「映画」のブログ記事一覧(2ページ目)-おじさんの映画三昧
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おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

蛇にピアス

2025-03-24 09:23:44 | 映画
「蛇にピアス」 2008年 日本


監督 蜷川幸雄
出演 吉高由里子 高良健吾 ARATA
   あびる優 ソニン 今井祐子 綾部守人 市瀬秀和
   妹尾正文 市川亀治郎 井手らっきょ 小栗旬
   唐沢寿明 藤原竜也

ストーリー
生きている実感もなく、あてもなく渋谷をふらつく19歳のルイ。
ある日訪れたクラブで赤毛のモヒカン、眉と唇にピアス、背中に龍の刺青、蛇のようなスプリット・タンを持つ「アマ」と出会い人生が一変する。
アマの刺青とスプリット・タンに興味を持ったルイは、シバと呼ばれる男が施術を行なっている怪しげな店を訪ね、舌にピアスを開けた。
その時感じた痛み、ピアスを拡張していく過程に恍惚を感じるルイは次第に人体改造へとのめり込んでいくことになる。
「女の方が痛みに強い」「粘膜に穴を開けると失神する奴がいる」という店長のシバも全身に刺青、顔中にピアスという特異な風貌の彫り師で、自らを他人が苦しむ顔に興奮するサディストだと語った。
舌にピアスを開けて数日後、ルイとルイの友人は夜道で暴力団風の男に絡まれる。
それに激昂したアマは相手の男に激しく暴力を振るい、男から2本の歯を奪い取って「愛の証」だと言ってルイに手渡す。
アマやシバと出会う中でルイは自身にも刺青を刻みたいという思いが強くなり、シバに依頼して背中一面に龍と麒麟の絡み合うデザインの刺青を彫ることを決めた。
画竜点睛の諺に従って、「キリンと龍が飛んでいかないように」という願いを込め、ルイはシバに2匹の瞳を入れないでおいて欲しいと頼む。
刺青の代償としてシバはルイに体を求め、2人は刺青を入れていくたびに体を重ねるようになる。
一方でルイは、アマが暴力を振るった暴力団員が死んだというニュースを目にした。
アマが捕まってしまうことを危惧したルイは、アマの髪をアッシュに染め、刺青が見えないように長袖を着るよういいつける。
その事実を全く知らないアマは何の疑いもなくルイに従った。
刺青の完成と同時にルイは自らの生きる意味を見失い、アルコールに依存するようになった。
自分が生きていることを実感できるのが痛みを感じている間だけだと気づいたルイは、アマとシバ、どちらが自分を殺すのだろうかと想像を巡らせるようになる。
そんな中、警察からシバの店に「龍の刺青をした、赤毛の客を教えて欲しい」という連絡が入った。
ルイはしらを切り通すが、不安に襲われながら日々を過ごすことになる。
ある夜、アマは突然行方不明になり、ルイは呆然とする。
警察に捜索願を届けようとするも、ルイはアマの本名すら知らなかったのだ。
数日後、行方不明となっていたアマの無残な死体が発見されたと警察から告げられたルイ。
アマの遺体には無数のタバコを押し当てた痕があり、陰部にはエクスタシーというお香が差し込まれていた。
警察官から「アマはバイセクシャルだったか」と尋ねられ、アマが何者かによってレイプされていたことを察するルイ。
アマの死後、生きる気力を完全に失っていたルイのことを受け入れたのはシバだった。
シバの家に暮らすようになり日々を送る中で、ルイはアマの陰部に差し込まれているお香がシバの家に置いてあること、そしてアマの体に押し当てられたタバコが、シバが吸っている銘柄と同じであることに気がつく。
ルイはアマにもらった2本の歯を砕いて飲み込むことによって、アマの愛の証を体に吸収したことを実感する。
そしてシバに麒麟と龍の瞳を彫り込んでもらうように頼み、シバはそれに従った。
ルイは舌のピアスを拡張するのをやめる。
スプリットタンは完成せず、ただ舌には大きな穴が残り、ルイは一人、ピアスと刺青が自分にとってどのようなものだったのか、その答えを知るのだった。


寸評
原作は綿矢りさの「蹴りたい背中」とともに第130回芥川龍之介賞を受賞した金原ひとみの小説である。
受賞時の二人は19歳と20歳で、その若さが話題となった。
文芸春秋誌に2作品の全文が載った号を買って読んだのだが、歳のせいか僕は金原ひとみさんの「蛇にピアス」は理解できなかったし好きになれなかった。
蜷川幸雄のよって映画化されたのが本作なのだが、やはり僕は好きになれなかったし内容にも共感できなかったように記憶している。
ただ吉高由里子がヌードシーンを演じていたことだけが印象深い。
僕は人体改造に興味がないし、原作を読んでいても気持ちが悪くなったと思うので、そもそも本作を受け入れられないものがあったと思う。
暴力団員を素手で殴り殺してしまうアマなのに、ルイにはやけに素直なところが面白かったし、アマとシバの本当の関係はどうだったのか気になった。
小説の内容はすっかり忘れてしまっている。
どうも僕は蜷川親子とは肌が合わないらしい。

ヴァイブレータ

2025-03-22 11:00:22 | 映画
3月3日の「赤目四十八瀧心中未遂」に続き、寺島しのぶの出世作をもう1本。

「ヴァイブレータ」 2003年 日本


監督 廣木隆一
出演 寺島しのぶ / 大森南朋 / 田口トモロヲ
   戸田昌宏 / 高柳絵理子 / 牧瀬里穂
   坂上みき / 村上淳 / 野村祐人

ストーリー
雪の夜、ルポライターとして働いている31歳の女性・早川玲はコンビニにワインを買いに来ていた。
玲がコンビニで酒を選んでいると、店の中に玲好みの金髪の男性が入ってきた。
その男性と目が合った玲の頭の中にはまた声が聞こえてきて、「食べたい、あれ、食べたい」と囁いてきた。
男性はまるで合図するかのように玲のお尻にそっと触れ、コンビニから出ていった。
玲が男性の後を追うと、男性はトラックの運転席に座っており、玲も引き寄せられるようにトラックに乗り込んで助手席に座った。
男性の名前は岡部希寿(たかとし)と言い、学歴が無かったためトラックの運転手になり、7年間続けているとの事だった。
世間話を続けていく中で、玲は「あなたに触りたい」と率直な気持ちを伝えた。
そうして玲と希寿の東京から新潟までのトラックの旅は幕を開けた。
希寿は妻と子供がおり、さらに長年付きまとってくる厄介なストーカーもいて、そのストーカーは過去にトラックに乗せた事もあり、手首を切ったという電話がかかってきた事もあるという。
さらに希寿は話し続け、工務店で勤務した後にヤクザになり、ホテトルのマネージャーを経て現在のトラックの運転手になったという自分の経歴を玲に伝えた。
そして希寿はトラック運転手が孤独を紛らわすために行う無線遊びをし始めた。
希寿も玲もたまらなく孤独で、それから逃れようと生きていた。
しかし、玲は希寿との会話をしている中で、頭の中の声が聞こえなくなっている事に気づいた。
希寿と玲は何度も身体を重ねる関係になっており、今も2人は服を脱ぎ始めていた。
希寿のふりをして楽しく無線遊びをした。
しかし突然、玲の耳に無線から関係のない声が聞こえてきた。
「学校に行かないのはどうして?」「精神科に行きたい」。
この声は玲にしか聞こえず、希寿には何の事か分からなかった。
希寿は玲を連れてラブホテルで休む事にした。
希寿が玲の背中を優しく流してあげた事で玲の心は少しずつ落ち着いてきて、玲は優しくされた事から希寿の胸の中で激しく泣きじゃくった。
玲は希寿が「感情」ではなく「本能」で優しいのだと気付いており、それにより希寿の事が本気で好きになっていた。
ラブホテルを出た2人は定食屋で食事をする事にした。
玲は希寿に「私の事好き?」と聞いた。
希寿は好きだと答えた後に、「お前は俺の事好き?」と聞き返した。
その後「ずっとトラックに乗っていてもいいよ」と言う希寿だったが、玲は「ありがとう」と答えるだけだった。
希寿は妻と子供がいるという事もストーカーに悩んでいる事も嘘だという事を告白した。
そして食事を終えた2人はトラックに戻った。
希寿は玲に「運転してみる?」と言い、恐がった玲だったが教えてもらいながら運転してみる事にした。
運転に慣れてきた玲は笑顔で楽しい時間を過ごしたが、旅の終わりは近づいていた。
トラックは2人が出会ったコンビニに戻ってきた。
玲はトラックを降り、その姿を名残惜しそうな目で見つめた希寿は走り去っていった。
そして普段の生活に戻る事になる玲だったが、「彼を食べて、食べられた、それだけの事だった」「でも私は、少しだけいいものになった気がした」と考えていた。                                                                                                                 
                                  
寸評
廣木隆一、寺島しのぶ、渾身の一作だ。
特に寺島しのぶがオールヌードで挑むセックスシーンを、臆することなく演じる姿は見事の一語に尽きる。
この映画の魅力は、彼女の演技力によるところが大きい。
トラック運転手とヒロインの会話がほとんどで、車内を写すことが多いから画面の変化も少ないが飽きさせることなく95分間を見せてくれる。
都市で暮らす孤独な拒食症の女性を主人公にしたドラマで、彼女がコンビニで若いトラック運転手にナンパされ、その車で新潟までを往復するという話だ。
女は男をみて「食べたい」と思う。
男は視線を感じ取ったのか、すれ違いざまにそっと彼女のお尻に触れる。
それがナンパと言えるものなのか微妙だが、男の招きに応じて女は見知らぬ男のトラックに乗る。
そして、その日のうちに後部座席でセックスに至るのだが、そんなことってあるのかなと思う状況なのに、不思議と疑問は湧いてこない。
彼女はそのまま運送の仕事に付き合って、はるばる新潟までいくことになる。
トラックドライバーの男は、社会の裏側に通じているのでその話を聞かせ、ヒロインは拒食症について語る。
とりとめのない会話を通じて、二人が心を通じ合わせていく過程がごく自然に感じられる。
ときどき女の考えていることが字幕で示され、女の心理状況を想像することになる。
袋小路に入っていた女性の人生が、一夜のナンパでちょっとだけ変わるという展開の最後には、とても切なく結末は感動的だ。

リバティ・バランスを射った男

2025-03-21 07:07:22 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/9/21は「アヒルと鴨のコインロッカー」で、以下「アポロ13」「雨あがる」「雨に唄えば」「アメリ」「アメリカ アメリカ」「アメリカ上陸作戦」「アメリカン・グラフィティ」「アメリカン・ビューティー」「あらくれ」と続きました。

「リバティ・バランスを射った男」 1962年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ジェームズ・スチュワート ジョン・ウェイン ヴェラ・マイルズ
   リー・マーヴィン エドモンド・オブライエン
   アンディ・ディヴァイン ウディ・ストロード
   ジャネット・ノーラン ケン・マーレイ

ストーリー
西部の小さな町シンボーンに老紳士夫妻が汽車から降りた。
上院議員をつとめるランス・ストダード(ジェームズ・スチュアート)と婦人ハリー(ヴェラ・マイルズ)である。
夫妻が来たのはトム・ドニファン(ジョン・ウェイン)という男の葬式につらなるためだった。
この名もない西部男の葬式に今を時めく上院議員がなぜやってきたのか。
かけつけた新聞記者に問われるままにランスは語り出した。
1880年代、大学で法律を学んだランスは青雲の志に燃え、東部から西部へやってきたが、途中、無法者リバティ・バランス(リー・マーヴィン)の一味に襲われ重傷を負った。
彼は小さな牧場を経営する正義感で拳銃の名手トムに救われ、町の食堂へ運ばれた。
食堂の経営者夫妻とその娘ハリー(ヴェラ・マイルズ)の看護でランスは傷を回復、お礼に皿洗いを手伝うことになった。
トムはハリーに恋していた。
当時この地方は合衆国の一部ではなく住民は州昇格を運動していたがこれに牧場主の一部が反対、バランスはその手先となって住民を脅かしていた。
ランスは町の新聞社主ピーボディ(エドモンド・オブライエン)と協力、無法者一味と戦う決意を固めた。
2人は州昇格運動代表を選ぶ町民大会で牧場主側の候補バランスを破って当選した。
バランスはピーボディを半殺しにした。
ランスは持ったことのない拳銃を握ってバランスと往来で対決した。
ランスは手を射たれたが、彼はひるまず向かっていった。
銃声がとどろいたが、意外にも倒れたのはバランスの方だった。
このことがあってトムはハリーがランスを愛していることを知り、ハリーとの結婚のために作った部屋を自ら焼いてしまった。
ワシントンに送る代表の選挙が行われた。
リバティ・バランスを射った男としてランスは代表に選ばれたが、暴力を否定する彼は人殺しを恥じて断った。
そこへトムが現れ断る必要はないと言い、あのときバランスを射ったのは自分だと告げた。
トムはハリーの頼みで横合いからバランスを射ったのだ。
ランスはワシントンに出て出世し、ハリーとも結婚した。
夫妻は間もなくこの思い出深い町に永住しにくることを誓って去っていたのだ。


寸評
珍しくジョン・ウェインがジェームズ・スチュアートの引き立て役となって脇に回っている。
ジェームズ・スチュアートが演じる弁護士のランスは法が支配する東部の人間で、一方のバランス一味は銃が支配する西部の無法者だ。
ジョン・ウェインのトムもバランスと同じ西部人間で、無法者ではないがバランスに通じるものがある精神の持ち主である。
これに新聞社主のピーボディが絡んだ人物描写が面白い。
ランスはバランスの悪に対決するが、エプロン姿のヒーローと言うのは見たことがない。
拳銃が法に勝つ西部に法律書を持ち込み、正論と理念を説くランスだったが、結局最後には銃で解決することになってしまう。
対決シーンをあっさり気味に描いてクライマックスとしていない変わった構成となっている。
なるほど、そうだったのかと解きあかしていくので、バランスとランスの対決の物足りなさが納得できる。
ハリーがトムではなくランスを選ぶのもよくて、ジョン・ウェインは振られ役である。
リー・マーヴィンのバランスが暴れまくっているが、どこかほのぼのとした西部劇となっている。
派手な銃撃戦のない西部劇だが、それはそれで楽しめる作品となっている。

水の中のナイフ

2025-03-19 13:53:06 | 映画
「水の中のナイフ」 1962年  ポーランド


監督 ロマン・ポランスキー
出演 レオン・ニェムチック ヨランタ・ウメッカ
   ジグムント・マラノヴィチ

ストーリー
ワルシャワのスポーツ記者アンドジェイは36歳で、美しい妻クリスチナと安定した生活をおくっていた。
彼らは週末を郊外で過すのが常で、その日も船遊びで過ごすため湖のヨットハーバーに車で向かっていた。
途中、強引に車を止めたヒッチハイカーの若者をしぶしぶ車に乗せてヨットハーバーへ向かい、荷物運びの手伝いをして去ろうとする彼に、アンジェイは一緒にこないかと誘った。
こうして3人を乗せてヨットは湖面を滑り出した。
若く貧しい彼に対する優越感からかアンジェイは船長気取りの命令口調で彼にあれこれと指示し、それに対して腹を立てた彼は生意気な態度をとり、アンジェイを苛立たせる。
ただ、若者が自慢げに見せる飛び出しナイフだけが唯一アンジェイが自分にはないもので羨望するものだった。
翌朝まだ暗い中、気配で目覚めたアンジェイが若者のナイフをポケットにしまいこみ甲板に出ると、クリスティーナと若者が船の修理に当たっていた。
仲の良さげな2人の様子に嫉妬したアンジェイは若者に甲板掃除を命じてこき使う。
嫌気が差した若者は船を降りようと身支度を始めるがナイフがないことに気づき、返せと詰め寄ると、からかいながらアンジェイが放ったナイフが水の中に落ちてしまう。
激怒して取って来いと食って掛かる若者をアンジェイが殴った拍子に彼はヨットから転落してしまった。
クリスティーナは彼が泳げないと言っていたことからアンジェイに助けるよう言うが、どうせウソだと取り合わない。クリスティーナは飛び込んで彼を探し始め、アンジェイもしかたなく水の中を探すが見つからない。
船に戻り、アンジェイは若者の荷物も捨てようとするがクリスティーナが止め、人殺しだとなじり、これまでの不満が爆発したかのように彼を罵り、激しい言い争いとなったあげく、アンジェイは泳いで岸へと向かい始めた。
アンドジェイが警察に知らせに泳ぎ去った後、ブイに隠れて様子をうかがっていた若者が船に泳ぎ着いた。
クリスチナは最初は腹を立てたが次第に青年の世話をやいた。
若者は子供扱いするクリスティーナに怒り、裕福な夫婦に腹を立てるが、彼女は昔は自分たちも若者と同じ暮らしをしていたことを話して聞かせ、2人は流れのままに体を重ねた。
岸の近くで若者を船から降ろしたクリスティーナが船着場に到着するとアンジェイが待っていた。
警察に行くというアンジェイにクリスティーナは彼は実は生きていたと話すがアンジェイは信じようとしない。
その証拠に彼と寝たというクリスティーナの言葉にアンジェイは選択を迫られる。
彼女の話を信じるなら自分に罪はなく妻の不貞を認めることになり、信じないなら妻の浮気はないが自分が若者を死なせたことになってしまう。
警察へ向かう分かれ道で車を止めたアンジェイは果たしてどちらに向かうのか。


寸評
登場人物は、週末をヨット遊びで過ごす中年の夫婦と、途中で知り合ったヒッチハイクの若者の3人だけと言っても良いが、それぞれが心の奥底に持っている不満を描き出していくサスペンス劇となっている。
妻は夫のエゴイストぶりが気に入らなくて軽蔑しているような所がある。
夫は妻のそのような気持ちを感じ取っていながら夫婦関係を維持している。
若者は金持ちの傲慢さが気に入らないでいる。
三人三様の不満を集約すれば、夫婦間の不信感と若者に対する嫉妬と貧者の金持ちに対する反発である。
主張が強く出た肩ぐるしい作品のように思えるが、ヨットでの一日がスポーツ映画のように描かれていることで肩の凝らない作品となっている。
僕は随分と前に見たので改めてストーリーを追いながら記憶をたどっているのだが、不思議なことにドラマとは何の関係もないシーンだけが記憶の中にある。
それは若者が指をかざしてヨットのマストを見るシーンだ。
若者は指を真ん中にかざして片目を交互につむると、マストが指を挟んで右に行ったり左に行ったりする。
実際にやってみればそうなるのだが、場内でも静かな笑いが漏れたし、僕もニンマリとしたことを思いだす。
どうしてそのシーンを明確に覚えているのか分からないが、個人にとって映画にはそのようなシーンがあるものなのかもしれない。

馬上の二人

2025-03-18 16:35:57 | 映画
「馬上の二人」 1961年 アメリカ


監督 ジョン・フォード
出演 ジェームズ・スチュワート リチャード・ウィドマーク
   リンダ・クリスタル シャーリー・ジョーンズ
   アンディ・ディヴァイン ジョン・マッキンタイア
   ポール・バーチ ウィリス・ボーシェイ ヘンリー・ブランドン
   
ストーリー
1880年、テキサスのタスコサ町の保安官ガスリー・マケーブは、町から40哩離れたグランド砦の司令官フレーザー少佐の招きで砦へ行った。
少佐はコマンチ族に拉致された白人の救出を依頼した。
マケーブは酒場のマダム・ベルの執拗な求愛から逃れるために砦へ行ったのだが、この仕事に気が進まなかった
が、1ヵ月80ドル、白人1人につき500ドルという報酬に承諾した。
少佐はとくに17歳くらいの少年を探すようにつけ加えた。
マケーブは旧友のジム・ゲイリイ中尉を護衛に捜索隊を連れてコマンチ領へ。
だが、気の乗らないマケーブは酒を飲み、一行の中の弟が拉致されているブロンド娘マーティをよくからかった。
一行のキャンプがコマンチ族に襲われ、集落に連行された。
そこでマケーブは、ウルフという17歳くらいの少年に目を止めた。
からだは褐色に塗っているが、まぎれもない白人だ。
マケーブとゲイリイは酋長クワナと取り引き、ウルフと陸軍仕官の婚約者で、その任地に向かう途中捕まったエレナとを連れて砦に帰った。
砦でウルフは好奇心の的になった。
暴れ回る彼を誰も白人とは思わなかったが、頭の異常なマッケンドレス夫人だけは我が子と信じ興奮していた。
実際ウルフは真実の子ではなく、マッケンドレス夫人の夫リングルが、マケーブに1000ドル渡して連れてこさせたものだった。
エレナも砦の人々に軽蔑の目で見られた。
一方、マーティは、弟を探す見込みがなくなったので砦を発とうとしていた。
ゲイリイは彼女を慰め、その夜のダンス・パーティに誘った。
マケーブもエレナとともに出席した。
パーティの最中ウルフが「我が息子、我が息子」と傍を離れぬマッケンドレス夫人を殺した。
私刑の場所へ連行される途中、ウルフはマーティの部屋から流れるオルゴールの音楽を聞いて愕然とした表情をみせ「俺の音楽だ」と叫んだ。
マーティは驚いた。
オルゴールは弟の愛用していたものであり、ウルフこそ弟だったのだ。
しかし、ウルフは救われなかった。
マーケーブはエレナを連れタコサに帰ったが、ここでもエレナは冷たく扱われた。
絶望と悲しみで1人カリフォルニアへ帰ろうとする彼女をマケーブが追った。

 
寸評
ジョン・フォードは西部劇の名手だったが、どこかに被征服者である先住民族への贖罪の気持ちがあったのではないかと思う。
多くの西部劇とは違う新しい傾向の作品となっていて、派手な銃撃戦のないなかでユーモアを散りばめてはいるが、見終ると陰鬱な気分が残る映画だ。
ジェームズ・スチュワートは保安官だが、町の連中からリベートを巻き上げている。
騎兵隊の将校であるリチャード・ウィドマークが迎えに来て、二人の掛け合い漫才が繰り広げられるオープニングである。
開拓者たちが身代金を差しだして家族を取り返してきて欲しいと懇願する。
しかし騎兵隊としては戦争までしてその要求に応えることを政府から禁じられていたので、先住民と親しいジェームズ・スチュワートに平和的な交渉を依頼することになる。
しかし連れ去られた人々はすでに先住民と同化していて、10年前に子供だった少年は今や白人を憎んでいて、老婆は死んだものと諦めてくれと言う。
将校夫人だったリンダ・クリスタルは、今の夫が殺されると先住民としての祈りを捧げる始末である。
そんな人々を白人社会に戻しても誰からも喜ばれず悲劇を巻き起こす。
開拓時代にはこのようなことがあったかもしれないと言う悲劇を描いた特殊な西部劇となっている。
これもジョン・フォード作品なのだ。

新選組

2025-03-16 15:42:16 | 映画
「新選組」 1969年 日本


監督 沢島忠
出演 三船敏郎 小林桂樹 北大路欣也 三国連太郎
   中村翫右衛門 田村高廣 中村賀津雄 中村梅之助
   中村錦之助 司葉子 池内淳子 星由里子
   野川由美子 御木本伸介 中谷一郎 内田良平

ストーリー
文久3年1月、武州多摩で天然理心流の試衛館を開く近藤勇(三船敏郎)は土方歳三(小林桂樹)や沖田総司(北大路欣也)らと浪士隊に応募して京に向った。
隊には水戸浪士芹沢鴨(三國連太郎)率いる水戸天狗党の残党も参加していた。
京都で江戸逆戻りの命令を出す清河八郎(御木本伸介)に反発した近藤、芹沢ら13人は松平肥後守御預けとされて、同年3月に新選組が誕生した。
近藤と共に局長についた芹沢ら一派の狼籍は目に余り、近藤、土方、沖田ら試衛館一派は芹沢らを暗殺。
新見錦(内田良平)らも斬られ、新選組の実権は完全に近藤が握った。
元治元年6月5日、政変で失脚した長州藩の志士が池田屋に集まっているとの情報を探知した近藤らはわずか5人で急襲し、絶な斬り合いの末に圧倒的勝利を収めた。
以来、新選組は幕臣の信頼を集めたが、幕府は衰亡の一途を辿っていた。
幕府の危機を悟った近藤だったが、最後まで幕府のために働く初心を変えなかった。
鳥羽・伏見の戦いに敗れた近藤らは江戸へ帰還。
その後甲陽鎮撫隊を率いたものの、戦況は好転せず近藤は下総流山で官軍に降った。
慶応4年4月25日、板橋の刑場で近藤は処刑された。


寸評
時代劇として新選組はよく取り上げられる対象である。
数え上げたらきりがないが、僕が思い浮かべられるだけでも1963年の隅研次監督で市川雷蔵が山崎蒸をやった「新選組始末記」、栗塚旭の土方歳三の評判が良かったテレビの「新選組血風録」を引き継いだような1966年の市村泰一監督の「土方歳三 燃えよ剣」、沖田総司が女で坂本龍馬に惚れられる1991年の牧瀬里穂と渡辺謙の「幕末純情伝」、1999年大島渚の「御法度」、草刈正雄が沖田総司を演じた1974年出目昌伸の「沖田総司」、2002年には「壬生義士伝」を滝田洋二郎が撮っていて、近年では2020年原田眞人監督、岡田准一主演での「燃えよ剣」があった。
全てを見ているわけではないが、三船プロが制作した「新選組」は映画館で見た。
五社を超えたスタープロが勃興していて、この作品も主演の三船を初め、小林桂樹、北大路欣也、三国連太郎、中村錦之助、田村高廣、中村賀津雄、内田良平などに加えて、女優陣では司葉子、池内淳子、星由里子、野川由美子などズラリとネームバリューのある俳優をそろえている。
しかしそれがかえってアダとなっていて、皆さん年齢がいきすぎていて若さがない。
若者の中にある青臭さの様なものが全くなくミスキャスト感が強い。
御大の三船が三船敏郎映画出演100本目として新選組を撮りたかったのだろう。
納得できたのは三國連太郎の芹沢鴨だけだったように記憶している。
新選組は散々撮られてきているので、それぞれのエピソードは馴染んだもので、ダイジェスト的にまとめられていたと思う。
これだけ役者をそろえると長くなるのも納得だ。
思い出してみれば近藤勇をこれだけ堂々とやれたのは三船敏郎さんぐらいだったのかもしれない。

ブーベの恋人

2025-03-14 07:47:36 | 映画
「ブーベの恋人」 1963年 イタリア / フランス


監督 ルイジ・コメンチーニ
出演 クラウディア・カルディナーレ ジョージ・チャキリス
   マルク・ミシェル ダニー・パリス モニク・ヴィータ
   カルラ・カロ エミリオ・エスポジート

ストーリー
1944年のある日、イタリアのある田舎町にあるマーラ(クラウディア・カルディナーレ)の家に、兄の同胞ブーベ(ジョージ・チャキリス)という青年が訪れた。
終戦になって、故郷に帰る途中、マーラの異父兄サンテの最期を報告するために立ちよったのだった。
マーラの父親(エミリオ・エスポジート)は、心からブーベを歓待したが、サンテを失った母親(カルラ・カロ)は、何かしらブーベに対しても敵意を抱いていた。
マーラは針と糸を貸してくれという彼の破れたズボンを繕ってやった。
翌朝、家に世話になったブーベはマーラにパラシュートの絹布をあたえて帰った。
その後数カ月ブーベとマーラの文通がつづき、週一回決まって寄越す手紙には、仕事や党活動に明け暮れる報告の他書かれておらず、愛の言葉はなかった。
冬になってから仲間と運送屋をはじめることになったブーベがマーラを訪ねて来た。
彼はマーラの気持も確かめず父親から彼女との婚約の許しを得て帰ってしまった。
何カ月かたったある日、突然ブーベがマーラの家に来た。
ブーベはマーラに求婚したが、同時に沈痛な面持ちで、仲間を撃った憲兵の息子を誤って殺し、追われる身となったことを告げた。
ブーベはマーラを連れて故郷へ帰ったが、マーラは予期に反して汚いブーベの家や、家族にがっかりした。
隠れ家にしていた紙工場の廃墟にも危険が迫り、仲間の計いでブーベはマーラを残して国外に逃亡することになった。
ユーゴに逃亡したブーベからは長い間、便りがなかった。
マーラは父の家にいづらくなり、町の友達を訪ねてゆく決心をした。
やがて彼女にはステファノ(マルク・ミシェル)という真面目なボーイ・フレンドができた。
お互い婚約者のいる身だったが、真剣なステファノをやがて本気で愛し始めるマーラ。
一年の月日が経った。
ブーベはユーゴ政府によって、イタリアに送還され、殺人犯として裁判を待つことになった。
マーラはブーベが無罪になれば、自分もブーベから解放されると考え、ブーベのために偽証しようと心に決めた。
だが、法廷で嘘がつけず、結局、ブーベは14年の判決をうけた。
マーラはやはリブーベの妻となることを決意し、それ以来、二週間ごとに刑務所通いを続けるのであった。
列車に乗って面会にいくマーラは偶然、ステファノに再会し、それでももう7年経ったのだから、あと7年などあっと言う間だと語る。
あの時、20歳だった娘は今、27歳の女盛りだった。


寸評
「ウエストサイド物語」のベルナルド役で強烈な印象を残したジョージ・チャキリスが、ベルナルド役とは全く別の、哀しい運命に翻弄されるイタリア青年を印象深く演じている。
映画は宿命の男に寄せるヒロイン・マーラの純情でひたむきな愛を描いた純愛映画となっている。
しかし単なる純愛映画ではなく、どこかイタリア・ネオリアリズムの雰囲気を持っていることで、苦悩や悔恨の感情を生み出している。
マーラがブーベの破れたズボンを繕ってやるシーンでギターの静かなメロディーが流れてくる。
カルロ・ルスティケリの哀しくセンチメンタルなメロディーは一度聴いたら忘れられないものがある。
この音楽が作品の価値を高めていることは間違いがない。
僕はあの頃、映画雑誌の「スクリーン」と「映画の友」を購読していたが、B・B(ブリジット・バルドー)よりもC・C(クラウディア・カルディナーレ)がお気に入りだった。
「刑事」のC・Cも良かったが、僕の中ではこの作品でのC・Cが一番だ。

世界残酷物語

2025-03-13 08:34:14 | 映画
「世界残酷物語」 1962年 イタリア


監督 グァルティエロ・ヤコペッティ

世界中の残酷な風物・風習を集め、まとめたドキュメンタリーで、ヤコペッティ監督の名を世界中に知らしめた作品。

寸評
世界中をめぐって信じられない奇妙な風習を集めたエピソードで構成されたヤコペッティ監督の型破りなドキュメンタリーである。
公開当時は残酷な記録が注目を集めた。
例えば台湾の犬肉レストランや、生きた牛の首を一刀のもとに切り落とすネパールの儀式などだ。
そんな中で、核実験の影響で方向感覚を失って海に戻れなくなり砂浜で死んでいくビキニ環礁のウミガメのエピソードは核への批判をのぞかせていた。
しかしドキュメンタリーとはいえ、作品はキワモノ映画であり、その後に続編を含め同監督の「世界女族物語」なども公開されたが「世界残酷物語」ほどの話題にもならなかったし、ヒットもしなかったように思う。
それでもヤコペッティの名前と共に「世界残酷物語」というタイトルを覚えているのは、よほど公開当時の印象が強かったのだと思う。
この映画が記憶されるもう一つの要因は、内容に似つかわしくないテーマ曲「モア」の存在だと思う。
イタリアの作曲家リズ・オルトラーニが作曲した信じられないような美しい主題曲だ。
僕はアンディー・ウィリアムスが彼のショー番組で歌っているのを聞いたことがあるように思う。
あの頃、アンディー・ウィリアムス・ショーや、ミッチ・ミラー・ショーなど、あちらの音楽ショー番組が放送されていたと思う。
振り返れば描かれた残酷な内容よりも、現在ではもっと残酷なことが世界中で起きているのでタイトルすら白々しいものがある。
内容も大したことはないのに、たった一作で記憶に残したのがすごいと思う。

ビートルズ レット・イット・ビー

2025-03-12 10:12:29 | 映画
「ビートルズ レット・イット・ビー」 1970年 イギリス


監督 マイケル・リンゼイ=ホッグ
出演 ジョン・レノン ポール・マッカートニー
   ジョージ・ハリソン リンゴ・スター
   ヨーコ・オノ ビリー・プレストン

場所はロンドンにあるアップル・ビル。
セットしたカメラは、演奏し仕事をしているビートルズを追い、彼等のくつろいだ姿をも見せてくれる。
アップル・ビル屋上での彼等のレコーディングでは、彼等の演奏する音を聞きつけて、下の通りには何万という人々が集まり交通は渋滞し、整理する警官はこの有様にイライラするばかりという状態。
近くのビルの窓からもビートルズを見、彼らの音楽を聞こうとする人々が顔を出し、屋根の上にもファンがすずなりになってしまった。
この映画では、タイトルにつかわれている、ビートルズのアルバム「レット・イット・ビー」に収められている曲を中心として、次々と彼等のすばらしい曲を聞くことができる。


寸評
随分前に見た映画でわずかのシーンが蘇るだけであるが、このドキュメンタリーはビートルズ最後のライブ映像と言えるだろう。
僕はビートルズ世代だし、「HELP」から「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」までのアルバムも所有していた。
映画を見終って、ビートルズの面々も随分と苦悩していたのだなあとの印象を持ったと思う。
特にポール・マッカートニーの苦悩を感じ取ったと思う。
僕はタイトルとなっている「レット・イット・ビー」よりもポール・マッカートニーが唄った「ベサメ・ムーチョ」が一番印象深かった。
警官とぶつかりながら「ゲット・バック」を唄った時には、なぜか「ざまあみろ!」と言う気持ちが湧いたと思うが、僕も若かったのだろう。
今となっては解散寸前のビートルズの姿をそのまま捉えたドキュメンタリーとして歴史的に貴重な作品となっているのではないかと思う。

幕末

2025-03-11 08:02:16 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/9/11は「続 悪名」で、以下「阿修羅のごとく」「遊びの時間は終らない」「仇討」「熱いトタン屋根の猫」「兄とその妹」「あの頃ペニー・レインと」「あの子を探して」「あ、春」「アビス/完全版」と続きました。



「幕末」 1970年 日本


監督 伊藤大輔
出演 中村錦之助 三船敏郎 吉永小百合 仲代達矢
   小林桂樹 中村賀津雄 江利チエミ 山形勲
   神山繁 江原真二郎 仲谷昇 御木本伸介
   松山英太郎 天田俊明 大辻伺郎 二木てるみ
   太田博之 香川良介 山本学 片山明彦

ストーリー
ある雨の日、不自由な足に下駄を引摺った一人の小商人が士分以外に下駄は禁制として藩の上士・山田(山形勲)にぶつかり無礼討ちされた。
下士・中平(片山明彦)は怪我人に下駄と雨傘を与えた親切があだとなり、「御法度破りの同類」として山田のために討ち果たされた。
この一件は烈しく坂本竜馬(中村錦之助)の心魂を揺ぶり故郷の土佐を脱藩させた。
江戸を訪れた竜馬は、かつて剣の腕を磨いた千葉道場に落着いた。
千葉重太郎(尾形伸之助)は時の幕府海軍奉行の勝海舟(神山繁)を開国論者の先鋒とみて嫌っていた。
しかし、竜馬が海舟を邸に訪ねたところ、海舟は立場こそ違え互に国を愛し国を憂うる心に違いないことを知った。
慶応元年、竜馬は長崎に「社中」を創設し海運業に乗りだしたが、海運業に携わるよりも中岡(仲代達矢)と共に薩・長二藩連合のために奔走する方が多かった。
その留守を預る近藤長次郎(中村賀津雄)が「社中」規約違反の廉で詰腹を切らされ、中岡は同志のケチな差別根性を嚇怒した。
同年正月20日、竜馬は長州の桂(御木本伸介)と薩摩の西郷(小林桂樹)との間を周旋して、ついに両藩積年の確執と反目を解消させた。
だが、それと同時に竜馬は幕吏に狙われるところとなり、お良(吉永小百合)と結婚したものの安住の地はなかった。
が、幕威に比し薩・長二藩の実力は伸長していたが、この現実に周章したのは公武合体論の士佐藩だった。
土佐藩家老後藤象二郎(三船敏郎)は竜馬に助言を求めた。
竜馬は「将軍慶喜をして大政を奉還せしめる」ことを説いた。
慶応3年10月15日大政奉還が成った。
その頃、竜馬は河原町通りの醤油商・近江屋に下宿。
11月15日、風邪の見舞に来た中岡と竜馬は「新政府綱領八策」について議論していたところへ、刺客が疾風の如く躍り込りこんできて二人の生命を奪い去った。
時に竜馬33歳、中岡30歳であった。


寸評
伊藤大輔監督の最後の作品となったが、完全な失敗作だったと思う。
時代劇では力量を発揮した監督だったと思うが、晩年の作品では1961年の「反逆児」が良かったように思うが、大抵の監督がそうであるように遺作となるころには冴えがなくなっていたように思う。
見どころは近藤長次郎が規約違反で詰腹を切らされるところぐらいで、大芝居が目立つ割には若者たちのほとばしるエネルギーは感じられなかった。
討幕から明治維新を成し遂げた者たちの年齢に驚いてしまうし関心もする。
世の中を変えようとする彼らのエネルギーや人物像が感じられないので、周知の事柄をダイジェスト的に見せてもらったような気がする。
坂本竜馬のイメージは司馬遼太郎の「竜馬がゆく」によって作られているのではないかと思うのだが、原作には程遠い出来となっている。
吉永小百合のおりょうも僕のイメージから程遠かった。
中村錦之助も宮本武蔵はハマったけれど、演じた坂本竜馬はちょっと違うかなあ・・・。
幕末物として超有名人が出てくるのだが、顔見世興行的になっているので映画全体がエピソードの積み重ねとなってしまっているのはお歳のせいだったのかもしれない。
それでも最近の時代劇はこじんまりした作品が多いように思うので、伊藤大輔さんが撮ってきたような作品が懐かしく思える。


ゼロ・グラビティ

2025-03-09 08:44:55 | 映画
「ゼロ・グラビティ」 2013年 アメリカ


監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック / ジョージ・クルーニー
声の出演 エド・ハリス

ストーリー
医療技師としてライアンは初めての宇宙飛行に参加していた。
指揮官であるマット、そして同僚のシャリフと共に宇宙空間で作業をしていた。
それぞれの作業を行っていた三人だったがそこへヒューストンの管制室から、ロシアの人工衛星が破壊されたことにより発生した宇宙ゴミが近付いているため、避難するように命令が入る。
避難を試みた三人だったが、宇宙ゴミがスペースシャトルに衝突し、その衝撃で三人は宇宙に投げ出されてしまい、シャリフは宇宙ゴミが衝突して死亡した。
残されたライアンとマットだったがパニックになりながらもマットの冷静な指示で、何とかライアンを自分の体にロープでつなぐことに成功する。
シャリフの遺体を回収し、スペースシャトルから通信を試みた二人だったが応答はなかった。
内部は大きく損傷しており、乗員は全員が死亡し、無重力で漂っていた。
何とか通信を試みたかった二人は国際宇宙ステーションへと向かった。
国際宇宙ステーションに到着した二人だったが、そこもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で、中国の宇宙ステーションへ避難することをマットが提案。
ところが到着間際に燃料切れを起こし、減速することが出来ずそのまま宇宙ステーションに衝突してしまった。
なんとか開かれたパラシュートにひっかかり助かったライアンだったが、ロープで繋がれたマットは宇宙に放り出されてしまい、このままだと二人とも助からないと判断したマットは、ライアンにロープの切断を命令。
最後まで抵抗したライアンだったが、苦渋の選択でロープを切断。
マットは何もない宇宙に体一つで放り出されてしまった。


寸評
話は実にシンプルで、宇宙空間で次から次への危機に襲われながら、それを乗り越えて生還する一人の女性宇宙飛行士の物語である。
ハッブル宇宙望遠鏡の修理のために宇宙空間で三人が船外活動をしている。
無線でジョークのやりとりをしながら作業をしているのはアメリカらしい。
無重力状態なので地上のようにスムーズな作業は出来ないが余裕たっぷりで慣れたものだ。
しかしそこに大量の宇宙ゴミが襲来して、船はボロボロとなり宇宙飛行士たちは2人を残して全員死亡。
残った2人がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーで、映画はその二人しか登場しない。
3Dを意識した構図で宇宙遊泳が映し出され、本当に彼らが宇宙空間で作業しているように見えるのがすごい。
僕はこの映像をどのようにして生み出したのだろうとばかり考えていた。
そして近い将来にはこのようなことがじっさいに起きるだろうなとも思った。
宇宙には地球上から打ち上げられて出来た宇宙ゴミが大量にあると聞く。
宇宙ステーションにそのゴミがぶつかるかもしれないことは容易に想像できる。
そして船外活動で弾き飛ばされた時は、宇宙飛行士自身が行方不明者となって宇宙を漂うことになってしまうであっろうことをまざまざと見せつけられる。

地球上では紛争が起きているのかもしれないが、宇宙では世界は一つを生み出せるのだろうか。
アメリカの宇宙船がボロボロになり、彼らは国際宇宙ステーションへと向かう。
国際宇宙ステーションもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で今度は中国の宇宙ステーションへ避難するようにマットが提案する。
地上ではアメリカと中国が覇権を争っているが、宇宙では協力できると言う事か。
乗組員は全員避難してしまっていたが、ライアンは無事な別の飛行船を発見する。
言葉に壁に苦戦しながらも、何とか宇宙船の軌道に成功し、ステーションともに落下する宇宙船は大気圏で無事分離に成功することは分っていても拍手喝采だ。

ライアンは亡くなった娘の事をマットに話す。
娘との想い出のシーンは出てこない。
娘は天国に近い宇宙に居るわけではない。
娘との思い出が地球に残っていて、ライアンはその思い出の地に戻る決心をする動機づけとなっていたと思う。
それを促すのがジョージ・クルーニーなのだが、まさかあの状態で都合よく戻ってくるのは出来過ぎだと思ったら、そういうことだった。
ライアンは地球にたどり着く。
そこで彼女は重力を感じて立ち上がる。
仲間をすべて失った彼女だが、これからも強く生きていくことだろう。
悪戦苦闘するライアン以外に何もない映画だが、サンドラ・ブロックの頑張りだけは評価できる。
第一の功労者は、宇宙の静けさと暗くて広い宇宙を表現した映像だろう。
僕は3D版を見ていないが、この映画は3Dで見てこそだと思う。

夜の大捜査線

2025-03-08 08:51:38 | 映画
「夜の大捜査線」 1967年 日本


監督 ノーマン・ジュイソン
出演 ロッド・スタイガー シドニー・ポワチエ ウォーレン・オーツ
   リー・グラント スコット・ウィルソン ジェームズ・パターソン
   クエンティン・ディーン ラリー・ゲイツ ウィリアム・シャラート
   ビア・リチャーズ

ストーリー
ミシシッピーの田舎町スパルタの警官サムは深夜のパトロール中、町の実業家が殺されているのを発見した。
知らせを受けてビル・ギレスピー署長自らが現場へ急行し早速捜査に当たった。
気負いたったサムは駅で列車をまっていた黒人をいきなり容疑者として逮捕した。
ところがその黒人はバージル・ティッブスというフィラデルフィア警察の殺人課の優秀な刑事で、休暇で帰っていたのだった。
初めて殺人事件を扱うギレスピーはベテランのティッブスの協力を頼みたいと思ったが、人種偏見の強い土地柄、どうしても頭をさげることができなかった。
犯罪学に通じた彼は、死体の検分から始め、殺人捜査に不慣れなギレスピーたちをリード。
黒人への差別意識の強いギレスピーも最初はティップスから指図を受けることに腹を立てますが、その有能さを渋々認め、その助手として捜査に付き添った。
やがて警察はコルバートの所有物だった財布を持つ若者を拘束した。
ギレスピーは今度こそ真犯人だと色めき立つものの、ティップスは若者を取り調べた結果、死体から財布を奪っただけだと結論づける。
そしてティップスが怪しいと見たのが、エリック・エンディコットという帝王と呼ばれる町有数の農場主だった。
彼は被害者のコルバートの進歩的な考え方に反対していた。


アメリカ社会が潜在的に持っているであろう黒人差別を、殺人事件を捜査する黒人の敏腕刑事を通して描いた作品で、黒人がエリートで白人がダメ人間と言うのが当時としては珍しい設定だったと思う。
事件の起きた場所は人種偏見の強い土地柄で、随所でその事が描かれる。
激しい人種差別ではなく、しみついてしまっている差別意識として描かれているのが根深いものを感じさせる。
ロッド・スタイガー演じる警察署長は殺人事件が専門でないとはいえ、容疑者が現れると調べもせずにすぐに犯人と決めつけてしまうのだが、まるで「犬神家の一族」に於ける加藤武の警察署長のようだ。
それに対してシドニー・ポワチエの刑事は沈着冷静でキレキレの頭脳の持ち主として描かれている。
犯行時刻の推察では検死を行った医者の間違いを鋭く指摘する。
容疑者が逮捕されて連行されてくると、彼が犯人でないことを論理的に説明する。
警察署長の面目丸つぶれで、被害者の奥さんも黒人刑事の優秀さを町長に訴えている。
シドニー・ポワチエの指摘は逐一もっともで観客を納得させるものだが、サスペンスとしての鋭さはない。
被害者の財布を持って逃走したハーヴェイが逮捕されるが、なぜ彼が容疑者として浮かび上がったのかは描かれていないので、最初から犯人探しの盛り上がりに欠けている印象を持つ。
巡査のサムが逮捕されるのも唐突感がある。
町で一番の農園主で帝王と呼ばれるエンディコットが黒幕らしく描かれているが、殺されたコルバートの工場建設に反対していた事を、サスペンスとしてならもっと描き込んでおいても良かったように思う。

僕はこの作品はサスペンスを追求するのではなく、潜在的な差別にメスを入れることを主眼としているように感じ、その為に人物描写などを丁寧に行っていると思った。
この町では黒人がKKKのような集団に襲われることはないが、白人たちは差別意識を持ち続けている。
エンディコットの綿花農場で働いているのは黒人ばかりで、まるで奴隷制度が存在していた時代のような光景だ。
警察署長は嫌われ者であることを自覚していて孤独である。
黒人のティッブス刑事を自宅に招き入れ孤独感を語るが、黒人に同情されるとたちまち感情をあらわにする。
潜在的な感情を表す秀逸なシーンだったと思う。
そして所長はティッブス刑事に「黒人の自分の方が優秀なのだと証明したいだけなのだ」と核心を突く言葉を投げつけられることで、黒人のティッブスも自分が受ける差別への反感を抱いていることに気付いたと思う。
それが彼をしても犯人を見誤らせた要因となっているのが奥深い。

ティッブス刑事の登用を主張したコルバート夫人は班員逮捕を知ってどうしたのか、逮捕されて投獄されていたハーヴェイとサムはどうなったのかなどは分らずじまいであるが、最後にこの作品らしいシーンが用意されている。
一連の事件が解決して、ティッブスはギレスピー署長に送ってもらい列車に乗り込むため駅にやって来る。
そこでギレスピー署長はティッブスのカバンを運んでやっている。
白人の警察署長が黒人のカバンを持ってやっているのだ。
ギレスピー署長がティッブスを呼び止めると、ティッブスは厳しい顔つきで振り返る。
ギレスピー署長は多少きまり悪い様子を見せつつも微笑みかけ、ティッブスも笑みを返す。
白人と黒人の融和と言うには甘いかもしれないが、いいラストだったと思う。

ゆきてかへらぬ

2025-03-07 17:29:59 | 映画
「ゆきてかへらぬ」 2025年 日本


監督 根岸吉太郎
出演 広瀬すず 木戸大聖 岡田将生 田中俊介
   トータス松本 瀧内公美 草刈民代
   カトウシンスケ 藤間爽子 柄本佑

ストーリー
京都。
まだ芽の出ない女優、長谷川泰子は、まだ学生だった中原中也と出逢った。
20歳の泰子と17歳の中也。
どこか虚勢を張るふたりは、互いに惹かれ、一緒に暮らしはじめる。
価値観は違う。
けれども、相手を尊重できる気風のよさが共通していた。
東京。
泰子と中也が引っ越した家を、小林秀雄がふいに訪れる。
中也の詩人としての才能を誰よりも知る男。
そして、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。
男たちの仲睦まじい様子を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちになる。
才気あふれるクリエイターたちにどこか置いてきぼりにされたようなさみしさ。
しかし、泰子と出逢ってしまった小林もまた彼女の魅力に気づく。
本物を求める評論家は新進女優にも本物を見出した。
そうして、複雑でシンプルな関係がはじまる。
重ならないベクトル、刹那のすれ違い。
ひとりの女が、ふたりの男に愛されること。
それはアーティストたちの青春でもあった。


寸評
谷崎潤一郎が妻の千代を佐藤春夫に譲ったいわゆる「細君譲渡事件」もあり、とかく文士と呼ばれる人は僕のような通俗人には計り知れない男女関係を生み出すことが多いようだ。
そうでないと良い作品が書けないのかもしれない。
中原中也、小林秀雄による長谷川泰子をめぐる三角関係も歪な関係である。
それぞれを木戸大聖、岡田将生、広瀬すずが演じているが、主人公は広瀬すずの長谷川泰子であろう。
作品は青春映画の系譜に入るだろうが、困難を乗り越えて大人になっていく大抵の青春映画とは一線を画している。
泰子は中原中也と小林秀雄の才能を認め、そして彼らに愛される。
共に自由奔放な泰子と中也は同棲を始めるが、やがて泰子は中也への不満から、正反対とも思える小林秀雄のもとへ走る。
小林は料理を初め何もできない泰子に尽くすが、三人それぞれが生き方を求めてぶつかり合い、泰子は精神異常をきたしてしまう。
泰子は小林といても中也の影を感じて狂い始め、小林はたまらず泰子から離れていく。
泰子と同様に小林と中也はお互いの才能を認め合い、三人が関係を深めていく様子は凡人僕には想像できない世界である。
中也と小林を虜にした長谷川泰子は、彼らにとって随分と魅力的な女性だったのだろう。
演じた広瀬すずには内面から湧き出る妖艶さが欲しかったように思うのだが、彼女も歪な男女関係を経験すれば素晴らしい女優になるのかもしれない。
中也の葬儀に泰子が現れるが、それを受け入れた中也夫人は賢婦人に見えた。
セリフは少ないけれど泰子との対比を際立たせていた。
実際の中也夫人も立派な人だったのではないだろうか。

アレンジメント/愛の旋律

2025-03-06 10:00:23 | 映画
「アレンジメント/愛の旋律」 1969年 アメリカ


監督 エリア・カザン
出演 カーク・ダグラス フェイ・ダナウェイ デボラ・カー
   リチャード・ブーン ヒューム・クローニン
   キャロル・ロッセン ダイアン・ハル

ストーリー
エディ・アンダーソン(カーク・ダグラス)は、貧しいギリシア移民出身だったが、今では広告業界の切れ者として声望もあり、美しく、知的な妻フローレンス(デボラ・カー)と愛する娘エレン(ダイアン・ハル)との恵まれた生活を送っていた。
が、ある日交通事故にあったことから、アンダーソンの人生は変わってしまった。
アンダーソンは、周囲の人々の言葉も耳に入らず、ただ昔関係のあった女、グエン(フェイ・ダナウェイ)のことだけを考えるようになった。
グエンの持つ純粋さが、アンダーソンを魅きつけたのだ。
病が癒えたアンダーソンは、グエンのこと、会社のこと、生き方についての疑問など妻にすべてを打ちあけた。
しかし、フローレンスはそれを理解することができない。
その後、飛行クラブでセスナ機試乗中、アンダーソンは、ドアをあけて身を乗りだした。
誰の目から見ても異常なこの行為により、彼は飛行禁止命令を受けた。
そんな時、アンダーソンは、実父危篤の報を受け、病院に向かう。
一方グエンは、同じニューヨークのグリニッチ・ビレッジに、父親が誰か分からない我が子と住んでいた。
彼女に再会したアンダーソンは、再びグエンの虜となり、情事に我を忘れる。
こうしてすっかり変わってしまった彼を、周囲の人々は精神異常だ、と言いあう。
そして、アンダーソンの情事の現場を見たフローレンスも、精神病院に入院させる旨の請願書にサインする。
アンダーソンは全財産をフローレンスに譲り、精神病院に入院した。
アンダーソンが退院した時、すべてを失った彼を待っていたのは、グエンだった。
2人はグエンの子供も交え、貧しいながら水入らずの平穏な暮らしを始める。
人生半ばにして自分をすっかり変えてしまった巨大な闘いで、現在の静かな生活を勝ち取ったアンダーソンは、人間というものの不思議さ、いとおしさを考えるのだった。


寸評
カーク・ダグラスが演じている男は、エリア・カザン自身みたいな男なので「アレンジメント」は半自伝的な作品と言える。
そう思うと、これはカザンがグチをこぼしているような内容で、当時も今もあまり同調できない。
アンダーソンは豪勢な邸宅に何人も召使を置いて住み、奥さんも美人で聡明そうで、何不自由ない生活を営んでいるように見える。
しかし彼には生き甲斐と言うものがない。
そこから彼のグチとも言うべきことが語られる。
公告の仕事は大衆をだますペテンの様なものだと思うが、それなら仕事を変わればいいじゃないかと思う。
妻は上流階級に居たいばかりに自分を拘束している監視人だと思うが、それならさっさと離婚すればいいではないかと思う。
それも出来ずにアンダーソンは会社の奔放な女の子に手を出して、元の生活に戻れなくなる。
落ちぶれている父親とも暮せなくなっている。
アンダーソンは妻と弁護士から狂人扱いされて財産をとり上げられ、精神病院に入れられてしまう。
結局、地位も名声も捨て去った男は、女との生活に安らぎを見い出すしかなかったというお話である。
世の中は嘘ばかりだとグチり、本当の自分になれと言っているようにも思えるのだが、そういうアンタはどうなんだとの反感もあり、僕にエリア・カザンはもういいかなと思わせた作品となった。

赤目四十八瀧心中未遂

2025-03-03 08:06:22 | 映画
「赤目四十八瀧心中未遂」 2003年 日本


監督 荒戸源次郎
出演 大西滝次郎 寺島しのぶ 新井浩文 大楽源太
   大森南朋 榎田貴斗 大村琉珀 沖山秀子
   内田春菊 絵沢萠子 麿赤兒 赤井英和
   大楠道代 内田裕也

ストーリー
すべてを捨てたのか、それとも、すべてに捨てられたのか……。
判然としないが、ただひとつ確かなことは、この世に自分の居場所がない、ということだった。
そう思い定めて、男(大西滝次郎)は尼崎にたどり着いた。
男の名は、生島与一。
焼鳥屋「伊賀屋」の女主人・勢子ねえさん(大楠道代)は、生島が薄暗い店先に立ったとき、身を捨てようとしながらも捨てきれないでいる生島の性根を、一瞥で見抜く。
生島は、勢子にあてがわれた古いアパートの一室で、来る日も来る日も、焼き鳥屋で使うモツ肉や鳥肉の串刺しをして、口を糊するようになる。
串1本に対して3円。1日に1000本は刺してゆく。
周囲の誰もが、勢子すらがそんな生活をしていて、よく平気でいられるもんだな、と生島に言う。
しかし、男はただひたすらに串を刺してゆく。
生島の前に現れたのが、若く美しい女・綾(寺島しのぶ)だった。
猛禽のような凄い目の光を放つ女。
その目に魅入られたら、もはや逃れる術はない。
自らは「ドブ川の泥の粥すすって育った女やのに」と言うが、菩薩のような微笑をたたえた女でもある。
親子ほどの年のはなれた刺青師・彫眉(内田裕也)と暮らし、女の背中には一面に迦陵頻伽の刺青が翼を広げていた。
臓物の臭いのこもる生島の部屋で、彼女が白いワンピースを脱ぐと、背中の迦陵頻伽がほの暗い光の中に揺れる。
二人はやがて関係をもち、綾は生島に自分を連れて逃げるよう懇願する。
綾を連れ、生島は尼ヶ崎、大阪天王寺、赤目四十八瀧をさ迷う。
しかし、ふたりは死にきれず大阪へ戻るのであったが、その途中、綾は生島と別れ、ひとり博多へ向かうのだった。


寸評
寺島しのぶ はこの映画と「ヴァイブレータ」の両方で大胆なヌードを披露して映画界の主演女優賞を独占した。
彼女が女優として一皮むけるきっかけになった映画である。
母親からはヌードはダメと大反対されたようだけど、ここで決断しなかったら今の彼女はなかったであろう。
母親も緋牡丹の刺青を少しだけ見せていたが、ここでの寺島しのぶは遥かに大胆なものだ。
時代が生み出した大スターの母親だが、演技力では娘の方が上だと感じさせ、親に反抗する気持ちがあったのかもしれないが兎に角吹っ切れている。

映画は長まわし気味の映像が続いて2時間半以上の長丁場になるが、だれることはない。
大楠道代と内田裕也がさすがの存在感を見せている。
特に内田裕也の刺青師は演技をしているのか、これが地なのか分からない雰囲気を出していてバツグンである。
主題になる赤目四十八瀧は実に美しい。
主人公たちは近鉄電車に乗って三重の赤目口に向かう。
それまでに雑多な町を映し続けた後にでてくるので、コントラストの効果もある。
赤目四十八瀧には多種多様な滝がある。
僕はずっと以前にゴールデンウィークを利用して写真仲間の二人と滝の写真を撮るために行ったことがある。
近鉄の赤目口駅からバスに乗って10分ほどで赤目滝に着くが、名張市はいいところだが三重県なので我が家からは遠く感じた。
入り口に水族館の様なものがあって、その料金が入山料のようなものだったと思う。
ゴールデンウィーク明けに尿崩症を発症したのだが、当初は病名も分らず滝道の無理が原因かと思ったがそうではなかった。
赤目にはそんな思い出がある。

生島はダメ男だ。
結局一緒に死ぬことも、彼女の手を取ってどこか遠くへ逃げることも出来ず、だらしなく下駄を足に引っ掛け、無様に彼女を見送ることしか出来ない。
男は死にながら生き、女は死を見据えながら生きる。
女は強い。
この映画は男の弱さ、情けなさ、そして甘えを容赦無くあぶり出して断罪する作品だったと思う。
荒戸源次郎と言ういかつい名前の監督にとって、今のところこれが最高傑作だろう。