礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

H・G・セリグマンの「ユダヤ人問題の将来」(1937)を読む

2013-02-07 07:56:13 | 日記

◎H・G・セリグマンの「ユダヤ人問題の将来」(1937)を読む

 昨年末に、雑誌『国際文化協会報』の第二一号(一九三八年一月二〇日)を入手した。いくつか興味深い記事があったが、そのうちから、ハーバート・J・セリグマンの「ユダヤ人問題の将来」を紹介してみたい。訳者は、森田武彦、【  】内の筆者紹介は、森田によるものと思われる。

 ユ ダ ヤ 人 問 題 の 将 来(Jewish faith - Christion Civilization) 
  ハーバート・J・セリグマン(Herbert J. Seligmann)
 (『ニュー・リパブリック』〔一九三七年〕十二月八日号)
【筆者はアメリカに於ける人種問題の研究者、ネグロ族に関する著書あり、別にローレンス研究、詩集などを持ち、文学にも通じてゐる。本篇は本会報〔国際文化協会報〕に一二度取り扱つた反セミチズム〔反ユダヤ主義〕の問題であるが、彼は経済的側面から問題の解決を将来に約した点で注目されてよい。因みに〈チナミニ〉付録として掲載した表は好個の参考資料とならう。】
〇ユダヤ人問題の発端
 若しこの一箇年を通じて、ヨーロツパに於けるユダヤ人迫害に関して云ふ所があるとすれば、それはヨーロツパ群小国のユダヤ人の抑圧が顕著になつたことであらう。バルカン的、即ち換言すれば孤立的ナシヨナリズムの中にあつて、各国が相剋的な発展をなさんとして、この抑圧政策を執つたことは、蓋し〈ケダシ〉各国の名誉確保とその力量とに於て当然なことであらう。
 抑々〈ソモソモ〉此の被圧迫人種は、嘗つて〈カツテ〉無智と野蛮の大衆を統一する具として政治の中に現はれたのであつた。彼等ば政治的破綻と、経済的行き詰りの無責任な打開策の犠牲となつたのである。ポーランドの一政治家がかう云つた。「政治経済の遂行に指導原理を失つた時、大衆の輿論統制の具として反ユダヤ主義を持ち出すことは、安直〈アンチョク〉で効果があるものだ」と。
 如何に安直であるかの証明のために一つの実例を挙げてみよう。去年〔一九三六年〕の八月のことだつた。ポーランド南方ガリシアの地に五十万人の貧農――この時五十人余りは銃殺に処された――のデモがあつた。旗に書かれたスローガンは、「我等はユダヤ人の商売を望まず、我等は土地と選挙の自由を求む」であつた。此のヨーロツパに於けるユダヤ人地位の顛落に際会した当時の大学にあつては、ユダヤ人学生は遂に交友の自由を奪はれ、恰も〈アタカモ〉ユダヤ人街と云ふものがあるやうに、学内にユダヤ人席と云ふのが設けられ、一般学生と区別された。そしてユダヤ人でない一老教授が学長の職につき、今迄のユダヤ人学長は罷免された。勿論、かかる反ユダヤ主義者は、その冷酷無慈悲な煽動と程度の強烈さとの故に、或る範囲を除いては一般民衆の中に浸透して行きはしなかつたが、然し、全ヨーロツパを通じて勝負は既に決定し、ユダヤ人の運命ば焔の中に投げ込まれてゐるのである。
〇ルーマニア的ユダヤ人問題
 ルーマニアに於ては特に長くかうした危険状態が続いてゐる。此処では反ユダヤの機関出版物には奨励金が賦与され、その広範な宣伝は、かの国家選定図書として最高部数を示した所謂「ユダヤ人問題」で、民衆の中に浸徹してゐる。而して、これはルーマニアのナチ連繋に利用されてゐることは勿論である。ドイツに於ては、その人口六千七百万を越える中、僅か三十七万五千人のユダヤ人か残つてゐるに過ぎない。而もこのユダヤ人とても、選挙権は剥奪され、市民的私的生活からも完全に絶縁され、強圧と強風の中に立たされてゐるのだ。而して、乙の三十七万五千と云ふ数字は、最早ドイツにとつては恐怖的数字でなく、此の国ではもうユダヤ人問題は国家伸長に関する大問題ではなくなつて了つてゐる。
 実際、今ドイツにとつてユダヤ人問題と云ふものは、自らの東方政策、東方進出に資する「重要輸出品」に化してゐると云へよう。宜〈むべ〉なる哉〈カナ〉、このことばルーマニアに於て今云つた如く明らかに実証されてゐるのである。富多く繁栄せる此の国に於て、五年も前には左様な勢力もなければ、反ユダヤを表明する機関誌など勿論なかつたのである。而も今日を見よ、四十と数へられる日刊と百と呼ぶ週刊が発行されてゐるのだ。オーストリアに於ける反ユダヤ運動は謂はばドイツ禍の化膿の中から生れたのであつたが、ルーマニアの場合は、政局の調整とその強化の過程にあつて、ドイツ側に立ち乍ら国の確保を維持せんとする所に生れたものである。出版費本はルーマニア以外から調達されてゐる。価格として総計四十万ドルを越えるであらう日刊四万部の新聞が、首都ブカレストの中枢部十二番街の各ビルデイングに無料で配達されてゐるのだ。かかる状態だから、ルーマニアは人口一千八百万の中〈ウチ〉八十万を数へるユダヤ人が政治的抵当物となつてゐるのであつて、「ユダヤ人問題の解決」の名のもとに、国内人口総数に比すれば僅かばかりの孤独な人種の貧困他退化に名を藉りて、内政を無視してゐるのである。【以下は明日】

 文中、「ネグロ族」とあるのは、当時の言葉でいう「ニグロ」(Negro)、すなわちアフリカ系アメリカ人のことを指しているものと思われる。
 一九三五年に死んだポーランドの初代国家元首ユゼフ・ピウスツキは、ファシスト的な独裁をおこなったこともあったが、基本的には反ユダヤ主義ではなかったとされている。しかし、この記事によれば、一九三七年の時点で、ポーランド国内は、反ユダヤ主義の風潮が強まっていたもようである。しかもそうした動きは、ポーランドに限らず、「ヨーロツパ群小国」一般に見られる、とセリグマンは報告している。
 特に重要なのは、「ユダヤ人問題」が、東方進出を狙うドイツの「重要輸出品」であったという指摘であろう。
 筆者のハーバート・J・セリグマンについては詳しくないが、インターネット上に次の情報(訃報)があった。セリグマンのプロフィールは、半世紀前に森田武彦が紹介したものと大差がない。
 HERBERT J. SELIGMANN Published: March 7, 1984 Herbert J. Seligmann, an author and journalist, died of a heart attack Sunday at Lenox Hill Hospital. He was 92 years old and lived in Manhattan. Between 1914 and 1941, after his graduation from Harvard University, Mr. Seligmann worked for The New Republic, The New York Evening Post, The New York Globe and The New York Tribune. He wrote “The Negro Faces America” and “'Race Against Man”, among other books, and two volumes of poetry and essays.He also edited ''The Letters of John Marin,'' the artist. Surviving is his wife, the former Lise Ruess.

今日のクイズ 2013・2・7

◎次の3か国のうち、1937年の時点で最もユダヤ人の人口が多かったのはどれでしょう。

1 ポーランド  2 ルーマニア  3 フランス

【昨日のクイズの正解】 1 1937年の林銑十郎内閣 ■同年月から月日まで。選択肢のなかでは、これが最も短い。「金子」様、正解です。ちなみに、「金子」様お尋ねの「最も恐るべき二国」ですが、これは、宣戦の詔書(米国及英国ニ対スル宣戦ノ詔書)で、宣戦の対象としている二国、すなわち、アメリカとイギリスのことでしょう。

今日の名言 2013・2・7

◎ユダヤ人の運命ば焔の中に投げ込まれてゐる

 ハーバート・J・セリグマンの言葉。「ユダヤ人問題の将来」(1937)に出てくる。上記コラム参照。

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2 コメント

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Unknown ( 金子)
2013-02-07 10:10:16
 そうなのですか、ありがとうございます。
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Unknown ( 金子)
2013-02-07 21:59:34
 これは難しいですが、2のような感じがします。
返信する

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