礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

なぜ清津に百人乗りバスが導入されたのか

2014-04-26 05:06:47 | 日記

◎なぜ清津に百人乗りバスが導入されたのか

 昨日のコラムで、戦前、朝鮮・清津〈セイシン〉市内を走っていた百人乗りバスの「構造仕様書」を紹介した。いまどき、誰がこんな資料を読むだろうかと思いながら紹介したわけだが、案に相違し、昨日のアクセス数は、ここ七日間ではトップであった。
 この構造仕様書は、一九四二年五月五日発行の『汎自動車・技術資料』に掲載されていた野萱美雄「朝鮮都市交通の雄 百人乗りバスの構造」という報告の別表である。順序が逆になったが、本日は、その報告の本文のほうを紹介してみよう。

 朝鮮都市交通の雄 
 百人乗りバスの構造 野萱美雄
 朝鮮に於ける重要工業の発展は最近目覚しく殊に北鮮地方に於ては時局産業及び工業の躍進は顕著にして之に伴ひ旅客の動きも頓に〈トミニ〉増加し、今迄の様な小さい自動車では到底其の要望を満足し得ない様な事情が起つて来た。
 北鮮の最大都市の清津では駅と市の中心とは二粁〈キロメートル〉近く離れてゐて列車の発着、汽船の発着毎に一時に極めて多くの人々が動き、其の要求を満たす為に又燃料其の他の資材を節約する為、特別に大きい自動車を運転する計画が関係者間に於て進められて、国産のトヨタ141吋〈インチ〉車台に一大改造を加へて、前方台車も後方台車も二軸四輪の特別な形式を採り、軸距〔ホイールベース〕を5370粍に延長し、運転台もキヤブオーバー型にし前方客室床面を出来る丈け低くするために機関を地上250粍迄下げてゐる。
 改造及車体の製作は釜山府の朝鮮金属工業株式会社の手に成り昭和15年8月上旬完成し、9月1日から開催された朝鮮博覧会に出品し、其の後清津府内に実際に使用されたのは昭和16年1月中旬以降で、爾来今日迄に一年近く府民や北鮮の旅行者の足となつて非常に歓ばれてゐる。
 最近又一輌を加へて今日では三輌が運転されてゐる。製作費は総額19,550円で旅客定員一人当り216円である。廻転半径は11米以内で何処でも運転できる構造で、車輌の重量は空車の時6,600瓩〈キログラム〉で其の35%が前方台車に懸つてゐる。
 試運転の時には平坦線で最高33粁の速力を出し燃料消費量は一粁当0.46立〈リットル〉である。
 車輌の構造仕様書は別表〔昨日のコラムで紹介〕の通りである。
 実際に使用した成績は燃料費、モビール費〔潤滑油費〕、タイヤーチユーブ費及修繕費の合計は別図〔略〕の如く大型車になる程一車一粁当りでは増加してゐるが、旅客座席一人当りでは大型車程低く、此の百人乗自動車では0.38銭となつてゐる。
 使用開始後未だ故障もなく運転してゐるが、一年を経過したばかりで本当の成績は今後の経過に俟たなければならないが、尠くとも現在に於ては最初の計画通り交通量緩和の上に非常に大きな貢献をしてゐる。(筆者は朝鮮鉄道局監督課自動車係)

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