礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ラ・ボエシーの文体について(大久保康明氏の論文より)

2013-07-16 14:24:57 | 日記

◎ラ・ボエシーの文体について(大久保康明氏の論文より)

 インターネット上で、大久保康明氏の「ラ・ボエシー『自発的隷従論』覚書」という論文(『人文学報 フランス文学』四〇六号、二〇〇八)を読んだ。ここでいう『自発的隷従論』とは、これまで「自発的隷従を排す」という訳で知られてきた論文のことである。
 さすが専門家の手になるものだけあって、非常に勉強になった。ここでは、大久保氏が、ラ・ボエシーの文体について分析している部分を引用させていただくことにする。

 原文はもちろん16世紀フランス語で書かれており、現代の読者には(フランスの知的階層にとってさえ)、逐語的理解においてすでにかなり困難なものである。たとえば、モンテーニュの『エセー』も、物語文学ではなく、いわば倫理論理的内容を主として盛ったものであるから、そのある種の抽象性によって、また文体に関して、ラ・ボエシーの作品との間で比較の対象になり得るかもしれない。『エセー』の文体はよく知られるように、一様とはまったく言えず、色々の意味でまさに混淆の様相を呈するが、その点、『自発的隷従論』の文章は、その短い政治論文としてのありようからも想像できる通り、『エセー』と比べればかなり一様なありようを示し、抽象度が高く、各文の構造は全体にわたってモンテーニュの文章よりも、純粋に論理性が勝って〈カッテ〉おり、明快さと複雑さの同居といった性格を有していて、形容がやや困難に思える。語彙等に関しても、『エセー』よりさらにラテン語等をもととした術語風の表現や難度の高い語彙が多いと言えよう。
 これが書かれたのは、確定的には言えないが1550~1553年頃かと思われる。フランス語の語彙や構文法の変化が甚だしかった16世紀にあって、『エセー』の執筆初期からさらに20年ほど先立つころに抽象的論理を駆使して書かれたこの論文が、より硬質の晦渋さを示すのは、実際の文の姿に接してみれば、かなり納得される事柄である。そこに見られるのは、これからも再三指摘することになろうが、切れ味鋭い逆説性であり、それを文の形にあらわし出すためには、ものを言い切る一文を形成する個々の語彙や表現も、硬質で研ぎ澄まされていなくてはならなかったことが納得される。不足のないようにとの配慮の見える文体は、この場合かなりの程度まで、多くの文構成要素を必要とし、それは鋭利さと同時に、ある種の「過剰」の印象を刻む。それはまた、論旨における反復的・増幅的性格をも反映しているに違いない。【二~三ページ】

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