<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

羽田空港で

2022-04-29 15:10:00 | 「青春期」
 古いカセットテープが出てきました。「at Haneda Airport」と記されています。見た瞬間、記憶が蘇りました。「パウダード・ティー」か。よくあったものだなあ。
 60分テープで、紙の箱(ケース)に入っていて、箱にはMADE IN JAPAN と印刷されているだけでメーカーの名前も記されていません。値段は500円となっています。
 50年前のことですが、その頃、私は二部(夜間大学)の工学部に通っていて、クラブはESSに入っていました。英語が話せるようになりたいと思っていたからです。4月に入部しようと部室に行ったとき、ドアを開けて感動しました。そこには英語を話している人たちがいたのです。何を話しているのかは分かりませんでしたがこれはきっと英語だろうと思いました。英語を話す日本人どうしを見たのはそれが初めてでした。これで自分も英語を話せるようになるだろうと思いました。単純ですが「~~の仕方」という本を買ったら、これで自分もできるようになると思うのと同じです。そういう本が売れるのは、私だけではなくそう思う人がたくさんいるからでしょう。

 夜学に来る学生は殆どが就職しています。その仕事が終わってから大学に来るのです。だから学びたいという熱意は強くあるのですが、その学力にはピンからキリまであります。基本的には全日制に行きたかったが経済的事情で無理だという学生が殆どでした。まだ中卒で就職する子供のいる時代です。だから勉強するにしても問題集を一冊買ってもらえれば上等というところでした。
 特に「英語」ということになると、その時代では教師も、英語は読めても、話せる人は殆どいなかったと思うので、その環境で英語を話すなどということは無理です。何か話せと言われたら単語を、思付くままにカタカナで発してみるくらいです。
 実際、その時代、英語を話せるというということは、個人的には、今の100倍くらい凄いことという印象でした。ところがESSの同期生の中に英語を話せる学生がいたのです。彼は高校生のときから英会話の勉強をしていたようで「あくび」や「のび」まで英語で知っていました。その彼がある同期生のことを「あいつ、『ゴー・ツー・ベッド・タイム?』だよ」と、あきれ顔で私にそう言いました。何時に寝るか聞こうとしたときに発した英語らしいのですが、そこまで行かなくても私の語学力も大して違わなかったと思います。

 ESSに入って少し経った頃、英語の話せる彼(Kとします)が羽田空港に行こうと私を誘いました。空港には出発を待っている外国人がたくさんいるからその人たちを捕まえて英語の練習をするのだと言います。私は驚きました。暮らしのスケールが違うと思いました。私にとって英語を勉強するということはラジオで英会話の放送を聴くくらいのことでした。羽田空港がどこにあるかも知らなかったので遠足気分で出かけました。
 Kは慣れているらしく空港のロビーに着くと早速丸いテーブルのところに行き、声を掛けました。話をしてもいいかと聞くと「シュアー(sure)」という返事が返ってきました。イエスじゃないぞということはわかりましたが、それでもいいということでした。そこには若い男性が二人座っていましたが私たちのために飲み物を注文してくれたような気がします。終わりにKが代金を払おうとしたら「いい」ということで、これが私にとって外国人におごってもらった最初のドリンクになりました。このときの会話で分かったのは最初のsure だけでした。
 その次は立ち話でしたが、確かに「パウダード・ティー(抹茶)」のことを話した記憶があります。まさにそのときの会話がテープに入っていたのです。Kは小さなカセットテープレコーダーを持っていて、それを手にして録音していたような記憶があります。そのテープがどうしてうちにあるのか分かりませんが、とにかく再生してみました。
 50年も前のものなのでダメかも知れないと思ったのですが、割合しっかり録音されています。これには驚きました。CDやMDが出たときに、その音質の違いに驚き、テープはダメだと感じてしまったのですが、情報として聞く場合には十分使えると今は思っています。納屋には千本以上のカセットテープがあるので少しずつ聞いているのですがコンポの方が壊れないかと心配です。しかしそれらは30年くらい前のものです。それでも回転がおかしくなったりするのがあるから50年も前のものならダメでも仕方がないと思っていました。

 始めの方はKの声ばかりでした。相手は日本に住んでいるアメリカ人で2年に一度くらい国に帰ると言っています。だから日本語も分かるのではないかと思いますがそのときは英語だけでした。Kは日本の食べ物のことをいろいろどう思うか聞いていました。「たくあん」の話が出たとき、保存するという意味でKはconserveを使ったのですが、相手はpreserveがいいと言っています。そして使い方の説明をしてくれましたが、Kは納得せず、小さな辞書を出してきて調べ、conserveにも保存するという意味があると言いながら不服そうに私の方を向きました。そんなこと、こちらに振られても、と思ったことは覚えていました。conserveもpreserveも知らない私にも日本の食べ物のことを話しているなということは分かったので、勇気を出して覚えたばかりの「パウダード・ティー(抹茶)」を使ってみたのです。テープではHave you ever tried powdered tea?と言っています。おそらくこれが、私が外国人に発した最初の英語ではないかと思います。発音もそんなに悪くないので驚きました。そのときにはそのときなりに努力していたようです。それにもまして驚いたのは、その後すぐにKがパウダード・ティーって何だと私に聞いているのです。Kにも知らないことがあるんだなあと思いました。そのあと、青いのが京浜東北線で緑色が山手線という話をしていました。こんな話していたのかと50年後の今わかりました。

 このテープは最後まで行ったところで切れてしまいました。分解してまたつなぐつもりです。多分できるでしょう。だけど一度再生できたということはありがたい。もし最初から動かなかったらダメだと思って捨てたでしょう。50年前の自分の声が聞けたということは、まさにこれはタイムカプセルでした。Kも今どうしていることやら。他のみんなも元気でいればいいがと思います。
2022年4月29日

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