礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

労働の生産性をあげ経済を再建せん(労働省)

2017-02-13 04:45:28 | コラムと名言

◎労働の生産性をあげ経済を再建せん(労働省)

 米窪満亮述『新憲法と労働者』(労働省、一九四八)を紹介している。本日は、その二回目(最後)。
 全文の紹介は断念し、以下、「三 どういう種類の義務を定めたか。」、「六 労働権、労働の義務。」、「七 女子、児童の権利。」、「八 労働者の責務。」の順で紹介する。

 二 どういう種類の権利を定めたか。【略】
 三 どういう種類の義務を定めたか。
 労働者は、国民の一人として、自由や権利をもつているだけでなく、積極的な義務ももつている。例えば、納税の義務や教育の義務更に勤労の義務がそれである。然し、それらの義務の外、右の自由や権利を使う方法についてのいろいろの義務がある。なるほど右に述べたように労働者、女子、児童は、新憲法によつて自由を獲得し、人間らしい生活が保障された。かくして労働者は使用者と、対等な地位に置かれることとなつたのである。而もそれらの地位は確固不動のものであつて、新憲法は厳かに〈オゴソカニ〉それは侵すことのできない、永久の権利として現在及び将来にわたつて保障する旨を宣言しているのである。然しいくら憲法で権利を保障しても、それをまもつてゆくのは、結局国民自身である。それ故新憲法も「この憲法が保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」と言つている。更に又いかなる権利といえども無制限に行使することを許されるものではない。自己の権利が確保されるためには、相手の権利を尊重しなければならないというのは、権利の原則であり自由の基本的な内容である。つまり権利には当然義務がともなう。それ故新憲法も又はつきりとそれらの権利は濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のために利用する責任があることを定めているのである。従つて例えば、労働者は新憲法によつていわゆる争議権が与えられたらといつて、それを無制限に行使することは許されないと定めている。従つてその方法には限界がある。その事例を考えてみよう。第一に、それは、相手方たる使用者の経営権を侵害してはいけない。いわゆる生産管理は経営権を侵害するものであると看做して、吉田〔茂〕内閣は昨年〔一九四六〕六月それを正当な争議行為でないと声明したのである〔社会秩序保持声明〕。第二に、その行使が公共の福祉のために違反してはいけない。この見地から昭和二二年のいわゆるゼネストは、国民の経済政策をどん底におとしいれるものであると認定して、マ元帥はその中止を命令されたのである。 
 四 団結権、団体交渉権、いわゆる争議権。【略】
 五 労働条件の基準の確保。【略】
 六 労働権、労働の義務
 新憲法は、その第二十二条に職業選択の自由を定め、その第二十七条に勤労の権利を規定し、更にその第十八条に苦役を禁止し、児童については、その第二十七条第三項にその酷使を禁止したのである。ここに労働の自由は基本的な人権として保障され従来の如く人間を物と何ら異る所なく、官庁が勝手に徴用する心配はなくなつたわけである。
 新憲法は、かように労働の自由を保障しただけではない。更に労働者に就職の機会を与える努力をなすべき義務更に社会保障をなすべき義務を国に課したのである。すなはちその第二十五条第二項に、国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないと定めている。従つて国は、経済の復興、国民生活の安定に努力しなければならない。かくて労働者も亦一般国民と同様健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有することになつたのである。この憲法の規定に基き、すでに生活保護法が制定され、生活困窮者を保護し、今又職業安定法、失業保険法、失業手当法を制定したのである。職業安定法は、職業の指導、輔導並に紹介によって、職業の確保を目的としてゐるのであるが、その目的は更に云えば、一つには、適材適所の就職、二つには、安全就職である。そのために、職業紹介機関である公共職業安定所の効率的運営、公共事業の実施その他重要産業の復興を念願してゐるのである。然し現実には文字通りの完全就職は不可能である。従つてやむを得ず出る失業者に対しては、失業保険法、失業手当法等によつてその生活の保障をはかることにしたのである。
 かように国としては、労働者の就職の機会を与え、然も労働条件について最低生活の保障をしており、一度失業となれば失業保険或は失業手当によつて失業時の生活を保障し更に生活困窮者には国の責任において保護を与えてゐる以上、心身健全の労働者であるならば、徒食は許されない。新憲法ははつきりと、労働の義務を定め、ここに働かざる者は食うべからずという思想を明文化したのである。
 七 女子、児童の権利。
 新憲法は女子を男子と平等の地位に置き、児童の酷使を禁止した。従来わが国では、女子は夫や家にしばりつけられ、児童は半人前と考えられていた。然し女子は一国民として又一労働者として男子と何ら異る取扱ひをすべき理由はなくそれ所か将来の国民、労働者を育て上げる母体であるから、積極的に保護しなければならぬし、又児童は次の世代を背負う国民であり、労働者であるから、これを充分にまもらなければならない。そこでこの憲法の規定に基き、労働関係の法律だけでなく刑法や民法においても、男女平等の規定を定め、又児童についても児童福祉法案を今議会に提案したのである。他方政府は労働省設立に際し、婦人少年局といふ新な一局を設け、婦人一般の問題、婦人労働の問題、年少労働の問題を積極的に取扱ひ、婦人と児童の解放と保護を図ることとなつたのである。
 八 労働者の責務。
 われわれ日本人――使用者といはず労働者といはず、女子といはず児童といはず――にとつて、いちばん大切なことは、日本経済の興隆である。而もこれからの再建には、労働者、女子並に児童の力に俟つ所がきわめて大である。その為には、それらの者の自由を確保することによつて、誇りと責任感を高め、その人間らしい生活を保障することによつて能率をあげるようにしなければならない。所謂労働の生産性をあげなければならない。新憲法によつて労働者、女子並に児童の自由を確保し、その人間らしい生活を保障したのは、一には、右に述べた如く、新憲法が平和主義と民主々義を貫かんためであるが、他方には、まことにこの労働者の誇りと責任感と能率の増進、いわゆる労働の生産性をあげることによつて、経済の再建を実現せんことに外ならぬのである。労働組合法、労働関係調整法などには、いづれもはつきりと、団結権や団体交渉権を保障する事により、経済興隆を目的としていることを謳つてゐる。この点について労働基準法も何ら異る所がない。而も今述べたように、それらの自由の確保と人間らしい生活の保障は、経済の再建を目標としているのであるが、実は、経済の再建が実現しなければ、自由の確保も生活の保障もあり得ないのである。若し労働者、女子、児童がその趣旨を充分に理解せず、与えられた権利のみを主張して日本経済の再建を害するならば、誠に本末転倒この上ないという外はない、のみならず結局は己れの権利すらまもられないことになる。それ故にこそしばしばくりかえしたように新憲法はそれらの権利を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のために利用する責任をはつきりと定めているのである。

 こうして最後まで読んでみると、労働省が、この小冊子を発行した目的が明らかになる。この小冊子の目的は、日本の労働者に対し、労働者の権利を教えようすることではない。むしろ、その逆で、日本の労働者の権利行使の行き過ぎに対し、これを牽制することにあった。そのことは、文中の、次のような言葉によって明らかである。

○労働者は新憲法によつていわゆる争議権が与えられたらといつて、それを無制限に行使することは許されないと定めている。従つてその方法には限界がある。
○いわゆる生産管理は経営権を侵害するものである
○いわゆるゼネストは、国民の経済政策をどん底におとしいれるものである
○経済の再建が実現しなければ、自由の確保も生活の保障もあり得ないのである。若し労働者、女子、児童がその趣旨を充分に理解せず、与えられた権利のみを主張して日本経済の再建を害するならば、誠に本末転倒この上ないという外はない

 それにしても、戦前から労働者の地位の向上に努めてきた米窪満亮が、戦後、労働大臣として、労働者に対し、こうした警告を発することになると、誰が予想したことであろうか。

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