礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ヒュー・バイアスの『敵国日本』(1942)を読む

2013-02-01 07:17:34 | 日記

◎ヒュー・バイアスの『敵国日本』(1942)を読む

 創刊当時の『世界』に載っている記事は、興味深いものばかりだったが、なかでも考えさせられたは、創刊号および第二号に紹介されたヒュー・バイアスの著書『敵国日本』だった。日米開戦から数か月後の、一九四二年二月、アメリカで公刊されたものだという。
 この本の性格などについては、のちほど触れることにして、とりあえず、本日は、その内容の一部を引用して紹介してみたい。

 第二部 日本の政治制度
 第四章 誰が日本を動かすのか
 誰が日本を動かしてゐるのか。日本政府とは何か?問題は全く実際的な問題なのである。我々としては戦ふことを欲したわけでもなく、また、できる限り挑発することを避けて来た相手ではあつたが、今となつては戦はねばならぬこの敵日本を知らねばならぬのである。政治学的な、または法律学的な説明を求めてゐるのではない。また日本の制度は未完成で類例のないもので、普通の政治学上の言葉では説明し難いが、併し我々としてはその制度がどう動くか知らねばならないのである。政策は何処で建てられ、何処で決定され、何人が行ふのか?外交問題を処理するに当つて政府が予想せねばならぬどんな面倒な要素が国内にあるのか?日本国民の境遇が常に政府の政策を或る方向に強要してゐるのではないか?究極に於て経済的必要が今度の戦箏を惹起したといふ議論は果してどの程度に正しいのか?
 日本に関するニュースを読む為にだけでも、日本の政治制度が如何なるものであるかをある程度知つて置く必要がある。日本が和戦の境を彷徨しながら戦意を固めることな逡巡してゐた過去十五ケ月間、日本からのニュースは幾多の予想――しかもなかなか実現しない予想を報じてゐた。幾度我々は――主として各国のニュースから――聞かされたことであらう、「日本は蘭印を衡かん」「日本はシベリアに侵入せん」「泰〈タイ〉に最後通牒を発せん」等々と。今日となつては、その中の或るものは正しかつた。また全部が正しかつたことになるかも知れない。日本国内の強力な要素がかうした政策を要求してゐたことは何時も明かであつた。断行すべきことを要求する声は絶えたことなく、愈々断行されるだらうとの噂も絶えたことなく、しかも独逸との同盟が締結されてから一年以上も断行されなかつたのである。国内の何処かに行く所まで行き着いても米国と戦ふことを躊躇した原因があつたのである。
 予想とその実現との間に時間があるのは、第一に日本政府が重要なことを決定するその決定の仕方に因るのである。「洞ケ峠」的態度〔日和見的態度〕は、政府の最高部で最後の決定をなす一部少数の有力者が未だ諾と言はず、従つて今すぐのやうにも思へる行動がとられなかつたことを意味するのである。積極論者を代表してゐるかに見える総理大臣や陸軍大臣が、実は積極論者を押へてゐることが屡々あり、また陸軍が飽くまで要求するまゝに枢軸同盟を結んだ近衛公の場合のやうに、例へ積極論者に譲ることは譲つても、その結果が直ちに現はれることを防ぐ消極的な心理が窺へることもあるのである。
 日本政治を論ずる際、「独裁」「デモクラシー」「ファシズム」「白由主義」等々の言葉を一切使はずに済めば、却つて分りが早いかも知れない。不幸なことにはかういふ言葉は、現代政治の通用語である以上そういふわけにも行かない。日本人自身、本当のモンロー主義とは全然異つた意味に「日本のモンロー主義」を口にする流義で、盛んにこれらの言葉を使ふのである。かういつた用語は、すべて評価の標準が我々のとは異るのである。林銑十郎大将は、僅か数ケ月の総理大臣時代、好んで立憲政治尊重を口にしたが、「日本独特の立憲政治」と言ふことを忘れなかつた。「日本独特の立憲政治」によつて、日本はナチやフアツシヨの党のないナチ的・フアツシヨ的国家になつたのである。このことは憲法の機構内でできたのである。ナチ化した陸軍の支配下にあつて、日本は「自由」なる制度を失つてゐない。日本にはそんな制度がなかつたのである。今日、日本は事実上独裁国家である。型の違つた独裁国家である。即ち一国一党の党を背後に率ひ、宣伝の大鼓を先頭に押立てた独裁者を戴く独裁国ではないのだ。独逸にはヒットラー、ソ連にはスターリン、伊太利にはムッソリーニ。日本にはそんな名前がない。日本人の名前が変だからではない。日本にはそんな権力をもつた一個人がゐないからである。

 戦中の日本の政治は、一口に「軍国主義」とか「ファシズム」という言葉で括られることが多かった。しかし、その実態は、そう簡単なものでなかったことは、何よりも当時の日本人がよく知っていたことであり、また歴史が示していることでもあった。それを、「軍国主義」や「ファシズム」という言葉で括ってしまうと、どうしても現実の実態からは遠くなる。
 ところが、上に引用した部分は、開戦間もない時点で、日本の複雑な政治の動態を、複雑なままに描こうとしている。これは、きわめて冷静で、かつ「実際的」な分析というべきであろう。

今日のクイズ 2013・2・1

◎「洞ケ峠」〈ホラガトウゲ〉についての説明で正しいのは、次のうちどれでしょう。

1 岐阜県内に実在する峠。
2 大阪府と京都府の境に実在する峠。
3 伝説上の峠であり、実在しない。

【昨日のクイズの正解】 3 『吉本隆明1968』を担当した平凡社の担当者。■呉智英氏は、その著書『吉本隆明という「共同幻想」』(筑摩書房、2012)の序章で、鹿島茂『吉本隆明1968』(平凡社新書、2009)の冒頭部分を引き、この発言が、平凡社の「若い編集者」であることを明らかにしている。

今日の名言 2013・2・1

◎地震のあとには戦争がやってくる

 忌野清志郎〈イマワノ・キヨシロウ〉の言葉。阪神大震災から五年後に書かれた「没原稿」の中にでてくるという。「地震のあとには戦争がやってくる。軍隊を持ちたい政治家がTVででかい事を言い始めてる」。昨日の東京新聞「筆洗」より。

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2 コメント

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Unknown ( 金子)
2013-02-01 13:15:26
 これは、2ですね。筒井順慶が舅の光秀を取るか、それとも仇討ちという大義名分を持ち、勢いのある秀吉側につくか悩んだことに因んで、洞ヶ峠の諺が生まれたんですよね。
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Unknown ( 金子)
2013-02-01 21:46:49
 バイアスの日本論は、日本独特の政治機構について実に示唆に富む興味深い指摘ですね。政党に関していえば、共産党はソ連、中国等のコミンテルンの国々にもあり、民社党もある意味で日本独特の点を本質的に持ってはいますが、これもヨーロッパ流の社会民主主義の政党でした。しかし、自民党や社会党のような政党は日本以外にはあり得なかったのではないでしょうか?
 
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