一瞬の王座
アマデオ妃 マリア・ビクトリア・デ・ボッツォ
1847~1876/在位 1870~1873
成り行きが良く分からんのですが、イサベル2世が失脚すると反対派は
イサベルの息子アルフォンソではなくて、サヴォイア家からアマデオを迎えました。
なぜかしら? 家系図を辿っていってるんですけど私には繋がりが見いだせません。
アマデオの父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はイタリア統一を成し遂げていますが
その手腕が買われて息子に白羽の矢がたったのかしら?
それともナポレオンがらみ?
しかし混乱状態のスペイン、1870年に即位したアマデオは
3年でリタイアしてイタリアに去りました。
即位前の1863年にチステルナ公子の公女マリア・ビクトリアと結婚しています。
式にはイタリア中の名だたる人たちが集まったらしいですよ。
スペインからイタリアに戻って3年、29歳で亡くなりました。
ナポレオン一族というだけで・・・
アマデオ妃 マリア・レティシア・ボナバルテ
1866~1926/在位せず
この方、Wikipediaの英語版がなくてフランス語じゃさっぱり分からないので
書くことがないんですけどナポレオン一族ということは分かりました。
母クロチルダはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の王女で
アメデーオとは伯父と姪の関係になります。 1888年に結婚したらしいです。
ところで、この時期名だたる名家の子女たちがナポレオン家に嫁いでいます。
初婚もいれば再婚の場合もありますが、たぶんヨーロッパを席巻したナポレオンが
我が家にハクをつけるためにいろいろと縁組みしたものだと思います。
選ばれちゃった家はいやだったでしょうねぇ~
あんな成り上がりに! と思いつつ恐ろしくて断れないし…
誰を嫁に出すかでかなりもめたんじゃないかしら?
* その後英語版が登場してました
今さら、って気もするので機会があればご紹介したいと…(2010.5)
(参考文献 Wikipedia英語版)
アマデオ妃 マリア・ビクトリア・デ・ボッツォ
1847~1876/在位 1870~1873
成り行きが良く分からんのですが、イサベル2世が失脚すると反対派は
イサベルの息子アルフォンソではなくて、サヴォイア家からアマデオを迎えました。
なぜかしら? 家系図を辿っていってるんですけど私には繋がりが見いだせません。
アマデオの父ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世はイタリア統一を成し遂げていますが
その手腕が買われて息子に白羽の矢がたったのかしら?
それともナポレオンがらみ?
しかし混乱状態のスペイン、1870年に即位したアマデオは
3年でリタイアしてイタリアに去りました。
即位前の1863年にチステルナ公子の公女マリア・ビクトリアと結婚しています。
式にはイタリア中の名だたる人たちが集まったらしいですよ。
スペインからイタリアに戻って3年、29歳で亡くなりました。
ナポレオン一族というだけで・・・
アマデオ妃 マリア・レティシア・ボナバルテ
1866~1926/在位せず
この方、Wikipediaの英語版がなくてフランス語じゃさっぱり分からないので
書くことがないんですけどナポレオン一族ということは分かりました。
母クロチルダはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の王女で
アメデーオとは伯父と姪の関係になります。 1888年に結婚したらしいです。
ところで、この時期名だたる名家の子女たちがナポレオン家に嫁いでいます。
初婚もいれば再婚の場合もありますが、たぶんヨーロッパを席巻したナポレオンが
我が家にハクをつけるためにいろいろと縁組みしたものだと思います。
選ばれちゃった家はいやだったでしょうねぇ~
あんな成り上がりに! と思いつつ恐ろしくて断れないし…
誰を嫁に出すかでかなりもめたんじゃないかしら?
* その後英語版が登場してました
今さら、って気もするので機会があればご紹介したいと…(2010.5)
(参考文献 Wikipedia英語版)
なので、一応スペイン王家の末裔ということでイサベル2世失脚後の王として担ぎ出された模様です。
そうでしたか? 繋がりましたか?
ありがとうございます。
私ったら、今度調べますとか、いつか探してみますとか言って何もせず… 書きっぱなしですみません
反省…