礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

春日政治博士の「かながきのすすめ」(付・頭痛薬「ピカドン」)

2012-09-25 05:53:48 | 日記

◎春日政治博士の「かながきのすすめ」

 春日政治〈カスガ・マサジ〉博士の『国語叢考』という本については、今月九日のコラムで取り上げたが、今日は同書中の一篇「手だて と 目あて」を紹介してみたい。全体でも四ページほどの短い文章だが、紹介するのはその後半の二ページ分である(二三〇~二三一ページ)。

 これも江戸じだいの心学者柴田鳩翁〈キュウオウ〉という人の話をあつめた鳩翁に次の話がある。
 むかし京郡に今大路なにがしといふ名高い医者があつた。ある時くらま口といふところの人がくわくらん(漢字で霍乱と書き、急性の陽カタル)の薬をつくつて売りひろめるため、看板をこの今大路先生におねがひして書いてもらつた。先生はその看板にかなで「はくらんのくすり」と書かれた。そこで頼んだ人が「先生これはくわくらんの薬ではござりませんか。なぜはくらんと書かれましたか。」ととがめると、先生笑つて「くらま口はざいしよから京への出入口で、ゆききの人はみな百姓や木こりばかりだから、「くわくらん」と書いてはわからない。ざいしよ言葉で「はくらん」と書いてこそ通用はする。たとへまことであらうと、わからなくてば役に立たない。「はくらん」と書いても、薬さへ売れて、それがよくきいたらよいではないか。」とおつしやつた。
 今大路先生のこの言葉は、さすが名高い医者といふだけあつて、まことにおもしろい。なるほど看板は手だてであつて、薬を売るのが目あてである。多くの人はこの手だてと目あつてとをまちがへてゐる。そのてんから文といふものは、だれにも通用する言葉をなるべくたやすい文字で書くべきことは論のないはずである。
 子どもは小学校へ出ないうちに、かな文字五十くらゐはたやすく覚えて、かなだけの文字ならば、読みもし、もしそれが話言葉であり、発音どほりの書き方であるならば、読んで意味をとり、書いて自分の考へをあらはすことのよほど自由なのは、我々が実際見てゐることである。自分はかかる子どもを見るたびに、つくづく思ふ、この上何をくるしんで、かなづかひなどを教へようか、さらに漢字などを教へようか、さらにさらに文語などを教えへこまうかと。この上かなづかひを教へるといふことは、自然をしひて不自然にすることではなからうか、正しいものを無理やりに乱すことではなからうか、手がるなものを好んでめんだう〔面倒〕にすることではないだらうかとさへ思ふ。自分はたつとい〔尊い〕子どもたちの頭を手だて(目あてのない)のためにくるしめることをむしろむごたらし思ふものである。
 くりかへしていふが、文は手だてである。目あてではない。手だてである以上、一ばん書きやすく、一ばん讃みやすく、したがつて一ばん習ひやすく、一ばん手びろく通用しやすいものでなくてはならない。かう考へてくると、つまり文の言葉は話言葉、文字は、音をしめす文字、しかもそれを発音どほりに書かなくてはならない。(大正十一年十二月、かながきのすすめ)

 この文章を読むかぎり、春日政治博士は、かながき論、漢字廃止論の立場に立っていたと思われる。この文章のタイトルが「手だて と 目あて」と、わかち書きされているのは、かながき論の立場から、あえてそうしているのであろう。
 末尾に出典として示されている「かながきのすすめ」というのは、中村春二〈ハルジ〉編の『かながきのすすめ』(成蹊学園出版部、一九二二)のことと思われるが、未確認。
 それにしても、この文章は非常にわかりやすく、読みやすい。この時代、こうした平易な表現によって、「かながきのすすめ」が説かれていたことを、私たちは、もう少し注目してもよいのではないだろうか。

今日の名言 2012・9・25

◎ピカドンで頭痛忘れて玉の汗

 1949年1月13日の愛媛新聞に載った「あとむ製薬」(広島市十日市町)の新聞広告。「ピカドンで・・・」は、同広告に採用された川柳(佳作二位)。「ピガドン」は、同社が発売していた健腕頭痛薬の商品名である(「健腕」は腕っぷしが強いの意)。占領下の情報統制で、報道機関は原爆の怖さを伝えず、むしろ原子力を賛美する報道が増えていたという。本日の東京新聞「特集」より。

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