孤高の苦笑 <ヘンリー・フォンダの印象>
たしか10年ほど前のこと、『黄昏』の監督マーク・ライデルが、アクターズ・スタジオ
L. A.の講師として来日して、青山学院の講堂で演出指導と講演したのを聞いた事がある。
作品の演出については多くを語らなかったが、この作品にヘンリー・フォンダとキャサ
リン・ヘプバーンが共演したことが、まるで白日夢のようだった、と当時を偲んだ。
キャサリンはハリウッドを代表する名女優で、アカデミー賞を4回も受賞しているし、
ヘンリー・フォンダは80本も越える映画に出演したハリウッドの至宝だ。「そのふたり
が目の前にいるだけで奇跡であって、とても若輩者のわたしが演出するなどは、恐れ多く
て出来なかった」と、ライデル監督は告白したものだ。
なぜか、その二人は共演作品はなく、この作品の本読みの瞬間が初対面。しかし人間国
宝のような名優の姿に、よけいな演技の注文は必要ないだろう。
キャサリンはその初日に、長年の朋友だったスペンサー・トレイシーが生前に愛用して
いた帽子を持って来て「これを被ってちょうだい」と、ヘンリー・フォンダにプレゼント
したという。だから、先輩のベージュのフェルト帽は、ドラマの中でいつもフォンダは被
っていたが、これは尊敬するスペンサーへの敬意の表れでもあり、どこかボケて珍しくユ
ーモラスな演技は、おそらく先達へのオマージュがあったのだろう。
もしかしたらキャサリンも、その従順で剽軽(ひょうきん)なフォンダの姿に、生涯愛
したスペンサーの面影を投影していたのかもしれない。
その効果があってか、フォンダは長い俳優人生で、なぜか無縁だったアカデミー主演男
優賞にノミネートされ、遅すぎたが初めての受賞をしたが、当日の受賞会場には病身で出
席できなかった。そして受賞の朗報をみやげに半年後の82年8月に他界した。
作品の企画を提案したのは、もともとは不肖の娘ジェーン・フォンダだったが、ラスト
で父と娘が和解するシーンでは、「撮影中スタッフみんなが泣いてしまった」という。
ヘンリー・フォンダの出演した映画は、幸運にもほとんど見ているが、印象としては、
とても誠実で、陽気で、保守的なアメリカの良心、その化身だと感じていた。
『牛泥棒』(43)では、町の住民たちが牛泥棒容疑者のリンチをしようとする狂気に、
最後まで抵抗して、事件の真実と民主主義の協議性を抗議していたし、「十二人の怒れる
男」(57)でも同様に、殺人容疑の少年の無実にこだわって疑問を主張。制作も関わったこ
の作品は、シドニー・ルメット監督の映画デヴューとなり、大きな評価を得た。
監督とは次作の『女優志願』(58)でも組んだが、高名なブロードウェイ演出家を演じ、
泥酔した新人女優とコトの後に、そのボーイフレンドに雪の降るセントラル・パークで、
己の軽率な行為を詫びるシーンの、あの雪を被ったヘンリー・フォンダの恥じ入る表情は、
彼のキャリアでも最高の演技だったと思う。
当たり役の『ミスター・ロバーツ』(55)でも、太平洋戦争時の軍用備品配送船の仕事に
不甲斐なさを持つ愛国者で、最前線への再三の志願をして、直後に直撃弾で死亡した。
若きリンカーンも演じたが、『野望の系列』(61)では国務長官候補や『最後の勝利者』
(64)では大統領候補を演じて、『未知への飛行』(64)で遂にアメリカ大統領役にも昇格。
いかにも実直な愛国者のイメージが定着した。
とくに『胸に輝く星』(57)での、老練なシェリフがリタイアする姿は絶品だった。
『荒野の決闘』(46)のワイアット・アープも伝説の名物保安官だが、アフターシェーブ
・ローションの香りをつけて、クレメンタイン嬢と優雅にダンスをした。
あの長い脚のスキッとしたラインはフォンダの魅力であって、保安官事務所の前の板張
りの廊下で、椅子から脚を投げ出して、柱でバランスをとっているポーズは絶品だった。
彼の親友のジェームズ・スチュワートは、『馬上の二人』(61)でワイアット・アープを
演じたとき、あのフォンダのポーズを真似していたが、共演のリチャード・ウィドマーク
はそれを見て苦笑していた。クリント・イーストウッドも常にフォンダを尊敬していた。
まえに高倉健さんにお会いしたときに、一番好きな俳優さんは?という質問に、即座に
「ヘンリー・フォンダですね」という返事が出た。
「とくに『ミスター・ロバーツ』が好きだな。立ち姿がいい。あの役はオレもやってみ
たいす」と照れ笑いした。横尾忠則さんが監修した『憂魂・高倉健』という写真集には、
ちゃんとヘンリー・フォンダの写真も1ページ分、掲載されている。
合作映画出演の多い高倉健さんは、ロバート・アルドリッチ監督の『燃える戦場』(70)
で、憧れのヘンリー・フォンダと共演しているが、残念ながら「絡み」のシーンはない。
もしかしたら、尊敬する俳優と同じ作品にタイトルされるという、ただその一点で、出
演のオファーを受けたのかもしれない。
『ミスター・ロバーツ』はブロードウェイのお芝居で、映画俳優だったヘンリー・フォ
ンダは初めて舞台に立ち、そのステージは4年ものヒットとなり、ハリウッドとは『アパ
ッチ砦』から7年ものブランクがあり、後に1955年の映画化でも主演したが、恩師で
監督のジョン・フォードと役作りのことで口論となり、怒った巨匠はメガホンを途中で捨
てて、その後は、「哀愁」などのマーヴィン・ルロイが演出を担当した。
ジョン・フォード監督とは「アパッチ砦」(48)「怒りの葡萄」(40)「荒野の決闘」(46)
などと作品が多くて、彼らの関係は強固な子弟同士に似た厚いものだった筈だが、恐らく
4年ものブロードウェイ・ステージで得たフォンダの役作りは、いかに恩師で巨匠であっ
ても、譲れないものがあったに違いなく、撮影の途中で突然に決別したのだ。
作品はフォードらしく、コメディ・タッチで演出されていて、フォンダの上官役はジェ
ームズ・キャグニーで、下士官役のジャック・レモンがアカデミー賞を受賞しているが、
主役のフォンダの演技はブロードウェイのように、真面目な士官の役を貫いて演じて、バ
ランスはチグハグな印象を受けた。
その結果、作品も主演のフォンダも、アカデミー賞にはノミネートされなかった。
当時は、ジョン・フォード監督の病気降板説が流れたが、監督はすぐに一番の舎弟とも
いえるジョン・ウェインと『捜索者』(56)の撮影に入っているから、やはりフォンダとは、
決定的な確執のトラブルがあったろうと思われる。その後の再会はなかった。
それを契機にしてヘンリー・フォンダの俳優人生は変わった。
変えたのは、あのアルフレッド・ヒッチコック監督である。
『間違られた男』(56)はヒッチコックとしても珍しいタイプのニューロティックなフ
ィルム・ノワールで、フォンダはマンハッタンでバンドのベーシストの役だが、ある金融
窃盗事件の容疑で、自宅の前で帰宅時に不当検挙された。
実行犯に似ていた為だが、その衝撃のために妻は重度のノイローゼになって人格を失う。
ラストで逮捕された真犯人の男に「お前は、俺のワイフに何をしたんだ」と吐く。その
時のフォンダの表情には怒りと絶望があった。初めて見た、深い翳りの表情だった。
それからは善良だったイメージを捨てて、なぜか『ワーロック』(59)や『ウェスタン』
(68)のような癖のある悪役も、敢えて演じるようになった。
『刑事マディガン』(67)や『絞殺魔』(68)、『エスピオナージ』(73)での、あの冷たい
無表情な居直りはどうだ。
『黄昏』の原題は<輝きの湖>とでも言うが、老父ノーマン・セイヤーは、生涯俳優
ヘンリー・フォンダの孤高な人生の苦い集大成であり、映像の遺言だったのだ。