礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

明治大正における警察犬導入の失敗と日本人の「犬」観

2012-09-24 05:02:51 | 日記

◎明治大正における警察犬導入の失敗と日本人の「犬」観

 江口治『探偵学体系』の七六一ページには、「過去に於ける我が国の警察犬の訓練は失敗の歴史でありました」とある。明治の末年以降、警視庁がコリー、エアデールテリア、ブラッドハウンド、ウルフドッグなどの犬種を使って訓練をおこなっていたが、大成の見込みがなく、一九一九年(大正八)に廃止されたという。同書の著者・江口治(警視庁前警視)は、この廃止時代に、警察犬関係の責任者であった。
 この『探偵学体系』という本は、一九二九年(昭和四)に刊行されているが、この時点でも、警察犬制度は復活していなかった。このことは、江口が、「再び創設せられねばならぬ」と力説していることでわかる。
 さて、同書で興味深いのは、過去に警察犬の導入が失敗した背景について、一種の文化論的な考察をおこなっていることである。この種の議論は、まずほかでは見かけないと思うので、以下に引用してみたい(七六一~七六三ページ)。

 日本人が動物を可愛がらぬ国民であると云ふ評判は、遺憾乍ら〈ナガラ〉慥かな〈タシカナ〉事実であります。併し多くの人は夫れ〈ソレ〉が何んで遺憾であるか、人間の間にすら必ずしも相愛の実〈ジツ〉が挙らないのに、何の遑〈イトマ〉が有つて犬などを問題にするかと云ふ様な意見を持つた人は可なり多い様であります、物を云ひ得ぬ可憐〈カレン〉の動物を、斯〈カク〉の如く冷遇する吾人〔わたしたち〕の習性は何処〈ドコ〉から来たのでありませう。或る人は日本人は遊牧生活をした歴史を持たぬ故に、動物に対する情味を解せないのであらうと云ふ説明をしました。成る程草地〈ステップ〉が乏しい為昔から牧蓄も余り盛んであるとは云へず、又太古に於て遊牧の経験も持たぬとすれば、先づ民族としては大体に於て動物とは縁の薄い方で有ると云へませう。そう云へば動物に不親切な我国の中でも、現に牧畜の盛んな地方では、多少一般畜類に対する態度が違ふ様にも思はれます。兎に角〈トニカク〉吾人の祖先は魚類や植物を主要食物として来た為、畜類と兄弟分に成つて暮す必要が無く自然吾人の血の内には、動物に対する深い愛着性を貯へて居ないと見る外は有りますまい。
 我国に於ける警察犬の不成績は、前に述べました様に創始方法の不適当で有つた事も一つの原因でありますが、もつと重大で根本的である問題は、人間と動物の親しみの薄い事であります。先年北清事変〔義和団事件〕の時、外人が日本の騎兵は馬によく似た猛獣に騎つて〈ノッテ〉居ると許したと云ふ事ですが、之が吾人の対動物態度の全体を顕はして〈アラワシテ〉居るのでは有りますまいか。小児は路上に繋いだ牛や馬に礫〈ツブテ〉を投げつけ、棒切れで打つのを遊戯の一つと心得て居り、犬などは小児の唯一の虐待の対象になつて居ます。そして彼等は夫れが牛であり馬であり犬である事実の為に、虐待せらるべき理由が充分に在る様に考へて居ます。そして左様な〈サヨウナ〉小児の育つたのが吾人なのであります。犬を虐待して置いて犬から公安を守つて貰はふ、警察の仕事の一部を手伝つて貰はうと云ふのは、考へて見れば随分虫の宜い〈ヨイ〉事であります。
 物を言はない動物にも仲々微妙な感情の動きがあります。吾人の大部分は夫れに対して何の同情も理解も持ちません。故に犬に取つては人間はまあ大体「タイラント」〔暴君〕の群であると云つて宜しい〈ヨロシイ〉のであります。そして畜犬と云ふのは、貰つて来たか或は台所へ度々訪問して来るので、犬公方様〈イヌクボウサマ〉流の不合理な愛憐〈アイレン〉を起し、届けて税金〔蓄犬税〕を払つて遣る〈ヤル〉と云ふ様な人が大多数であります。ですから畜犬でも少しも躾〈シツケ〉の無いものが大多数であります、こんな有様故〈アリサマユエ〉雑種は出来次第で、犬は大抵〈タイテイ〉は貰ひ食ひで路上に其の日を募す、家畜でも無ければ夫れかと云つて野獣でもない一種の浮浪動物であります。其の点から見ますと犬の大多数は実体的には野犬と畜犬の区別が無く、只税金の払ひ手の有るのが畜犬と云ふ丈け〈ダケ〉でありますから、仕舞〈シマイ〉には畜主自からの消極的態度が、犬を警察へ引き渡さねばならぬ様な猛獣に仕上げて仕舞ふのであります。過去に於て恐らくは犬種の改良一つすら遣つた事のない国で、外国の犬を傭つて来て探偵をさせると言つたら、日本の犬は吹き出さずに居られないでありませう。
 狂犬以外の犬が何故に人間に咬み付くか、犬に咬み付かれる為其の人間が犬に何をしたか、又他の人間が常にどう云ふ仕向け〔あつかい〕をしたか、そんな事は一切問題にならす、犬は犬で有るが故にどんな目に遭はしても好いと考へる国、夫れを飼つて遣りさへすれば、主人の無躾〈ムシツケ〉の為どんな悪犬に成つても、自分の無慈悲からで有ると思うはぬ国民、其んな国に渡つて来た外国犬が、無埋解な之等の人々の為猛烈に退化し、今日の様な地犬〈ジイヌ〉の出来たのも偶然ではありません。斯かる〈カカル〉状況では仲々優良な犬が出来る筈は有りますまい。故に警察犬を飼養するにはせめて警察界丈けでも、今少し犬に理解を持つ必要が有りませう。

 この『探偵学体系』という本は、警察の捜査技術についての解説書であるが、「犬」をめぐるこの日本人論、日本文化論は、そういったこの本の制約を打ち破っており、傾聴に値すると考える。
 なお、私は、昭和三〇年代に東京の郡部で少年時代を送ったが、その当時の「犬」が置かれていた環境は、江口が描写していたものと大差なかった。つながれている犬というものはほとんどなく、またどの犬もよく人(特に子ども)を噛んでいたことを思い出す。

今日の名言 2012・9・24

◎日本の騎兵は馬によく似た猛獣に騎つて居る

 義和団事件(1900)の際、外国人が日本の騎兵を評した言葉。江口治『探偵学体系』(松華堂書店、1929)の762ページにある。上記コラム参照。義和団事件というのは、義和団・清朝軍と日本を含む列強八か国との間の戦争。映画『北京の55日』(1963)は、この事件を題材にしたもの。

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