礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

川合清丸の「吐納法」について

2013-12-15 10:31:00 | 日記

◎川合清丸の「吐納法」について

 先週、某古書店の「二冊で百円」の棚で、衛生新報社編纂の『物理的健康増進法』(新橋堂書店、一九一七)を入手した。文庫版よりやや小さいサイズで、本文八二ページという貧弱な本だが、内容はなかなか充実している。
 あくまでも、この本を一瞥しての感想だが、大正初年というのは、数多くの「物理的健康増進法」が提唱され、それらがあたかも「信仰」のように支持され流行していた時代ではなかったのか。
 それはともかく、同書の第二章「吐納法」の最初の部分を紹介してみよう。

 第二章 吐納法
 吐納法は、無々道人川合清丸〈カワイ・キヨマル〉が、至道寿人河野久〈コウノ・ヒサシ〉の照道仙人より無道長生の秘訣として授けられたものゝ伝授を受け、更に普通人にやりやすいやうに工夫〉一番されたものである。
 此法は無道長生〈ムビョウチョウセイ〉と云ふも、別に怪しきことでも無ければ理に合はぬことで無い、俗に云ふ目の子算用〈メノコザンヨウ〉にてよく知れることである。分り易く云へば無道長生の法は、諸病の起る原因を究めて其原因の処に於て早く其病根を断ち〈タチ〉切るの法である、一切諸病の病根をサツパリと断ち截つて〈キッテ〉了へば〈シマエバ〉、病気の起るべき理由はないのである、病気が無ければ生命の逝くべき機会が無くなるので、自然に銘々の受ける寿命を全くして長生〈ナガイキ〉すること云はずとも知れる道理である。また其上に一切の生命の根本を究めて、其の根本の処に於て十分に衛養発達の途〈ミチ〉を講ずるのであるからして元気充実して精神快活となる、之を要するに此法は内には元気を衛養して以て精神を快活になし、外には病根を裁断して以て生命の根を竪牢にするのであるから、これを修すれば無病長生を欲ぜざるも、無病長生の方より進んで我身に集る〈あつまる〉に至るものである。
 然らば其方法は如例と云ふに、先づ第一に吐納法を修し得る時には、元気内〈ウチ〉に充実して精神常に快活となるが故に、一切の病気は三舎を避け〔しりごみし〕、瘴癘〈ショウレイ〉、瘟疫〈ウンエキ〉等の気も寄り附く手段が無い、これが即ち生命の根本に於て十分の衛養発達を遂げしむるのである。
 吐納法は一口に云へば腹内にある悪気を吐き出して新しき気を吸う法である、云ふまでも無く、我々の生存には種々なる飲食物を摂取しなければならぬが、其中で最も大切なるのは大気である、食物は数日食はざるも能く〈ヨク〉生命を保ち得るは勿論のこと彼の〈カノ〉断食者の如きは僅か数勺〈スウシャク〉の水を飲むばかりで三週間以上お籠り〈オコモリ〉の出来るは人の知るところである。然るに大気は之れに反して僅か数分間呼吸せざるも忽ち窒息するに至るも、また能く人の知るところである。斯くの如く大気は世界に於ける何物よりも大切なものであるから、単に飲食物に於てこれが滋養のかくすれば消化が良いのと騒ぐよりも、先づ此大気を如何にすれば最も有効に用ゐることが出来るかと云ふことを考えるの必要がある、生の保存上唯一の根原なる大気を最も有効に摂取すれば、より以上の健康を保ち得べきは見易き〈キヤスキ〉の道理であつて、此の最も有効に摂取する方法は即ち吐納法なのである。【以下略】

 言っている内容は、「物理的」というよりは、どこか「宗教的」である。ただ、これを紹介している文章そのものは、なかなか歯切れがよい。
 ここに出てくる川合清丸(一八四八~一九一七)は、大道社を主宰した思想家・宗教家である。同時代に、「川合式強健法」なるものを提唱している、もうひとりの「川合氏」がいた(『物理的健康増進法』第七章による)。こちらは川合春充〈カワイ・ハルミチ〉という人で、もちろん別人である。

 

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