礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

誰も「戦中」を覚えていない(1938年のふりがな規制)

2012-11-09 05:51:28 | 日記

◎誰も「戦中」を覚えていない(1938年のふりがな規制)

 昨日、たまたま、鴨下信一氏の『誰も「戦後」を覚えていない』(文春新書、二〇〇五)を読んでいたら、次のような記述があるのに気づいた。

 振り仮名廃止は廃止論者の作家山本有三(『路傍の石』や『真実一路』等で有名)が戦後参議院議員となって国語改革の中心となって指導したからだ、という説が有力だ。彼の小説は貧しい環境の少年が自立していくところに広い読者を獲得出来る素地があり、小説など読んだことのない人々にも読まれた。こうした層に自分の作品が支えられているという自信は、自分の書く文章の日本語をより易しいものにしようという欲求に結びつく。すでに昭和13年ごろからその主張は明確になってゆく。彼は例えばこうした文章をその理想とした。【このあとに、『不惜身命』昭和一六年改訂版からの引用があるが省略】
 もともと〔編輯〕と書いていたのを〔編集〕としたのは昭和14年の岩波版『山本有三全集』からだそうだが、彼は自分の書く文章の漢字を出来るだけ制限し、略字体を使い、〔時雨〕〈シグレ〉〔梅雨〕〈ツユ〉等の発音上の必然性のないものは仮名書き、漢字が二字つづけば音読、一字の時は訓読、例えば〔生物〕と書けばセイブツ、イキモノの時は〔生き物〕と書くのを原則とする……等の規則を自己に課した。
 たしかにこうすればルビを振らなくてもすむ。将来はこうした方向に日本語は向いてゆくだろうと山本は思ったのだろう。
 過去の作品を読むのに振り仮名ほど便利なものはない【これは小見出し】
 しかし、こうした書き方で書かれてない過去の作品を読むのに振り仮名ほど便利なものはない。
そして子供たち、彼らにとってこの世の中の本という本はたいてい過去のものだ。その子供たちにはルビは必要ではないのか。
  ぼくはどうも漢字制限、新仮名も含め、カナ文字、ローマ字論者共通の弊害はこの過去を一切尊重しないことにあると思えてならない。ぼくは「山本有三は眼が悪かった。彼は眼を悪くしたのはルビのせいだと思っていた」と揶揄〈ヤユ〉はしないが、ルビ廃止はどうしても解せ〈ゲセ〉ない。

 若干コメントする。
山本有三が眼底出血を起して入院したのは、一九三六年(昭和一一)で、『戦争と二人の婦人』の初版(単行本)が出たのは、一九三八年(昭和一三)のことであった。この本の末尾には、「この本を出版するに當って―國語に対する一つの意見―」という小文が付されており、そこに「ふりがな廃止論」が説かれていることは、今月三日のコラムで紹介した。
 とすれば、山本のふりがな廃止論は、彼が目を悪くしたことに発端があるという推定は成り立たなくもない。
 しかし、鴨下氏の「振り仮名廃止は廃止論者の作家山本有三が戦後参議院議員となって国語改革の中心となって指導したからだ、という説が有力だ」という言い方はアイマイである。もし、誰かがそういう説を唱えているというなら、それをハッキリと指摘すべきであろう。もちろん、その説が「有力説」とされるに足る根拠があるということも。
 今月三日のコラムで紹介したが、岩波新書『戦争とふたりの婦人』(一九三九)の末尾には、「『ふりがな廃止論とその批判』のまへがき」という文章が付されている。その内容は、まだこのコラムでは紹介していなかったが、そこには、一九三八年一〇月の末に、内務省警保局が、「幼少年雑誌の発行者」に対し、文書によってふりがなの廃止を命じた旨が記されている。
 山本は、ある雑誌の記者から、内務省がそういう措置を取ったと聞かされたときは信じなかったが、実際にその文書が送られてきたのを見て、ことの意外な展開に驚いた。あわてて彼は、警保局図書課に電話した。そのとき、「刷り物を持つてゐた私の手は思はずふるへました」とある。
 山本は、たしかに一九三八年(昭和一三)にふりがなの廃止論を唱えたが、その後、山本の持論は、彼の手を離れて内務省警保局の採用するところとなり、同年一〇月から、公的な形での規制が開始されたのである。つまり、ふりがな廃止の動きは、すでに「戦中」に始まっているのである(日中戦争が始まったのは、一九三七年)。
 鴨下氏の引く有力説は、山本のふりがな廃止論は、戦後になって初めて実現されたというもののようだが、この説は検討しなおす必要があろう。ちなみに、山本有三が、戦後の「国語改革」で果たした役割は、「新かなづかい、当用漢字の制定、新憲法の口語化」の三点とすべきであろう(昨日のコラム参照)。
 なお、鴨下氏は、「すでに昭和13年ごろからその主張は明確になってゆく」とも述べている。しかし、「その主張」というの何を指すのか、なぜ、「昭和13年ごろから」としたのか、という点が明確でない。昭和一三年に山本が、『戦争と二人の婦人』の初版(単行本)を出し、ふりがな廃止論を唱えたという事実を踏まえているようだが、もしそうであるならば、ハッキリとそう書くべきであった。

今日の名言 2012・11・9

◎個人の体験が社会に広がるとき、言葉は詩になる

 作家の山崎 ナオコ-ラさんの言葉。「詩のボクシング」のゲスト審査員を務めた山崎さんは、「不思議なことに気がついた」。聴衆は、「みんなの話」より、「自分の話」のほうに惹きつけられたという。「選手は自分の責任で、外に向かって個人の危うい声を放つ。聴衆は受け止める。そして個人の体験が社会に広がるとき、言葉は詩になる」。昨日の東京新聞夕刊「紙つぶて」欄より。

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