昨日の続き。
でも、斉王代行列は葵祭のメインではありません実は本来、葵祭の目的は行列ではなく、神前で祭文を読み上げ、供物や舞を奉納する「社頭の儀」だとされています。
つまり、斉王代行列は「社頭の儀」をとりおこなうまでの道中の儀というわけなのです。
葵祭は、今から約1400年前の欽明天皇(540~571年)の時代に、大凶作に見舞われ疫病がはやりました。天皇が占わせたところ、この災いは賀茂の神々の祟りであるというので、天皇が勅使を遣わし、祭礼を行ったのが葵祭の起源なんだそうです。
葵祭の名の由来は、祭りの当日に御所内裏の御簾をはじめ、牛車、勅使、行列の人々の冠や装束、牛馬など全てを葵の葉で飾ったことによっています。葵の葉を飾るのは一説では、上賀茂神社の祭神「別雷神(わけいかずち)」が生まれた御形山(みあれやま)に、双葉の葵が生じた話からきているといわれています。
もうひとつ「斎王代」ってなんやねんという疑問がわきませんか?
斎王とは、かつて伊勢神宮や賀茂の神社に奉仕した未婚の内親王、女王のことなんです。
その斎王さんが直々に来る訳にもいかんので、その斎王さんの代行ということなんです。
※内親王(ないしんのう、うちのみこ)/は親王宣下をうけた女子の皇族。天皇の姉妹や皇太子の姉妹。
※今日のお菓子
鶴屋吉信「王朝花傘」
葵祭に因んだお菓子。上の写真の傘を表現してあるのか。納得。
こなしで、中身は、白こし餡。