学会や症例検討会での正式な報告ではない思い出話も、同様の症例を抱えたときには役に立つことがある。
しかし、人の記憶などはあいまいで、とくに臨床家にとっては過ぎた症例については結果が良ければ何も問題がなかったように語りがちだし、
結果が悪ければ言い訳ばかりで修飾しがちだ。
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その症例がいつ頃の症例で、
馬の種類、年齢、性別、
畜主の主訴、初診時の状態、経過、処置、そして予後。
などを正確に記憶し、簡潔に、かつ客観的に説明できる馬医者などまれだろう。
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いったい話しているのが何頭の症例の話なのかも肝心な部分だ。
「それはこうすればうまくいくよ」という馬医者が居ても、
聞いていみると1例うまく行っただけの話だったりする。
「うまく行かないこともある」と暗い顔で話すのは、10例のうちうまくいかずにひどい結果に終わった2例にこだわっていることもある。
100例経験している人は、自分の経験をそう簡単にまとめて話せない。
症例を整理して数えておかないと、自分でもいったい何頭経験して、どういう結果なのか把握できていない。
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臨床家の思い出話や「雑談的でぃすかっしょん」とはそういうもの(その程度のもの)だ。
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USAの獣医教育病院でドクターやレジデントやインターンや学生のラウンズ(回診)の合間のディスカッションや、朝のミーティングでのディスカッションを聞いたことがあるが、
思い出話や雑談におちいらないのに感心した。
「自分はこう思っている。
教科書にはこういう方法も書いてある。
最近、こういうことも学術誌に報告されている。
自分は以前、こういう症例を経験した。
それで、これからこうしようと思っている。」
ときちんと簡潔に述べていた。
あいまいな記憶の、
限られた症例数の思い出話におちいりがちなのは、
その臨床家の基礎知識と、
学ぶ姿勢と、
経験が不足しているせいだ。
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今日は、大腿骨骨嚢胞の関節鏡手術。
ついでに狼歯抜き。
さらについでに臀筋の血腫切開。
午後は、声帯虚脱を起こすことがground laryngoscopy で診断された3歳馬の声帯切除手術。
繁殖雌馬の疝痛。
入院厩舎に親子。
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毛布の上で
ブタ耳かじる
この至福のとき