ゴエモンのつぶやき

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倉敷市が障害者施設の防犯強化へ 相模原殺傷受け7カ所を支援

2017年01月04日 01時59分30秒 | 障害者の自立

 相模原市の障害者支援施設で入所者19人が殺害された事件を受け、国と自治体が防犯対策を強化する福祉施設の支援に乗り出しており、倉敷市は市内の障害者支援施設7カ所を支援対象に選んだ。ただ、施設側には「地域との交流が阻害されないか」と不安もある。防犯対策と、開かれた施設運営をどう両立させるかが問われている。

 障害者支援施設の防犯対策事業は、国が2分の1、倉敷市が4分の1を助成し、事業者が残り4分の1を負担する。対象となる事業は、門やフェンスなどの設置・修繕では事業費100万円以上、非常通報装置などの設置では同30万円以上に限っている。

 市は昨年10月28日~11月2日、助成を希望する市内の障害者支援施設を募った。5社会福祉法人の計7施設から応募があり、全てを助成対象に選んだ。国は採択するか否かを2016年度中に決める。

 7施設の一つ、「瀬戸内学園」(同市連島町矢柄、利用者約60人)は施設入り口にゲートを設置し、敷地内に24時間稼働の防犯カメラ3台と防犯灯4基を取り付ける計画。

 学園を運営する社会福祉法人・瀬戸内福祉事業会(同所)の宮本勇理事(59)は「人命を守るために防犯対策は必要」としつつも、「地域に開かれた施設を目指しているだけに複雑な気持ちもある」と打ち明ける。

 学園では、1979年の開設当初は入り口にゲートが設けられていたというが、「障害者施設と地域との垣根をなくしたい」との理念から、85年ごろに撤去した経緯がある。宮本理事は「今後も理念は変わらないが、ゲートの再設置などで、地域との交流を妨げるような雰囲気が生まれてしまわないか心配」と話す。

 社会福祉法人・ひまわりの会(同市福田町福田)が同所で運営する「ライフステーションひまわり」(利用者約60人)、「ライフステップひまわり」(同約50人)は、隣り合う両施設の周辺に、防犯カメラ8台を設置する計画を立てている。

 同会の西江嘉彰理事(59)は「防犯対策の強化と、障害者の社会参画はどちらも進めなければならない。障害者への理解を広め、今なお残る偏見を解消する取り組みも必要だ」と指摘する。

 相模原殺傷事件 昨年7月26日、相模原市の障害者支援施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刃物で刺されて死亡、職員3人を含む27人が負傷した。神奈川県警が同日逮捕した元職員男は「障害者なんていなくなってしまえ」と供述したとされる。

 

瀬戸内学園の入り口。国や倉敷市の助成を受け、ゲートを設置する計画を立てている

2017年01月02日   山陽新聞


相模原事件の被害者家族(上) 元気な姿だけで幸せ

2017年01月04日 01時49分31秒 | 障害者の自立

 相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」が襲われた事件で、けがを負った障害者とその家族は少しずつ日常を取り戻し始めている。「確かに、障害のない子より手はかかるかもしれない。でも、だからこそ、元気に生きてくれているだけで幸せ」と思いながら。凶行のやいばでできた心と体の傷を、親子の愛情と絆で癒やそうとしている。

 冬の日差しが親子三人を温かく包み込む。昨年十二月半ば、尾野剛志(たかし)さん(73)とチキ子さん(75)夫婦は、長男の一矢さん(43)を連れて神奈川県厚木市内の公園に繰り出した。

 お昼の弁当は、チキ子さん手作りのおにぎりやコロッケ。一矢さんの好物ばかりだ。無心でほおばり、時折、「だめーっ」と大声を出すわが子を、チキ子さんは隣でにこにこしながら見つめ、剛志さんはカメラに収めた。

 やまゆり園で暮らしていた一矢さんは事件後、市内の施設に住まいを移した。首や腹を複数刺され、一時は命も危うかった。「絶望的な状況から、よくここまで元気になってくれた」。二人には、歩けるまで回復した姿がいとおしくてたまらない。

 生まれたころの一矢さんは「おとなしくて、手のかからない子」だった。でも、なかなか言葉をしゃべらず、三歳児健診で自閉症と診断され、重い知的障害も分かった。その直後、一矢さんの実の父親が水難事故死。チキ子さんは、同県座間市の自宅でクリーニング店を営みながら、一人で子育てをした。トラック運転手だった剛志さんと出会い、暮らし始めたのは一年後。「お人形のようだ」。剛志さんは一矢さんをかわいがった。

 一矢さんの成長はゆっくりだった。「食べる」などの単語を覚え、おなかがいっぱいになると「おなかが痛いよー」と言った。静かにしているのでチキ子さんが目を離すと、店の洗濯物を散らかしていたずらした。チキ子さんに仕事がある日中は保育園に通園。小学校では特別支援学級に在籍した。普通学級の同級生たちがよく面倒を見てくれ、修学旅行にも一緒に行けた。

 「ぎゃー」。水が大嫌いで、風呂に入る前はいつも泣きわめいて大騒ぎだ。「できることを一つでも増やしてあげたい」。二人は願い、辛抱強く一緒に風呂に入った。一矢さんは小学校に上がるころになると、泣かずに入れるようになった。

 朝は着替えの練習。チキ子さんは、洋服の裏表や前後ろをわざと逆にして置いた。服を手に取り悩む一矢さん。最初はうまく着られなかったが、正しく着たら「すごいねーっ」とめいっぱいほめた。達成できた時の喜びはひとしおだった。

 でも、近所の目は違った。小学校からの帰り道、一矢さんが路地で虫を捕まえて帰ると、「うちの敷地で物を盗んだ」と店に苦情が来た。「早く施設に入れろ」との匿名電話も度々。剛志さん自身、かんしゃくを起こして泣き叫ぶ一矢さんに、手を上げてしまったことも。「自分も世間の目を気にしているんじゃないか」と自問した。

 成長とともに障害は重くなった。気に入らないことがあると、顔や腕を血が出るまでかきむしる。やめさせようとしても、力が強くなって手に負えない。

 「このままでは一矢も私たちも身が持たない」。案じた二人は、一矢さんを厚木市の知的障害児施設に預けようかと考えた。中学一年の時だった。自ら子どもを手放すような寂しさを感じたが、施設の職員が掛けてくれた一言に救われた。

 「親御さんだけでよくここまで育てられましたね。でも、施設に任せるのは決して恥ずかしいことではないですよ」

 こうして一矢さんの親元を離れた生活が始まった。

 

◆自閉症や知的障害の特徴は?

 自閉症や知的障害のある人は、周囲の世界をどのように見て、どう感じているのか。愛知県心身障害者コロニー中央病院児童精神科医師の吉川徹さん(44)に聞いた。

 -自閉症と知的障害はどのような障害ですか。

 自閉症は、身ぶりや手ぶり、表情などによるコミュニケーションが苦手かどうかで判断されます。話し言葉も不得手な人がいます。人付き合いも苦手で、興味や関心の幅が広がりにくく、繰り返しの行動が多いのが特徴です。

 知的障害は、以前は知能指数が低いことを指していましたが、最近は知能の発達の遅れのため日常生活を送るのが難しい人を指す場合が増えています。

 例えば、計算が難しかったり、記憶して意味が分かる言葉が少なかったり、気温に応じて衣服を調節できなかったり、一週間の計画を立てるのが難しかったりします。

 -周囲の人からの言葉は理解していますか。

 理解できていたり、できていなかったりします。例えば、「お風呂だよ」と声を掛けて風呂に行けたとしても、「お風呂」という単語や意味を理解しているとは限りません。なぜなら、音の並びや、手に持っているタオルを手がかりに、同じように風呂に行ける場合もあるからです。

 ある行動を身に付ける際、手を取って教えるか、目の前で手本を示すか、あるいは絵や言葉で理解してもらうのか、どのやり方が一番効率よく伝わるかは人によって異なっています。

 障害によって言葉が出てこなくても、心の中に言葉が浮かんでいると主張する専門家もいますが、立場によって意見が違っていて、まだはっきりしていません。

 -障害のあるわが子のことを、「体は成長したが行動は幼い」と感じる親もいますね。なぜですか。

 知的障害の人は、新しい行動を覚えるのが得意ではありません。自閉症の人は変化が苦手なことが多いので、両方の障害があると、幼い時の行動パターンが大きくなっても続くことがあります。

 -心は成長しているのでしょうか。

 中高生になると、命令されるのが好きではなくなる人が多くなります。自分の好みがはっきり分かり、それを求める気持ちも強くなる。これは自立心の表れなので、その意味で心は成長しているといえます。ただ、物の見方や感じ方、考え方の道筋は多くの人とは違うので、それに合わせて接するのが重要です。

 -具体的にはどうすれば?

 達成できたかどうかより、挑戦したことを評価してあげて。例えば、パズルができたときだけ拍手するより、最初の一個をやり始めたときに「そうそう」と強く反応してあげると良い。

 できるかできないかだけに周囲が関心を示すと、障害のある人はできることしかやらなくなり、育ちにくい。障害によって限界はありますが、新しい行動や関心を身に付けられれば暮らしの幅が広がり、結果的に本人の自己決定支援につながります。

傷の癒えた尾野一矢さん(左)と楽しそうに食事をする母のチキ子さん(中)、父の剛志さん


千羽鶴と羽ばたいて 脳性まひの男性、健常者とともに

2017年01月04日 01時26分57秒 | 障害者の自立

 車椅子をぶつけ、バスケットボールを奪い合う。昨年9月、リオデジャネイロのパラリンピック会場に、元商社員で現地に住む山田邦右(くにすけ)さん(81)がいた。11年前に65歳で他界した先天性脳性まひの弟、百穂(ももほ)さんが隣にいるような気がした。

 64年大会に寄贈

 身体障害者のスポーツ競技大会を初めて「パラリンピック」と呼び、五輪とセットで開いた1964年東京大会が、弟の人生を劇的に変えた。

 山田家は富山市八尾(やつお)町の裕福な農家で、弟は6人きょうだいの5番目。1歳になってもお座りができず、物もつかめない。医師は母に言った。「命ある限り可愛がって育てなさい」。学校に通えず、兄や姉が字を教えた。

 体を思うように動かせない弟は東京五輪の4年前、手の訓練で鶴を折り始めた。台の上の紙を口で押さえ、不自由な手で折った。兄は「足を使ったかもしれない」と振り返る。

 弟は64年夏にパラリンピックの存在を知り、折りためた鶴を大会に贈りたいと願った。母が手紙を出すと、事務局から11月8日の開会式に招待された。24歳。それまで外出は近所に限られていた。のちに「天にものぼる喜び」と回想する。リオ大会の半世紀前、弟は自ら折った鶴で東京へ羽ばたき、観客席から車椅子の行進を見つめたはずだ。

 百穂さんは27歳の時に車椅子で自力で動けるようになり、家にこもってきた鬱憤を爆発させる。家族に黙って往復30キロ以上の富山市中心部へ出かけた。雨の時は頭からカッパをかぶる。電動車椅子に変わると電池が続く限り動き、よそで充電したことも。一帯で彼を知らぬ人はいなくなった。

 支える仲間は増え、健常者と障害者が交流する「八尾つくしの会」ができた。百穂さんは口にくわえた鉛筆でワープロをたたき、会報を書いた。閉じこもる障害者の家に車椅子で会報を届け、会に誘った。精力的に動く半面、親しかった聴覚障害を持つ画家(69)に「行きたい所に行けない。死んでもいいと思ったこともある」と打ち明けた。

 活動を支えた元議員(93)は「最初は偽善だと非難された」と振り返る。障害者への理解にまだ乏しく、家庭や施設に隠されがちだった日本の片隅で、百穂さんは周囲を巻き込み、地域で健常者と共に暮らす生き方を貫いた。2005年秋に体調を崩し急逝したが、つくしの会は地域の子供とお年寄りの交流の場として今も続く。活動から小さな福祉作業所も生まれた。

総数10万羽超

 百穂さんはその後も鶴を折り続けた。折り方も上達した。座布団に座り、折り紙を左膝近くに置く。わずかに動くようになった左手の親指と人さし指で折り目を決め、左膝と座布団の間に紙を挟むと、重心を傾け、しっかりと折る。座布団から転げ落ちると助け起こされた。折った鶴を国内の障害者スポーツ大会に贈り続け、総数は10万羽を超えた。

 昨年師走、雪の舞う八尾町でつくしの会があった。「むかし山田百穂さんという方がおられたが」。同町の林のぶ子さん(78)が言った。子供たちは「今は天国に行っとるん?」と彼の千羽鶴を不思議そうに見つめた。

 林さんも彼に巻き込まれた一人だ。30代で夫に先立たれ、子供を抱え不安でふさいでいた時に知り合う。毎日車椅子で訪ねてくるようになった。「一緒にやろう」。4日目に根負けし、会の活動が生きがいとなった。

遊びに来た子供たちに山田百穂さんが作った千羽鶴を見せる林のぶ子さん

 電動車椅子に乗って笑顔を見せる山田百穂さん。後ろは林さん
 
毎日新聞   2017年1月3日 

高層の復興住宅に、高齢者や障害者が取り残された

2017年01月04日 01時17分01秒 | 障害者の自立

復興住宅の200世帯、高齢層が多く  互いに助け合うことも困難

11月22日午前5時59分ごろ、福島県沖を震源地とするマグニチュード7・4の大きな地震が発生。東日本の太平洋沿岸に津波警報、避難指示が出され、いわき市小名浜で60センチ、仙台港では1・4メートルの津波が観測された。無事に避難できた人がいた一方で、避難から取り残された人や避難の困難さに直面した人がいるなど、避難の課題が浮き彫りになった。その一つが、高層建築の復興公営住宅に暮らす住民の避難だ。

「地震の後でエレベーターが止まり、移動できない車いすの障害者や高齢者は、復興公営住宅に取り残されてしまった」。そう指摘するのは、「大熊町の明日を考える女性の会」の木幡ますみさん。自宅が原発事故で帰還困難区域となり、会津若松市に避難。震災後に町議になった。大熊町役場の避難先の会津若松市と、仮設住宅があるいわき市を中心に、仮設住宅や借り上げ住宅を回って、住民の相談を受ける毎日を送っている。

そんな中、今回の地震に遭った。 いわき市上神白の仮設住宅にいた木幡さんは、地震が収まった頃、下神白地区の復興公営住宅を回って、住民の安否確認に走った。下神白地区には鉄筋コンクリートの復興住宅が6棟あり、大熊町、浪江町、双葉町、富岡町など、被災自治体からの避難者約200世帯が暮らしている。

 そこでは、復興公営住宅に取り残された高齢者や車いすの障害者がいたのを確認。その後も続く余震で、大きな不安を抱いていることがわかった。「元気な人や自力で家の外に出てこられる人は、車に相乗りして避難することができた。車いすの人は2階、5階などばらばらの階にいて、自力で避難することができなかった。デイサービスの職員が来て避難できた人もいたけれど、復興公営住宅には高齢者が多いため、車いすの人や病気の人を連れ出すことができなかった棟もあった」

 復興公営住宅へは、移れる人から順番に入居したために、足の悪い人や車いすの人でも上層階に入居した人がいる。また、入居者の年齢層が高いので、お互いに助け合いながら避難することを困難にしている。

避難時には道路渋滞  要支援者の情報を共有できず

 復興公営住宅は、上層階に避難すれば津波を避けられるという想定で「津波避難ビル」になっているが、実際には、足腰や体が不自由な人は、玄関先に出ることすらままならない。建物の中に取り残された場合、食料や医薬品不足で、生命の危機に瀕する可能性がある。「復興公営住宅への入居の際、なぜ若い世帯と高齢者世帯を一緒に入居させないのかと指摘する声があったが、この不安が的中した。今回は短時間で避難解除になったからよかったが、問題は解決していない」と木幡さんは言う。 いわき市内では、沿岸部から内陸部に避難する車で道路渋滞が発生した。徒歩で高いところに避難できればいいが、高齢者が短時間で移動し避難するには車が必要になる。しかし、その解決方法は見えていない。

 いわき市の災害対策本部(危機管理課)も新たな課題と直面することになった。同市には浜通り(※)の被災自治体からの避難者が多く生活している。避難元の自治体ごとに、避難の際に支援が必要な障害のある人、難病の人など「避難行動要支援者」を把握しているが、今回の避難では、その情報をお互いに共有できていなかった。いわき市では11月5日に総合防災訓練を実施したが、復興公営住宅が建つ下神白地区は対象に含まれておらず、本来は訓練の段階で抽出されるべき「復興公営住宅の避難の問題」が認識されなかった。 同市は「自治体が持っている要支援者情報の共有については残念ながら話が進んでいない。車の渋滞の問題も含め、検討課題が残った」と話す。

 木幡さんは言う。「原発事故後、高齢者だけの世帯、単身世帯、老々介護が増えた。復興公営住宅に移ってから、知っている人だけでも8人が脳梗塞や心筋梗塞、がんなどで亡くなった。みんな心のケアが必要なんです」。課題を抱えたまま、余震の心配も消えない。

 ビッグイシュー・オンライン   2017年01月03日


世界初! 車いすも「自動運転」 パナソニックが来年4月にも発売、東京五輪へバリアフリー

2017年01月04日 01時00分46秒 | 障害者の自立

 パナソニックは、スマートフォンに行き先を読み取らせるだけで、一定のエリア内を操作不要で移動できる自動運転機能を持つ電動車いすシステムを、平成30年4月にも発売する方針を固めた。同社によると、車いすの自動運転化は世界初という。空港や駅、大型施設などに導入し、高齢者や障害者をはじめ、訪日外国人らも安全・確実に移動できる仕組みを構築できる。32年の東京五輪を機に全国へ普及させていく方針だ。

 電動車いすメーカー「ウィル」(横浜市鶴見区)と共同で27年ごろから開発してきた。専用アプリをスマホに導入し、エリア内の看板や地図にかざせば、目的地などの情報を読み取って自動走行する仕組みだ。

 混雑する場所で人や障害物にぶつからずに進めるよう、高性能センサーによる「衝突回避システム」を搭載する。障害物の動きを予測する人工知能(AI)の採用や、車いすの位置を遠隔で確認できる見守りサービスの導入も検討する。

 空港では、飛行機から降りた来訪者がすぐに利用できるよう到着出口などへの配備を想定している。自動回収機能も備え、利用者が降りたら車いすが元の場所へ自動的に戻る。

 政府は東京五輪・パラリンピックを契機に、全国の駅や空港など交通機関のバリアフリー化を推進する。国際パラリンピック委員会(IPC)の最高位スポンサーであるパナソニックは、独自技術により、日本をバリアフリー先進国としてアピールする考えだ。

パナソニックがウィルと共同開発している自動運転電動車いす(板東和正撮影)  

パナソニックがウィルと共同開発している自動運転電動車いす  【パナソニック

産経ニュース    2017.1.2