<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

カメ泳ぎ

2021-08-31 09:11:33 | 「遊来遊去の雑記帳」
カメ泳ぎ      <2003.9.3>
 このところきびしい残暑が続いています。というより、まるっきり真夏そのものです。だいたい七月から八月の盆過ぎまで暑い日が続いて、これではもうたまらないと思うころに、すっと朝夕が涼しくなり生き返った心地になるというのが例年のパターンですが、8月の終わりになって早朝の室温が連日30℃というのは記憶にある限り初めてです。
 例年、夏の午後は暑くて仕事にならないので、昼食後は、運動を兼ねて、自転車で40分くらい川沿いの道を上流に向かって走り、そこで泳いで、それから昼寝をしたり気功をしたりしてからまた自転車で戻るとだいたい夕方という日が多いのですが、八月も25日を過ぎると水温が低くなってあまり泳ぎたいとは思わなくなるのです。それが今年は九月になってからもまだ泳ぎに行っています。そろそろ仕事も気を入れてしなければならないのに、と困っています。
 先日もいつものように川で泳いでいました。誰もいない広い河原の向こうに河畔林の緑が広がっていて、その向こうに遠くの山の峰が重なり、その上にぽっかりと夏雲が浮かんでいるのを見ると、カナディアンロッキーの原生林の中の河原にでもいるのではないかという気さえします。実際のところは行ったことがないので分かりませんが。まあ、寝転んで空を見ている分にはそうは変わらないでしょう。
 理由はわかりませんが、泳ぎながら見る景色は本当に美しいと思います。特にクロールのとき、一瞬、水から顔が上がったとき横様に見える景色ほど美しいものはありません。ゆっくりとクロールで川を横切るときはこの景色をたっぷり楽しむことができます。あとは平泳ぎをしながら水中や川底にいる魚やエビなどを息の続き限り見て過ごします。
 今日は浅瀬でばったりカメに出会いました。ゴロ石を背にしてこちらを見ています。1mくらい離れたところです。たいていなら逃げるのですが、なぜか逃げずにじっとしているのです。私はすぐに息が苦しくなるので何度も顔を上げて呼吸をするのですが、カメは10分くらいの間にプクッと泡をひとつ吐いたきりでした。私が、脅かさないように気をつけながらサイドに回ると、カメは逆サイドに向かって歩き出しました。そうです。歩き出したのです。底を掻く反動で体が浮き上がるとそのまま水を掻いて、体が底に沈んでくるとまた地面を掻いているのです。浮いたり沈んだりしながら、泳いでいるのか歩いているのか分からないような不器用な動きで進んで行きます。丸い甲羅をくりっくりっと左右に回転させるように振りながら進んで行きます。とても水に適応した生物の動きとは思えません。
 このとき気付きました。ウミガメは左右対称に手足を動かしています。だからのんびり優雅に泳いでいるように見えるのですが、川や池にいるカメの泳ぎ方は歩いているときと同じなのです。すいすい泳ぐ必要がないのかも知れませんが、水の達人にしてこうした泳ぎ方なのだから、人間の自分がわざわざうまく泳ごうとなどする必要はないかなと思いました。とにかく、溺れないように泳げればそれで充分だと考えるようにした方が良さそうですね。

★コメント
 この数年、夏は室温が36℃になる日があります。初めて温度計の目盛りが35℃を超えるのを見たときには温度計が狂ったのではないかと思いました。18年前のこの記事では「早朝で30℃」となっているから、午後はどのくらいになったのか分かりませんが、33℃を超えることはなかったと思います。それだけ気候が変わってきているのだと思いますが、体が慣れてきたのか、割合平気でいます。自家製のハブ茶入りドクダミ茶も効いていると思います。今年はかなり濃いめに作っていますが、暑くなるとこれが急に飲みたくなって来るから不思議で、冷やしたこのドリンクを飲むと暑さがすっと和らぐのです。そして涼しくなるとその欲求はぴたりと止まります。

 35℃を超えると川に行きたくなります。昨日もお茶とお菓子を持って3時頃から川へ行きました。誰もいません。水はかなり引いていますが流れはまだ強いです。ゴーグルを付けて川の中を見ていきます。川の底は大水が出るたびに変わります。そこで投網を打てる場所をチェックしておくのです。網は暗くなってから打つので底の状態を調べておいた方がいいわけです。流れが強いためか、鮎は浅瀬に寄っていました。これなら取れるかな。鮎には気の毒だけど仕方がありません。このところ生き物を殺したくない気持ちが強くなってきています。野菜につく虫ですら殺したくないのです。しかし生きるということは、植物にせよ、動物にせよ、その命を取ることだから仕方ありません。こういうことを考えるのは人間だけだと思いますが。

 河原で気功をしました。広い流れの向こうには河畔林、その向こうは400mほどの山で、その上には夏雲の広がる空があります。この景色ばかりは何千年も前から変わらないのではないかと思います。流れの中ほどでは鵜が魚を取っていました。しばらく潜っては上がってきます。向こう岸にはアオサギがじっと立ったまま羽を休めています。何か考えているのでしょうか。脳があるから何かは思うだろうけど、明日のことを考えたりはしないでしょう。脳の発達した人間が、明日のことを考えずに過ごしているときにゆったりした気分になれるのは皮肉なような気もします。
2021年8月31日
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