礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日蓮主義者・石原莞爾と日蓮嫌い・東条英機の確執

2012-12-10 05:15:08 | 日記

◎日蓮主義者・石原莞爾と日蓮嫌い・東条英機の確執

 先日、知人の宗教研究家から小笠原日堂『曼陀羅国神不敬事件の真相』(無上道出版部、一九四九)のコピーをいただいた。書名だけは聞いたことがあったが、「曼陀羅国神不敬事件」というのがどういう事件であるかなどは、ほとんど知らなかった。
 一読して驚いた。そもそも、戦中に、法華宗(旧本門法華宗)の幹部らが激しい弾圧を受けていた事実、それに対して幹部らが徹底的に抵抗した事実を知らなかった。この本は、戦中の宗教弾圧とそれに対する抵抗についての、詳細かつ具体的な記録である。著者の小笠原日堂も、弾圧を受けた幹部の一人であって、著者が体験した弾圧の実際が、リアルに再現されている。こうした本は、他にそうあるものではない。なぜこの本の存在が、知られてこなかったのだろうか、というのが最初の読後感であった。
 この本については、いろいろと紹介したいところがあるが、本日は手始めに、「序の巻」の最後にある「国主法従―東条影信と東条英機―」という文章を紹介してみよう(四八~五〇ページ)。引用にあたって、漢字は旧字を新字に直したが、仮名づかいは基本的に原文のままとした。

 一二 国 主 法 従  ―東条影信と東条英機―
 其頃、軍官フアツシヨの高唱した宗教えの強制標語に国主法従なるものがあつた。従来の法を中心とした宗教思想を打倒して、国を中心主人として法は之〈コレ〉に従ふ家来になれということであつた。
 迫り来る大東亜戦争準備の為め、国体思想統一と称し、一切の宗教を神道一色に塗りつぶし、宗教団体を戦争協力ヘ駆り立てる為め、先づ自由主義的教義を改変し、一切を軍国主義の膝下〈シッカ〉に置く、国主法従えと露骨な干渉、暴力的強制を行つた。
 総司令部民間情報教育部宗教文化資料課編の「日本の宗教」の中で
 宗教に於ける軍国主義化が痛烈に指適され、
“宗教団体は皇道思想と一体となるようにその教義を修正することが要望された。すべての宗教団体の教憲、信条、教義問答書、讃美歌集等が綿密に調べられ、修正せられた”と陳べられてある。
 その思想弾圧態制は特高警察を手先きとし、内務―司法―検事の陣容を正面とし、軍―憲兵を側面として水ももらさぬ、如何にも憲兵政治の権化〈ゴンゲ〉東条式であつた。
 而して〈シカシテ〉国主法従えの基準は惟神道〈カンナガラノミチ〉で、その惟神道の最高絶対天照大神である。
 一切の宗教は天照大神へ帰一〈キイツ〉すべきである。苟しくも〈イヤシクモ〉この神の上に立つもの、この神の本体を説明するもの、それは例え宇宙の真理正法であろうとも、絶対に許すべからざるものである……と堅く方針が定められていた。
 然るに〈シカルニ〉何んぞ〈ナンゾ〉、渺たる〈ビョウタル〉一宗派が一度ならず二度までも、この絶対尊厳体を侵し、鬼畜と言ひ、垂迹神〈スイジャクシン〉と説く、何んたる不逞の輩〈フテイノヤカラ〉ぞ。
 而も〈シカモ〉この国家非常の戦時局下に於いて、断じて許すべからざる不敬の徒党一綱打尽ぞと、弾圧陣の方針一決、今は発令の日を待つばかりとなつた。
 弾圧の親玉、東条英機〈トウジョウ・ヒデキ〉と言へば有名な日蓮嫌ひで、その点同姓の先輩……日蓮聖人を安房〈アワ〉の小松原で殺さんと伏勢して斬り込み、聖人の額上二寸の切傷を負はした事で、日蓮宗側からは法敵の名で有名な念仏信者の東条景信〈トウジョウ・カゲノブ〉とは不思議に同姓であつて、血脈関係の有無はよく分らぬが法華嫌ひの点は全くよく似ている。
 彼とは終始反対の立場をとつていたが、一時同じく満州関東軍にいた故石原莞爾〈イシワラ・カンジ〉将軍が彼を評して、
「宗教も何にも分らん男じやが、そのくせ本能的に日蓮が嫌ひで、その点東条景信の再来かも知れんよ」……とひやかしていた位いで、彼の日蓮嫌ひは有名なもので、本事件の黒幕の陰で、子分の蓑田〔胸喜〕を激励していたのも彼であるとの風評を屡々耳にした。
 そう言えば、血脈的にはとも角として因縁的には全く景信そのものだとも見える。
 ただ、景信は念仏信者の立場から弥陀の怨敵として日蓮聖人を迫害したが、英機は、始め戦争指導者として神道を鼓吹し、如何にも一かどの惟神家の外観を示していたが、愈々〈イヨイヨ〉絞首台の臨終が近づくや、景信と同じく念仏信者の本地を現し〈アラワシ〉、頻りに〈シキリニ〉念仏して弥陀の浄土行きを惟れ〈コレ〉願い、愈々絞首刑の前日になるや
 明日よりは誰にはばかるところなく
  弥陀のみもとでのびのびと寝む
 欣求〈ゴング〉浄土、厭離穢土〈オンリエド〉の思想を露骨に現し、彼の為、敗戦闇黒の悲運につき陥された〈オトサレタ〉幾千万の同胞を後に、弥陀の浄土へノビノビと寝んと逃避して了つた〈シマッタ〉。

 鎌倉時代の東条影信まで持ち出して、東条英機を批判しているが、東条英機に対する著者の恨みは、それだけ大きかったということであろう。
 石原莞爾と東条英機との間には、さまざまな確執があったと言われている。とりあえず本日は、そうした確執の背景に、宗教上の問題があったかもしれないということを、小笠原日堂の著書を引きながら指摘してみた次第である。【この話、続く】

今日の名言 2012・12・10

◎明日よりは誰にはばかるところなく 弥陀のみもとでのびのびと寝む
 
 A級戦犯として処刑された東条英機の辞世の歌。東条英機の念仏信仰は、巣鴨拘置所の教誨師(浄土真宗本願寺派僧侶)・花山信勝〈ハナヤマ・シンショウ〉の影響が大きかったとされている。

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1 コメント

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Unknown ( 金子)
2012-12-12 17:57:24
 実は私も、とある在野史家の先生からその本のコピーを戴きました。法華神道系の新宗教である蓮門教は島村ミツが小倉で開教した習合神道系の宗教で、「ご神水」を信者に配布する点を世間から邪教視され、尾崎紅葉が『紅白毒饅頭』でその実態をいとも妖しげな秘儀を行っている団体として糾弾し、マスコミのバッシング等もあり教団は俄かに衰退の一途を辿り、さらにミツの死後の後継者争いで四分五裂したそうであります。
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