礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

都立二中、アメリカ軍によって占領される

2014-02-02 06:04:24 | 日記

◎都立二中、アメリカ軍によって占領される

 本日も、田代實『立川高校の天体望遠鏡物語』(二〇〇四)から。本日は、都立二中(都立立川高校の前身)がアメリカ軍によって、「占領」された話を紹介したい。この事件は、田代實教諭の長い教員生活においても、特に衝撃的な事件だったようで、事件の記述は、同書の冒頭におかれている。

 立川高校の天体望遠鏡物語(1)
 大東亜戦争は、昭和二十年八月十五日に、我国の無条件降伏によって、その終結を見たのである。
 それから凡そ三週間後の、九月四日火曜日のこと、私はいつものように、立川駅の南口に降りたった。すると、東京都立第二中学校生徒(以下二中生と呼ぶが、三々五々集っているのに気付いた。一瞬、私は、学校に何事かあったなと直感した。「先生、大変ですよ、学校は米兵が占領していますよ。」という生徒達の声が飛んできた。二、三日前に、連合軍がやがて立川市へ進駐するだろうと、いう噂を聞いていたので、さては、愈々、進駐してきたのかと思った。しかし、まさか、二中へ進駐しようとは、夢にも思っていなかったのである。「そうか、兎に角、ここにいても仕方がない、学校の近くまで行ってみよう。」と、さりげなく生徒達を促したものの、私は、いささか穏やかではなかった。そして、いつもと異なったそわそわした足どりで、学校へと急いだ。
 校門へ来てみると、成程三、四人の米兵が、鉄兜を冠り、小銃を肩に吊して、門の入口に立っていた。私の目と青い目玉とが、合致したとき、私は、もうここから校内へ、はいることはできないとあきらめた。これが、私の、青い目玉の米兵との最初の出合いであった。
 今迄は、連合軍隊といえば、日本の国土を遠く離れた、海の向うにいるものとばかり思っていたのに、今、目前に米兵をまざまざと見て、戦争に敗れたという実感が、漸く、深く私の、五感をゆり動かしたのであった。
 職員も生徒も、路上に佇んで、占領されている校舎をうらめしく眺めるのであった。その時、ふと私は、屋上に登っている大勢の米兵が、右往左往していて、ある者が、二中生が真似ては困る危険な振舞をしているのをみた。
 そのうちに、松井校長の顔も見え、職員も大部分揃うようになった。松井校長は学校管理責任者として、連合軍の隊長と会見する必要があるので、衛兵にその事情を話された。すると連合軍からの回答は、「何時ここを、立去るか、わかっていないが、多分二、三日後にはここを立去るであろう。」とのことであった。
 そこで、学校としては、とりあえず生徒達に、「今日から九月六日迄、臨時休校にする。九月七日は、午前八時十五分迄に、諏訪神社境内に集合せよ。」という指示を与え、ただちに生徒を帰宅させた。【以下、次回】

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1 コメント

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Unknown ( 金子)
2014-02-02 20:51:19
 三億円事件に立川の自衛隊の駐屯地がかかわってい

るという説がありますね。
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