女のお子がいました。
長女はマーガレット、次女マティルダ、二人は1515年~1518年の間に生まれています。
エリザベスがイングランドから解放された後ということになりますね。

デイヴィッド2世とジョアン・オブ・イングランド、それからマーガレット・ドゥラモンドには
嫡子がありませんでした。

ロバート2世とエリザベス・ミュアには、マーガレット、マージョリー、ジョアンナ、イザベラ
キャサリン、エリザベスという王女がいました。
二人目の妃ユーフィミア・ドゥ・ロスには、エリザベスとエギディアの二人。

ロバート3世とアナベラ・ドゥラモンドには、マーガレット、メアリー、エリザベス
エギディアの4人。

なお、列記した王女たちの何人かがダグラス姓の貴族と結婚しています。
ダグラス家の家系図は、もしかするとスコットランド王家より面白いかもしれません。
でも女性陣のエピソードが少ないのよね。 機会があったらいつか…

やっとジェイムズ1世です。

ジェイムズ1世とジョアン・ボーフォートには、二男六女のお子がいました。
長女マーガレットは、フランス王ルイ11世妃になります。

さぁ、次女イザベラですよぉ。
       
イザベラはマーガレットより美しかったと言われています。

ブルターニュ公ジャン6世は、イザベラを息子の嫁にしましょう…と考え
外交官たちにイザベラのポートレイトを送らせました。
彼らは帰国すると、確かにイザベラは噂どおり美しくて優雅だが
ちょっと “ おバカさん ” かもしれない…と報告したそうです。

ブルターニュ公は「よっしゃ!」って感じで、すぐイザベラを連れて来いと命じました。
「イザベラ以外に考えられない、賢い女よりよっぽどいい」って言ったそうです。

フランソワとイザベラの祝宴は8日間も続いたそうですよ!
よっぽど嬉しかったらしいですね。

おバカさんよばわりされたイザベラですが、詩の才能はあって
これは父親ゆずりだそうです。
姉のマーガレットの死に際して書いたイザベラの詩は、今でも残っているそうです。

1450年、夫フランソワの死をうけて、イザベラの弟のスコットランド王ジェイムズ2世は
しつこくイザベラにスコットランドへ戻って来るよう説得します。
イザベラはまだ24歳、政治的に利用しようと思ってたに違いないですよね。

でもイザベラは、帰国を断固拒否します。
ブルターニュの方がスコットランドより楽しく、人気もあったみたいです。

また、ジェイムズ2世が約束の持参金を払ってくれないとグチをこぼしていたそうで
その仕返しもあったかもしれませんね。

1494年に68歳で亡くなりますが、イザベラは40年ぐらい「私は病気なの!」と
おおげさに言い張っていました。
小説とかでよく、病気を盾にワガママを通そうとする女性が登場するんですけど
そんな感じですかね?

なんだか姉とは正反対ですね。
イザベラがフランス王妃になれば良かったのかもしれないね。

(参考文献 森譲氏『スコットランド王国史話』 Wikipedia英語版)

ひとことK-POPコーナー
わたくし、メンバーの名前をやっと覚えたばかりで、タイトル曲しか知らず、もちろんコールも知らないのですが
明日東京ドームにEXO観に行って来ます。 でもSMTOWNで楽しかったから、きっと楽しいと思ふの…

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