細越麟太郎 MOVIE DIARY

最新の映画情報や批評を掲載します。

●『ブルージャスミン』のケイト・ブランシェットが魅せる天国と地獄。

2014年01月31日 | Weblog

1月30日(木)15-30 東銀座<松竹本社3F試写室>

M-012『ブルー ジャスミン』Blue Jasmine (2013) graver pro. / period pro./ sony pictures classics

監督・ウディ・アレン 主演・ケイト・ブランシェット <98分> 配給・ロングライド ★★★★☆

これもまた実話の映画化というが、ウディの奥さんが友人から聞いた話を、巧みな話術で作り上げる才能と技能は、77歳でも老け知らず。

マンハッタンのアッパー・イーストで優雅な生活をしていたケイトが、夫の浮気から発覚した自己破産で、あっという間にホームレスになったという。

サンフランシスコに住む義理の妹のアパートに仮住まいして、どうにかクリニックの受付などで生活を取り戻そうとするが、泥沼は底なしだ。

というのも、それまでのブルジョワ生活の感覚が身に付いていて、そのブランド志向の浪費癖は、そう簡単には治りっこない。悲惨な現実は深刻となる。

この生活感覚の下方修正で、彼女はノイローゼ気味になり、ついついウォッカ・マテー二のグラスも増える。まさに「米民難民」状態だ。

それをさすがにウディ・アレンは、相変わらずのジョークで皮肉る。どう見ても悲惨な現実を、こともなげに冷たい笑いで誤摩化して行くのだ。

悲惨な現実とカットバックで、過去の優雅な暮らしむきを見せて、まさに悲劇の筈の喜劇を語って行くテクニックは、ニール・サイモンより苦笑する。

素晴らしいのは、今年のアカデミー主演女優賞にもノミネートされているケイトの軽妙の演技。ことの重大さを苦笑で逃げ回る独演は絶品。

ま、文句なしのオスカー演技だが、これも50年代のバーバラ・スタンウィックや、ジョーン・クロフォードの名演技を彷彿とさせるような魅力。

とくに、次第に正常な神経が少しずつ冒されて、ラストでの独り言には唸ってしまう。実に久しぶりに見た大女優の風格なのだ。

ウディ・アレンの多くの作品でも、これはベスト・スリーの興行成績に迫っているというが、これからの日本でのヒットも間違いないだろう。

ジョーン・クロフォード主演、ノワールの名作「失われた心」のようだが、表面的にはコメディのタッチなだけに、この作品の深みは、いかにも現代の格差社会も皮肉っているようだ。

 

■軽く初球を叩いたライト・スタンドへの呆れたホームラン。

●5月10日より、新宿ピカデリー他でロードショー  


●『東京難民』はツイてない男のTOKYO NOIRだな。

2014年01月30日 | Weblog

1月27日(月)13-00 六本木<アスミック・エース試写室>

M-011『東京難民』(2013)プロダクション・シネムーブ、キングレコード

監督・佐々部 清 主演・中村 蒼 <130分> 配給・ファントム・フィルム ★★★☆☆

昔なら<無宿渡世人>というのは、気っ風があって度胸もあり、正義のためには弱者を助けるタフなお兄いさんが多くて、かっこ良かった。

しかしこの福澤徹三の原作は、ネットカフェやホストクラブを転々として、コンビニで夜を過ごすという、大都会の落ちこぼれ無宿者達だ。

よくテレビのドキュメント番組で、こうした都会のホームレスたちの実態を描く取材番組のダークな映像を見ていて、かなりウンザリしていたので試写を遠慮していたのだ。

でもやはり「あなたへ」の青島 武のシナリオで、あの「半落ち」や「ツレがウツになりまして」の佐々部監督の作品となると無視できない。

悲惨な現実の映画は見たくない。でも、「そんなに重くないし、暗くないよ」という試写仲間の助言で最終試写を恐るおそる見たのだ。

たしかに、母は病死して疎遠な父は自己破産して蒸発。大学生の中村は突然に授業料未払いで退学となり、アパートの家賃も滞納で私物は差し押さえ。

ある日、突然に無職ホームレスとなった。よく聞く話だ。で、ネットカフェで仮眠をして、コンビニで処分された残り弁当を食べて空腹をしのいだ。

挙げ句、騙されてホストクラブに入るが、そこは過酷な売り上げ査定をクリアしないとボコボコに殴られて、それ以上のハンデを与えられる。

たまらずに東京を逃げ出して、近郊の解体工事の見習いをするが、すぐに闇社会の怖い組織のおやじが現れて強迫されて、またも新宿難民の末に河川敷に捨てられるのだ。

ま、これは大都会東京の暗黒な断面であって、たしかに格差社会の悲観的な縮図であり、現実は、もっともっと過酷な筈だ。

震災でホームレスになった河川敷の住人に救われて、それでも「もう、オレは終わったよ」と呟く中村青年は、きょうも生きるために土手を登って行く。

たしかに、お前は運が悪いし、ついてねえな、と言いたいが、その落とし穴のサインはあった筈。そこを映画はやさしく見せてくれる。

リチャード・ウィドマークの名作「街の野獣」や、アラン・ドロンの「暗黒街のふたり」のようなフィルム・ノワールの原点を、ここでは少し臭わせた。

 

■ショートの横をしぶとく抜けたゴロのヒット。

●2月、有楽町スバル座など全国ロードショー 


●『アデル、ブルーは熱い色』で垣間みるトリュフォー風のタッチ。

2014年01月28日 | Weblog

1月24日(金)10-30 六本木<シネマートB2試写室>

M-010『アデル、ブルーは熱い色』Adele chapters 1 & 2 (2013) wild bunch / quay sous films / france 2 cinemas

監督・アブデラティフ・ケシシュ 主演・アデル・エグザルコプロス <179分> 配給・コムストック・グループ ★★★☆☆☆

ほぼ3時間の長尺だが、実に映画らしい映像の流れが美しくて澱みがない。見事な映画術には魅了された。

女子学生の同性愛を描いているが、セックス・シーンも含めて一貫した美意識があって、その映像の美しさに圧倒される。これが「シネマ」。

場所はフランス南部の学園都市。女学生のアデルは、ごく普通の家庭の多感な娘でボーイフレンドもいるが、どうもしっくりしない。

ある日、ブルーに髪を染めたボーイッシュな美術学生と知り合い、そのうちにセックス交渉を持つようになる。

作品は、ふたつのパートに分かれていて、後半は、その関係も些細なトラブルから消滅してしまうが、そのプロセスを淡々と描く演出が実にいいのだ。

監督はプレスのインタヴューに応えているように、明らかにフランソワ・トリュフォーの感性を意識している。それは随所に明白だ。

「大人は判ってくれない」から「隣の女」の部分もあり、「柔らかい肌」のような異常な情念のサスペンスもある。

チュニジア出身という監督は、あきらかにアラブ人の感性もいれていて、とくに音楽や色彩感覚は北アフリカの味わいもある。

非常にデリケートに、あくまで二人の女体を美しく見つめて、セックスによる愛と美というもののデリケートでフラジルな姿を凝視しようとして実に見事だ。

アデルの演技も出色だが、お相手のブルーのヘアのレア・セドウもお見事な度胸の演技で、今後の大活躍が期待できる。

昨年のカンヌ国際映画祭で最高のパルムドール賞を、監督とふたりの女優が受賞したのも、異存はない。お見事である。

あの「アデルの恋の物語」の儚さと異常なまでの情念の燃焼を、ここで久しぶりに見せつけられた。拍手。

 

■左中間を深々と破る長打で、悠々のスリーベース・ヒット。

●4月5日より、Bunkamuraル・シネマ他でロードショー 


●『ワン チャンス』ポール・ボッツがオペラ歌手になるまで。

2014年01月26日 | Weblog

1月21日(火)13-00 外苑前<GAGA試写室>

M-009『ワン チャンス』One Chance (2013) the weinstein company / one chance LLC / UK

監督・デヴィッド・フランケル 主演・ジェームズ・コーデン <104分> 配給・ギャガ ★★★

ロンドン郊外の街に住むポール・ボッツは、子供の頃からメタボリックで、よくいるイジメられっこタイプ。

それでも根は陽気で、少年聖歌隊でも、その美しい音声は小さい頃から目立っていた。ま、ジョン・レノンほどユニークではないが、異彩だった。

比較的に恵まれた、理解のある平凡で健全な親元で育ち、街のケータイなどの電気機器のショップで働き、ときに地元のテレビのバラエティショウやのど自慢にも出演。

タレント・コンテストで優勝した奨学金でイタリアに留学して、あの憧れの歌手パヴァロッティの前でも唄ったがNGで、「君はオペラ歌手には向いてないよ」と酷評された。

それでもメゲズに、いろいろなオーディションのチャンスに応募して、病気入院、交通事故、失恋、挫折の失意などの苦労の末にチャンスを掴んで行く。

ま、多くのタレントのサクセス・ストーリーには、過去にもそれなりに多くの苦労はあり、奇跡もある。この肥満体のポールも、歌手としては遅咲きだった。

映画も、まさに彼の半生のままに挫折も多いが、とくに悲観的な部分はなくて、ほぼスムーズに、のんびりと描かれていて、かなり退屈した。

基本的にはイタリア・オペラの歌曲を唄いこなすタイプのポピュラーな歌手なので、それなりに人気もあるだろうし、これはそのファンのためのPR映画。

ファンのひとには、いいプレゼント映画だが、そうではないわたしなどには、ごくありがちなサクセス映画として、人畜無害に見えた。

ボッツご本人が唄は吹き替えていることもあって、このドラマには監督も余計な演出はできなかったのだろう。その苦心は判る。

 

■フルカウントまでファールで粘ったが、結局は浅いショートフライ。

●3月21日より、全国ロードショー 


●『それでも夜は明ける』あまりにも悪夢な長過ぎる夜にはマイッたな。

2014年01月24日 | Weblog

1月21日(火)10-00 <外苑前> GAGA試写室

M-008『それでも夜は明ける』12 Years a Slave (2013) River Road Entertainment / RegencyEnterprises / plan B

監督・スティーヴ・マックィーン 主演・キウェテル・イジョフォー <134分> 配給・ギャガ ★★★☆☆

原題は『12年間の奴隷』という体験実話で、ことしのゴールデングローブ賞のドラマ部門で作品賞受賞。しかもアカデミー賞でも作品賞ほか9部門でノミネートされている期待作だ。

監督が、あの「ブリット」などの有名スターと同じなのだが、別に何も関係のない40代の英才で黒人だ。地味なキャリアだが、今回アカデミー賞でも監督賞にもノミネートされている。

1841年のこと。アメリカ東部のニューヨーク州サラトガでバイオリニストとしても活躍していた黒人のキウェテルは、パーティで泥酔して気がついたら逮捕されて、奴隷として売られる。

立派な家に住み、子供も二人いる中流階級の男だ。何てバカな話だと、始めは「いい加減にしろよ」と眺めていたが、これは実話であって、そのあと彼は拉致されて、黒人強制労働者へと人生は地獄の転落。

ニューオーリンズに移送された彼は、荒涼たるコットン・フィールドで終日過酷な肉体労働をさせられ、ひどい人種的な迫害を受けて外部との連絡もとれない12年を過ごす。

ゲイリー・クーパーの「サラトガ本戦」でも、当時の黒人への差別蔑視は一般的だったが、自由市民権を持っている市民なのに、ここまで隔離虐待されていた事実はゾッとする。

テレビ映画でも、むかし「ルーツ」とかいう、黒人虐待の歴史が連続ドラマ化されていて、タランティーノの「ジャンゴ・繋がれざる者」も同様に黒人の虐待労働者が脱走したっけ。

問題は、どうして今になって、この大昔の人種偏見の苦労話を敢えてブラッド・ピットが映画化しようとしたのか。そこがアカデミーでも議論される部分だろう。

ブラッド自身も、ラスト近くで2カットのみ出演。それにしてもかなり長い上映時間で、こちらの鑑賞体力も、実に見辛いGAGAの試写室では限界を越える労苦であった。だから、印象は暗くて沈んでしまうのだ。

おそらくオバマ大統領の後押しもあって、この黒人解放のテーマによる制作の労苦は注目されるだろうが、わたしは静観したい気分で、正直、飽きてしまった。

 

■レフト線を転々と破る当たりで、一気にサードまでの走りのお疲れ長打。

●3月のアカデミー賞結果待ちで、7日からTOHOシネマズみゆき座などでロードショー 


●『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』の戦場は、宇宙からロンドン宮殿庭園へ。

2014年01月22日 | Weblog

1月20日(月)13-00 目黒<ウォルト・ディズニー映画試写室>

M-007『マイティ・ソー/ダーク・ワールド』Thor / the dark world (2013) marvel / MVLFFLLC.™ & walt disney pro.

監督・アラン・テイラー 主演・クリス・ヘムズワース <117分> 配給・W・ディズニー・スタジオ・ジャパン ★★★☆

いまやハリウッドの去就を左右するような興行収入で独走する、コミックの老舗「マーベル」社が制作した「ソー」シリーズ第2弾。

しかも興行成績歴代ナンバーワンの「アベンジャーズ」のプロジェクトの一翼を担うシリーズだというので、ま、理屈はともかく見る事にした。

要するに、トラディショナルな神話をベースにして、古き「ヴァイキング」の世界を、「スターウォーズ」風に時空を越えて描いた宇宙バトル活劇だ。

9つの宇宙大河空間を支配するアスガルドの王がアンソニー・ホプキンスで、その息子のソーと弟のロキの相克は、ギリシャ神話の構図なのだろう。

その彼らが、地球滅亡の危機を救うために「エデンの東」のスタインベック・ドラマのような状況で時空戦争を派手に展開していくのだ。

しかし、それでもさっぱりワカラナイのは、「アベンジャーズ」を意図した「アイアンマン」や「キャプテン・アメリカ」など、マーヴェル・プロジェクトのコンセプトだ。

一種の新しい都市計画プロジェクトに似た「ハリウッド改造計画」の一旦なのだろうが、これらが今後の「マーベル」の戦略として、映画娯楽の市場を一掃していこうという狙いが、むしろ恐怖となる。

つまり、もはや、この作品だけでは、「マーベル」が奔走するエンターテイメントに追随できないようなエネルギーを誇示されてしまう。これは娯楽映画の脅威だ。

ま、そんな余計な心配はしなくても、あの「ハリー・ポッター」でもどこかに消えてしまったのだから、これも一過性の娯楽なのだろう。

ワーナーの秀作「バットマン・ダークナイト」のような、映画そのものの芸術的な資質をクリアするレベルなら納得できるが、ここにはその野望は感じられない。

ただロンドンの宮殿庭園を破壊して宇宙戦争を展開する発想は、わが赤穂浪士たちのゲーム・バトルと大して違いはない、所詮は映像ゲームなのだろう。

それにしても、わが浅野忠信は、このバトルでは戦力外通告なのか。・???。4月になると、今度は「キャプテン・アメリカ」がまた大暴れするのだという。

 

■派手な右中間への大きなフライだが、失速してのライトフライ。

●2月1日より、全国ロードショー 


●『ネブラスカ/ふたつの心をつなぐ旅』枯れたアメリカン・ドリームの残り香。

2014年01月19日 | Weblog

1月17日(金)13-00 築地<松竹本社3F試写室>

M-006『ネブラスカ / ふたつの心をつなぐ旅』Nebraska (2013) paramount vantage / film nation entertainment

監督・アレキサンダー・ペイン 主演・ブルース・ダーン <115分> 配給・ロングライド ★★★☆☆☆

70年代から多くの映画の悪役などの脇を演じてきたブルース・ダーンの初めての主演作品。77歳にして、この大役だ。

あの「ストレート・ストーリー」の老優リチャード・ファーンズワースを思い出すが、同様に今度のアカデミー主演男優賞にノミネートされた好演。

かなり<ボケ>の始まった彼は、100万ドルのインチキな懸賞金当選通知を本気にして、モンタナから、1500キロも離れたネブラスカまで歩き出す。

見かねた次男坊は、ガールフレンドにも逃げられた冴えない男だが、父の徘徊を見かねて、何かと世話をやくというロードムービーだ。

アレキサンダー監督は、「アバウト・シュミット」から「ファミリー・ツリー」まで、いつも家族と、その生活に関わる人生の旅路を描いて来た。

生まれ故郷のネブラスカに拘り続けて、いつも基軸をズラさない。それだけ<ご当地>に拘っているが、あくまでそれはカメラの台座のことで視線は広い。

ドラマは「ファミリー・ツリー」に似て、その老人の奇行と、懸賞金の行方に絡んで、周囲の人間たちがそれぞれの私欲で群がってくる。

その他愛ない騒動を、のどかなモノクローム映像で見つめた画質は、ボグダノビッチの「ラスト・ショー」や、老名優メルビン・ダグラスが演じた、あの「ハッド」のスタンスを思い出した。

普段から疎遠だった無口の次男坊も、この頑固なボケ老父の行動にはテを焼くが、実はそれで心の接点を探して行く。その勇気ある助力が暖かいのだ。

とくに荒涼とした平原のドライブウェイや、寂れたバーとか人気のない町並みは、ごく日常的なアメリカン・ドリームの廃棄物処理場のような空漠さを見せる。

以前、監督にインタビューしたことがあるが、非常にクレバーで頑固でユーモラスな人柄で、質問には、すぐに質問で返答されるのには苦笑したものだ。

「ネブラスカには素晴らしい映画人がいる。ヘンリー・フォンダ、フレッド・アステア、モンゴメリー・クリフト。そしてオレ。みんなオマハの生まれだゾ」と豪語。

あの不敵な笑顔を思い出すと、この作品がまたも6部門で今年のアカデミー賞にノミネートされたのを応援しなくてはいけない気分になる。

何と、この映画のロードショー中の3月3日には、オスカーの受賞が決まるが、脚本と助演女優賞で期待される。と予想したい。

 

■フルカウントからシャープなスイングのライナーが左中間を破るスリーベース。

●2月28日より、TOHOシネマズ、シャンテなどでロードショー 


●『グランドピアノ』のトリッキーで曖昧な決着???

2014年01月17日 | Weblog

1月15日(水)13-00 渋谷<ショウゲート試写室>

M-005『グランドピアノ/狙われた黒鍵』(2013) a nostrum pictures / the solution entertainment

監督・エウへニオ・ミラ 主演・イライジャ・ウッド <91分> 配給・ショウゲート・ハビネット ★★★

どうもスペイン人監督のミステリー感覚は不思議な視点があるようだ。あの「ミステリーズ」や「瞳の奥の秘密」みたいに、だ。

たしかに話は面白く、5年ぶりに舞台に立つという天才ピアニスト、イライジャの心理状態というのは、一種の強迫感念があるだろう。

「ラ・シンケッテ」という難曲を完璧に演奏するために、亡くなったゴーダルー師匠の譜面を暗記して、ベーゼン・ドルファー・インペリアルという名機に挑む。

それは、ブランクのあったミュージシャンにとっても、かなりのプレッシャーなのだろう。その舞台に上がるまでのテンポはいい。

まるでヒッチコックのミステリーのように、美しいカメラ・ショットの積み上げで、一気にサスペンスのテンションを上げて行く部分は上々だ。

ところが、演奏が始まってから、譜面の上には、赤いマジックで、ドジったら妻を殺す、というような強迫メッセージが書かれている。

しかも演奏中にも、ケータイで謎の声が指示を送ってきて、スナイパーの銃からの赤いレーザービームが、イライジャの首筋を狙っているのだ。

脅迫者の声は、どうやらジョン・キューザックらしいのは、映画ファンならば察知するのだが、彼はなかなか姿を表さない。

ああ、これはコリン・ファーレルの「フォーン・ブース」と同じ作戦で、ピアニストをステージに釘付けにして脅す凶悪犯の手口なのか。と勘ぐってしまう。

そして、オーケストラの演奏もクライマックスとなり、ついにスナイパーのキューザックが、やっと姿を見せて、イライジャに襲いかかる。

どうも変なのは、そのあとの決着の仕方だ。あまりにも呆気なく演奏は終わり、事件は決着したかのような演出だが、実にそっけないのだ。

ああ、この強迫感は、ピアニストの妄想だったのか。というのはネタばらしになるが、いや、そうでもないらしい。曖昧なままにエンドマーク。

 

■ライトフライは高く上がったが、ファールラインで野手がキャッチ。

●3月8日より、新宿シネマカリテ他でロードショー 


●『オール・イズ・ロスト』完全孤独なワン・マン遭難の果てに。

2014年01月15日 | Weblog

1月10日(金)13-00 京橋<テアトル試写室>

M-004『オール・イズ・ロスト~最後の手紙~』All is Lost (2013) film nation entertainment / black bear pictures

監督・J・C・チャンダー 主演・ロバート・レッドフォード <106分>配給・ポニーキャニオン ★★★☆☆

不思議な映画だ。始めから終わりまで、たったひとりの男、壮年のレッドフォードが遭難したボートで洋上を漂う。

<最後の手紙>というサブタイトルにあるように、冒頭で、事故死を覚悟したのか、家族への別れの手紙を書き、瓶に入れて海に流した。

映画は、彼がどんな男で、一体なぜ、ひとりでスマトラ海峡から大洋を流されているのか、まったくその意図は説明されない。ただひとり漂流する。

当然のように2度も大きな嵐に見舞われてヨットは大破して、彼は救命のゴムボートで、ただ漂流するのだ。

ドラマチックな回想シーンもなく、過去も語ろうとしないので、一体この男は気違いなのか、犯罪者なのか、冒険家なのかも、とにかく判らない。

ヘミングウェイの「老人と海」に似ていて、男の独り言のような内容も、老人が漁師でもないので、いよいよワケのわからない映画なのだ。

昨年は、トラと227日も一緒に漂流する映画「ライフ・オブ・パイ」でアン・リー監督はオスカーを受賞した。あれはファンタジーの秀作。

おそらくスノッブなレッドフォードのことだから、これは人間の原点であって、遭難は人生そのものの実態に転嫁して語ろうとしたのかもしれない。

とにかく、単純なサイレント映画で、聞こえるのは自然の大海に揉まれるボートの音で、バックグラウンドの音楽もない。まさに苦行の映画なのだ。

ぼく自身は絶対にひとりで冒険に出るほどの野心家でもなく、度胸もないので、どうしてこの男が、こんな無益なバカをするのかワカラナイ。

しかし、本当の冒険家なら理解するだろう。しかし、これは冒険映画ではなく、遭難映画なのだ。そしてそれも絶望的。しかも崇高な人間のドラマのよう。

 

■左中間へのゴロが転々としてフェンスまで転がる巧打だが、1塁で自重。

●3月、TOHOシネマズシャンテなどでロードショー 


●『僕は友達が少ない』スマホとゲームに遊ばれる孤独な青春放浪者たち。

2014年01月13日 | Weblog

1月10日(金)10-00 西銀座<東映本社7F試写室>

M-003『僕は友達が少ない』(2013)東映・タイムズイン・木下グループ・ポニーキャニオン

監督・脚本・及川拓郎 主演・瀬戸康史 <114分> 配給・東映 ★★★☆

平坂 読の大ヒットしているライトノベルを、まさにライトな遊戯感覚で映像化した学園コミック。

混血の転校生。ほとんど白髪のような瀬戸は、きょうも学校の屋上でゴロ寝していた。その風貌と態度の悪さで友達はいない。

同じようにハンパな不良気取りギャルの北乃きいも、荒っぽいヤクザな男ことばで友達はいないが、部活にもハジカレている連中で「隣人部」というクラブを勝手に結成。

とくに部活としての活動内容もないが、ブラブラと集まっては、自分の世界に入り込む。ま、始末の悪い連中の時間つぶしの溜まり場となっていく。

ドラマは後半になって、ひとりの少女が脳内トリップする奇怪なマシーンで夢想しているゲームの空間に、われわれも巻き込まれて行くのだ。

これも一種の麻薬的な迷走「グラビティ(無重力)」のゲーム世界。

ライトノベルを読んでいない老人には、さっぱりワケがわからないが、ま「桐島部活やめるってよ」よりは、明るくて奇妙なライト・コメディだ。

ビデオゲームやスマホのアプリで通信遊戯を日常にしている世代の、反逆のコメディとしては、実際の幼稚な犯罪ものよりは可憐でいい。

これだけ、書店でのライトノベルの人気が広がっている現代で、映画が、その感覚世界に入り込もうと努力するのも、たしかに一策だろう。

要するに、見ていて面白いトリップ感覚は「オズの魔法使い」の頃からあるわけで、別に今に始まったワケではないが、これもご時世の感性だろう。

友達が少ない。という疎外感は、スポーツなどの団体球技に馴染めない若者たちの、誰でも持っている自覚だろうし、そこをこの映画は覗き込む。

昨年の「みなさん、さようなら」ほど悲壮感はなく、ハンパな若者たちの感性を覗く意味では、むしろ親たちが見た方がいいのかもしれない。

 

■高く打ち上げたセカンドフライが太陽に入って野手が落球のポテンヒット。

●2月1日より、全国東映系でロードショー