礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

国会図書館所蔵「発禁図書」の来歴(付・日中のナショナリズム)

2012-10-28 05:49:12 | 日記

◎国会図書館所蔵「発禁図書」の来歴

 一九八〇年(昭和五五)に国立国会図書館が発行した『国立国会図書館所蔵 発禁図書目録―1945年以前―』という冊子がある。「はしがき」で一ページ、「凡例」で一ページ、そのあと、アイウエオ順に書名を並べた本文が一二四ページ分、「著者名索引」が二七ページ分、奥付で一ページ。ただこれだけのシンプルな本であるが、見ていて飽きることがない。
 この目録が作られた目的等については、「はしがき」で、収集整理部長の林修氏が次のように述べている。ここに全文を紹介させていただくことにする。

 この目録は、昭和51年以来数次にわたって、米国議会図書館から返還されてきた接収発禁図書と、当館が受けついでいる帝国図書館旧蔵のものとを合せて、当館が現在所蔵している発禁図書2,186点の全容を明らかにするとともに、その閲読利用の便をはかるために編さんしたものである。
 これらの図書は、いずれも特殊な来歴を背負っているので、その経緯等をここに書きとどめておきたい。
 このたび返還完了をみた発禁図書は、米軍が日本占領直後に旧内務省から接収し、その後、米国議会図書館に保管されていたものである。その返還を求める声は昭和46年〔一九七一〕ごろから本格化し、国会の場でもこれがとりあげられ、やがて日米両国政府間の外交交渉が始められた。当館は折衝の基礎的資料として、当面返還を求める図書のリストを作成し、これを外務省に提出した。その後いくたの曲折を経たが、最大の難関は、わが国が講和条約〔サンフランシスコ平和条約〕によってかかる物件の返還請求権を放棄していること、加えて、すでに米国議会図書館の蔵書に正式に編入されていたことであった。従って、返還されるにせよ、それは図書ではなくマイクロフィルムによる公算が当初は大であった。しかし最終的には、原本の返還が実現をみるに至った。これは、米国議会図書館の格別の好意に負うところが大きい。返還は昭和51年〔一九七六〕7月から6回にわたって行われ、昭和53年12月に完了した。総数1,062点を数える。
 一方、国立国会図書館支部上野図書館の前身である帝国図書館も、発禁図書の一部を所蔵していた。戦前は、旧出版法(明治26・4)にもとづき、出版物は出版の三日前までに、内務省に二部提出することを義務づけられ、検閲の結果、発売頒布の禁止処分に付された図書は、内務省が保管してきた。しかし昭和12年〔一九三七〕に至って、発禁図書の分散管理を目的として、その副本を帝国図書館が保管することとなり、内務省は従前保管してきた発禁図書の副本を移管し、以降も移管が続けられて敗戦を迎えた。帝国図書館が移管をうけたものを、内務省警保局が刊行した「禁止単行本目録」や「出版警察報」と照合してみると、相当数の欠落を見出すことができる。なお、内務省保管書庫は関東大震災〔一九二三年九月〕により焼失したので、当館が現在所蔵する発禁図書はすべて大正12年〔一九二三〕秋以降発禁処分を受けた図書である。
 かつての出版検閲の苛烈〈カレツ〉さは、出版・言論の自由を亨受している当代の想像をはるかに超えるものであった。戦後、発禁図書に関する調査研究もすすみ、多くの書誌類も刊行されているが、発禁図書そのものを図書館という公共の場において自由に閲覧できることの意義を改めてかみしめてみたい。この目録が、出版物の検閲に関心をよせられる人々に少しでも役立つことを希う〈ネガウ〉ものである。

 総数が、二一八六点で、うち米国議会図書館から返却されたものが一〇六二点ということは、残りの一一二四点が、一九三七年(昭和一二)以降、帝国図書館に移管されてきた「副本」ということになるのであろうが、即断は控えなければならない。
 今日、国会図書館が所蔵している「発禁本」の来歴は、この短い文章では、とても語り切れないものがあったはずである。このあたりの経緯を、詳しく紹介している文章があれば(一冊の本になりそうな気がする)、ぜひ読んでみたいものである。
 ところで、この発禁本目録には、一昨日および昨日のコラムで紹介した信濃憂人訳編『支那人の見た日本人』(一九三七)も載っている。目録には、「安 昭12.11.23」とあるので、処分理由は、「安寧秩序妨害」であったことがわかる。【この話、続く】

今日の名言 2012・10・28

◎両国民はナショナリズムに操作されやすい。

 EIU(エコノミスト・インテリジェンス・ユニット)のチーフエコノミストのロビン・ビューさんの言葉。「両国」とは、日中両国のこと。「反日教育の結果、多くの中国人が日本に好ましい感情を抱いていないのは事実だが、日本も過去100年の歴史をきちんと教えているとは言い難い」。本日の日本経済新聞「日中問題 世界はこう見る」欄より。

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