細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』の大いなるリアル虚像ミステリー。

2015年08月31日 | Weblog

8月27日(木)13-00 京橋<東京テアトル試写室>

M-108『ヴィヴィアン・マイヤーを探して』" Finding Vivian Maier " (2013) Revine Pictures LLC. / Hanway Films

監督・脚本・ジョン・マルーフ+チャーリー・シスケル 写真・ヴィヴィアン・マイヤー <83分> 配給・アルバトロス・フィルム

「デボラ・ウィンガーを探して」という映画が10数年前にあったが、あれは仕事がなくなった女優を追っていたが、こちらは無名写真家の亡霊を追う。

この作品の発端は、監督のジョン・マルーフが、たまたまシカゴのフリーマーケットで見つけた、ガラクタのスーツケースに入っていた、未現像の35ミリフィルムの山だった。

面白半分に現像してみたら、それは70年代のニューヨークを中心に撮影されたストリート・スナップで、誰が何の目的で撮影したのか判らぬままにセレクトしてみた。

ところが、この無造作なスナップ写真の山は、どこかダイアン・アーバスやシーラ・メッツナーなどの流れをくむような興味のあるもので、いくつかのトランクから発見されたフィルムには輝くものがあった。

そこで発掘家の趣味で、ジョンは山ほどもあったネガをプリント整理して、友人のチャーリー・シスケルと共同で、この汚れたトランクの出先を探り、これが死亡したダイアンのものだったと知った。

ニューヨークのストリート・シーンを撮ったカメラマンというのは、わたしのような趣味的な人間も含めると、世界中にヤマほどいるだろう。

つい先日公開された「アドバンスト・スタイル」などは、まさにそのターゲットになるべき老嬢ニューヨーカーたちが写されていたが、ヴィヴィアンの写真も多くの通行人を写していたのだ。

いまなら監視カメラが随所にあるから、このような街の写真には驚かないが、彼女が撮っていた写真は、まさに目立たない人々であって、しかもそれを現像すらしていなかった、という謎。

だから、映画の魅力は、彼女の隠された才能ではなくて、どうして、このような膨大な写真を撮っていながら、現像し、発表しなかったのか・・・という、そのミステリーの方が面白い。

いろいろな周辺の関係者のインタヴューで見えて来るヴィヴィアンの肖像というのは、街の店頭の鏡に映っていた多くの自画像でも見えてくる様に、かなりエキセントリックなのだ。

とにかく対人関係が苦手で、定職にはつけずに、知人の紹介で近所の家族の使用人として、子育て、トイレ掃除、家事全般などを手伝って、かすかな駄賃でフィルムを買っていたのだろう。

しかしカメラは、ローライフレックスの二眼の高級品。どこかの質流れでも買ったのだろうか、このカメラだと対人で目線を合わせることもなく、被写体にはシャッターも気づかれない。

どうやら彼女は一種の精神障害者。つまり統合失調症で、自室にはゴミの山を作り、当然の天涯孤独で栄養失調、突然の失神で救急車で搬送され、誰にも看取られずに死亡したのだという。

 多くの優れた作品そのものよりも、実に孤独で異常な人間観察をしていた稀有のフォログラファーとして、ヴィヴィアンという女性のミステリーとして興味深かった。

 

■左中間をゴロで抜けたツーベースヒット。 ★★★☆☆

●10月10日より、渋谷シアター・イメージ・フォーラムでロードショー 


●『ラスト・ナイツ』は豪快エスニック風味のチューシングラ。

2015年08月29日 | Weblog

8月25日(火)13-00 外苑前<GAGA試写室>

M-107『ラスト・ナイツ』" Last Knights " ( 2015) Lionsgate , DMM .com, Luka Productions

監督・紀里谷和明 主演・クライブ・オーウェン <115分> 配給・KIRIYA Pictures / GAGA

あの『CASSHERN』や『 GOEMON』などの劇画アクションで定評のある紀里谷監督が、何と5年もの歳月をかけて作ったハリウッド・アクション。

まさに「ラスト・サムライ」と同じようなテーマだが、恐るべし「最後の忠臣蔵」のように、あの「47RONIN 」に負けじと、忠臣蔵をベースに作った新作。

ハリウッドがキアヌ・リーブス主演で「47 RONIN」を制作していた時に、テーマがバッティングしている関係で、なぜか完成が遅れていたという問題作。

なにしろ、この手のハード・アクションには定評のあるクライブ・オーウェンが主演というので、勝手に心配して見たが、これは国籍不明な中世剣劇のダーク・フィルム。

時代は中世らしいが、とある封建国家の御家騒動ぶりは、まさにシェークスピアの重厚な「リチャード三世」や「ヘンリー五世」などを思わせる雰囲気で息苦しいのだ。

撮影はチェコで行ったらしいが、人件費はもちろん、異様な中世風な古城や、その周辺の森林も、まさに紀里谷監督の狙ったような暗黒世界で、いちども太陽の光のない世界。

またしてもモーガン・フリーマンの重厚なナレーションと僧侶のような扮装で、その暗い城内のドラマは圧倒的にリアルで、まるであの「薔薇の名前」のイメージで圧倒するのだ。

ま、ストーリーは城内の権力闘争であって、さすがに重厚な演劇本格派がキャスティングされていて、舞台劇のような演技とライティングで、オペラの舞台のような重みは本格的。

実に久しぶりに、あの香港の美男、アン・ソンギが、何ともご無沙汰のあいだに老年のジーさんになって顔を見せたのは懐かしくも嬉しかった。

かなり演技本意で選択されたキャストは国際色豊かで魅力的だが、まるでチェコでの冬期オリンピックのような異文化混合のエスニック感覚には、どこか劇画の実写映画のような軽さもあって、不思議な味わい。

基本的には日本刀での殺法のような太刀さばきアクションなので、やはり「忠臣蔵」の中東版という印象か、まったくユーモアの入り込む余地のないお家騒動なので、見ている方もバテテしまう。

ベルトルッチの「ラスト・エンペラー」のような仕上がりを期待すると、この息詰まる暗黒ワールドには、派手なチャンバラのアクションも豊富でいいが、バテバテになるようだ。

 

■大きなファールで粘ったのだが、豪快なライナーはセンター正面。 ★★★☆

●11月、TOHOシネマズ スカラ座でロードショー 


●『ted 2』のテディ・ベアは結婚騒動で人権裁判となる。

2015年08月27日 | Weblog

8月20日(木)13-00 半蔵門<東宝東和映画試写室>

M-106『 T E D -2』(2015) Universal International Studios / MRC 2 Distribution Company

監督・セス・マクファーレン 主演・TED、マーク・ウォールバーグ <116分> 配給・東宝東和

3年前に公開された「テッド」は大ヒットして、この不良なテディ・ベアは一気に人気者になり、創作者のセスは、第85回アカデミー賞の司会もした。

たった一本の映画で、これほどの人気者になったキャラは、ちょっとディズニーのスタジオにもいないだろうが、その人気は、柄の悪さと品のなさと、その毒舌だろう。

とにかく1985年に、イジメでひとりぼっちの少年のベッドに突然現れた大きな熊のぬいぐるみの<テッド>は、まさにピノキオのように少年の親友になったのだった。

普通なら、その少年期の夢のアイドルとして消える筈のテディ・ベアは、少年が成人して、しかもダサい中年独身男のマークとともに、もう30年以上も一緒に暮らしているのだ。

この異常な設定は、ただのボーイズ・ムービーではなくて、かなり不良な<バッド・バディ>としてのポジションを確保して、大いにアダルトなファンをゲットしての、再登場。

ま、おそらく、この<パート2>に興味を持つのは、あの「テッド」のデビュー作を見てしまった不運な人だろうが、まさに、あのクレイジーでエッチな状況はエスカレート。

というのも、結婚生活が日常的な危機のマークの、永遠の親友TEDまでが、パート先のスーパーで知り合った女性にプロポーズして結婚することになって大事件発生。

しかしボストンの市役所は、テッドの人権を認めないので、ぬいぐるみは<物>であると判断して、結婚の許可は出さないこととなり、テッドは激怒。さあ大変だ。

困ったマークは、凄腕弁護士のモーガン・フリーマンに裁判での弁護を依頼したものだから、映画は、まさにポール・ニューマンの「評決」のような裁判映画となり大騒ぎに発展するのだ。  

あとはご覧になってのお楽しみだが、セスの前作西部劇「荒野はつらいよーアリゾナより愛をこめて」で好演したアマンダ・セルブライトやジェシカ・バースという人気の美女も共演。

またしても、想像を笑い飛ばすテッドとマークのクレイジーな結婚騒動が展開するが、たしかに呆れた衝撃は、前作には適わない。

 

■意表を覆すプッシュバントがピッチャーの頭上を超えて内野安打。 ★★★☆

●あした、8月28日より、全国ロードショー 


●『ぼくらの家路』は実に辛口な、少年独立への英断だ。

2015年08月25日 | Weblog

8月20日(木)10-00 渋谷・ショウゲート試写室

M-105『ぼくらの家路』" JACK " (2013) Port-au-Prince Film / Kultur Production GmbH ドイツ

監督・脚本・エドワード・ベルガー 主演・イヴォ・ピッツカー <103分> 配給・ショウゲート

原名タイトルの「ジャック」とは、この作品の10才の少年の名前で、たしかに映画のメインとなるストーリーの軸として、まさに出ずっぱりの活躍。

まるで、あの「母をたずねて三千里」のように、6才の弟と二人で、3日間もベルリンの街を放浪するのだが、ただの<お涙頂戴>の少年映画なんかじゃない、という気迫が凄い。

狭いアパートに住むシングルマザーの母子家族なのだが、母親というのが、たしかに二人の息子の子育てに奔走しているのだが、まだ若さもあって、ボーイフレンドを連れ込んでは遊んでいる始末。

だから、10才のジャックが、兄というよりは家長のように家事を仕切っているのだが、風呂の湯が熱くて弟は火傷をしてしまい、管理不行き届きで、児童福祉局の養護施設に入れられてしまう。

しかし、そこでも不良少年達のイジメに会い、トラブルがあって脱走して、アパートまで終日歩いて戻ったが、母はいなくて、鍵もなくアパートにも入れない、という最悪の展開。

どうにか預け先の施設で弟を見つけて、深夜のベルリンの市街を二人でホームレスとなって彷徨い、コンビニのゴミを漁っては、食い残しのパンなどで、どうにか歩き続けるという3日間。

やっと、アパートに3日ぶりに戻った母も、相変わらずにボーイフレンドと遊んでばかりで、子育ても上の空なものだから、とうとう、ラストではジャックから離縁状を叩き付けてしまった。

実に爽快で、豪放なエンディングで驚いたが、たしかに、この無責任な母親と今後暮らしても、どうせ、ロクな事はない。この英断は素晴らしく感動的だった。

まるで不良少女のように低能な母の家にいては、この先は真っ暗だ。というジャックの居直りは、多くのダメ・マザーには衝撃的な挑戦状だから、子育て中のママは必見だろう。

ほとんど出ずっぱりでジャックを演じたイヴォは、オーディションで決まったという少年だが、とくに演技をしているというのではなく、不満、不屈な表情が板についていて素晴らしい。

大抵のホームドラマでは、ラストの再会で感動のハッピーエンドになるのだが、それを見事に拒絶した10才の少年ジャックの行動は、あまり過去の映画にない前進だろう。

ドイツ映画の国内映画賞で、作品、監督、脚本などで受賞したのは当然の快挙だ。拍手!!!

 

■レフトフライが意外に伸びて、野手の頭上を超えてのツーベースヒット。 ★★★☆☆

●9月19日より、ヒューマントラストシネマ有楽町などでロードショー

 

☆前作の「罪の余白」は、★★★☆、でした。 


●『罪の余白』女子学生の魔性を暴くのは命がけで。

2015年08月23日 | Weblog

8月18日(火)13-00 六本木<アスミック・エース試写室>

M-104『罪の余白』(2015)Tokyo MX / BS11 / イープロジェクト、エスタックス

監督・大塚祐吉 主演・内野聖陽 <120分> 配給・ファントム・フィルムズ

これもまた女子高校生の犯罪をベースにした芦沢央の原作小説を映像化していて、ふと「ソロモンの偽証」を思わせるが、こちらは二重性格的な魔性の単独犯。

学校の休み時間に、遊びのつもりで教室のフェンスに登っていた生徒が、突然バランスを崩して校庭に転落して、病院で死亡した。

突然に訃報を知った大学講師で父親の内野はショックで落ち込み、少女の出産時に妻もなくしていたダブルの衝撃で、行動心理学の教師の職を辞して自暴自棄に落ち込む。

そこまでは、ショックでウツ状態になった自堕落な父親の行動を同情的に描いて行くが、やはり生前の娘がパソコンに書き込んでいた日記を手がかりにして、その交友関係を探って行く。

あの高倉健の「ブラック・レイン」のプロデュースにも参加していて、松方弘樹とのアウトロー映画も手がけていたという大塚監督は、テレビドラマになりがちな画質を堅くしていく。

ちょっと大学の出向講師にしては、リッチでモダーンなインテリアのマンションに住んでいるのは、ま、どうかな、とは思いつつも、手堅い演出にはタフで好感が持てる。

学友だった吉本実憂の存在には、どうも二面性がある、と感じた父親の内野は、浴びるように飲んでいたアルコール依存症を断って、ドラマの後半は、その女子学生の正体を暴いて行くのだ。

パズルゲームのように、娘との交流のあった女子学生たちから、多くの証言を聞いて、次第に吉本の心にある悪性を引き出して罠をかけて問いつめて、父親は自らマンションのフェンスから転落する。

ちょっと、フィルムノワールによくあるような捜査の罠で、現実には危険すぎるのだが、これは主犯の女子学生の悪性を炙り出すには仕方のない映画的レトリック。

あの「氷の微笑」を思わせる展開、というとオーバーだが、女性の持つ悪性には多くのフリッツ・ラングの傑作やヒッチコックを引き合いにだすのも、ここでは大袈裟だろう。

ケチをつけて悪く言ったらキリがないが、ま、テレビドラマよりは、映画的な演出の余裕と工夫も見られるし、女子学生の心の孤独と魔性を描き出すという狙いは、それなりに面白く味があった。

 

■引っ張ると見せかけて、いきなりセカンド頭上へのプッシュヒット。

●10月3日より、TOHOシネマズ新宿他でロードショー 


●『アメリカン・ドリーマー*理想の代償』夢を強奪する男の背中を見つめて・・・

2015年08月21日 | Weblog

8月18日(火)10-15 外苑前<GAGA試写室>

M-103『アメリカン・ドリーマー*理想の代償』" A Most Violent Year " (2015) Filmnation Entertainment / Participant Media

監督・脚本・J・C・チャンダー 主演・オスカー・アイザック <125分> 配給・ギャガ

ロバート・レッドフォードが、自家用ヨットでひとりきりで南太平洋を漂流するという、ワンマン・サスペンス「オール・イズ・ロスト」という異色作が先年あった。

その脚本と監督だったチャンダーの新作というのに加えて、主演が「インサイド・ルーウィン・デイビス」で、これまた大注目のオスカーが主演となると、これは傑作の予感。

1981年のニューヨークで、南米出身の移民がオイル・ビジネスで伸し上がるが、執拗なマフィアや商売敵などの横暴な横連坊で、彼のアメリカン・ドリームは挫折の連鎖だ。

実際のタイトルは「もっともヤバい年」という、石油の輸送販売組織にとっては、まさに内戦状態のような危機感が鬱積して、彼の会社のオイル運搬車量も襲われたのだ。

多くの借金を抱え乍らも、着実に<アメリカン・ドリーム>を実現するために、オスカーは愛妻のジェシカ・チャスティンと共に郊外の豪邸で悠々自適の生活だった。

ところが、この年は、多くの妨害工作があったうえに、オイル・ビジネスでも原油調達や輸送事業での妨害トラブルが続発して、オスカーは人生の大ピンチに立たされていた。

どこか、あのエリア・カザン監督の「アメリカ、アメリカ」や「波止場」で見たような、アメリカという大国での夢への妨害が、まさに日常的に周辺から勃発するという構造。

それは「ゴッドファーザー」のような、マフィア組織などの異民族のパワー・ゲームに似ているが、この作品は犯罪映画ではなく、あくまでビジネスの内部パワー紛争を描いて行く。

その辺が、バイオレンス映画ではなくて、あくまで実直にビジネスをしていく上でのトラブルなので、娯楽映画のような派手なエンターテイメントはなく、ジミながら正統社会派映画の気品がある。

傑作「ルーウィン・デイビス」で光ったオスカー・アイザックは、まさに堂々の主演で、これからの「スターウォーズ・フォースの覚醒」や「Xメン」などの活躍が目に見えるようだ。

まだ、あのツイン・タワーが見えるイースト・マンハッタンでのロケは、CGによって80年代を再現して見せてくれるが、ドラマは堅実に、あくまで実直な人間性を見つめて行く。

という意味で、実に入念な人間ドラマに徹している分、ユーモアとか、アクションは控えられた、まさに<アメリカン・ジャスティス>の本質を描く、正当な硬派ドラマの傑作。

おそらく、次回のアカデミー賞では、作品、主演男女優、助演男優他の部門で、多くのノミネートが予想される風格はあった。

 

■ショート頭上を抜くクリーン・ヒットがフェンスまでのツーベース。 ★★★☆☆

●10月1日より、全国ロードショー 


●『カリフォルニア・ダウン』に衝撃のカンドー・ダウン。

2015年08月19日 | Weblog

8月14日(金)13-00 内幸町<ワーナー・ブラザース映画試写室>

M-102『カリフォルニア・ダウン』" San Andreas" (2015) Warner Brothers / New Line Cinema / Village Road Pictures

監督・ブラッド・ペイトン 主演・ドゥエイン・ジョンソン <114分> 配給・ワーナー・ブラザース・ジャパン

原題の「サン・アンドレアス」というのは、アメリカ西海岸在住の人たちが一番恐れている、カリフォルニア州を縦断している巨大断層帯。

実際にも西海岸で群発する多くの地震の震源として、過去からも多くの人的な被害を誘発しているから、大いに危機感を煽るタイトルなのだ。

だって、あのグランド・キャニオンや西部劇の背景となったデスバレー周辺の峡谷地帯は、その大昔にはサン・アンドレアスの巨大断層の爪痕なのだ。

映画の冒頭に、ハリウッドからサン・フェルナンド・ヴァレーに行くフリーウェイに断層が出来ていて、走行車が転落するのは、実際にもよく起こるアクシデント。

デヴィッド・リンチ監督作品の「マルホランド・ドライブ」なども、切り立つ断崖絶壁が続いていて、実際に走ったことがあるが、まさに「ロスト・ハイウェイ」なのだ。

そこで起きた転落車両を救出していたのが、ドウェインが演じているロスの消防署のヘリコプター救助隊なのだが、そのレスキューの最中に地震が発生する。

従って空中撮影で、その地震の様子が描写されるが、あの「ハリウッドランド」の巨大な看板が倒壊していくシーンの移動撮影から、一気に街にも火災が発生していく。

これは、「大地震」や「ボルケーノ」などの一連のディザスター映画ではあるものの、その展開は<家族の救出>にのみ徹底していて、被害の甚大さというのには拘らない。

みるみる地震はロサンゼルスから、サンフランシスコにまで広がり、ヘリのパイロットのドウェインは、娘が働いているシスコまで飛んで、命がけの救出を展開するのだ。

その移動の最中にも地震は多くの高層ビルを倒して火災を広げ、そこに巨大津波が押し寄せるので、彼はヘリを捨てて、レスキューボートで廃墟のようなビル街を移動する。

ジョージ・パルが制作した「地球最後の日」を見て感動してから、多くの災害スペクタクルは見て来たが、さすがにCG処理の革新で、いままで見た事のない惨状が連続していく。

その早いテンポと多重な視覚ショックと超列なサラウンドによる音響効果は、たしかに過去の多くの映画の脅威を凌駕して圧倒的なサスペンス。これには、正直、ビビってしまったのだ。

監督は「センター・オブ・ジ・アース」の前歴があるので、こうした地殻変動には専門的な知識もあるのだろうが、細かな人間感情には感知していないテンポが好ましい。

あくまでエンターテイメント作品なので、人命救出の段取りや救助方法に問題はあったにしても、このシネマティックな威圧感には恐れ入ってしまった。

エンドクレジットに流れる、あの70年代、ママズ・アンド・パパスの「カリフォルニア・ドリーミング」のニュー・バージョンにも感動した。

 

■低いライナーでバックスクリーン直撃。 ★★★★☆

●9月12日より、新宿ピカデリーなどでロードショー 


●『ミッション・インポッシブル*ローグ・ネイション』の圧倒的なアクション・パワー。

2015年08月17日 | Weblog

8月11日(火)11;00 二子玉川<109シネマズ・1スクリーン>

M-101『ミッション・インポッシブル:ローグ・ネイション』" Mission Impossible: Rogue Nation " (2015) Paramount Picture / Sky Dance Production

監督・クリストファー・マッカリー 主演・トム・クルーズ <131分> 配給・パラマウント・ピクチャーズ・ジャパン

ご丁寧にも再三の試写状を頂きながらも、どうもパラマウントの試写室には足が遠のいていた。理由は個人的な身勝手なものだし、だいいち、この暑さ。

理由の理屈は予約できなかったことと、個人的な事情で午後1時の試写しか見れなかったことに加えて、狭い試写室で見るタイプの映画じゃないので、公開まで一週間待った。 

何と、トム・クルーズご本人も、この二子玉川のシネコンに舞台挨拶に来てくれたし、これは早くビッグスクリーンの大音響で見たいエンターテイメントだ。

5作目となるシリーズは、原題「やくざな国家」。とにかくスパイ映画というのは、テロリストグループによる<ローグ・ネイション>が宿敵となる。

スパイ映画は、それぞれにインパクトと個性もあって、ジャック・ライアンやジェイソン・ボーンよりもフィジカルで面白いから、ここまで存続したのだろう。

しかし、イーサン・ハントというキャラクターは、昔のテレビの「スパイ大作戦」のピーター・グレイブスのような上品な紳士ではなくて、あくまで不良なトム・クルーズそのまま。

という意味でも、長いスター街道でも、やはり代表的なキャラとして固定していて、この20年間は息切れしつつも走り続けているという、珍しいスーパー・スパイなのだ。

今回のポスター・イメージともなっている飛び上がる貨物輸送機にしがみつくシーンは、クライマックスかと思っていたら、おいおい、何と、・・・タイトル前のサービス・ショット。

この不屈なサービス精神が、このシリーズでも維持しつつ、とにかく見せ場は10分おきに連続して飽きさせないのは、さすがこの定番シリーズの最大の魅力だ。

ジェームズ・ボンドと違って、美女を追いかけるでもなく、組織やCIAからも孤立して、解体寸前の隠れスパイ・グループなのだが、今回も世界中を駆け回るシーンが連続する。

とくに今回の見せ場は、トム自身が一般道路でのオートバイによる追跡シーンなのだが、多くの類似シーンはグリーンマットによる特撮が多いなかで、ここではマジ走りまくる。

とくにカーブで体重移動したり、危険物を巧みに交わして疾走するスピード感は、久しぶりにモーション・ピクチャー本来の躍動感に溢れていて感動した。

珍しくレベッカ・ファーガソンとの絡みのアクションもいいが、ラストで政府側のアレック・ボールドウィンが見せた苦笑は、このシリーズの次作を予感させて笑えた。

 

■痛烈なバックスクリーンへのライナーのアーチ。 ★★★★

●全国でロードショー中

 

★前作の「ヒトラー暗殺、13分の誤算」の評価は、★★★☆☆でした。 


●『ヒトラー暗殺、13分の誤算』で明かされる真実の皮肉。

2015年08月15日 | Weblog

8月10日(月)13-00 外苑前<GAGA試写室>

M-100『ヒトラー暗殺、13分の誤算』" Elser " (2015) Beta Cinema / Lucky Bird Pictures / German Federal Filmfund

監督・オリヴァー・ヒルシュピーゲル 主演・クリスティアン・フリーデル <114分> 配給・ギャガ

独裁者ヒトラーに関しては、これまでにも多くの関連エピソードが映画化されたが、つい先日見た傑作「顔のないヒトラーたち」に次いで、またもドイツ映画での新作だ。

過去の戦争の実態を、あれから70年もして、またも発掘映画化するのは、企画の貧困のようだが、今年になってドイツが作った作品は二作とも過去になかった切り口。

しかも、かなり事実に忠実に作られた戦時サスペンスとしては、何と意外にも戦争ものではなくて、ひとりのレジスタンス闘志の実話として感動的な切り口になっていた。

1939年11月8日のこと、ドイツのミュンヘンにある大きなホールでは、毎年恒例のヒトラーによる演説会があり、多くの軍部要人も集まる記念行事の日だった。

平和主義者で、平凡な時計職人のエルサーは、この映画の原名になっているように、本国では有名人のようだが、このジミで誠実な青年は、このイベントでのヒトラー暗殺を計画した。

周到な準備で作られた時計仕掛けの爆弾は、その会場に前日にエルサー本人が仕掛けて、ちょうどヒトラーが演説する壇上の壁のなかにセットされて、タイマーも始動したのだ。

ところが歴史とは皮肉なもので、その当日は悪天候となり、演説会は予定通りに行われたが、ベルリンへの移動時間が早められて、ヒトラーは13分早くホールを退席。

計画の爆発は成功して、会場にいた8人の関係者が死亡したが、お目当てのヒトラーは難を逃れていて、この事件でゲシュタポは捜査と警備を強化していった。

実は、当時に起こったヒトラー暗殺計画は40件以上もあって、すべてが未遂に終わったが、フリッツ・ラング監督の「マンハント」は実に面白かった。

映画は首謀者のエルサーの、ごく普通の生活とヒトラーへの不満を描いていて、その計画はプロフェショナルだが、事態は皮肉でもあり、なぜか真相は軍部によって極秘とされた。

ま、戦争秘話というのは、どの国にもあってトップシークレットだが、この背景はドイツでも噂されて、タランティーノ監督は「イングロリアス・バスターズ」(09)で取り上げた。

主演のクリスティアン・フリーデルは、この善良で少々ハヤトチリな男の行動を入念に演じていて、ひとりの善良な職人の悲運な人生もまた戦争の悲劇なのだ、と訴えている。

だからドライサー原作「アメリカの悲劇」を描いた「陽のあたる場所」の青年ジョージ・イーストマンのように、その時代に生きていた不運な男の生き様として、とても愛おしいのだ。

 

■意表をついたスリーボールからの強打は左中間フェンスへの長打。

●10月、日比谷シャンテシネ他でロードショー予定 


●『シーヴァス:王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』の粗野でビターな味。

2015年08月13日 | Weblog

8月4日(火)13-00 渋谷<ユーロライブ試写室>

M-098『シーヴァス~王子さまになりたかった少年と負け犬だった闘犬の物語』" Sivas " (2014) Coloured Giraffes. トルコ、ドイツ合作

監督・カアン・ミュジデジ 主演・ドアン・イズジ <97分> 配給・ヘブン・キャン・ウェイト

トルコの東部高原地帯のアナトリア地方というのは、とくに西欧などの文化的な生活習慣もなく、その日常は遠い昔から変わっていないようだ。

学校の楽しみは学芸会のお芝居で、おとな達は闘犬の死闘に熱中しているという、われわれのような電化したエレクトロニクスやCT文化とは、まったく別の世界。

イランやイラクの映画は、かなり西欧の影響を受けているが、このトルコもイスタンブールなどの大都市と違って、山岳部は、ほとんどモンゴルやチベットのような質素な風情だ。

11才の少年ドアンは、小柄なせいで、学芸会の「白雪姫」でも、とても王子の柄でなくて、小人の役に配役されてクサってしまう。

大人達は、サーカスのように巡業してくる闘犬の試合に熱中していて、その日も激しい死闘の末に捨てられた負け犬は、荒野で死を待っているが、ドアンはその負け犬を介護する。

そこは<ルーザー>同士の友情というか、傷だらけで死に損なった捨てられた老犬と、夢の破れた少年ドアンとは、なぜか沈黙の友情を感じて行くプロセスが描かれる。

大昔の映画でグレゴリー・ペック主演の「子鹿物語」では、子鹿を可愛がる少年と、その野性と知性が成長するにつれて、食い違って来るという家族の悩みを描いていたが、これも同様だ。

老犬は少しずつ体調を回復していくが、少年との友情は、どうしても人間と犬の関係では通俗的な美しさはなく、一方的になっていく。その微妙な感情のズレを、このカアンという若い監督は静観するのだ。

という意味では、まさにディズニーが描いて来た、美しすぎる動物の野性と、少年の愛情は感動的な関係にはなっていかない、というクールな視線が、通俗なエンターテイメントを拒否していく。

気骨のある闘犬はリターン・マッチで、ライバルの宿敵犬を滅ぼすのだが、世話になった少年にも、ごく野性の視線を向けて荒野に帰って行くから、監督は安易な感動は示さない。

この不屈のカアン監督の辛い視線が、おそらくはヴェネッツィア国際映画祭の辛口な審査員の評価を受けて、14年の審査員特別賞を受賞し、主演のドアン少年も受賞している。

どこか、「バケモノの子」の少年と、生活を共にしていく闘う野獣との関係を連想してしまうが、この「シーヴァス」は、その連想も拒否するだろう。

 

■地を這うような強いゴロが左中間を破りツーベース ★★★☆☆

●10月、渋谷ユーロスペースでロードショー