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おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

大列車作戦

2025-04-05 08:19:34 | 映画
「大列車作戦」 1964年 アメリカ


監督 ジョン・フランケンハイマー
出演 バート・ランカスター ポール・スコフィールド
   ジャンヌ・モロー ミシェル・シモン
   シュザンヌ・フロン シャルル・ミロ
   アルベール・レミー ジャック・マラン

ストーリー
ナチスドイツの敗戦濃くなった頃、連合軍はパリへ進撃していた。
パリでは独軍のフォン・ワルドハイム大佐は軍事費にあてるという名目で美術品の掠奪を開始していた。
美術館長のビラール女史は仏国有鉄道の操車係長ラビッシュに運び出しの阻止を哀訴、彼はパリ解放の日の近いことを知り、輸送列車の出発引き延ばしを決議した。
だが、美術品は列車に積まれ、ブル親爺の運転で出発することになったが、彼は機関車のエンジンに仕かけをして事故を偽装するというサボタージュを冒した。
彼とてレジスタンス要員として熱血漢だったのだが、それが露顕してブルは射殺された。
大佐は今までのサボタージュに激怒し、ラビッシュにその運転を命じた。
ドイツの警備兵たちは美術列車がパリを離れてドイツに近づいていると信じていた。
が、一夜明けてみると列車は出発点に戻っていた。
列車は一晩中パリ周辺を回っていたのだ。
ラビッシュの指令で通過駅の駅名標示板が一斉に書きかえられていたのだった。
大佐は激怒して関係者を殺害するように命じ、ラビッシュはホテルの経営者女性の助けを得て逃亡を図る。
大佐は一刻も早く国外へ運び出さねばと、部隊を総動員して機関車を出発させた。
今までのレジスタンス運動で多数が傷つき、ラビッシュが独力で阻止しなければならなくなった。
彼は傷つき、疲れながらパリ郊外へ先回りして線路を爆破して脱線させた。
その頃、すでに敗走する独軍部隊の流れが認められた。
警備兵たちは大佐を見捨てその流れにまぎれこんで行った。


寸評
第二次世界大戦でのドイツ占領下におけるフランスのレジスタンスを描いているが、ドイツと戦うのではなく略奪されそうになった絵画を守る鉄道員たちの活躍を描いているのがユニークだ。
主演はバート・ランカスターなのだが、真の主演は機関車と言っても良い。
敗色濃厚となったドイツのワルドハイム大佐がフランス所有の名画を機関車に乗せてドイツに運び出そうとする。
レジスタンスたちはそれを阻止しようとするので、必然的に機関車が登場するシーンが多い。
時に疾走し、時に爆破される。
冒頭のベイル操車場が連合軍によって空爆されるシーンは迫力がある。
セットではなく実際の操車場を使ったようで、当然ながら現場の背景がリアルである。
珍しい装甲機関車の登場もある。
フランスの国鉄が全面協力したとのことなので機関車が登場するシーンはカメラアングルによって迫力あるものとなっている。
恐らくドイツと戦った先輩たちに対する尊敬の念が全面協力をもたらしたのだろう。

バート・ランカスターの所作は熟練の技術者らしい本物の鉄道員に見えるし、機関車のパーツを作る場面をワンカットで撮っているのもすごい。
一つの事をやり遂げようとするフランス国鉄職員たちの一糸乱れぬチームワークに感動する。
大佐の報復によって擬走に協力した鉄道関係者が多数殺害されたことが語られるが、シーンとして描いても良かったのではないか。
その方が鉄道員たちの覚悟と犠牲が伝わってきたと思う。
レジスタンスでなくても当時のフランス国民がドイツを嫌悪する感情を持っていたことは容易に想像できる。
ジャンヌ・モローのホテル経営者はそんなフランス人女性である。
毅然とした態度が頼もしいし、不敵な表情が印象深い。
自分の命がかかってしまう迷惑な存在であるラビッシュを匿うことになる。
ビッグネームの割には活躍シーンが少ないように思うが、当時における最大公約数的なフランス人の代表者のような存在だったのだろう。

ワルドハイム大佐の絵に対する執着がすごくて、彼は本当にドイツの為に略奪しようとしていたのだろうか。
パリは立ち去るドイツ兵によって破戒される危険性もあったわけで、もしかすると名画を守りたかったのかもしれないと思わせるほどの入れ込みようなのだが、将校としての能力は部下の少佐に比べても低そうだ。
ラストでラビッシュがワルドハイム大佐と一対一で対峙する。
その時、ワルドハイム大佐はラビッシュに「なぜ自分が苦労したのか言えないだろう」と言う。
労働者階級である彼らが犠牲者を出しながら絵画を守り切ったのだが、おそらく美術館に行くような人々ではなく、梱包されている名画の数々を見たことはないのだろう。
自国の文化を守るという一点で、中身も知らずに彼らは散っていったのだ。
だからこそ彼らはリスペクトされているのであり、映画を彼らへの鎮魂歌としてフランス国鉄は協力したのだろう。
今の日本に有事が起きた時、果たしてそのような気概が生まれるだろうか。


新しき世界

2025-04-03 08:52:47 | 映画
「新しき世界」 2013年 韓国


監督 パク・フンジョン
出演 イ・ジョンジェ チェ・ミンシク ファン・ジョンミン
   パク・ソンウン ソン・ジヒョ チュ・ジンモ
   チェ・イルファ チャン・グァン キム・ビョンオク

ストーリー
韓国最大の犯罪組織ゴールド・ムーンの理事イ・ジャソンの指示で、港の沖合に浮かぶ船から裏切り者をコンクリート詰めにしたドラム缶が海中に落とされる。
潜入捜査官として8年、ジャソンは企業化した組織の理事にまでなっていたが、もうすぐ潜入捜査は終わるという上司のカン課長の言葉を信じ、その日が来ることだけを待っていた。
そんなある日、組織の会長ソク・ドンチュルが謎めいた交通事故で急死した。
組織の実質N0.2チョン・チョンと亡き会長の右腕だったイ・ジュングの後継者争いが始まる。
この事態を察知したカンは、ジャソンを動かして後継者争いに介入し、一気に組織を壊滅させることを画策。
警察官へと戻る日を待ち続けていたジャソンは反発するが、組織への密告や家族への監視をちらつかせて迫るカンの言葉に従うほかなかった。
チョン・チョンは自分と同じ韓国華僑という出自を持つジャソンを“ブラザー”と呼び、自分の右腕としていた。
警察と組織の間に挟まれ、葛藤を覚えるジャソンだったが、結局、カンとの連絡役シヌにチョン・チョンの中国行きの予定を伝えた。
中国へ向かう空港に現れたカンから組織の内情に関する資料を見せられ、協力を迫られるチョン・チョン。
内通者がいると察知した彼はカンの申し出を拒否、中国の延辺から殺し屋たちを呼び寄せた。
翌日、カンは殺人教唆および暴行等の容疑でジュングを逮捕し、チョン・チョンとジュングの争いに火を放つ。
チョン・チョンは中国から戻ると、カンをとあるスタジアムに呼び出し、調べ上げた情報と賄賂で、ゴールド・ムーンの後継者争いから手を引くようにと持ちかけるが、この提案をカン課長は拒否した。
チョン・チョンは早速、殺し屋たちにシヌを襲撃させ、チョン・チョンに呼び出されたジャソンは、人目につかない倉庫でドラム缶に詰められた瀕死のシヌを見せられ、言葉を失った。


寸評
潜入捜査官物だが韓国社会におけるマイノリティの絆も描かれている。
韓国最大の犯罪組織に潜入しているジャソンは韓国華僑で、ジャソンを“ブラザー”と呼ぶチョン・チョンも同じ韓国華僑だ。
韓国ではマイノリティに属するだろう二人の間には友情を越えた絆がある。
チョン・チョンは中国語を話せるため、上海マフィアとの取引を任されて、組織内の地位を築いた男だ。
部下たちには親しみを込めた中国語で話している。
チョン・チョンは中国から殺し屋を呼び寄せるが、彼らは北朝鮮からの脱北者で、朝鮮族と呼ばれている粗野な野蛮人として描かれている。
しかし、同族としての彼らの絆は強くて、それ故に殺し屋たちはジャソンの手先となったのだろう。


カン課長は、警察官としての正義と責任を全うするため、策をめぐらして計画を進める。
大きな正義のために小さな犠牲はつきものだと割り切っているようだ。
ジャソンは後戻りできない状況に追い込まれているが、カン課長も後戻りできない状況に縛られているのだ。
潜入捜査官に裏切られた過去の経験から、ジャソンにも計画の全貌を明かせないでいるし、監視役もつけている。
ジャソンや監視役を脅迫めいた言葉で操っているので、観客としては彼に嫌悪感を抱いてしまう。
潜入捜査を仕切っているカン課長とジャソンとの関係が一つの柱だが、面白いのはもう一方の柱であるチョン・チョンとジャソンの関係である。
チョン・チョンはジャソンとは対照的に、表情がころころ変わってとらえどころがない。
ことあるごとにジャンソンの表情を笑いのネタにし、彼が相変わらずぶっきらぼうな顔のままでいると近くの部下に八つ当たりする憎めない男だ。
チョン・チョンを演じたファン・ジョンミンは、主人公のジャソンを演じたイ・ジョンジェよりも存在感を示す怪演だ。
二人の間に芽生えていた絆が物語とジャソンの人生を大きく変えることになる。
その醍醐味がラストに向かって描かれていく。


チョン・チョンは絆の証として最後のプレゼントをジャソンに渡す。
それが何であるかは明白なのだが、同時に贈った時計が彼らの絆を示している。
ジャソンは自分の身分を知る二人を除くことで犯罪組織の会長として生きていくのだろう。
この映画には、女性は二人しか登場しない。
ジャソンの妻と、ジャソンと警察の連絡係である。
二人ともジャソンの身を案じているが、その想いを直接届けられないもどかしさを抱えている女性たちだ。
連絡係の女性を撃つジャソンの行為は、苦しまずに死なせる女性への愛情表現だ。
束縛から逃れたはずのジャソンの妻はどう生きるのだろう。
ジャソンを見送る彼女の穏やかな表情はジャソンと同じ道を歩く決意から生まれたものだったのだろうか。
犯罪組織の内部抗争と潜入捜査を描いたものとしては軽いところがあるが、結構楽しめる韓国ノワールである。


こんにちは、母さん

2025-03-31 14:57:05 | 映画
「こんにちは、母さん」 2023年 日本


監督 山田洋次
出演 吉永小百合 / 大泉洋 / 永野芽郁
   YOU / 枝元萌 / 加藤ローサ
   田口浩正 / 北山雅康 / 松野太紀
   広岡由里子 / 神戸浩 / 宮藤官九郎
   田中泯 / 寺尾聰

ストーリー
神崎昭夫(大泉洋)は同期の出世頭で大手企業の人事部長を務めているが、お人好しな彼にとって社員のリストラは大きな負担だった。
その上、妻の知美とは半年も別居中で、大学の勉強に意味を見いだせない一人娘の舞(永野芽郁)は、サボって何日も外泊する有様だった。
営業販売部の課長の木部(宮藤官九郎)は昭夫とは大学からの同期の友人で、同窓会の幹事として屋形船を企画したからと下町出身の昭夫に相談を持ちかけた。
自身にはコネが無いため、久しぶりに実家の母親を訪ねる昭夫。
母の福江(吉永小百合)は隅田川沿いの向島の足袋屋の女房で、夫の死後は細々と取り寄せ販売を続けているのだ。
地元の主婦たちと始めたホームレス支援のボランティア活動が忙しく、話す時間がなさそうな福江。
昭夫は自身の仕事や家庭の苦労についても秘密にしたまま、この日は一人住まいの寂しい家に帰って行った。
上司から早期退職を勧告されたと人事部長の昭夫の元に怒鳴り込んで来る木部。
いくら友達でも会社の機密事項を事前に話すことは出来なかったとしか答えられない昭夫。
その夜、娘の舞が福江の家にいると妻の知美から連絡を受けて訪ねて行くと、別居の件も全て福江にバレていた。
その夜は実家に泊まった昭夫だが、翌日には木部までが実家に押し掛け、ボランティアもいる前で恨み言を言って、絶対に会社は辞めないと言い放った。
帰りがけには、母の福江が恋をしていると舞から聞かされる昭夫。
福江と、ボランティアのメンバーである教会の牧師・荻生(寺尾聰)は、清く淡い恋心を抱きつつ互いに隠している間柄だが周囲には見え見えで、息子として許せない昭夫。
退職を拒否した木部は仕事も無いのに会社に通い続け、外された企画会議に無理に参加しようとして、故意ではないが上司に怪我をさせ、懲戒解雇が決まりそうだった。
もう人事はウンザリだと福江にグチを言う昭夫。
牧師の荻生も昔は大学教授だったが、出世競争に嫌気が差して牧師になったと語り、昭夫はまだやり直せるとアドバイスした。
福江から、妻の知美と会ったが彼女には好きな人がいるようだと知らされ、いよいよ身辺が身軽になったと感じる昭夫。
牧師の荻生からピアノ・コンサートに誘われ、嬉しいデートを楽しむ福江。
だがそれは、荻生が北海道の教会に転勤することを知らせるための彼の心遣いだった。
母親が失恋したと聞いて内心はホッとする昭夫。
人事部長として木部の懲戒解雇を取り消し、希望退職に変えて退職金の割り増しや再就職も世話する昭夫。
役員会の決定に逆らった昭夫は、会社をクビになり無職となった。
荻生を信者たちと共に北海道に送り出し、意気消沈する福江。
そんな福江に離婚したことと会社をクビになったことを知らせる昭夫。
自分の不幸が倍増したと嘆く福江だったが、昭夫から舞と共に実家の世話になりたいと提案された彼女の顔には、新たな活力と笑顔が浮かぶのだった。


寸評
山田洋次が未だに映画を撮っていることには驚嘆するのだが、さすがに演出のキレはなくなってきたなと思うと淋しくなる。
大泉洋は人事部長としてリストラ対応に苦悩しているのだが、その仕事ぶりや苦しさが全く感じられない。
彼は人事部長としてどのような仕事をしていたのだろう。
リストラ対象の社員を選別する立場にいると思うのだが、宮藤官九郎の処分が役員会で決まる前に人事部長の意見があってしかるべき筈だし、この会社では役員会の決定と人事部長の処置とどちらが優先されているのだろう。
結果から見れば役員会の決定を人事部長が自分のクビと引き換えに覆したことになっている。
そんなことって本当にあるのだろうか。
トップの決定は絶対で、僕も指示により解雇通告を円満に進めるのに苦労した経験がある。
会社を表すためにビルの外観が映り、仕事のシーンは書類にハンコを押しているだけと言うのは小津が描いてきたのと同様で、山田洋次の小津へのオマージュのような気がした。

リアル感欠如と言えば吉永小百合はミスキャストだったと思う。
下町の足袋屋の無口だった夫を亡くして一人暮らしをしている老人としては洗練され過ぎているし、セリフがはっきりしすぎていてオバアチャンとしてのリアリティが感じられない。
老いらくの恋を描くには上品な老婦人の方が良かったのかもしれないが、それなら老人の恋に的を絞って吉永小百合と寺尾聡で撮ればよかったのにと思う。
二人に対比するように若い女子社員が大泉に好意を示すシーンがあるのだが、それ以上は進まず、僕としては期待外れのままで終わってしまった。
大泉洋のナレーションは感じさせるものであって、いらなかったと思うし、田中泯のホームレスは何のための存在だったのだろう。
戦争体験の表現時にイラストを挿入したりしているのを見ると、ボランテア活動の対象者としてだけの存在ではなさそうだが、まさかサラリーマンが最低でホームレスが天使と言いたいわけでもあるまい。
私の自宅周りでも空き缶を集めている人が何人か出没しているが、田中泯のホームレスはよたよたしながらも意地とプライドで山のような空き缶を自転車で運んでいる。
彼のプライドは生活保護を受けることも許さない。
それが天使なのか?

大泉洋は別居中で娘の永野芽郁は母親に反抗して吉永小百合宅に居候をしている。
大泉も週末には実家にやってきているようで、よほどこの家は居心地が良いのだろう。
母親の老いらくの恋を心配する息子に、それを応援する孫娘。
世代を超えた家族の絆が描かれているが、それがこの映画のテーマだろう。
息子が家に帰ってくることになって、年老いた母親は自分の老後に安心感が生じる。
そんな家庭は少なくなってきて、一人住まいの家が私の近所でも増えてきている。
この家族はいい家族関係だ。
どこか焦点がぼけたような作品だが、一つ一つのシーンを丁寧に撮っているのは職人・山田洋次らしい。
そのような監督は少なくなったような気がする。


鑓の権三

2025-03-28 10:32:42 | 映画
「鑓の権三」 1986年 日本


監督 篠田正浩
出演 郷ひろみ 岩下志麻 火野正平 田中美佐子
   加藤治子 津村隆 水島かおり 浅川奈月
   大滝秀治 三宅邦子 河原崎長一郎 神保共子
   嶋英二 不破万作 竹中直人 浜村純 小沢昭一

ストーリー
出雲の国、松江藩の表小姓、笹野権三(郷ひろみ)は器量はよく、槍さばきのみごとさでは右に出る者もなく、その上、茶の道にも通じていた。
彼は同家中の川側伴之丞(火野正平)の妹お雪(田中美佐子)と末は夫婦と契ってはいたが、一日も早い祝言をと迫るお雪ほど性急に一家を構える情熱はなかった。
江戸表から、主君に御世継が誕生したと吉報が届いた。
国許では近隣の諸国一門を招いた振まいの馳走のため、真の台子の茶の湯がなされることになった。
真の台子とは茶の湯の極意のことで、茶の道で名を成せば立身出世の道も開けるのだ。
権三と伴之丞の茶道の師、浅香市之進(津村隆)が、主君の供で江戸詰しており国許は留守とあって、両人のうち一人が殿中饗応の真の台子を勤めることになった。
権三は真の台子の伝授書を見せて欲しいと市之進の妻・おさゐ(岩下志麻)に懇願する。
おさゐは伝授の替わりに娘の菊(水島かおり)を貰ってくれと権三に頼みこむと権三は承諾した。
権三と入れちがいに浅香家を訪れたお雪の乳母(加藤治子)はそんなこととは知らず、おさゐに権三とお雪の関係を打明けて仲人を頼み込んだ。
その夜ふけておさゐを訪ねて伝授の巻物を披見した権三は、お雪のことで嫉妬するおさゐの狂態に悩まされ、お雪が権三に贈った帯を庭先に放り出された。
帯はかねてからおさゐに言いより、色仕掛けで伝授の巻物を奪いとろうと庭先に忍びこんでいた伴之丞に拾われ、
不義密通を伴之丞に叫ばれた。
世間への申訳も立たず、やむなくふたりは屋敷を出て、あてもなく逃れていく。
事件を知ったおさゐの弟・甚平(河原崎長一郎)は、遁走した伴之丞を追ってその首を討った。
帰国した市之進は、息子・虎次郎(嶋英二)を他家へ預け、菊とその妹・捨(浅川奈月)をおさゐの諸道具と共に舅の岩本忠太兵衛(大滝秀治)へ送りつけ、妻敵討ちの旅に出た。
手に手をとって逃げるおさゐと権三は、京都三条大橋に着いた。
権三は不義者として市之進に斬られる覚悟をしていた。
おさゐはどうせ冥土へ行くのなら、権三と夫婦の契りをかわしてからと、旅篭で激しく愛しあう。
宇治の川岸にかかる橋の上で、ふたりはついに市之進と出会った。
そして、彼の刀に倒れるのだった。
一件落着し、浅香家では遺児・虎次郎が亭主となって茶を立てていた。


寸評
篠田正浩氏の訃報が伝えられた。
氏はかなりの作品を残しておられ、僕はその内の何本かを見ている。
僕にとっての篠田正浩は何と言っても「心中天網島」であった。
本作では「瀬戸内少年野球団」で起用した郷ひろみを主演としている。
妻が郷ひろみのファンだったので同伴者としてこの作品を封切時に見た。
セリフも少なく脇役だった前作と違い、本作の主演となると流石に辛い。
「心中天網島」の印象が強すぎるのか、ここでも岩下の情念だけが強烈だった印象が残っている。
この頃、美男子と言えば郷ひろみだったので、キャスティングは分からぬでもないが、芝居になるとどうしようもなかったと思った。
権三は経済的に困窮して刀を売って竹光を差しているのだが、ラストでふたりが討たれるところで「槍があれば・・・」と悔しさを滲ませる。
どんなことがあっても槍だけは手放さない言うのが権三の生き様でもあると思うのだが、近松の世界はこのようなものなのだろう。
映像は美しかった記憶がある。
俳優としての郷の欠点は、あの声にあるのではないかと思っている。
篠田氏のご冥福をお祈りします。

蛇にピアス

2025-03-24 09:23:44 | 映画
「蛇にピアス」 2008年 日本


監督 蜷川幸雄
出演 吉高由里子 高良健吾 ARATA
   あびる優 ソニン 今井祐子 綾部守人 市瀬秀和
   妹尾正文 市川亀治郎 井手らっきょ 小栗旬
   唐沢寿明 藤原竜也

ストーリー
生きている実感もなく、あてもなく渋谷をふらつく19歳のルイ。
ある日訪れたクラブで赤毛のモヒカン、眉と唇にピアス、背中に龍の刺青、蛇のようなスプリット・タンを持つ「アマ」と出会い人生が一変する。
アマの刺青とスプリット・タンに興味を持ったルイは、シバと呼ばれる男が施術を行なっている怪しげな店を訪ね、舌にピアスを開けた。
その時感じた痛み、ピアスを拡張していく過程に恍惚を感じるルイは次第に人体改造へとのめり込んでいくことになる。
「女の方が痛みに強い」「粘膜に穴を開けると失神する奴がいる」という店長のシバも全身に刺青、顔中にピアスという特異な風貌の彫り師で、自らを他人が苦しむ顔に興奮するサディストだと語った。
舌にピアスを開けて数日後、ルイとルイの友人は夜道で暴力団風の男に絡まれる。
それに激昂したアマは相手の男に激しく暴力を振るい、男から2本の歯を奪い取って「愛の証」だと言ってルイに手渡す。
アマやシバと出会う中でルイは自身にも刺青を刻みたいという思いが強くなり、シバに依頼して背中一面に龍と麒麟の絡み合うデザインの刺青を彫ることを決めた。
画竜点睛の諺に従って、「キリンと龍が飛んでいかないように」という願いを込め、ルイはシバに2匹の瞳を入れないでおいて欲しいと頼む。
刺青の代償としてシバはルイに体を求め、2人は刺青を入れていくたびに体を重ねるようになる。
一方でルイは、アマが暴力を振るった暴力団員が死んだというニュースを目にした。
アマが捕まってしまうことを危惧したルイは、アマの髪をアッシュに染め、刺青が見えないように長袖を着るよういいつける。
その事実を全く知らないアマは何の疑いもなくルイに従った。
刺青の完成と同時にルイは自らの生きる意味を見失い、アルコールに依存するようになった。
自分が生きていることを実感できるのが痛みを感じている間だけだと気づいたルイは、アマとシバ、どちらが自分を殺すのだろうかと想像を巡らせるようになる。
そんな中、警察からシバの店に「龍の刺青をした、赤毛の客を教えて欲しい」という連絡が入った。
ルイはしらを切り通すが、不安に襲われながら日々を過ごすことになる。
ある夜、アマは突然行方不明になり、ルイは呆然とする。
警察に捜索願を届けようとするも、ルイはアマの本名すら知らなかったのだ。
数日後、行方不明となっていたアマの無残な死体が発見されたと警察から告げられたルイ。
アマの遺体には無数のタバコを押し当てた痕があり、陰部にはエクスタシーというお香が差し込まれていた。
警察官から「アマはバイセクシャルだったか」と尋ねられ、アマが何者かによってレイプされていたことを察するルイ。
アマの死後、生きる気力を完全に失っていたルイのことを受け入れたのはシバだった。
シバの家に暮らすようになり日々を送る中で、ルイはアマの陰部に差し込まれているお香がシバの家に置いてあること、そしてアマの体に押し当てられたタバコが、シバが吸っている銘柄と同じであることに気がつく。
ルイはアマにもらった2本の歯を砕いて飲み込むことによって、アマの愛の証を体に吸収したことを実感する。
そしてシバに麒麟と龍の瞳を彫り込んでもらうように頼み、シバはそれに従った。
ルイは舌のピアスを拡張するのをやめる。
スプリットタンは完成せず、ただ舌には大きな穴が残り、ルイは一人、ピアスと刺青が自分にとってどのようなものだったのか、その答えを知るのだった。


寸評
原作は綿矢りさの「蹴りたい背中」とともに第130回芥川龍之介賞を受賞した金原ひとみの小説である。
受賞時の二人は19歳と20歳で、その若さが話題となった。
文芸春秋誌に2作品の全文が載った号を買って読んだのだが、歳のせいか僕は金原ひとみさんの「蛇にピアス」は理解できなかったし好きになれなかった。
蜷川幸雄のよって映画化されたのが本作なのだが、やはり僕は好きになれなかったし内容にも共感できなかったように記憶している。
ただ吉高由里子がヌードシーンを演じていたことだけが印象深い。
僕は人体改造に興味がないし、原作を読んでいても気持ちが悪くなったと思うので、そもそも本作を受け入れられないものがあったと思う。
暴力団員を素手で殴り殺してしまうアマなのに、ルイにはやけに素直なところが面白かったし、アマとシバの本当の関係はどうだったのか気になった。
小説の内容はすっかり忘れてしまっている。
どうも僕は蜷川親子とは肌が合わないらしい。

ヴァイブレータ

2025-03-22 11:00:22 | 映画
3月3日の「赤目四十八瀧心中未遂」に続き、寺島しのぶの出世作をもう1本。

「ヴァイブレータ」 2003年 日本


監督 廣木隆一
出演 寺島しのぶ / 大森南朋 / 田口トモロヲ
   戸田昌宏 / 高柳絵理子 / 牧瀬里穂
   坂上みき / 村上淳 / 野村祐人

ストーリー
雪の夜、ルポライターとして働いている31歳の女性・早川玲はコンビニにワインを買いに来ていた。
玲がコンビニで酒を選んでいると、店の中に玲好みの金髪の男性が入ってきた。
その男性と目が合った玲の頭の中にはまた声が聞こえてきて、「食べたい、あれ、食べたい」と囁いてきた。
男性はまるで合図するかのように玲のお尻にそっと触れ、コンビニから出ていった。
玲が男性の後を追うと、男性はトラックの運転席に座っており、玲も引き寄せられるようにトラックに乗り込んで助手席に座った。
男性の名前は岡部希寿(たかとし)と言い、学歴が無かったためトラックの運転手になり、7年間続けているとの事だった。
世間話を続けていく中で、玲は「あなたに触りたい」と率直な気持ちを伝えた。
そうして玲と希寿の東京から新潟までのトラックの旅は幕を開けた。
希寿は妻と子供がおり、さらに長年付きまとってくる厄介なストーカーもいて、そのストーカーは過去にトラックに乗せた事もあり、手首を切ったという電話がかかってきた事もあるという。
さらに希寿は話し続け、工務店で勤務した後にヤクザになり、ホテトルのマネージャーを経て現在のトラックの運転手になったという自分の経歴を玲に伝えた。
そして希寿はトラック運転手が孤独を紛らわすために行う無線遊びをし始めた。
希寿も玲もたまらなく孤独で、それから逃れようと生きていた。
しかし、玲は希寿との会話をしている中で、頭の中の声が聞こえなくなっている事に気づいた。
希寿と玲は何度も身体を重ねる関係になっており、今も2人は服を脱ぎ始めていた。
希寿のふりをして楽しく無線遊びをした。
しかし突然、玲の耳に無線から関係のない声が聞こえてきた。
「学校に行かないのはどうして?」「精神科に行きたい」。
この声は玲にしか聞こえず、希寿には何の事か分からなかった。
希寿は玲を連れてラブホテルで休む事にした。
希寿が玲の背中を優しく流してあげた事で玲の心は少しずつ落ち着いてきて、玲は優しくされた事から希寿の胸の中で激しく泣きじゃくった。
玲は希寿が「感情」ではなく「本能」で優しいのだと気付いており、それにより希寿の事が本気で好きになっていた。
ラブホテルを出た2人は定食屋で食事をする事にした。
玲は希寿に「私の事好き?」と聞いた。
希寿は好きだと答えた後に、「お前は俺の事好き?」と聞き返した。
その後「ずっとトラックに乗っていてもいいよ」と言う希寿だったが、玲は「ありがとう」と答えるだけだった。
希寿は妻と子供がいるという事もストーカーに悩んでいる事も嘘だという事を告白した。
そして食事を終えた2人はトラックに戻った。
希寿は玲に「運転してみる?」と言い、恐がった玲だったが教えてもらいながら運転してみる事にした。
運転に慣れてきた玲は笑顔で楽しい時間を過ごしたが、旅の終わりは近づいていた。
トラックは2人が出会ったコンビニに戻ってきた。
玲はトラックを降り、その姿を名残惜しそうな目で見つめた希寿は走り去っていった。
そして普段の生活に戻る事になる玲だったが、「彼を食べて、食べられた、それだけの事だった」「でも私は、少しだけいいものになった気がした」と考えていた。                                                                                                                 
                                  
寸評
廣木隆一、寺島しのぶ、渾身の一作だ。
特に寺島しのぶがオールヌードで挑むセックスシーンを、臆することなく演じる姿は見事の一語に尽きる。
この映画の魅力は、彼女の演技力によるところが大きい。
トラック運転手とヒロインの会話がほとんどで、車内を写すことが多いから画面の変化も少ないが飽きさせることなく95分間を見せてくれる。
都市で暮らす孤独な拒食症の女性を主人公にしたドラマで、彼女がコンビニで若いトラック運転手にナンパされ、その車で新潟までを往復するという話だ。
女は男をみて「食べたい」と思う。
男は視線を感じ取ったのか、すれ違いざまにそっと彼女のお尻に触れる。
それがナンパと言えるものなのか微妙だが、男の招きに応じて女は見知らぬ男のトラックに乗る。
そして、その日のうちに後部座席でセックスに至るのだが、そんなことってあるのかなと思う状況なのに、不思議と疑問は湧いてこない。
彼女はそのまま運送の仕事に付き合って、はるばる新潟までいくことになる。
トラックドライバーの男は、社会の裏側に通じているのでその話を聞かせ、ヒロインは拒食症について語る。
とりとめのない会話を通じて、二人が心を通じ合わせていく過程がごく自然に感じられる。
ときどき女の考えていることが字幕で示され、女の心理状況を想像することになる。
袋小路に入っていた女性の人生が、一夜のナンパでちょっとだけ変わるという展開の最後には、とても切なく結末は感動的だ。

リバティ・バランスを射った男

2025-03-21 07:07:22 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/9/21は「アヒルと鴨のコインロッカー」で、以下「アポロ13」「雨あがる」「雨に唄えば」「アメリ」「アメリカ アメリカ」「アメリカ上陸作戦」「アメリカン・グラフィティ」「アメリカン・ビューティー」「あらくれ」と続きました。

「リバティ・バランスを射った男」 1962年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ジェームズ・スチュワート ジョン・ウェイン ヴェラ・マイルズ
   リー・マーヴィン エドモンド・オブライエン
   アンディ・ディヴァイン ウディ・ストロード
   ジャネット・ノーラン ケン・マーレイ

ストーリー
西部の小さな町シンボーンに老紳士夫妻が汽車から降りた。
上院議員をつとめるランス・ストダード(ジェームズ・スチュアート)と婦人ハリー(ヴェラ・マイルズ)である。
夫妻が来たのはトム・ドニファン(ジョン・ウェイン)という男の葬式につらなるためだった。
この名もない西部男の葬式に今を時めく上院議員がなぜやってきたのか。
かけつけた新聞記者に問われるままにランスは語り出した。
1880年代、大学で法律を学んだランスは青雲の志に燃え、東部から西部へやってきたが、途中、無法者リバティ・バランス(リー・マーヴィン)の一味に襲われ重傷を負った。
彼は小さな牧場を経営する正義感で拳銃の名手トムに救われ、町の食堂へ運ばれた。
食堂の経営者夫妻とその娘ハリー(ヴェラ・マイルズ)の看護でランスは傷を回復、お礼に皿洗いを手伝うことになった。
トムはハリーに恋していた。
当時この地方は合衆国の一部ではなく住民は州昇格を運動していたがこれに牧場主の一部が反対、バランスはその手先となって住民を脅かしていた。
ランスは町の新聞社主ピーボディ(エドモンド・オブライエン)と協力、無法者一味と戦う決意を固めた。
2人は州昇格運動代表を選ぶ町民大会で牧場主側の候補バランスを破って当選した。
バランスはピーボディを半殺しにした。
ランスは持ったことのない拳銃を握ってバランスと往来で対決した。
ランスは手を射たれたが、彼はひるまず向かっていった。
銃声がとどろいたが、意外にも倒れたのはバランスの方だった。
このことがあってトムはハリーがランスを愛していることを知り、ハリーとの結婚のために作った部屋を自ら焼いてしまった。
ワシントンに送る代表の選挙が行われた。
リバティ・バランスを射った男としてランスは代表に選ばれたが、暴力を否定する彼は人殺しを恥じて断った。
そこへトムが現れ断る必要はないと言い、あのときバランスを射ったのは自分だと告げた。
トムはハリーの頼みで横合いからバランスを射ったのだ。
ランスはワシントンに出て出世し、ハリーとも結婚した。
夫妻は間もなくこの思い出深い町に永住しにくることを誓って去っていたのだ。


寸評
珍しくジョン・ウェインがジェームズ・スチュアートの引き立て役となって脇に回っている。
ジェームズ・スチュアートが演じる弁護士のランスは法が支配する東部の人間で、一方のバランス一味は銃が支配する西部の無法者だ。
ジョン・ウェインのトムもバランスと同じ西部人間で、無法者ではないがバランスに通じるものがある精神の持ち主である。
これに新聞社主のピーボディが絡んだ人物描写が面白い。
ランスはバランスの悪に対決するが、エプロン姿のヒーローと言うのは見たことがない。
拳銃が法に勝つ西部に法律書を持ち込み、正論と理念を説くランスだったが、結局最後には銃で解決することになってしまう。
対決シーンをあっさり気味に描いてクライマックスとしていない変わった構成となっている。
なるほど、そうだったのかと解きあかしていくので、バランスとランスの対決の物足りなさが納得できる。
ハリーがトムではなくランスを選ぶのもよくて、ジョン・ウェインは振られ役である。
リー・マーヴィンのバランスが暴れまくっているが、どこかほのぼのとした西部劇となっている。
派手な銃撃戦のない西部劇だが、それはそれで楽しめる作品となっている。

水の中のナイフ

2025-03-19 13:53:06 | 映画
「水の中のナイフ」 1962年  ポーランド


監督 ロマン・ポランスキー
出演 レオン・ニェムチック ヨランタ・ウメッカ
   ジグムント・マラノヴィチ

ストーリー
ワルシャワのスポーツ記者アンドジェイは36歳で、美しい妻クリスチナと安定した生活をおくっていた。
彼らは週末を郊外で過すのが常で、その日も船遊びで過ごすため湖のヨットハーバーに車で向かっていた。
途中、強引に車を止めたヒッチハイカーの若者をしぶしぶ車に乗せてヨットハーバーへ向かい、荷物運びの手伝いをして去ろうとする彼に、アンジェイは一緒にこないかと誘った。
こうして3人を乗せてヨットは湖面を滑り出した。
若く貧しい彼に対する優越感からかアンジェイは船長気取りの命令口調で彼にあれこれと指示し、それに対して腹を立てた彼は生意気な態度をとり、アンジェイを苛立たせる。
ただ、若者が自慢げに見せる飛び出しナイフだけが唯一アンジェイが自分にはないもので羨望するものだった。
翌朝まだ暗い中、気配で目覚めたアンジェイが若者のナイフをポケットにしまいこみ甲板に出ると、クリスティーナと若者が船の修理に当たっていた。
仲の良さげな2人の様子に嫉妬したアンジェイは若者に甲板掃除を命じてこき使う。
嫌気が差した若者は船を降りようと身支度を始めるがナイフがないことに気づき、返せと詰め寄ると、からかいながらアンジェイが放ったナイフが水の中に落ちてしまう。
激怒して取って来いと食って掛かる若者をアンジェイが殴った拍子に彼はヨットから転落してしまった。
クリスティーナは彼が泳げないと言っていたことからアンジェイに助けるよう言うが、どうせウソだと取り合わない。クリスティーナは飛び込んで彼を探し始め、アンジェイもしかたなく水の中を探すが見つからない。
船に戻り、アンジェイは若者の荷物も捨てようとするがクリスティーナが止め、人殺しだとなじり、これまでの不満が爆発したかのように彼を罵り、激しい言い争いとなったあげく、アンジェイは泳いで岸へと向かい始めた。
アンドジェイが警察に知らせに泳ぎ去った後、ブイに隠れて様子をうかがっていた若者が船に泳ぎ着いた。
クリスチナは最初は腹を立てたが次第に青年の世話をやいた。
若者は子供扱いするクリスティーナに怒り、裕福な夫婦に腹を立てるが、彼女は昔は自分たちも若者と同じ暮らしをしていたことを話して聞かせ、2人は流れのままに体を重ねた。
岸の近くで若者を船から降ろしたクリスティーナが船着場に到着するとアンジェイが待っていた。
警察に行くというアンジェイにクリスティーナは彼は実は生きていたと話すがアンジェイは信じようとしない。
その証拠に彼と寝たというクリスティーナの言葉にアンジェイは選択を迫られる。
彼女の話を信じるなら自分に罪はなく妻の不貞を認めることになり、信じないなら妻の浮気はないが自分が若者を死なせたことになってしまう。
警察へ向かう分かれ道で車を止めたアンジェイは果たしてどちらに向かうのか。


寸評
登場人物は、週末をヨット遊びで過ごす中年の夫婦と、途中で知り合ったヒッチハイクの若者の3人だけと言っても良いが、それぞれが心の奥底に持っている不満を描き出していくサスペンス劇となっている。
妻は夫のエゴイストぶりが気に入らなくて軽蔑しているような所がある。
夫は妻のそのような気持ちを感じ取っていながら夫婦関係を維持している。
若者は金持ちの傲慢さが気に入らないでいる。
三人三様の不満を集約すれば、夫婦間の不信感と若者に対する嫉妬と貧者の金持ちに対する反発である。
主張が強く出た肩ぐるしい作品のように思えるが、ヨットでの一日がスポーツ映画のように描かれていることで肩の凝らない作品となっている。
僕は随分と前に見たので改めてストーリーを追いながら記憶をたどっているのだが、不思議なことにドラマとは何の関係もないシーンだけが記憶の中にある。
それは若者が指をかざしてヨットのマストを見るシーンだ。
若者は指を真ん中にかざして片目を交互につむると、マストが指を挟んで右に行ったり左に行ったりする。
実際にやってみればそうなるのだが、場内でも静かな笑いが漏れたし、僕もニンマリとしたことを思いだす。
どうしてそのシーンを明確に覚えているのか分からないが、個人にとって映画にはそのようなシーンがあるものなのかもしれない。

馬上の二人

2025-03-18 16:35:57 | 映画
「馬上の二人」 1961年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ジェームズ・スチュワート リチャード・ウィドマーク
   リンダ・クリスタル シャーリー・ジョーンズ
   アンディ・ディヴァイン ジョン・マッキンタイア
   ポール・バーチ ウィリス・ボーシェイ ヘンリー・ブランドン
   
ストーリー
1880年、テキサスのタスコサ町の保安官ガスリー・マケーブは、町から40哩離れたグランド砦の司令官フレーザー少佐の招きで砦へ行った。
少佐はコマンチ族に拉致された白人の救出を依頼した。
マケーブは酒場のマダム・ベルの執拗な求愛から逃れるために砦へ行ったのだが、この仕事に気が進まなかった
が、1ヵ月80ドル、白人1人につき500ドルという報酬に承諾した。
少佐はとくに17歳くらいの少年を探すようにつけ加えた。
マケーブは旧友のジム・ゲイリイ中尉を護衛に捜索隊を連れてコマンチ領へ。
だが、気の乗らないマケーブは酒を飲み、一行の中の弟が拉致されているブロンド娘マーティをよくからかった。
一行のキャンプがコマンチ族に襲われ、集落に連行された。
そこでマケーブは、ウルフという17歳くらいの少年に目を止めた。
からだは褐色に塗っているが、まぎれもない白人だ。
マケーブとゲイリイは酋長クワナと取り引き、ウルフと陸軍仕官の婚約者で、その任地に向かう途中捕まったエレナとを連れて砦に帰った。
砦でウルフは好奇心の的になった。
暴れ回る彼を誰も白人とは思わなかったが、頭の異常なマッケンドレス夫人だけは我が子と信じ興奮していた。
実際ウルフは真実の子ではなく、マッケンドレス夫人の夫リングルが、マケーブに1000ドル渡して連れてこさせたものだった。
エレナも砦の人々に軽蔑の目で見られた。
一方、マーティは、弟を探す見込みがなくなったので砦を発とうとしていた。
ゲイリイは彼女を慰め、その夜のダンス・パーティに誘った。
マケーブもエレナとともに出席した。
パーティの最中ウルフが「我が息子、我が息子」と傍を離れぬマッケンドレス夫人を殺した。
私刑の場所へ連行される途中、ウルフはマーティの部屋から流れるオルゴールの音楽を聞いて愕然とした表情をみせ「俺の音楽だ」と叫んだ。
マーティは驚いた。
オルゴールは弟の愛用していたものであり、ウルフこそ弟だったのだ。
しかし、ウルフは救われなかった。
マーケーブはエレナを連れタコサに帰ったが、ここでもエレナは冷たく扱われた。
絶望と悲しみで1人カリフォルニアへ帰ろうとする彼女をマケーブが追った。

 
寸評
ジョン・フォードは西部劇の名手だったが、どこかに被征服者である先住民族への贖罪の気持ちがあったのではないかと思う。
多くの西部劇とは違う新しい傾向の作品となっていて、派手な銃撃戦のないなかでユーモアを散りばめてはいるが、見終ると陰鬱な気分が残る映画だ。
ジェームズ・スチュワートは保安官だが、町の連中からリベートを巻き上げている。
騎兵隊の将校であるリチャード・ウィドマークが迎えに来て、二人の掛け合い漫才が繰り広げられるオープニングである。
開拓者たちが身代金を差しだして家族を取り返してきて欲しいと懇願する。
しかし騎兵隊としては戦争までしてその要求に応えることを政府から禁じられていたので、先住民と親しいジェームズ・スチュワートに平和的な交渉を依頼することになる。
しかし連れ去られた人々はすでに先住民と同化していて、10年前に子供だった少年は今や白人を憎んでいて、老婆は死んだものと諦めてくれと言う。
将校夫人だったリンダ・クリスタルは、今の夫が殺されると先住民としての祈りを捧げる始末である。
そんな人々を白人社会に戻しても誰からも喜ばれず悲劇を巻き起こす。
開拓時代にはこのようなことがあったかもしれないと言う悲劇を描いた特殊な西部劇となっている。
これもジョン・フォード作品なのだ。

新選組

2025-03-16 15:42:16 | 映画
「新選組」 1969年 日本


監督 沢島忠
出演 三船敏郎 小林桂樹 北大路欣也 三国連太郎
   中村翫右衛門 田村高廣 中村賀津雄 中村梅之助
   中村錦之助 司葉子 池内淳子 星由里子
   野川由美子 御木本伸介 中谷一郎 内田良平

ストーリー
文久3年1月、武州多摩で天然理心流の試衛館を開く近藤勇(三船敏郎)は土方歳三(小林桂樹)や沖田総司(北大路欣也)らと浪士隊に応募して京に向った。
隊には水戸浪士芹沢鴨(三國連太郎)率いる水戸天狗党の残党も参加していた。
京都で江戸逆戻りの命令を出す清河八郎(御木本伸介)に反発した近藤、芹沢ら13人は松平肥後守御預けとされて、同年3月に新選組が誕生した。
近藤と共に局長についた芹沢ら一派の狼籍は目に余り、近藤、土方、沖田ら試衛館一派は芹沢らを暗殺。
新見錦(内田良平)らも斬られ、新選組の実権は完全に近藤が握った。
元治元年6月5日、政変で失脚した長州藩の志士が池田屋に集まっているとの情報を探知した近藤らはわずか5人で急襲し、絶な斬り合いの末に圧倒的勝利を収めた。
以来、新選組は幕臣の信頼を集めたが、幕府は衰亡の一途を辿っていた。
幕府の危機を悟った近藤だったが、最後まで幕府のために働く初心を変えなかった。
鳥羽・伏見の戦いに敗れた近藤らは江戸へ帰還。
その後甲陽鎮撫隊を率いたものの、戦況は好転せず近藤は下総流山で官軍に降った。
慶応4年4月25日、板橋の刑場で近藤は処刑された。


寸評
時代劇として新選組はよく取り上げられる対象である。
数え上げたらきりがないが、僕が思い浮かべられるだけでも1963年の隅研次監督で市川雷蔵が山崎蒸をやった「新選組始末記」、栗塚旭の土方歳三の評判が良かったテレビの「新選組血風録」を引き継いだような1966年の市村泰一監督の「土方歳三 燃えよ剣」、沖田総司が女で坂本龍馬に惚れられる1991年の牧瀬里穂と渡辺謙の「幕末純情伝」、1999年大島渚の「御法度」、草刈正雄が沖田総司を演じた1974年出目昌伸の「沖田総司」、2002年には「壬生義士伝」を滝田洋二郎が撮っていて、近年では2020年原田眞人監督、岡田准一主演での「燃えよ剣」があった。
全てを見ているわけではないが、三船プロが制作した「新選組」は映画館で見た。
五社を超えたスタープロが勃興していて、この作品も主演の三船を初め、小林桂樹、北大路欣也、三国連太郎、中村錦之助、田村高廣、中村賀津雄、内田良平などに加えて、女優陣では司葉子、池内淳子、星由里子、野川由美子などズラリとネームバリューのある俳優をそろえている。
しかしそれがかえってアダとなっていて、皆さん年齢がいきすぎていて若さがない。
若者の中にある青臭さの様なものが全くなくミスキャスト感が強い。
御大の三船が三船敏郎映画出演100本目として新選組を撮りたかったのだろう。
納得できたのは三國連太郎の芹沢鴨だけだったように記憶している。
新選組は散々撮られてきているので、それぞれのエピソードは馴染んだもので、ダイジェスト的にまとめられていたと思う。
これだけ役者をそろえると長くなるのも納得だ。
思い出してみれば近藤勇をこれだけ堂々とやれたのは三船敏郎さんぐらいだったのかもしれない。

ブーベの恋人

2025-03-14 07:47:36 | 映画
「ブーベの恋人」 1963年 イタリア / フランス


監督 ルイジ・コメンチーニ
出演 クラウディア・カルディナーレ ジョージ・チャキリス
   マルク・ミシェル ダニー・パリス モニク・ヴィータ
   カルラ・カロ エミリオ・エスポジート

ストーリー
1944年のある日、イタリアのある田舎町にあるマーラ(クラウディア・カルディナーレ)の家に、兄の同胞ブーベ(ジョージ・チャキリス)という青年が訪れた。
終戦になって、故郷に帰る途中、マーラの異父兄サンテの最期を報告するために立ちよったのだった。
マーラの父親(エミリオ・エスポジート)は、心からブーベを歓待したが、サンテを失った母親(カルラ・カロ)は、何かしらブーベに対しても敵意を抱いていた。
マーラは針と糸を貸してくれという彼の破れたズボンを繕ってやった。
翌朝、家に世話になったブーベはマーラにパラシュートの絹布をあたえて帰った。
その後数カ月ブーベとマーラの文通がつづき、週一回決まって寄越す手紙には、仕事や党活動に明け暮れる報告の他書かれておらず、愛の言葉はなかった。
冬になってから仲間と運送屋をはじめることになったブーベがマーラを訪ねて来た。
彼はマーラの気持も確かめず父親から彼女との婚約の許しを得て帰ってしまった。
何カ月かたったある日、突然ブーベがマーラの家に来た。
ブーベはマーラに求婚したが、同時に沈痛な面持ちで、仲間を撃った憲兵の息子を誤って殺し、追われる身となったことを告げた。
ブーベはマーラを連れて故郷へ帰ったが、マーラは予期に反して汚いブーベの家や、家族にがっかりした。
隠れ家にしていた紙工場の廃墟にも危険が迫り、仲間の計いでブーベはマーラを残して国外に逃亡することになった。
ユーゴに逃亡したブーベからは長い間、便りがなかった。
マーラは父の家にいづらくなり、町の友達を訪ねてゆく決心をした。
やがて彼女にはステファノ(マルク・ミシェル)という真面目なボーイ・フレンドができた。
お互い婚約者のいる身だったが、真剣なステファノをやがて本気で愛し始めるマーラ。
一年の月日が経った。
ブーベはユーゴ政府によって、イタリアに送還され、殺人犯として裁判を待つことになった。
マーラはブーベが無罪になれば、自分もブーベから解放されると考え、ブーベのために偽証しようと心に決めた。
だが、法廷で嘘がつけず、結局、ブーベは14年の判決をうけた。
マーラはやはリブーベの妻となることを決意し、それ以来、二週間ごとに刑務所通いを続けるのであった。
列車に乗って面会にいくマーラは偶然、ステファノに再会し、それでももう7年経ったのだから、あと7年などあっと言う間だと語る。
あの時、20歳だった娘は今、27歳の女盛りだった。


寸評
「ウエストサイド物語」のベルナルド役で強烈な印象を残したジョージ・チャキリスが、ベルナルド役とは全く別の、哀しい運命に翻弄されるイタリア青年を印象深く演じている。
映画は宿命の男に寄せるヒロイン・マーラの純情でひたむきな愛を描いた純愛映画となっている。
しかし単なる純愛映画ではなく、どこかイタリア・ネオリアリズムの雰囲気を持っていることで、苦悩や悔恨の感情を生み出している。
マーラがブーベの破れたズボンを繕ってやるシーンでギターの静かなメロディーが流れてくる。
カルロ・ルスティケリの哀しくセンチメンタルなメロディーは一度聴いたら忘れられないものがある。
この音楽が作品の価値を高めていることは間違いがない。
僕はあの頃、映画雑誌の「スクリーン」と「映画の友」を購読していたが、B・B(ブリジット・バルドー)よりもC・C(クラウディア・カルディナーレ)がお気に入りだった。
「刑事」のC・Cも良かったが、僕の中ではこの作品でのC・Cが一番だ。

世界残酷物語

2025-03-13 08:34:14 | 映画
「世界残酷物語」 1962年 イタリア


監督 グァルティエロ・ヤコペッティ

世界中の残酷な風物・風習を集め、まとめたドキュメンタリーで、ヤコペッティ監督の名を世界中に知らしめた作品。

寸評
世界中をめぐって信じられない奇妙な風習を集めたエピソードで構成されたヤコペッティ監督の型破りなドキュメンタリーである。
公開当時は残酷な記録が注目を集めた。
例えば台湾の犬肉レストランや、生きた牛の首を一刀のもとに切り落とすネパールの儀式などだ。
そんな中で、核実験の影響で方向感覚を失って海に戻れなくなり砂浜で死んでいくビキニ環礁のウミガメのエピソードは核への批判をのぞかせていた。
しかしドキュメンタリーとはいえ、作品はキワモノ映画であり、その後に続編を含め同監督の「世界女族物語」なども公開されたが「世界残酷物語」ほどの話題にもならなかったし、ヒットもしなかったように思う。
それでもヤコペッティの名前と共に「世界残酷物語」というタイトルを覚えているのは、よほど公開当時の印象が強かったのだと思う。
この映画が記憶されるもう一つの要因は、内容に似つかわしくないテーマ曲「モア」の存在だと思う。
イタリアの作曲家リズ・オルトラーニが作曲した信じられないような美しい主題曲だ。
僕はアンディー・ウィリアムスが彼のショー番組で歌っているのを聞いたことがあるように思う。
あの頃、アンディー・ウィリアムス・ショーや、ミッチ・ミラー・ショーなど、あちらの音楽ショー番組が放送されていたと思う。
振り返れば描かれた残酷な内容よりも、現在ではもっと残酷なことが世界中で起きているのでタイトルすら白々しいものがある。
内容も大したことはないのに、たった一作で記憶に残したのがすごいと思う。

ビートルズ レット・イット・ビー

2025-03-12 10:12:29 | 映画
「ビートルズ レット・イット・ビー」 1970年 イギリス


監督 マイケル・リンゼイ=ホッグ
出演 ジョン・レノン ポール・マッカートニー
   ジョージ・ハリソン リンゴ・スター
   ヨーコ・オノ ビリー・プレストン

場所はロンドンにあるアップル・ビル。
セットしたカメラは、演奏し仕事をしているビートルズを追い、彼等のくつろいだ姿をも見せてくれる。
アップル・ビル屋上での彼等のレコーディングでは、彼等の演奏する音を聞きつけて、下の通りには何万という人々が集まり交通は渋滞し、整理する警官はこの有様にイライラするばかりという状態。
近くのビルの窓からもビートルズを見、彼らの音楽を聞こうとする人々が顔を出し、屋根の上にもファンがすずなりになってしまった。
この映画では、タイトルにつかわれている、ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」に収められている曲を中心として、次々と彼等のすばらしい曲を聞くことができる。


寸評
随分前に見た映画でわずかのシーンが蘇るだけであるが、このドキュメンタリーはビートルズ最後のライブ映像と言えるだろう。
僕はビートルズ世代だし、「HELP」から「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」までのアルバムも所有していた。
映画を見終って、ビートルズの面々も随分と苦悩していたのだなあとの印象を持ったと思う。
特にポール・マッカートニーの苦悩を感じ取ったと思う。
僕はタイトルとなっている「レット・イット・ビー」よりもポール・マッカートニーが唄った「ベサメ・ムーチョ」が一番印象深かった。
警官とぶつかりながら「ゲット・バック」を唄った時には、なぜか「ざまあみろ!」と言う気持ちが湧いたと思うが、僕も若かったのだろう。
今となっては解散寸前のビートルズの姿をそのまま捉えたドキュメンタリーとして歴史的に貴重な作品となっているのではないかと思う。

幕末

2025-03-11 08:02:16 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/9/11は「続 悪名」で、以下「阿修羅のごとく」「遊びの時間は終らない」「仇討」「熱いトタン屋根の猫」「兄とその妹」「あの頃ペニー・レインと」「あの子を探して」「あ、春」「アビス/完全版」と続きました。



「幕末」 1970年 日本


監督 伊藤大輔
出演 中村錦之助 三船敏郎 吉永小百合 仲代達矢
   小林桂樹 中村賀津雄 江利チエミ 山形勲
   神山繁 江原真二郎 仲谷昇 御木本伸介
   松山英太郎 天田俊明 大辻伺郎 二木てるみ
   太田博之 香川良介 山本学 片山明彦

ストーリー
ある雨の日、不自由な足に下駄を引摺った一人の小商人が士分以外に下駄は禁制として藩の上士・山田(山形勲)にぶつかり無礼討ちされた。
下士・中平(片山明彦)は怪我人に下駄と雨傘を与えた親切があだとなり、「御法度破りの同類」として山田のために討ち果たされた。
この一件は烈しく坂本竜馬(中村錦之助)の心魂を揺ぶり故郷の土佐を脱藩させた。
江戸を訪れた竜馬は、かつて剣の腕を磨いた千葉道場に落着いた。
千葉重太郎(尾形伸之助)は時の幕府海軍奉行の勝海舟(神山繁)を開国論者の先鋒とみて嫌っていた。
しかし、竜馬が海舟を邸に訪ねたところ、海舟は立場こそ違え互に国を愛し国を憂うる心に違いないことを知った。
慶応元年、竜馬は長崎に「社中」を創設し海運業に乗りだしたが、海運業に携わるよりも中岡(仲代達矢)と共に薩・長二藩連合のために奔走する方が多かった。
その留守を預る近藤長次郎(中村賀津雄)が「社中」規約違反の廉で詰腹を切らされ、中岡は同志のケチな差別根性を嚇怒した。
同年正月20日、竜馬は長州の桂(御木本伸介)と薩摩の西郷(小林桂樹)との間を周旋して、ついに両藩積年の確執と反目を解消させた。
だが、それと同時に竜馬は幕吏に狙われるところとなり、お良(吉永小百合)と結婚したものの安住の地はなかった。
が、幕威に比し薩・長二藩の実力は伸長していたが、この現実に周章したのは公武合体論の士佐藩だった。
土佐藩家老後藤象二郎(三船敏郎)は竜馬に助言を求めた。
竜馬は「将軍慶喜をして大政を奉還せしめる」ことを説いた。
慶応3年10月15日大政奉還が成った。
その頃、竜馬は河原町通りの醤油商・近江屋に下宿。
11月15日、風邪の見舞に来た中岡と竜馬は「新政府綱領八策」について議論していたところへ、刺客が疾風の如く躍り込りこんできて二人の生命を奪い去った。
時に竜馬33歳、中岡30歳であった。


寸評
伊藤大輔監督の最後の作品となったが、完全な失敗作だったと思う。
時代劇では力量を発揮した監督だったと思うが、晩年の作品では1961年の「反逆児」が良かったように思うが、大抵の監督がそうであるように遺作となるころには冴えがなくなっていたように思う。
見どころは近藤長次郎が規約違反で詰腹を切らされるところぐらいで、大芝居が目立つ割には若者たちのほとばしるエネルギーは感じられなかった。
討幕から明治維新を成し遂げた者たちの年齢に驚いてしまうし関心もする。
世の中を変えようとする彼らのエネルギーや人物像が感じられないので、周知の事柄をダイジェスト的に見せてもらったような気がする。
坂本竜馬のイメージは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によって作られているのではないかと思うのだが、原作には程遠い出来となっている。
吉永小百合のおりょうも僕のイメージから程遠かった。
中村錦之助も宮本武蔵はハマったけれど、演じた坂本竜馬はちょっと違うかなあ・・・。
幕末物として超有名人が出てくるのだが、顔見世興行的になっているので映画全体がエピソードの積み重ねとなってしまっているのはお歳のせいだったのかもしれない。
それでも最近の時代劇はこじんまりした作品が多いように思うので、伊藤大輔さんが撮ってきたような作品が懐かしく思える。


ゼロ・グラビティ

2025-03-09 08:44:55 | 映画
「ゼロ・グラビティ」 2013年 アメリカ


監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック / ジョージ・クルーニー
声の出演 エド・ハリス

ストーリー
医療技師としてライアンは初めての宇宙飛行に参加していた。
指揮官であるマット、そして同僚のシャリフと共に宇宙空間で作業をしていた。
それぞれの作業を行っていた三人だったがそこへヒューストンの管制室から、ロシアの人工衛星が破壊されたことにより発生した宇宙ゴミが近付いているため、避難するように命令が入る。
避難を試みた三人だったが、宇宙ゴミがスペースシャトルに衝突し、その衝撃で三人は宇宙に投げ出されてしまい、シャリフは宇宙ゴミが衝突して死亡した。
残されたライアンとマットだったがパニックになりながらもマットの冷静な指示で、何とかライアンを自分の体にロープでつなぐことに成功する。
シャリフの遺体を回収し、スペースシャトルから通信を試みた二人だったが応答はなかった。
内部は大きく損傷しており、乗員は全員が死亡し、無重力で漂っていた。
何とか通信を試みたかった二人は国際宇宙ステーションへと向かった。
国際宇宙ステーションに到着した二人だったが、そこもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で、中国の宇宙ステーションへ避難することをマットが提案。
ところが到着間際に燃料切れを起こし、減速することが出来ずそのまま宇宙ステーションに衝突してしまった。
なんとか開かれたパラシュートにひっかかり助かったライアンだったが、ロープで繋がれたマットは宇宙に放り出されてしまい、このままだと二人とも助からないと判断したマットは、ライアンにロープの切断を命令。
最後まで抵抗したライアンだったが、苦渋の選択でロープを切断。
マットは何もない宇宙に体一つで放り出されてしまった。


寸評
話は実にシンプルで、宇宙空間で次から次への危機に襲われながら、それを乗り越えて生還する一人の女性宇宙飛行士の物語である。
ハッブル宇宙望遠鏡の修理のために宇宙空間で三人が船外活動をしている。
無線でジョークのやりとりをしながら作業をしているのはアメリカらしい。
無重力状態なので地上のようにスムーズな作業は出来ないが余裕たっぷりで慣れたものだ。
しかしそこに大量の宇宙ゴミが襲来して、船はボロボロとなり宇宙飛行士たちは2人を残して全員死亡。
残った2人がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーで、映画はその二人しか登場しない。
3Dを意識した構図で宇宙遊泳が映し出され、本当に彼らが宇宙空間で作業しているように見えるのがすごい。
僕はこの映像をどのようにして生み出したのだろうとばかり考えていた。
そして近い将来にはこのようなことがじっさいに起きるだろうなとも思った。
宇宙には地球上から打ち上げられて出来た宇宙ゴミが大量にあると聞く。
宇宙ステーションにそのゴミがぶつかるかもしれないことは容易に想像できる。
そして船外活動で弾き飛ばされた時は、宇宙飛行士自身が行方不明者となって宇宙を漂うことになってしまうであっろうことをまざまざと見せつけられる。

地球上では紛争が起きているのかもしれないが、宇宙では世界は一つを生み出せるのだろうか。
アメリカの宇宙船がボロボロになり、彼らは国際宇宙ステーションへと向かう。
国際宇宙ステーションもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で今度は中国の宇宙ステーションへ避難するようにマットが提案する。
地上ではアメリカと中国が覇権を争っているが、宇宙では協力できると言う事か。
乗組員は全員避難してしまっていたが、ライアンは無事な別の飛行船を発見する。
言葉に壁に苦戦しながらも、何とか宇宙船の軌道に成功し、ステーションともに落下する宇宙船は大気圏で無事分離に成功することは分っていても拍手喝采だ。

ライアンは亡くなった娘の事をマットに話す。
娘との想い出のシーンは出てこない。
娘は天国に近い宇宙に居るわけではない。
娘との思い出が地球に残っていて、ライアンはその思い出の地に戻る決心をする動機づけとなっていたと思う。
それを促すのがジョージ・クルーニーなのだが、まさかあの状態で都合よく戻ってくるのは出来過ぎだと思ったら、そういうことだった。
ライアンは地球にたどり着く。
そこで彼女は重力を感じて立ち上がる。
仲間をすべて失った彼女だが、これからも強く生きていくことだろう。
悪戦苦闘するライアン以外に何もない映画だが、サンドラ・ブロックの頑張りだけは評価できる。
第一の功労者は、宇宙の静けさと暗くて広い宇宙を表現した映像だろう。
僕は3D版を見ていないが、この映画は3Dで見てこそだと思う。