礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

戦中の保育書に見る「出征軍人ごっこ」(付・諏訪根自子さん死去)

2012-09-26 05:35:26 | 日記

◎戦中の保育書に見る「出征軍人ごっこ」

 先週、神田の古書展で松石治子『幼稚園・託児所 自由遊び』(大日本出版社峯文荘、一九四〇)という本を入手した。幼児の「自由遊び」についての解説書である。
 全一〇章のうち、「九 ごつこ遊びの誘導」の中に、「出征軍人ごつこ」の誘導の例が載っていたので、紹介してみよう。かな遣い等は、今日風に改めた。

 出征軍人ごっこ
 一、端緒 日支事変が勃発して日毎に出征軍人が町から送り出され、幼児も小旗を手に母親とそれを見送る事が多くなって、いつとはなしに出征軍人の勇ましい姿に憧れを持つようになった。
 そしてその歓送の有様が深く深く脳裡に刻まれたものと見え事変が起って〔一九三七年七月七日〕一ケ月もするとこの出征軍人ごっこが行われてきた。
 二、過程 数名の年長組の男児が「先生、旗を下さい」と言ってきた。「何をするのか」と聞いて見ると「兵隊さんが戦争に行くところをする」と答える。多分兵隊ごっこであろうと旗を渡すと、一人が「僕が出征軍人だ」と言い出した。「僕は在郷軍人だ」「僕は青年団だ」と言ってそれぞれ役割が定まった。出征軍人はまず自分の帽子を被ってきた。そして上履袋〈ウワバキブクロ〉をさげてきて「奉公袋」だと言い、そして先頭に立って歩き出した。他の数名は小旗を振ってこの後に続いた。そして「天に代りて不義を撃つ」と調子を揃えて歌って歩いた。他の大勢の幼児ばこの数名の遊びを見て愉快そうに笑った。「僕も入れて」と列に加わる者もどんどんできる。列は段々に長くなる。
 三、誘導 まずピアノで軍歌を弾いて調子を合せた。幼児の足並が揃って立派な行進の形となる。しかし国旗を持たない幼児が物足りなそうであったからちょうど旗行列の時に用いた小旗があったのでそれをあたえる。これでも不足なので旗作りをする事になった。ここで、保育室にヒゴ竹と紙とを用意して自由に作らせる。
一方出征軍人の行進は相変わらずピアノに合せて活発に動いているが少し歩調が乱れてきそうになる。これを潮時にます停止させて音楽隊を作ってみる。太鼓、ラッパ、鉦〈ハチ〉、手風琴〔アコーディオン〕、タンバリン等を適当な幼児に持たせる、それから遊具としてあたえていた戦闘帽を出して男児に被せる。
 幼児は楽隊を先頭にして次に戦闘帽の男児が並んだ、女児は愛国婦人会と国防婦人会とに分れて並んだ。リーダー格の男児の命令によって隊伍を整えて行進した。列に加わるものは全部小国旗を手にした。
 次に神社だと言って床上積木で家を作りその前に整列した。出征軍人になった幼児を正面の高い段へ乗せて、君が代を合唱した。そして出征軍人が挨拶をする。青年団や在郷軍人の代表だと言って次々に出ては出征軍人にお辞儀をする。女児も婦人会代表だといって出てはお辞儀をする。これが一通り済むと再び軍歌の合唱に入り、列を整えて行進する。今度は駅だと言って椅子や積木で汽車とホームとを作って、ここでお見送りをする。特に汽車には窓を明けてここから首を出して旗を振る事がどんなにうれしい事か分らない様子であった。駅長になった幼児が笛を吹くと一斉に「萬歳」を絶叫する。見て居る保姆〈ホボ〉も心からこれに和してこの遊びは仲々つきようとしない。
(指導注意)
一、出征軍人になる幼児を順次に交代させる。
二、楽隊になる幼児も交代させる。
三、ピアノに調子を合せる事を指導する。
四、行進の列の正しいように注意する。
五、国旗の製作をする。
六、在郷軍人や青年団等の腕章作りをする。
七、婦人会の襷〈タスキ〉を紙で作るかまたは保姆が布で作って与える。
八、出征軍人その他の挨拶等を指導する。
九、歓送用の幟〈ノボリ〉等を作って幼児に持たせる。
(保育項目への連関)
出征軍人遊び、観察、談話、唱歌、遊戯、手技
一、「観察」(出征軍人の写真および絵画)
二、「談話」(保姆の見聞でもよいしまた出征を加味したお話でもよい)
三、「唱歌」(僕の出征、兄さんの出征等)
四、「遊戯」(前述の唱歌の振付)
五、「手技」(国旗、勲章、軍帽、奉公袋作り)

「出征軍人ごっこ」の項は、以上が全文である。
 二三、わかりにくい言葉が出てくるが、このでは、「奉公袋」について説明しておこう。奉公袋というのは、陸軍に入営する際、または戦地に赴く際に必需品を入れていった布製の袋で、中には、軍隊手牒、勲章、記章、適任証書、軍隊における特業教育に関する証書、召集、点呼令状のほか、貯金通帳などを入れたという。インターネット上で、何点か、実物の写真を見ることができるが、カーキ色をしており、表面に「奉公袋」の三文字、稲妻型の模様、および氏名欄が捺染されている。
 なお、『自由遊び』の著者の肩書は、帝都教育会教員保姆伝習所講師である。この帝都教育会教員保姆伝習所というのは、おそらく、一八八八年創立の東京府教育会附属保姆講習所の後身であろう(だとすれば、今日の「竹早教員保育士養成所」の前身)。

今日の名言 2012・9・26

◎論より実力

 バイオリニスト諏訪根自子〈スワ・ネジコ〉さんを評した言葉。戸板康二『いろはかるた随筆』が紹介している「スターいろは歌留多」(1952)より。この歌留多の初出は、雑誌『映画と演芸』(朝日新聞社)の「昭和二七年の号」で、作者は矢野目源一だとされる。7月21日の当コラム参照。ちなみに、「論より実力」の「論」とは、彼女が戦中に、ナチスドイツとの「友好」に関わったことについての議論という意味であろう。といつ天才的バイオリニストと言われた諏訪根自子さんは、本年3月6日、92歳で亡くなっていたという(昨25日の日本経済新聞夕刊による)。

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