礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

蓑田胸喜による日蓮批判と国神不敬事件

2012-12-12 05:45:45 | 日記

◎蓑田胸喜による日蓮批判と国神不敬事件

 曼陀羅国神不敬事件は、戦前における「法華宗」に対する宗教弾圧であるが、より正確に言えば、「旧本門法華宗」に対する宗教弾圧であった。ここに「旧本門法華宗」としたのは、戦時下、文部省の強力な干渉によって、一九四一年(昭和一六)三月に、本門法華宗・法華宗・本妙法華宗の三派が合同し、新たに「法華宗」が成立していたが、曼陀羅国神不敬事件で弾圧を受けたのは、主として、このうち「旧本門法華宗」だったからである。
 これら三派合同による「法華宗」は、戦後の一九五二年(昭和二七)に合同を解消し、その後「旧本門法華宗」は、法華宗本門流を名乗って今日にいたっている(大本山は、光長寺、鷲山寺、本能寺、本興寺)。
 曼陀羅国神不敬事件について知るためには、小笠原日堂『曼陀羅国神不敬事件の真相』(無上道出版部、一九四九)が第一級の資料であるが、時代背景等を知るためには、法華宗宗門史編纂委員会著の『法華宗宗門史』が便利である。一九八八年(昭和六三)刊で、発行所は「法華宗(本門流)宗務院」、すなわち、「旧本門法華宗」系の機関である。
 同書の第八章「昭和時代の教団」第二節「教義要綱から国神不敬事件へ」の第三項は、「国神不敬事件への展開」となっている。本日は、その前半部分を引用してみよう。

 昭和十三年(一九三八)七月二十日、「原理日本社」を結成し新日本創造をめざしていた慶応大学の蓑田胸喜〈ミノダ・ムネキ〉は小冊子『本門法華宗の神祇観に就いて』を発行し、宗祖の教えは国体反逆思想であるとし、さらに日本神職会会長である徳重三郎は、昭和十二年に引きつづき再度、神戸地方裁判所に、宗祖御本尊に天照太神・八幡大菩薩を載せるのは不敬であると告訴した。
 昭和十四年(一九三九)、日蓮宗管長望月日謙は、曼荼羅国神不敬問題に対処するため、身延山久遠寺〈クオンジ〉に日蓮門下代表約百名を招集、曼荼羅中より国神〈クニツカミ〉削除を決議し、本宗〔本門法華宗〕へも勧説して来たが、本宗はこれを受け入れなかった。
 当時、本宗は修正教義綱要の出版にむけてとりくみ、三吉日照内局は、その草案の起草を学林教授株橋諦秀に委託、草案完成後僅かの部数を検討用に謄写印刷し、極秘に宗内外の学者の意見を求めたが、その草案が、また宗内部の者より特別高等警察の入手することとなった。
 昭和十六年(一九四一)、三吉〔日照〕総監、松井〔正純〕教学部長らがすすめた三派合同(本門法華宗・本妙法華宗・法華宗の合同)の成功と、旧本門法華宗内局員らへの宗内批判勢力の反目として昭和十三年(一九三八)に決着していた教義綱要事件が再び問題化されて来た。
 昭和十六年(一九四一)四月十一日、三派合同法華宗成立直後、兵庫県警察部、特別高等警察は、旧本門法華宗教義に国神不敬の容疑があると、法華宗顧問三吉日照、教学部長松井正純、前学林教授苅谷日任〈カリヤ・ニチニン〉、同小笠原日堂、同泉智亘、学林教授株橋諦秀を検挙、各々が百余日留置され取調べをうけた。このうち、苅谷日任、株橋諦秀は翌十七年、四月十六日、予審が終了し神戸地裁の公判に付されることに決定した。
 これに対応して宗門では昭和十六年(一九四一)五月、宗務庁において教学刷新審議会を開催、祖書再研鑽、本宗綱要編纂について審議を行った。七月、興隆学林長上島日珠〈ウエジマ・ニッシュ〉の福井蓮成寺において、本宗綱要編纂委員会が開かれた。
 同年十一月二十八日には、宗祖の正義を顕揚し、教学の刷新を図るため日蓮門下協議会が結成され、本宗からは宗務総監、星川日敬が参加した。
 御遺文削除問題も昭和十二年(一九三七)日華事変後に再燃し、神道側よりの天照・八幡勧請禁止要求も出され、問題が拡大していた。日蓮宗では、昭和十六年(一九四一)三月宗綱審議会を開き削除問題を検討、政府の要求により、日蓮門下各派に呼びかけ宗祖御遺文削除訂正委員会を組織し、重要遺文七十余篇をえらびその中より約二百ケ所を削除した『昭和改訂版日蓮聖人遺文』を出版することに決定したが、本宗〔法華宗〕はこれに同調せず、協議会より脱退し、独自で行動することとした。

 ここまでが、「第三項 国神不敬事件への展開」の前半である。
 ここでは、引用しなかったが、第二節第一項「時代的背景と御遺文削除問題の興起」、同第二項「本門法華宗教義綱要問題」を読むと、曼陀羅国神不敬事件(曼荼羅国神不敬事件、国神不敬事件)よりも以前に、一九三二年(昭和七)に始まる「日蓮遺文削除問題」や、一九三七年(昭和一二)に始まる「本門法華宗教義綱要問題」という宗教弾圧があったことがわかる。曼陀羅国神不敬事件は、いきなり発生した宗教弾圧というわけではなかった。しかし、昭和一〇年代にはいると、急速に、弾圧の動きが激しくなっていったのである。
 戦前・戦中における宗教弾圧というと、どうしても、大本教事件、ひとのみち事件などを思い浮かべてしまうが、伝統的な宗派に対しても、こういった宗教弾圧があったことを忘れてはなるまい。
 国神不敬事件の話は、まだ終わっていないが、同じ話を続けるのもどうかと思うので、明日は話題を変えたい。

今日の名言 2012・12・12

◎宗祖の教えは国体反逆思想である

 右翼思想家・蓑田胸喜の言葉。宗祖とは、日蓮を指す。小冊子『本門法華宗の神祇観に就いて』にあるとされるが、未確認。蓑田は、原理日本社から32ページほどの小冊子を何種類も出していたが、これもそのうちの一冊であろう。国会図書館には架蔵されていない。

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