礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

岩波茂雄、レクラム文庫の件でNを強く叱責

2013-10-20 02:52:21 | 日記

◎岩波茂雄、レクラム文庫の件でNを強く叱責

 今日、インターネット上に、「岩波文庫略史」という文章がアップされている。この文章は、かつて『読書案内―若い人々のために―』(岩波書店、一九五六)という冊子に載っていたのと同じものだと思う。ただし、この冊子がすぐには探し出せないため、確認はしていない。
 昨日、紹介した「読者に謝す」という文章中にあった「かのレクラム文庫にしてなほ星一つ二十五銭」の箇所を見て、この話はどこかで読んだことがあると思った。たぶん、「岩波文庫略史」だろうと思って、インターネット上の同記事にあたってみると、やはり予想の通りであった。

 この略史の第1回分を執筆後、偶然Nの「岩波文庫事務日記」なる小冊子が発見された。Nは丹念な性格だから、当時のことを簡単ではあるが日記体で記録してあったのである。それをバラバラくって見ると、岩波やKが何月何日にどこへ原稿を依頼に行ったとか、Nが印刷所との交渉をどんな風にしたかいうようなことが記録されている。一々のことをならべたのでは大変な分量になるのでここでは割愛するが、それを見ていると1つの新らしい仕事がどんなにはげしい情熱と努力とによってでき上ってゆくものかというようなことが感慨深く考えられる。【中略】
 ところで「思想」の昭和2年8月号の広告欄を見ると、「読書子に寄す、岩波書店」という文章が載っている。これは文庫発売直後のことであって、文庫は発売早々大きな反響をよんだが、しかし一般の読者にはまだなじみの薄いものであったから、高踏的な刊行の辞だけでは読者がよく理解しなかったのであろう。そこで文庫についてもっと具体的なことを書きならべなくてはならなかったのである。たとえば文庫に入れる飜訳物,校訂物等は非常に力を入れるとか、この文庫には稀覯本(きこうぼん)も入れるとか、純粋に学術的研究的なるものをも入れるとか、収容するものは文芸、思想、科学のあらゆる分野に亘るとか、そして最後に世界的の販路をもつレクラムにしてなお且〈ナオカツ〉、星1つ25銭であるに反して、極限された日本語の読者のみを相手にせねばならぬわが文庫が星1つ20銭であることを見れば、必ずや吾人の立場をひとは諒とせられるであろう、と述べている。しかしこのレクラムが25銭であるというのはNの間違いであったことが後で判明して、岩波はNを強く叱責した。レクラムもまた当時20銭であったのだ。ともかくこの文章を書いたのは一般読者を目標にしているが、同時に著者関係に対して言いたいことも含まれていたのである。というのは著者側にやはりI〈イチ〉でふれたように、体系的でないとか、新らしいものが少いとかいうような批評が行われていたからである。

 岩波茂雄が、レクラム文庫の価格のことで社員を叱責したといったあたりを、かすかに覚えていた。つまらないことを覚えているものである。
 ところで、今になって気づいたことだが、上に引用した文章には、よくわからないところがある。筆者に、記憶違いがあったのではないか。
 ここで筆者は、雑誌『思想』昭和2年8月号に、「高踏的な刊行の辞」とは別の文章が載ったかのように書いているが、だとすると、《雑誌『思想』昭和2年8月号に載った「読書子に寄す、岩波書店」という文章》という言い方はおかしい。「読書子に寄す、岩波書店」が、まさにその「高踏的な刊行の辞」だからである。ここは、《昭和2年8月の新聞広告に載った「読者に謝す、岩波茂雄」という文章》に、というふうに訂正すべきではないのか。それとも、雑誌『思想』昭和2年8月号のほうにも、「読者に謝す、岩波茂雄」が載ったのか。このコラムが、もし岩波書店関係者の目にとまるようであれば、ご確認をお願いしたい。
 なお、上記引用箇所に登場するKというのは、おそらく、のちに岩波書店代表取締役となる小林勇のことであろう。Nが誰なのかは不詳。

*追記* 上記コラムを書いた時点では、「雑誌『思想』昭和2年8月号」を参照していませんでした。本日23日、同号を閲覧しましたところ、新しい事実がわかり、コラムに訂正および補足の必要が生じました。この訂正と補足は、24日のコラムで。【10月23日記】

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