◎「モッタイナイ」を教えた三土忠造の母
数年前、佐藤義亮〈サトウ・ギリョウ〉の『明るい生活』(新潮社、一九三九)という本を入手した。読んでみると、これが意外に興味深い。全編がいわゆる「訓話」であるが、素材が実に多様であり、語り口も巧みである。もちろん、今日の視点から見て、時局に迎合しすぎているようなものも散見されるが、それらを除けば、今日でも十分、読むに値する訓話が多いように思う。
本日は、そうした訓話のうちから、三土忠造〈ミツチ・チュウゾウ〉・宮脇長吉〈ミヤワキ・チョウキチ〉の兄弟が、その母から、「モッタイナイ」ということを教えられた話を紹介する。
◇まづ家庭の教化から
今の政冶家中、三土忠造氏(元鉄相)は、質素な堅実な人として聞え〈キコエ〉てゐます。さういふ気風はどこから来たのかといふに、主として家庭の教化によるのださうで、氏の令弟宮脇長吉氏(代議士・陸軍中将)は、次のやうな話をされました。
「私たち兄弟の小さな時分、物を大事にしなければならないといふ母の教〈オシエ〉はとても厳しかつたもので、御飯粒などこぼして平気でゐると、それはそれはひどく叱られました。ある朝小学校へ行く時間が遅れたので、丁度母が見てゐなかつたのを幸ひ、急いで御飯をかつこみ、茶碗に二粒三粒残つてゐたのをそのまゝにして飛びだしました。二丁ばかり行つた頃、後から私の名を呼ぶ声が聞えます。母が追つかけて来たのでした。
「なぜ、御飯粒を残して行くのです。勿体ないといふことを忘れたのかね。すぐ帰つてお食べなさい。」
言葉つよく叱られた私は、返す言葉もなく、茶碗に残つてゐる御飯粒をたべに渋々引返へ〈ヒッカエ〉さなければなりませんでした……」
宮脇氏はかう話されてから、子供の時分よく聞かされた「勿体ない!」といふ言葉は、今もなほ頭に響いて来るやうな気がすると一言ひ添へられました。三土一家の質素、堅実の気風は、決して偶然にできたものでないことがわかります。【以下略】
三土忠造は、小学校教員を振り出しに、衆議院議員を経て、大臣を何度も経験した異色の政治家であるが、その旧姓は宮脇である。したがって、引用文中、「三土一家」とあるところは、宮脇一家とすべきところであった。なお、旅行作家として知られた宮脇俊三は、宮脇長吉の三男にあたる。
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