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 ≪ 「ら」抜き言葉の使用率が増大: 文化庁調査 ≫  狭い日本 そんなに急いで何を言う?

2016-09-22 08:48:24 | トーク・ネットTalk Net
 * 「ら抜き」多数派に? 文化庁調査 http://digital.asahi.com/articles/DA3S12571190.html?rm=150
・ 文化庁が21日に発表した2015年度「国語に関する世論調査」で明らかになった。
・ 可能の助動詞「られる」の「ら」が脱落した「ら抜き」言葉について、「今年は初日の出が見れた」を使うと答えた人は48.4%(10年度調査比で1.2ポイント増)で、
  「見られた」の44.6%を上回った(同3ポイント減)。10代は8割近くが「見れる」を使っていた。
・ 文化庁国語課の担当者は「尊敬や受け身の意味も含む『られる』から『ら』を抜くことで、『可能』という意味だとわかりやすくなる。合理的な変化であるとも考えられる」という。
    ⇒ この「ら抜き言葉」については、いつだったか忘れてしまうほど以前にコメントした記憶がある。
 ウラ覚えながら、その主旨は、<多忙を極める現代社会が会話の速度まで短縮化を求め、在来の意味や余韻への配慮を後回しにしてしまうのだろう。だが、助動詞の場合、名詞や形容詞・副詞と違い、動詞の主体についての表現に関わる重大な機能をもつため、多数決原理だからと認めてよいものか?>といった内容であった。
 今回も基本的には同じ感想をもつのだが、とりわけ文化庁の担当者のコメントが気にかかる。 <「れる・られる」が尊敬/受け身/可能の三つの意味を併せ持つところへ、
「れる→る」「られる→れる」と縮めることで、『可能』の機能だけの役割に限定するから判り易い>という考え方を合理的だといって理解を示す?マインドに問題はないのか?

◆ 可否ではなく相手の意思を尋ねる際に使う「「行かれますか?」には尊敬する気持ちで接したい相手の動作に含める<お行きになる>の気持ちが入っているが、
  「行ける?」では尊敬表現を使いたい相手には言えないのではないか?  そんな時、<ら抜き派>の人はどう表現するのだろう?  「行きますか?」と言う?
◆ 「書かれますか?」の場合、相手の「書く動作」への尊敬なのか、自分について「誰かに書かれる」受け身状態を言っているのか、二つのケースを瞬時に判断しているが、
  「書けますか?」では尊敬/受け身どちらも表現できないので、<ら抜き派>の人は舌を噛みながら使い慣れない「書かれますか?」と言うか、思いだし想いだし更に丁寧な
  「お書きになりますか?」と言うのであろうか?
☆彡 言葉の盛衰では、とかく<美醜>の議論になりがちだが、美醜の感覚こそ(流行語とは別の意味で)時代と共に変遷するので、「ら抜き」を美醜で論じるのではなく、
   私は、言葉まで時間短縮の対象にしてしまう<言葉を大事にしない精神・落ち着きのない風潮>の方を問題としたい。

 外来語の音が言いづらいので短縮形にしてしまう、これは日本語の発音/抑揚の制約などから致し方ないといえるが、少なくとも同時代に生き、日本語で話す者同士の間で、
意味の取り違えすら招きかねない安直な時間短縮奨励は避けたい。 この短縮風潮は<ら抜き派>の『仲間意識づくり』奨励に見え、世代間の断絶を助長するものでもあろう。
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