<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

カモファミリー

2021-06-29 08:35:26 | 「遊来遊去の雑記帳」
カモファミリー      <2003.8.26>
 今年は、8月の初めに一度見たきりです。親鳥が一羽と子供が二羽、川の茂みに身を寄せていました。去年は見なかったのですが、それまでは親鳥が二羽とその後ろに子供が3羽~5羽続く姿をよく見かけたものです。私が見つけたときにはたいてい私も見つかっているのですが、彼らは決して私に気付いているような素振りは見せません。たまたま私と反対の方に行こうとしていたかのようにゆっくり左右に蛇行しながら離れて行きます。家族が一列に並んで優雅に水面をすべって行く姿を見ると、この川もまだ大丈夫だなという思いがします。それにしてもあわてたり急いだりする様子を見せないのは不思議だなあと思いました。というのは、水鳥は、こちらが近づいてもある距離まではじっと動かないでいて、それを超えると一気に飛んで逃げるのが普通だからです。カモも例外ではありません。
 今日、カモの家族を見ていて気付きました。つまり子供たちはまだ飛べないのです。そして泳ぎもまだそんなにうまいわけではない。そこで敵に一気に追いかけられると子供たちが逃げ切るのは難しい。そこで襲い掛かるきっかけになるような相手を刺激するような動作をせずに、相手にチャンスを狙わせながら徐々に距離を引き離して行くという作戦かも知れないなと思いました。
 今日の家族は親が一羽、子が二羽。あとはどうしたのでしょうか。野生では他の動物に襲われることは仕方のないことですが、来年も是非、カモの一家の子育てを見たいものだと思っています。

★コメント
 日付を見ると18年も前の出来事です。それなのにはっきり覚えています。ただ時期が5月頃のことではなかったかと思っていました。この頃はコロがいたので毎日散歩していました。それでかえって時期が分かりにくいのかもしれません。コロが死んでからはぴたりと散歩もしなくなりました。散歩は好きだったはずなのにどういうことだろうかと思いましたが、必要性がないとまた『今度にしよう』となるようです。

 引っ越してからはすぐ近くに山があるにもかかわらずその辺りを散歩することは殆どありませんでした。山に行くときは地形を調べるような感じで歩き回っていました。気持ちのいい場所を見つけたかったのです。この9年間、そのとき人に会ったことは一度もありません。山仕事をしている人も見ないし、殆ど誰も山の中に入ることはないのでしょう。そうなると山の中も藪が増え、明るいところにはシダが生えます。なかなか気持ちのいい場所というのはありません。
 去年の正月に考えました。こんなに自然が近くにあるのにそこを散歩しないというのはどういうことか。それまで山というのは「奥に入る」方向に気持ちが向いていたので、周辺をぶらぶらするということはあまり考えませんでした。そこでこれからは山際で気功をしてはどうか。
 山に行ったときはたいていそこで気功をしますが、普段は家でしていました。気功をするために出かけるということはまずありませんでした。それは、30年近くやっていても気功が効いているのかどうか、確信が持てないからです。今もそうです。
 この30年、薬は一度も飲んだことはないし、歯医者以外の病院には行ったことがありません。気功をする前の体調が最悪だったことを考えればこの状況は気功のおかげだろうと見るのが自然でしょう。それにもかかわらずこのように思うのは、気功をしているとき、これが本当に効くのだろうかという感じがするからです。そう思うと時間が惜しくなります。

 正月は寒いです。防寒具を着て出かけます。山の周辺でいい場所を探すといくつか見つかりました。こんな近くにこんな所があったのかという感じ。手袋もしたままで気功をします。家の中でするのとは気持ちの良さが違います。これはいいと思いました。それから1年半が過ぎました。今は家の中で気功をする気になりません。ただ家を出てから帰るまでに1時間半かかるので、これでは普通の人にはとてもできないだろうと思います。今は、天気を見ながらですが、2日に一度くらいにしています。
 先日も山に沿った道を歩いているとハクビシンの子供が道を横断しました。チラッとこちらを見たとき鼻筋に歌舞伎役者の白塗のような線が見えました。私はその場に立ち止まり、ハクビシンが藪の中に隠れるまで眺めていました。ついに鼻筋を確認できたなと思いました。それから谷に入って少し進むと山道の先の方にキジがいるのを見つけました。大きなオスで、赤と青の色彩は見事です。驚かさないようにその日の散歩はそこで中断し、少し引き返してから太極拳をして帰りました。

 自然の中で動物に出会うのは大きな喜びです。どうしてなのだろうとよく思います。「獲物」を見つけたような緊張感があるので基本的には狩猟本能ではないかでしょうか。獲物を取る必要のなくなった今も見つけた喜びだけは残っているということかも知れません。狩猟で生きている場合、獲物がいなくなれば人間もそこで生きていくことはできません。獲物のいる所に移動して行かなければならないわけで、そうやって人類は分布を広げていったのでしょう。逆に言えば、獲物がいる間はそこに住んでいられるわけだから、それが安心感につながるのかも知れません。今回も、このキジを肉にすれば僅かな量にしかならないだろうなと考えていましたから…。
2021年6月29日

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レバニラ炒め

2021-06-04 17:09:27 | 「青春期」
  「Aさん」のアパートに居候を始めてから東京での暮らし方を教わりました。まずは食事です。最初の晩だと思うのですが、夕食に出かけました。アパートの周りは住宅街でしたが、少し歩くと小さな店の並んだ通りに出ました。Aさんはその中の店をいくつかを巡っているようで、最初に連れていかれたのは小さな中華料理屋でした。入り口の手前には薄汚れた白い暖簾がかかっていて、Aさんはその下をくぐるようにして引き戸を開けました。すると中から湯気のような熱気が流れ出て、あまり上品とは言えない雰囲気の店内が見えました。私は後について入っていったのですが、席に着くとAさんに教えてもらいながら注文しました。壁に貼られている品書きを見てもそれがどんなものなのか分かりません。まず目に留まったのが「レバニラ炒め」でした。あれは何か尋ねるとレバはレバーで肝臓、ニラは野菜だということでした。「レバニラ」というものではなかったのです。それまでに私はレバーを食べたことはなかったし、ニラも知りませんでした。肝臓と聞いた時には気持ち悪く感じましたが、試しに食べてみることにしました。
 運ばれてくると皿の上にはニラとモヤシを軽く炒めたものの中に茶色の黒っぽい塊がいくつも入っていました。こんなものが食べられるのかという気がしました。一口食べてびっくりしました。硬そうに見えましたが硬くもなく、肉のような弾力があるわけではないが多少の抵抗はあり、ふにゃふにゃでもありません。初めての食感でした。赤黒い汁が出ていたので何か聞くと「血」だと言われてぎょっとしましたが、そのうまさはこれまでに体験したことのないものでした。モヤシもしゃきしゃきしていてニラとの組み合わせが抜群でした。

 田舎にいた時には外食するということはありませんでした。家で作ったものを食べるだけです。今から考えると本当に粗末な食事でした。日本の高度成長が軌道に乗り始めた頃だったので多くの人の暮らしはまだ貧しかったのです。料理といっても家でのものは野菜の煮物や魚の煮付け、干物を焼いたりするくらいで、それに味噌汁と漬物がつくというところです。その頃から飯台には味の素のビンが置かれていました。いつ頃からの記憶はないのですが、おそらく「化学調味料」の一般家庭への普及はその辺りからではないかと思います。私は漬物にまで味の素を振りかけていました。もちろんおいしくなるからです。これには感動しました。それで味の素だけを食べればどんなにうまいだろうかと思って味の素の粉末をなめてみたことがあります。口いっぱいに吐き気を催すような味が広がり、口を漱いでもその味なかなか取れず、何度も唾を吐いたことを覚えています。ショックでした。それなのにこれを料理に使うとどうしてうまくなるのか、全く理解できませんでした。

 味の素の旨味成分がグルタミン酸ナトリウムで、これは中華料理店症候群と関係付けられているということを聞いたのは学生時代の食品化学の授業でした。そのとき中華料理ではこの化学調味料を多量に使うと聞きました。実際、この頃はそういう時代だったのです。NHKの古いドキュメンタリー番組で、確か秋田県の郷土料理を取り上げたものを見たことがあります。鍋料理だったと思いますが「まず鍋に水を入れ、湯が沸いたら化学調味料をいれます」という説明があり、それを聞いたときには唖然としました。

 15年ほど前ですが、この辺りでは一流とされるホテルで中華料理の食事会がありました。私は呼ばれてそこでギターの演奏をしたのですが、食事付きということで演奏後、みなさんと一緒に料理を食べました。一口食べてがっかりしました。口には出しませんでしたが『まじめにやれ』という気分。なぜなら私はそこが「一流ホテル」ということで、当然、料理も本物だろうと期待していたからです。ところが口内に広がった味はまさに化学調味料の組み合わせ、どうして素材の味をつぶすのだと思いました。それが昭和40年代から現在まで続いている現実だろうと思います。

 おそらくレバニラ炒めも味の素がたくさん入っていたのでしょう。しかし、それを差し引いてもうまかった。レバニラ、レバニラ、…。その後何年もこの体験が頭から消えることはありませんでした。こんなうまい料理があるのかと思いました。実はその後、店でレバニラ炒めを食べたことはありません。というのは、すぐに住み込みの仕事が見つかったので、それ以降は自炊を始めたからです。外食をするような余裕はありませんでした。
 レバニラ炒め、今一度、どこかの店で食べてみようかなと思います。しかし、昔、うまいと思ったものも今食べるとがっかりすることが殆どなので止めておいた方がいいかもしれません。だけど、もしそうなら、ニラは畑にいくらでもあるから自分で作ればいいだけなので、とりあえずは、食べてみようか。
2021年6月4日

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