◎「無実の罪で苦しむのも因縁」と諭された免田栄さん
一九九〇年代後半のことだったと思うが、文京区民センターで開かれた何かの集会で、元死刑囚の免田栄〈メンダ・サカエ〉さんの講演をお聞きしたことがあった。
今でも印象に残っているが、このとき免田さんは、概略、次のようなことを言っておられた。――刑務所にやってくる教誨師(僧侶)に、自分は無実だということを訴えたが、いくら訴えても聞いてもらえない。かえって、「あなたは無実の罪で死刑になる宿命にある」と諭され、絶望的になった。さいわい、キリスト教の教誨師もいて、その人が、自分の話を聞いてくれたうえ、再審を手助けしてくれた。
無実の罪で処刑されようとしている死刑囚に対して、「あなたは無実の罪で死刑になる宿命にある」という教誨師がいたと聞いて、鳥肌が立つような恐怖を覚えたが、ある意味で、これが仏教という宗教の本質ではないのかと思った。また、このように諭した教誨師は、多分、浄土真宗の僧侶であろうとも思った。
ここのところ、吉本隆明に関するコラムを書いているが、その関連から、この免田さんの体験談を思い出した。このことについて論じようと思ったが、講演時の記憶だけを根拠に論じるのもどうかと思ったので、図書館で、免田さんの著書数冊を閲覧してみた。
該当する箇所はすぐに見つかった。
免田栄著『免田栄 獄中記』(社会思想社、一九八四)に、次のようにある。
昭和二十六年〔一九五一〕二月二十三日、控訴審の第三回公判が開かれた。白石裁判長は弁護人が申請した私の精神鑑定を退けた。これは第一審でも同様であった。極刑をまぬかれるため弁護人は私の精神鑑定を求めたのだが、私としては堂々と正面から無罪を主張してたたかってほしかった。そのほか重要証人として申請していた石村高子(丸駒の石村良子の義母)の証人調べも同じく退けられた。裁判長は控訴の審理が終了したことを述べ、次回の三月十九日が判決であることを告げた。
このころ、朝鮮半島では内戦が勃発し、南と北の軍隊は一進一退をくりかえしていた。
アメリカのマッカーサー総司令官は原爆投下を主張してトルーマン大統領と対立、とうとう解任されてしまった。一方、日本では吉田内閣が警察予備隊を創設、これが今日の自衛隊に変貌したのである。またGHQは日本共産党の幹部を追及して、いっさいの政治活動を停止させた。そのために共産党の逮捕者がふえ、拘置所職員も多忙をきわめた。居残りはもとより、日勤の役人の臨時夜勤などがかさなった。
そんなこんなで収容者と看守の対立が激しくなった。収容者は役人暴行という汚名を着せられ、足腰が立たぬほどのなぐる、けるの集団暴行をうけた。そのうえ役人に手むかったというかどでさらに懲罰をうけるので、両者の対立はとげとげしさを増していった。
ところで教誨にやってきた僧侶の人が数人の死刑囚を前にして、
「今は国難ですぞ。もし日本に共産党が侵入すれは、私どもは殺されるか、捕えられて刑務所に放りこまれる。そんなことになっては大変です。銃がなければ、私たちは竹槍でも戦う覚悟ですから、みなさんもお役人さんの指示に従ってください」
と、まさに戦争中の姿勢そのままで、感情むきだしだった。日本の仏教関係者のほとんどは軍や政府に協力して戦争を聖戦として礼賛〈ライサン〉し、日本の中国や東南アジア諸国への侵略を支援しなしたことは誰一人しらぬ者はない。それだけではない。自分は冤罪〈エンザイ〉だからと再審を請求しようとする収容者に対しても、
「これは前世の因縁です。たとえ無実の罪であっても、先祖の悪業の因縁で、無着の罪で苦しむことになつている。その因縁を甘んじて受け入れることが、仏の意図に添うことになる」
と、再審の請求を思いとどまらせるような説教をする僧侶がいる。こんな世の因果をふりかざして、再審請求をさまたげる僧侶が少なくない。
記憶では、免田さんは、まず僧侶の教誨師に相談して絶望的になり、そのあとキリスト教の教誨師に相談して救われたという時系列で話されていたように思う。この記憶と『獄中記』の記述とはややズレるが、これは私の記憶違いだったのかもしれない。ともかく、免田さんら再審を請求しようとする収容者に対して、「無実の罪で苦しむのも前世の因縁」という説教をした僧侶の教誨師がいたことは、たしかなようである。
吉本隆明に関するコラムを書いていて、なぜ、こうした免田さんの体験談を思い出したのかについては次回。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます