◎『蜻蛉日記』と「おほばこの神」
昨日の続きである。前田勇『児戯叢考』(湯川弘文社、一九四四)の「禽虫篇」の冒頭の「蛙」から、「二、蛙の弔ひ」を紹介している。本日は、その三回目。昨日、紹介した部分に、改行して、以下の文章が続く。
ところが高田与清〈タカダ・トモキヨ〉はその著『擁書漫筆』(文化十四年刊)巻第二の中で鈴木煥卿の説を委しからず〈クワシカラズ〉と評した後で、「今の世児童がたわぶれに、蛙を打ころし、車前草の葉をおほうて、おんばこどのゝおんとぶらひと、呼はやしつゝ、もてきようずるに、見るまざかりに蛙いきかへりて、とびゆく事あり。」と云ひ、その末に『蜻蛉日記』〈カゲロウニッキ〉(右大将道綱の母〈ウダイショウミチツナノハハ〉の著。村上天皇の天暦八年から廿一年間にわたる日記)中之下の終〈オワリ〉に近い所に、
《山ごもりの後は、あまがへるといふ名をつけられたりければ、かくものしけり、「こなたざまならでは方も」などなげかしくて、
おほばこの神のたすけやなかりけんちぎりしことをおもひかへるは》
とあるのを引いて、「解環抄中の十二巻に、大原の神の誤とせしはひがごとなり。萩原宗固〈ハギワラ・ソウコ〉が首書に、おほばこば車前草か、和名於保波古、今も童の蛙を殺して、其の上に此草の葉おほひておけば、蛙のいきかへる戯事をするにや。其の事の神〈シン〉〔不思議〕なるによりて、おほばこの神〈カミ〉ともいへる歟〈カ〉、おもひかへるに、蛙をそへたる成べし、といへるがよろし。」と云つてゐる。
然るに喜多村信節〈キタムラ・ノブヨ〉また煥卿・与清の両説をあつめ取つたとおぼしき説をなし、殊に与清が「さておほばこの神は、(中略)蛙に用て〈モチイテ〉神妙の効験〈コウゲン〉ある葉なれば、神とはいへるなるべし。」と推量形で云つたのを断定にまで進めて、
《おほばこの神は、かへるに奇功のあるをいふなり、時珍(註 本草綱目の著者李時珍〈リ・ジチン〉)はかゝる事をしらざるにや、蝦蟇喜蔵于下、故江東称為蝦蟇衣とのみいへり。―嬉遊笑覧巻十二・禽獣―》
と云つてゐる。【以下、次回】
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます