礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

アメリカ最高裁決定、ジラードを日本の裁判権に服させる

2014-03-29 05:14:51 | 日記

◎アメリカ最高裁決定、ジラードを日本の裁判権に服させる

 昨日の続きである。池田正映著『群馬県重要犯罪史』(高城書店)から、一九五七年(昭和三二)に起きた「相馬ケ原弾拾い射殺事件」の章を紹介している(今日では「ジラード事件」と呼ばれている事件)。昨日は、同章の前半にあたる〔犯罪事実〕を紹介したが(判決文の引用)、本日からは、その後半にあたる〔参考事項〕を紹介したい。これは、「一」から「一七」まで、箇条で書かれているが、本日は、「九」まで紹介する。
 これを読んで私は、この事件がアメリカ本国においても、「大問題」になっていたことを初めて知った。なお、引用にあたって、明らかな誤植は訂正し、数箇所で句点(マル)を補った。

〔参考事項〕一、昭和三十二年一一月一九日判決(懲役三年執行猶予四年)
二、一月三十日午前一時半相馬ケ原演習場で坂井なかが殺されたと高崎警察署に連絡があり同署と群馬県警察本部とで捜査を開始翌三十一日死体解剖で体内より薬きようを発見射殺の疑いが深まつた。
 二月一日岡田三千三県警刑事部長等は目撃者小野関英治を伴い三ケ尻米軍キヤンプを訪ね事件当日の演習参加者の首実験の結果犯人はジラードと判明し同月五日米軍の取調べでジラードが射ったことを自供するに至った。
三、同月七日米軍はジラードは事件当時公務中だつたとの証明書を発行した。
 同月九日警察はジラードを傷害致死罪で書類送検、前橋地検は同月十一日ジラードを現場に出頭させ日本側証人と共に実施検証翌十二日ジラードを地検に出頭させ取調べたが同人は殺意を否認し過失事故を主張した。
四、之より先二月二日群馬選出社会党茜ケ久保代議士は本件を取り上げ政治問題化し同月六日衆議院内閣委員会で報告「米軍は日本人を犬猫のように狙い打ちした」と強調した。
 同月十五日政府は国会で事件を公務外の傷害致死と見ると言明「公務中」を主張する米軍の見解と対立しこの為事件は日米合同委員会刑事特別分科会の交渉に持ち込まれ以後三ケ月間交渉が続けられた。
五、五月十六日日米合同委員会で米国側は裁判権を放棄し日本で裁判することが決つた所、米国では之に反対する声が急に強くなり之に押されたウイルソン国防長官は同月十八日極東軍司令官に「再調査が終るまでジラードの身柄を日本に渡すな」と命令した。この為前橋地検は急に予定を変え同夜遅くジラードを傷害致死で起訴するに至つた。
六、米国では「ジラード引渡禁止命令」とともに五月二十三日ジラードの出身地イリノイ州議会が引渡し反対決議を行うに至つて米本国内の感情的な世論はいやが上にも燃え上つた。その頃日本では社会党基地対策委員会が抗議活動をする等の事があり同月二十九日群馬県議会では社会党議員がジラード引渡し要求決議案を提出自民党議員の反対で否決された。
 米国務省では冷静に事件を検討日米両国及びその他の諸国との関係を考慮した結果強硬派の国務省〔ママ〕を説き伏せ六月四日ジラードを日本側に引渡し日本の裁判に委ねるという決定か国務省国防省の共同声明として発表した。そして翌五日在日米軍は三ケ尻キヤンプ民事部長レーカース大尉を前橋地方裁判所に派遣し早急に訴訟手続を進めることを申入れるに至り裁判権問題は一応解決した。
七、併し一度燃上ってしまった米国内の感情的な世論は容易に消えずその動きに乗つてジラードの実兄ルイス・ジラードはウイルソン国防長官ダレス国務長官、ブラツヤー陸軍長官を相手どりワシントンの連邦地方裁判所に対しジラードの兵役は二月で終了していることを理由に人身保護令状を申請した。
 此の間米国の世論を煽つた〈アオッタ〉のは一部行政協定反対派の議員や愛国団体在郷軍人団などであつたが一般大衆の心には無知から来る外国裁判所に対する不信が根強く横たわつておりこれに「真珠湾を忘れるな」「米軍人の忠誠を日本の狼に売り渡すな」とセンセーシヨナルに呼びかけついに米国最大の話題にまで作り上げてしまつた。
八、而して連邦地方裁判所は六月十八日「ジラードの発砲行為は公務中のものであり従つてその身柄引渡しは米国憲法により保障された基本的人権の侵害である」とし裁判管轄権は米国側にあると決定した為米国政府はこの決定に従うならば日本としての行政協定に止まらず米国政府が他の諸国と締結している条約はすべて危険にさらされる事となりその国際信用は全く失墜する事は明白で全く窮地に陥る事となつた。そこで米国政府は同月二十日最高裁判所に直接上告して連邦地方裁判所の決定を取消すことを求めると共にアイゼンハウアー大統領自身国会議員を招きそれ迄秘密にされていた事件の真相を明らかにして説得するという努力迄払つたのである。かくて七月十一日米国最高裁判所は全員一致で地方裁判所の決定を取消しジラードを日本側の裁判権に服させるという決定をなしたので米国政府は漸く危機を脱した。
九、更に国務省は世論を鎮める為ジラードと一諸にいたニクル三等特技兵の宣誓供述書を発表事件の真相を初めて米国民の前に公表した。それによるとジラードは警備の為に射撃命令は受けていなかったし、なか等に空薬きようを撒いておびき寄せ二回発砲二発目肩に銃をあてゝなかをねらいうちした。又ニクルはジラードから頼まれ一回しか発砲せずそれも銃を腰に構えて射つたと初めうその供述をした事も明白となつたのである。【以下は次回】

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