「世にも怪奇な物語」 1967年 フランス
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監督 ロジェ・ヴァディム / ルイ・マル / フェデリコ・フェリーニ
出演 ジェーン・フォンダ
ピーター・フォンダ
アラン・ドロン
ブリジット・バルドー
テレンス・スタンプ
サルヴォ・ランドーネ
ストーリー
第1話「黒馬の哭く館」はR・ヴァディムが監督。
当時の妻であったJ・フォンダとP・フォンダ主演で、黒馬に乗り移った男の魂によって死へと誘われる令嬢の姿を妖しく描く。
第2話「影を殺した男」の監督はL・マル。
ウィリアム・ウィルソンはサディスティックで冷酷で狡猾だったが、彼と同姓同名のうりふたつの男があらわれいちいち彼の悪事の邪魔をした。
数年後、軍隊の士官となったウィルソンは賭博場であった美しい女とカードの勝負をした。
ウィルソンはイカサマの手で女の肉体を勝ちとり、多勢の目の前で女の上半身を裸にし、激しく笞打った。
だが、そこに例のウィルソンがまたあらわれインチキをあばいた。
ウィルソンは、正義のウィルソンを短剣で殺した…。
第3話「悪魔の首飾り」はF・フェリーニが担当。
トビー・ダミットはイギリスの俳優で、かつては華々しい名声と賞讃につつまれていたが、アルコール中毒がたたり、二年ばかりは仕事もなく、落ち目だった。
そんな彼にイタリアから新車のフェラーリを報酬に映画出演の話が来た。
トビーは疲れ、えたいの知れない不安から酒をのみつづけた。
彼は、逃げるように会場を出るとフェラーリにとびのり車を走らせたがいつの間にか道に迷って…。
寸評
映画史に名を留めるロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニという3名の監督によるオムニバス作品で、出演者もジェーン・フォンダ、ピーター・フォンダの姉弟、アラン・ドロン、ブリジット・バルドー、テレンス・スタンプとなかなかのメンバーを集めている。
監督の共演であると同時に競演でもあり、それぞれの監督の腕の見せ所が問われていると思うのだが、断然第3話を担当したフェリーニ作品が飛びぬけていると思う。
ヴァディムの「黒馬の哭く館」は、この時結婚していたジェーン・フォンダを撮りまくったといった内容で、男の魂が黒い馬に乗り移って、気高い貴族の令嬢を死に誘うというストーリーの怪奇性が感じられない。
燃え落ちた刺?の馬を補修していくことと、死に向かって突き進む令嬢の姿がリンクしていくはずなのだが、そんな感じはせず目に付くのはセクシーぽく見せるジェーン・フォンダのコスチュームだ。
何とか魅力的に見せようと、夫であるロジェ・ヴァディムが労力を注いだ作品と言う気がする。
ある時期、いい男の代名詞と言えばアラン・ドロンだった。
ブリジット・バルドーはBB(べべ)と呼ばれ、演技派ではなくセックスシンボル的な女優として名をはせていたように思うが、マリリン・モンローのような伝説は残せなかった。
しかし間違いなく一時期においては日本で最も著名なフランス人女優であったことは間違いない。
ルイ・マルの「影を殺した男」では、その二人が共演を果たしている。
ウィリアム・ウィルソンは幼少の時から高慢な男だったが、しかし彼はずっと同じ名のウィリアム・ウィルソンの存在に悩まされ続けている。
別人のウィリアム・ウィルソンは、高慢さを諫める分身の様でもある。
彼はその分身と対峙し分身を刺し殺すが、しかしそれは同時に自分を殺すことでもあった。
目を釘付けにするのは第三話の「悪魔の首飾り」だ。
狂気的であり退廃的でもある俳優が、フェラーリに目がくらみローマにやってくる。
テレンス・スタンプのメイクが狂気じみていて、アルコール中毒にかかり錯乱している男を見事に表現している。
ローマの街も退廃的ムードを出し、映画賞の授賞式らしき催し会場も異様な退廃ムードの中で行われている。
スモークがたかれた映像はまさに狂気の世界で、それを増幅させるように死神の様な少女が登場する。
男はフェラーリをモヤを切り裂いて疾走させ、行き止まりの道を引き返したりしているうちに道に迷ってしまう。
やがて進入禁止の柵を弾き飛ばし入ったところで、この先には橋がないから引き返せと言われるのだが、崩れ落ちた橋の向こうに少女が現れる。
オープンカーのフェラーリをバックさせ、フルスピードで引き込まれるように少女に突っ込んでいく。
張られたロープで首を切断されてしまい、そこに少女の持つ白いボールが転がってくる幻想的なシーンが続く。
3話とも何かを訴えるような作品ではなく、アラン・ポーが描く怪奇現象を映像化しただけのものなのだろうが、怪奇と言う雰囲気をもっとも表現できていたのがフェリーニ編だった。
この作品だけだったらもっと評価が高かったような気もするが、しかしこれを2時間も見せられればウンザリするのではないかとも思う。
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監督 ロジェ・ヴァディム / ルイ・マル / フェデリコ・フェリーニ
出演 ジェーン・フォンダ
ピーター・フォンダ
アラン・ドロン
ブリジット・バルドー
テレンス・スタンプ
サルヴォ・ランドーネ
ストーリー
第1話「黒馬の哭く館」はR・ヴァディムが監督。
当時の妻であったJ・フォンダとP・フォンダ主演で、黒馬に乗り移った男の魂によって死へと誘われる令嬢の姿を妖しく描く。
第2話「影を殺した男」の監督はL・マル。
ウィリアム・ウィルソンはサディスティックで冷酷で狡猾だったが、彼と同姓同名のうりふたつの男があらわれいちいち彼の悪事の邪魔をした。
数年後、軍隊の士官となったウィルソンは賭博場であった美しい女とカードの勝負をした。
ウィルソンはイカサマの手で女の肉体を勝ちとり、多勢の目の前で女の上半身を裸にし、激しく笞打った。
だが、そこに例のウィルソンがまたあらわれインチキをあばいた。
ウィルソンは、正義のウィルソンを短剣で殺した…。
第3話「悪魔の首飾り」はF・フェリーニが担当。
トビー・ダミットはイギリスの俳優で、かつては華々しい名声と賞讃につつまれていたが、アルコール中毒がたたり、二年ばかりは仕事もなく、落ち目だった。
そんな彼にイタリアから新車のフェラーリを報酬に映画出演の話が来た。
トビーは疲れ、えたいの知れない不安から酒をのみつづけた。
彼は、逃げるように会場を出るとフェラーリにとびのり車を走らせたがいつの間にか道に迷って…。
寸評
映画史に名を留めるロジェ・ヴァディム、ルイ・マル、フェデリコ・フェリーニという3名の監督によるオムニバス作品で、出演者もジェーン・フォンダ、ピーター・フォンダの姉弟、アラン・ドロン、ブリジット・バルドー、テレンス・スタンプとなかなかのメンバーを集めている。
監督の共演であると同時に競演でもあり、それぞれの監督の腕の見せ所が問われていると思うのだが、断然第3話を担当したフェリーニ作品が飛びぬけていると思う。
ヴァディムの「黒馬の哭く館」は、この時結婚していたジェーン・フォンダを撮りまくったといった内容で、男の魂が黒い馬に乗り移って、気高い貴族の令嬢を死に誘うというストーリーの怪奇性が感じられない。
燃え落ちた刺?の馬を補修していくことと、死に向かって突き進む令嬢の姿がリンクしていくはずなのだが、そんな感じはせず目に付くのはセクシーぽく見せるジェーン・フォンダのコスチュームだ。
何とか魅力的に見せようと、夫であるロジェ・ヴァディムが労力を注いだ作品と言う気がする。
ある時期、いい男の代名詞と言えばアラン・ドロンだった。
ブリジット・バルドーはBB(べべ)と呼ばれ、演技派ではなくセックスシンボル的な女優として名をはせていたように思うが、マリリン・モンローのような伝説は残せなかった。
しかし間違いなく一時期においては日本で最も著名なフランス人女優であったことは間違いない。
ルイ・マルの「影を殺した男」では、その二人が共演を果たしている。
ウィリアム・ウィルソンは幼少の時から高慢な男だったが、しかし彼はずっと同じ名のウィリアム・ウィルソンの存在に悩まされ続けている。
別人のウィリアム・ウィルソンは、高慢さを諫める分身の様でもある。
彼はその分身と対峙し分身を刺し殺すが、しかしそれは同時に自分を殺すことでもあった。
目を釘付けにするのは第三話の「悪魔の首飾り」だ。
狂気的であり退廃的でもある俳優が、フェラーリに目がくらみローマにやってくる。
テレンス・スタンプのメイクが狂気じみていて、アルコール中毒にかかり錯乱している男を見事に表現している。
ローマの街も退廃的ムードを出し、映画賞の授賞式らしき催し会場も異様な退廃ムードの中で行われている。
スモークがたかれた映像はまさに狂気の世界で、それを増幅させるように死神の様な少女が登場する。
男はフェラーリをモヤを切り裂いて疾走させ、行き止まりの道を引き返したりしているうちに道に迷ってしまう。
やがて進入禁止の柵を弾き飛ばし入ったところで、この先には橋がないから引き返せと言われるのだが、崩れ落ちた橋の向こうに少女が現れる。
オープンカーのフェラーリをバックさせ、フルスピードで引き込まれるように少女に突っ込んでいく。
張られたロープで首を切断されてしまい、そこに少女の持つ白いボールが転がってくる幻想的なシーンが続く。
3話とも何かを訴えるような作品ではなく、アラン・ポーが描く怪奇現象を映像化しただけのものなのだろうが、怪奇と言う雰囲気をもっとも表現できていたのがフェリーニ編だった。
この作品だけだったらもっと評価が高かったような気もするが、しかしこれを2時間も見せられればウンザリするのではないかとも思う。