礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

羽仁吉一が二重橋にお詫びに向かった理由

2012-11-20 06:00:50 | 日記

◎羽仁吉一が二重橋にお詫びに向かった理由

 終戦の玉音放送のあと、宮城前でひれふす人々があらわれたことについて、法学者の星野安三郎先生(故人)は、「アレは動員だよ」と言われた。詳しく聞いておかなかったので、その根拠はハッキリしない。傍証となる資料「特検機第二〇三号」はいただいたが、星野先生が、この資料をもとに、そのような断定をおこなったのか、あるいは、他に何らかの根拠や知見があって、そう断定したのか、このあたりのことはわからない。
 さて、昨日紹介した資料「特検機第二〇三号」は、よくわからないところが多いが、一応、次のように捉えてみた。
 冒頭に、「本日ノ廟議ニ基キ、現下ノ情勢ニ即応シ閣議ニ於テ大要左記ノ通リ輿論指導方針決定セルニ付、右ニ依リ措置シ遺憾ナキヲ期セラレ度」とある。この文書は、岡山県知事が、内務部長・警察部長と連名で、各地方事務所長・市長・警察署長に対して発した八月一四日付の「機密文書」だとされている。だとすれば、この「本日」とは八月一四日、「本日ノ廟議」とは、八月一四日の御前会議ということになる。
 (一)の「一般的要綱」の内容は、特に岡山県を意識しているようには見えない。ということは、これは、内務省から送られてきた一一日付の「機密指令」の内容を、そのまま踏襲している可能性が高い。すなわち岡山県知事は、一一日付の機密指令を受理して以降、いつでもこうした「機密文書」を発せられるべく準備を進め、その際、(一)には、内務省の指令に基いて一般的な注意を記し、(二)以降では、岡山県の実情に応じた具体的な指示を記したのではないだろうか。
 そして、これと同様の「機密文書」は、全都道府県で作成されたと思われる。その際、東京都およびその近県においては、「陛下ニ対シ深キ陳謝ノ誠ヲ表シ奉ル」(資料(一)の三)ための具体的な方法についての指示、例えば、宮城前で陳謝の誠を示すよう呼びかけよ、などの指示が盛り込まれた可能性があると考える。
 一昨日に紹介した富塚れい子さんの日記(八月一五日付)には、「羽仁〔吉一〕先生は総代を連れ二重橋にお詫びをしに行った」とあった。羽仁吉一は、その日、急に思いついて、そのような行動に出たわけではないだろう。どういうルートからだったかは不明だが、おそらく一四日の段階で、自由学園の経営者である羽仁に対し、終戦の放送がおこなわれるから、その終了後、「総代」(生徒総代か)を引率し、宮城に赴くようにという指示がなされていたと見るべきであろう。
 また、富塚れい子さんの日記には、玉音放送の終了直後に、羽仁吉一が、「実に強く、一人一人誠が足りなかったからだとおっしゃった」ということも書かれている。学校関係者が児童生徒に対して、そのような方向で内面指導をおこなうこともまた、事前に指示されていた可能性があろう。
 なお、昨日紹介した岡山県労働組合総評議会編(水野秋執筆)『岡山県社会運動史』第11巻「戦火を越えて」の一九七~一九八ページには、八月一五日配達の新聞に掲載されたという小泉梧郎岡山県知事の「謹話」が紹介されている。重引しておこう。

 茲に〈ココニ〉御詔勅を拝し至尊の国体に対する深遠たる大御心〈オオミココロ〉ならびに一億赤子に対する宏大なる御仁慈の程を拝察し、聖慮洵に〈マコトニ〉感泣のほかはない次第であります。ここに至りましたことに就てはわれわれの努力足らざるものと深く深く自責致し、上至尊に対し奉りなんとも恐懼〈キョウク〉のほかなき次第であります。
 畏くも御詔勅に示し給える国体護持・万邦共栄・君民共在の大御心は、われらが心身の限りを尽しまして必ず謹しみ行い、聖断のままに県民相携へ整然たる秩序と鉄血の団結の下、臥薪嘗胆〈ガシンショウタン〉の努力を重ね、以て急速なる国力の回復に専念致し、聖慮に応へ奉らねばならぬと存じます。
 今この新しき重責を一億相ともに荷いました。われわれは苟め〈カリソメ〉にも結束の弛緩、秩序の索乱がありますれば、全く収拾不能の大事を出来〈シュッタイ〉せしむることとなるのであります。なお今後われわれは各種の困苦を目のあたり経験せねばならぬのでありますが、この困苦も官民一体の協力により堪へ難きを堪へ抜き、これを突破致さたなければなりませぬ。かく致しますことは啻に〈タダニ〉聖旨に応へまつるのみならず、同時に皇国無窮の力をさらに培養強化し、以て他日を期するものとなるのであります。
 この試練は或は歴史に絶し或は言語に尽せざる忍耐を要するものでありましょうが、私どもは皇国不滅を確信し三千年の伝統に輝く日本精神を益々強靱にし、今後の国内食糧の確保に戦災復興の迅速に、隣保共助・親愛協力・団結一致各々その職任を完遂致し、以て一日も速に〈スミヤカニ〉、聖慮を安んじ奉るとともに、来るべき日を期したいと存ずる次第であります。

 文頭に、「茲に御詔勅を拝し」とある。知事は、詔書が放送される前の段階で詔書に目を通し、その上で「謹話」の原稿を書いているのである。詔書を読んでいるからこそ、「国体護持」に言及し、「堪へ難きを堪へ抜き」という表現が使われたのである。
 当時の県知事の権限は大きかったし、その職責は重かった。八月一一日の段階で、内務省から敗戦後の治安維持に関する「機密指令」を受け、八月一四日には、内務部長・警察部長と連名で、各地方事務所長・市長・警察署長に対して「機密文書」を発する。同時に、あらかじめ読むことを許された「終戦の詔書」に目を通しながら、県民に向けた「謹話」の原稿を草し、これを新聞で発表する。
 謹話の内容については、注釈しない。ただ、この内容が、八月一四日付「機密文書」の趣旨とピッタリ一致した内容であり、県民に対して内面指導をおこなうものになっていることだけは指摘しておこう。

今日の名言 2012・11・20

◎今この新しき重責を一億相ともに荷いました

 小泉梧郎岡山県知事が、1945年8月15日に発表した「謹話」の中にある言葉。上記コラム参照。

*都合により、21日から23日まで、コラムをお休みします。24日に再開します。

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