<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

「まつろわぬ青春の日の行方(5)」 <迂闊なことは…>

2018-09-27 15:22:19 | 「学生時代」
 卒論の実験で窒素量を測定するためにケルダール法というものを使いました。これには試料を濃硫酸で加熱するという過程があります。試料を入れた硬質の丸底フラスコを斜めに倒して固定し、それをガスバーナーで加熱します。これまで分析して取り出した10種類ほどの分画が一列に並び、丸底フラスコの中で沸騰しています。私はずらりと並んだフラスコのこちら側でガスバーナーの火力の調節をしていました。フラスコの口は向こう側に向いています。10本の大砲が並んでいるみたいだなと思っていると、その中の一本が突然吹き出しました。そうならないように私は火力を調節していたのですが、一瞬の出来事でした。その試料は3分の1ほどが飛んでしまったので、残りの量を正確に測って、その値から全量を求め、参考資料にできないかと思ったのですが、出浦先生の意見で、その試料は捨てることになりました。
 この実験の前にケルダール法について書かれている資料を渡されました。これを読んでやりなさいということでした。その資料を読んでいるうちに、一か所、腑に落ちないところがありました。どう考えても間違っているとしか思えないのです。それで、出浦先生にその資料を見せて説明したのですが、先生は「ふ~ん」というだけでした。
 1ヶ月ほど経ったとき、先生に「これ」と言ってハガキを渡されました。それはケルダール法の資料の執筆者からのものでした。内容は「確かに誤りと考えられますが、長年この方法が分析に用いられてきているので方法自体には問題はないと思います」というものでした。
 私はもう、このことはすっかり忘れていたのですが、このときに驚いたのは、出浦先生の一連の行動でした。先生は私の説明を聞いて「誤り」を理解したはずです。しかし、そのときには「なるほど」とはいいませんでした。その後、おそらくもう一度自分で考えて、誤りの確信を得たので執筆者に手紙を書いたのです。そして、ハガキが来るまでそのことについて話されることはありませんでした。
 『どうしてそんなことができるのか』、自分ならそのときに思ったことを、その場で、思ったままぺらぺらしゃべっていまいます。私の周りの人も多くは私と同じだと思うのですが、そのとき、「自分の立場」というものを考えながら話す人たちがいることに気付き始めたのでした。
 子供から大人になって社会的な立場を持つようになり、その重要性が増すに従って次第に考えて話すようになるのでしょう。しかし、ここにはかなり性格的なものが拘っていると思います。「思ったままをぺらぺらしゃべる」というのは、やはり、「軽薄さ」を拭えません。私は今もここを抜け出ることができないのですが、それでも気にせず会話を楽しんでいます。

 あるとき、出浦先生から午後に来客があると知らされました。確か、電力会社(?)からだったと思うのですが、そのとき先生は、ある住民訴訟で、裁判所に参考資料を提供していました。それは自然環境に関するものだったのですが、その資料について質問があるということで電力会社から訪ねてきたのです。私が話を聞きたいと申し出ると先生は「いいよ」という返事でした。
 来客時、私はトイレに行っていたので少し遅れて演習室に行きました。ノックしてドアを開けると、折りたたみの長机を挟んで、ダークスーツにネクタイ姿の人が3人、向かい合わせに作業服姿の出浦先生という形で挨拶をしているところでした。先生はすぐに私を紹介してくれました。私は長机の隅に席を取って話の流れを見守りました。
 質問の内容は、先生の提出された資料の中に記された「木の本数」についてでした。大きな図面が綴じられた提出資料には、ある地域の山に生えている木の本数が区画別に記されていたのですが、図面に描かれている木を数えてみると「集計結果」として記されている数と合わないというのです。図面は、地図の上に記された木を表す印で溢れています。何ページにもわたるその膨大な数を数えてみたら3本ほど合わないというのでした。先生は「調べて後で返事させてもらいます」と答え、客は帰りました。
 客の帰った直後に津田先生が演習室に飛び込んできました。「どうやった、どうやった」といつも通りです。出浦先生は「木の本数の集計」が違っていたことを話すと、津田先生は「どうしたんや」と聞きました。すると出浦先生は「数え間違えたんやろ」と答えます。「どうするんや」と津田先生。「そういうことを指摘することで資料の信頼性を落とすのが向こうの狙いやから…」 
 『なるほどな』と私は納得しました。迂闊なことは言えないわけです。

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