礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

森有礼の国語全廃論と馬場辰猪の国語擁護論

2013-06-17 06:07:22 | 日記

◎森有礼の国語全廃論と馬場辰猪の国語擁護論

 明治期に、森有礼〈アリノリ〉が、国語全廃・英語採用を唱えたことは知っていたが、それに対して、馬場辰猪〈タツイ〉が、国語擁護の立場から本を出版していたことは知らなかった。
 以下は、山田孝雄〈ヨシオ〉『国語史要』(岩波全書、一九三五初版)からの引用。

 かやうに、前二者〔佐藤誠実『語学指南』、里見義『雅俗文法要覧』〕は口語にも法則があるといふことを示したけれども、それらは一局部の事であつた。真に口語全般にわたつて法則を述べたものは馬場辰猪の日本文典初歩である。この日本文典初歩はたゞ日本文法の為のみに著したものでは無くして、わが国語の死活問題と深い関係にあるものである。明治の初め、森有礼が弁理公使として亜米利加〈アメリカ〉合衆国に居つた〈オッタ〉時、わが国語は欠点が多くて教育上の役には立たないといといふことを説いて、国語を全廃して英語を以て国語としようと考へて意見を発表して、欧米の学者の意見を求めたことがあつた。それを受けた欧米の学者はその大肝極まる計画を冷笑するもの、(セイスの如く)又その無謀な企〈クワダテ〉が国家の基礎を危くするものてあると教へたもの(ホイツトニーの如く)もあり、又返事をしなかつた人もあつた。馬場辰猪は明治前期の政冶家として明治政府の一敵国の観のあつた大人物であるが、当時政治学研究の為留学して倫敦〈ロンドン〉に居たのである。その際森の意見を聞いて、その謬つた意見を匡さう〈タダソウ〉と思ひ、日本の日常語には秩序井然〈セイゼン〉たる法則があるといふことの証拠を実地に見せてやるといふ目的で、英文でこれを草したもので、それをElementary grammer of the Japanese langageと名づけて倫敦で出版した。これば西暦千八百七十三年即ち明治六年のことである。この書は百頁許〈バカリ〉の小冊子であつて、内容は簡単を主としたけれども、先づ文字から入つて品詞論と文章論とに分れ品詞論中には助詞をpostpositionと訳して出してゐ、文章論には文の組織に関する規則十八条をあげ、なほ終に数多の練習問題を加へてある。その説には今日から見て賛成の出来ないこともあるが、しかし、簡単に書いてはあるが、要領を得たものである。さうしてこの書の序文に於いて日本語の優秀なことを論じ、日本語で普通教育を完成するに十分であるといふことを痛論して森の意見の謬つてゐるといふことを論破してゐるのは一の偉観である。而して〈シカシテ〉これは実に本邦人が外国文で出版した日本文典のはじめであると共に日本口語法の全般に通じて組織的に研究したもののはじめであつて、著者の国語擁護の熱誠と共にわが国語学史上貴重すべき一大著述である。然るに、この人の国語擁護の功績も、その国語研究の学績も明治三十九年頃までは全然顧みられなかつた。
 馬場辰猪の国語研究はその著書が英文であつた為と明治政府に忌まれた為とであつたらうか、国語学会ではその業績を認むることもなく、況んやその研究を継ぐ人も無くて明治の末期に及んだ。その間に国内で、口語について研究したものは落合直澄〈ナオスミ〉の普通語の説といふ一編であらう。(明治二十二年頃の皇典講究所講演にある)【以下略】

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