ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

仕事も趣味も現役、障害者施設園長・沼山助内さん /青森

2009年11月02日 00時17分33秒 | 障害者の自立
 ◇囲碁と二人三脚70年--沼山助内さん(93)
 暇さえあれば囲碁の月刊誌などを読みあさって碁の研究を続け、93歳の今も囲碁の試合に現役で出場している。振り返ると、歩んできた人生の傍らには常に趣味の囲碁があった。「碁を打つことで仕事の意欲を高めてきた」と笑顔で話す。

 囲碁歴は約70年。これまで挑んだ大会は数百回以上で、優勝回数は50回を超して自宅にはカップや盾が所狭しと並んでいる。全国優勝もし、今は日本棋院八段の腕前だ。

 印象に残っているのは、50代の時に青森市の旅館であった大会の優勝決定戦。午前10時ごろに始まり、互いに一歩も譲らず、制限時間のない勝負に決着がついたのは翌日の明け方だった。惜しくも負けたが囲碁の奥深さを知った。

 囲碁を始めたのは県庁に入った24歳の時。友人に誘われ、「囲碁は品のいいもの」と夢中になった。しかし翌年、戦争に召集された。旧満州(現中国東北部)や福岡県に約3年、防衛のための警備として配属された。任務が忙しく碁を打つ暇はほとんどなかったが、入院した時などはすかさず碁を打っていた。

 1945年9月末、福岡から屋根のない貨物列車で2日かけて青森市に帰った。青森駅に着くころには顔は油煙で真っ黒。市は焼け野原と化していた。

 県庁も焼け、市内の小学校で仕事をした。空襲で書類はすべて焼け、担当した農務課の教室には机も椅子もなく、メモは立ちながら取った。そんな中、突然わらじなど「わら工品」の生産担当を命じられた。

 初めての経験だったうえに資料もなく戸惑ったが、独学で農家に生産方法を教え、農地を開拓するなどし、農家の生産を上げて収入を増やすことができた。

 44歳の時、東北町の実家を継ぐために県庁を退職。農協組合長や町議、町長などを務め、県庁で培った経験を生かして農業振興などに尽くした。

 どんな状況でも仕事に打ち込めたのは「碁があったから」。大会出場など囲碁に触れることが仕事への意欲を高める秘訣(ひけつ)となった。囲碁を通じて、県内外の多くの人たちと交流を深めることもできた。

 現在も76歳の時に開いた知的障害者更生施設「けやき寮」の園長を務めながら碁を楽しんでいる。「人生は趣味を持たなければならない」。仕事も趣味も現役だ。


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2 コメント

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いつも勉強になる記事を有り難うございます。 (はるあき)
2009-11-02 23:06:52
いつも拝見させていただいき勉強させていただいてます。

障害者自立支援法は入所施設にとっても大変です。利用者にとっては自己負担の増、事業者にとっては事業収入の減になって、全てを苦しめています。

民主党政権になって、「廃止」の方向性は味覚に打ち出したものの、その道筋はまだはっきりしません。しばらくは現行法が適用されるようです。

まずは、自立支援法が施行される以前の状態と現在を比較し、明らかに報酬の減額や負担金の増などの後退面については、直ちに回復するよう新政権に求めていくことが大事ではないでしょうか。

今後とも、宜しくお願いいたします。
Unknown (ゆきんこ)
2009-12-28 17:01:53
私、お隣の三沢市の者です。
県内に障害者ケア施設いくつかございますが、
利用者からは群を抜いて人気があるそうです。

囲碁がお好きで、そんなキャリアの園長先生だったとは・・・。フムフム

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