京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

葵祭は雅の世界(後編)

2007年05月17日 05時04分33秒 | 行事


昨日の続き。
でも、斉王代行列は葵祭のメインではありません実は本来、葵祭の目的は行列ではなく、神前で祭文を読み上げ、供物や舞を奉納する「社頭の儀」だとされています。
つまり、斉王代行列は「社頭の儀」をとりおこなうまでの道中の儀というわけなのです。



葵祭は、今から約1400年前の欽明天皇(540~571年)の時代に、大凶作に見舞われ疫病がはやりました。天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々の祟りであるというので、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源なんだそうです。



葵祭の名の由来は、祭りの当日に御所内裏の御簾をはじめ、牛車、勅使、行列の人々の冠や装束、牛馬など全てを葵の葉で飾ったことによっています。葵の葉を飾るのは一説では、上賀茂神社の祭神「別雷神(わけいかずち)」が生まれた御形山(みあれやま)に、双葉の葵が生じた話からきているといわれています。





もうひとつ「斎王代」ってなんやねんという疑問がわきませんか?
斎王とは、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことなんです。
その斎王さんが直々に来る訳にもいかんので、その斎王さんの代行ということなんです。
※内親王(ないしんのう、うちのみこ)/は親王宣下をうけた女子の皇族。天皇の姉妹や皇太子の姉妹。



※今日のお菓子



鶴屋吉信「王朝花傘」
葵祭に因んだお菓子。上の写真の傘を表現してあるのか。納得。



こなしで、中身は、白こし餡。
コメント (2)
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