細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●『たかが世界の終わり』に見られる<家族>という他人の冷酷さ。

2016年11月28日 | Weblog

11月21日(月)13-00 外苑前<GAGA試写室>

M-150『たかが世界の終わり』" It's Only The End of The World " (2016) Seville International, France 2 Cinemas / Canal+

監督・グザヴィエ・ドラン 主演・ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール <99分・ビスタサイズ> 配給・GAGA

いま、いちばん早く見たい監督の映画なので、とにかく最優先で試写室に駆け込んだら、やはり、同じような考えの人が多くて、試写室は開場時で満席。

昨年に見た『Mommy/マミー』の感動が鮮烈だったこともあるが、とにかく映画を見ていて、自分の脈拍と同じ情感の伝わる、という非常な魅力の映画監督なのだ。

ストーリーは実にシンプルで、ここでも少人数の家族の、それぞれの感情の行き違いと、根本的な憎悪と亀裂が、まるで自然災害のように、この家族を飲み込み流し去る。

12年もの間、家族とは離れてパリで作家として成功しているギャスパーはゲイで、恐らくはそのことが家族と疎遠になっていた原因なのだろうが、きょう突然、家に帰ってきたのだ。

「話したいことがある・・」という彼には、死を覚悟したような、絶望しきった表情が見られるが、それが大病なのか、自殺を覚悟しているのかは、最後まで判らない。

ドラマは、その彼の告白の瞬間を待つ様に緊迫していくが、長い間の空白のあとの突然の帰還には、家人がそれぞれに複雑な反応を持っていて、それが家族の崩壊を暗示していく。

見ている我々は、どのシーンで重大な発言をするのかを待っているのだが、あまりにも長い空白だったせいか、なかなか家族みんなが同じテーブルにつかない、そのもどかしさがつのる。

庭先でのブランチの席で、彼は切り出そうとするが、昔からゲイの弟に敵意を持っている兄のヴァンサン・カッセルは、その<かくも長い不在>をネタにして弟の発言に邪魔するのだ。

その倹悪な雰囲気にはいたたまれずに、それぞれ家族が、別々の感情でテーブルを離れ、母のナタリー・バイだけが帰って来た弟の心の痛みに気をつかうが、溝は深まるばかり。

「お前は、いったい何をしに来たのだ・・・」と捲し立てる兄の暴言に、話のきっかけをつかめないギャスパーは、この他人の家族のような現実の冷たさに、ますます萎縮していくのだ。

とうとう傲慢な兄は、業を煮やして、弟の宿泊も拒否して強引に空港に連れ去るべく車のスピードを上げて行く・・・、このあまりにもチグハグな家族の、それぞれのエゴが刺々しく痛い。

あの「過ぎ去りし日の・・」の自動車事故を予感させるサスペンスだが、その合間には意外にもソウルフルなリズムのサウンドが流れて、またしてもドラン監督は見るものを翻弄していく。

ラストはネタバレになるので書けないが。それぞれ家人が好演する、この感情のズレは、トリュフォー監督の「大人は判ってくれない」や「隣の女」などのように、刺々しく痛ましい。

今年のカンヌ国際映画祭でのグランプリ受賞には、心から拍手をしたい、見事に圧倒的な映画的な魅力と迫力!!!、拍手。

 

■まさかの初球を叩いてのレフト中段へのホームラン。 ★★★★☆☆☆

●2017年2月11日より、ヒューマントラストシネマ有楽町などで、ロードショー 


コメントを投稿