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精神障害者と犯罪=精神科医・斎藤環

2009年10月12日 00時25分18秒 | 障害者の自立
 ◇透明なシステムへの努力
 日本ではほとんど報道されなかったが、先月イギリスで、ある連続殺人事件の記事がメディアをにぎわせた。事件そのものは5年以上も前で、犯人も逮捕されている。そんな古い事件が、なぜ今になって注目されたのだろうか。

 事件を起こしたのが精神障害者であり、その背景に治療システムの不備があったことが明らかにされたためだ。

 3件の殺人で起訴されたピーター・ブライアン無期囚は、統合失調症を罹患(りかん)していた。

 1993年、彼は20歳の女性店員をハンマーで撲殺し、ランプトン保安病院に収容された。8年後の2001年、ブライアン無期囚は退院を認められ、コミュニティケアを受けるべく簡易宿泊所での生活をはじめた。しかし02年、彼は17歳の少女に暴行して開放病棟に再び入院となる。

 04年2月、第2の事件が起こった。病棟を抜け出したブライアン無期囚が、45歳の知人を殺害し、遺体をバラバラにしたうえにその一部を食べたのである。「狂気」と「カニバリズム」の絡んだ事件とあって、イギリス社会は騒然となった。

 ブライアン無期囚は逮捕され、ブロードモア保安病院に収容された。第3の事件が起こったのはその直後である。収容先の病院で、彼は59歳の入院患者を絞殺したのだ。

 イギリスでは、治療中の精神障害者が殺人事件を起こした場合、保健省の指導のもとで独自調査が義務づけられる。09年9月3日、NHS(国営医療サービス事業)はブライアン無期囚の事件に関する二つの独自調査を公表した。

 報告書では、一連の事件の原因について、特定の職員の落ち度ではなく、システムの不備として検討されている。

 たとえばブライアン無期囚は地域コミュニティへと退院する際、半年の社会復帰訓練しか受けられなかった。通常ならば2年はかかるプログラムである。また退院後のコミュニティケアを担当する職員は経験不足で、彼が服用する薬の量を安易に減らしてしまった。

 少女への暴行が起きた時点で、経験豊富な専門家ならば危険性を予見できたかもしれない。少なくとも、ここでブライアン無期囚を開放病棟ではなく保安病院に入院させていれば、第2の事件は防ぎ得たであろう。

 ブロードモア病院内で起きた殺人については、管理のずさんさが指摘されている。ブライアン無期囚の入院に際して、まともな診察は一度もなされなかった。ダイニングルームで事件が起こったときも、スタッフは誰もその場にいなかった。

 報告書を読む限り、システムの欠陥ぶりには弁解しようのないものもある。

 しかしわれわれが学ぶべきは、この種の事件に対する責任の所在を5年がかりで徹底的に追及し、その結果をすべて公表するというNHSの姿勢のほうである。報告書にざっと目を通してみたが、事件の緻密(ちみつ)な検証ぶりもさることながら、「提言」部分では改善すべき点を責任部署ごとに50項目にわたり具体的に列挙している。

 イギリスの精神医療とて、理想郷というわけではない。精神科医は常時不足しており、保安病院には回復したにもかかわらず退院できない患者があふれている。また刑務所には多くの精神障害者が未治療のまま収容されている。

 システムが不備ですぐには改善が見込めないときでも、できることはある。「そのシステムがどのように不備であるか」を徹底して記述し、あり得べき改善点を具体的に列挙しておくことだ。さらにそれらを公開し、記録すること。システムをガラス張りにするには、「可視化」と「アーカイブ化」の努力は必須なのだ。

 柳田邦男氏がかつて指摘したように、わが国における事件や事故の調査は、いまだ責任追及型に偏りがちである(『マッハの恐怖』)。加えて精神障害者の事件は、プライバシー保護を理由に、あっさり密室化されてしまう。情報不足を補完するのは、相も変わらず週刊誌のスクープ記事や暴露本だ。

 しかし、航空機事故が典型であるように、システムの事故は複合的な原因の連鎖で起こる。こうした事故の再発を防ぐには、個人の責任追及よりも、システムの誤作動を緻密に検証するよりほかにない。その意味でNHSの報告書は、メンタルヘルス分野におけるシステム検証のモデルとして学ぶところが大きい。

 精神障害者の犯罪率は、そうでない人の犯罪率に比べてもかなり低い。にもかかわらず、「危ない人」という偏見は、なかなか減らない。ただでさえ彼らの犯罪は特別視されがちなのに、情報が隠ぺいされることで偏見は強化されてしまう。われわれが寛容さを取り戻すためには、むしろ情報は公開されなければならないはずだ。

 精神科医トマス・サズ氏は、寛容性について次の言葉を残している。「愚か者は許さず、忘れない。単純な者は許し、忘れる。賢者は許し、そして忘れない。」(『第二の罪』)。「許さないが忘れっぽい」われわれが賢者たらんとすれば、あと一息、と思いたい。


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