福山市神村町の神村学区探訪の会はこのほど、明治初期に神村啓蒙(けいもう)所が開設された同町の石井家旧宅に案内板を設けた。啓蒙所は市出身の思想家窪田次郎の発案で、市内や周辺で全国に先駆けて無料の初等教育を進めた。地域の教育の原点として広く紹介する。
探訪の会によると、石井家は江戸期の有力農家。木造平屋にわらぶき屋根の旧宅は遅くとも1700年代中ごろに完成した。敷地は約3千平方メートルあり、江戸期の面影が残る。1872年、旧宅内の一部に神村啓蒙所が開設された。
当時啓蒙所は市内を中心に約80カ所あり、読み書きや算数を教えた。国が近代教育制度を定めた学制の発布に伴い73年に神村小に改編され、旧宅は76年まで校舎となった。
この日は会員の住民や市教委職員たち10人が旧宅の門の脇に「神村啓蒙所跡」と記した案内板を設置。会長の猪原一元さん(80)は「今は住人がおらず老朽化しており、市教委とともに調査や保存を進めたい」とあいさつした。
会によると、啓蒙所に使われた寺は多く残るが、民家は珍しいという。

【写真説明】石井家旧宅の門のそばに住民たちが設けた案内板。奥右に旧宅がある
'中国新聞 -12/6/11
探訪の会によると、石井家は江戸期の有力農家。木造平屋にわらぶき屋根の旧宅は遅くとも1700年代中ごろに完成した。敷地は約3千平方メートルあり、江戸期の面影が残る。1872年、旧宅内の一部に神村啓蒙所が開設された。
当時啓蒙所は市内を中心に約80カ所あり、読み書きや算数を教えた。国が近代教育制度を定めた学制の発布に伴い73年に神村小に改編され、旧宅は76年まで校舎となった。
この日は会員の住民や市教委職員たち10人が旧宅の門の脇に「神村啓蒙所跡」と記した案内板を設置。会長の猪原一元さん(80)は「今は住人がおらず老朽化しており、市教委とともに調査や保存を進めたい」とあいさつした。
会によると、啓蒙所に使われた寺は多く残るが、民家は珍しいという。

【写真説明】石井家旧宅の門のそばに住民たちが設けた案内板。奥右に旧宅がある
'中国新聞 -12/6/11
小生は、「窪田次郎が遺した日本の宿題」と言う小説を、この10月に発刊しました。それで、読者から、福山市内の啓蒙所の跡が現存するとの情報をいただいたのです。
機会を見て現地を訪ねてみたいと思っています。
この小説は、ネットにも載せていますので、本の名前で検索してください。
小生は、「窪田次郎が遺した日本の宿題」と言う小説を、この10月に発刊しました。それで、読者から、福山市内の啓蒙所の跡が現存するとの情報をいただいたのです。
機会を見て現地を訪ねてみたいと思っています。
この小説は、ネットにも載せていますので、本の名前で検索してください。