<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

タヌキ

2020-08-31 13:28:00 | 「遊来遊去の雑記帳」
タヌキ     <2003.3.15>
 先日、久しぶりでコーヒーの水を汲みに山へ行きました。11月半ばから2月半ばまでは狩猟の期間なのであまり山には入らないようにしています。山道を歩くわけではないので鉄砲で撃たれる危険があるし、これまでにも何度か猟犬に囲まれたこともあります。それで狩猟期間の終わるのを待っていたのですが、2月の終わりは何かと忙しくなかなか行くことが出来ませんでした。
 いつもの場所で水を汲んでから場所を移動し、前々から気になっていた尾根の端のところに行き、そこから少し沢を遡ったところで斜面をよじ登り尾根の上に出ました。そこから尾根に沿って、行けるところまで行こうと思っていたのですが、数十m歩いたところで、何か黒いものを見つけました。まっすぐ立った細い木の、高さ2mくらいのところです。最初は何かわからず、用心しながら近づいていくと、それはタヌキのようでした。生きているのか死んでいるのかもわかりません。手首より一回り細いくらいの木の、高さ2mくらいのところが二股になっていて、そこにだらりと掛かっていたのです。ちょうどキツネかタヌキの首巻を木に引っ掛けたように見えました。
 私は状況が飲み込めませんでした。どうもタヌキらしいということはわかったのですが、どうしてタヌキが木の上にいるのか、何をしているのか、どうして動かないのか…。私はその木の回りを、円を描くように回りながら近づいて行きました。やはりタヌキで、死んでいました。木の股に腹部を挟まれて前足と後足を前後に垂れたまま宙吊りになっています。おそらく、もがいても、もがいても足や手をどこにも掛けることができなかったのでしょう。ずいぶん苦しい死に方をしたものだと思いました。死んでからそれほど日は経っていないでしょう。両手で持ち上げ地面に降ろしてやりましたが、体は「く」の字に折れ曲がったまま硬直しています。その姿があまりにも痛々しいので腰の部分をさすってほぐし、少し伸ばしてやりました。それから杖で少し地面を掘って、フトン代わりに枯葉をたくさんかけてやりました。
 どうも分からないのは何故タヌキが木に登ったのかということです。タヌキは本当に木に登るんだろうか。あの足を見る限り木に登れるとは思えないのですが…。しかもその木の肌はつるつるで葉は全部落としています。何らかの理由で登ったところが、足を滑らせて体が木の股に挟まって身動きがとれなくなってしまったのでしょうか。
 それから私は尾根を登りましたが、その日は鹿を2度も見ることが出来ました。そして何の障害もなく頂上まで辿り着け、帰りには山鳥、いや、あれは鶏です。薄茶色の羽毛の鶏、野生化したものじゃないかと思いますが、そんなものまで見ることが出来ました。
 道のないところを歩いて目的地を目指すときは、そこに着くまでにだいたい3回くらいはかかります。こんなにスムーズに行くことは滅多にありません。それで帰りがけに、もしかすると、これはタヌキの魂が自分を木から降ろしてくれるように私を導き、その御礼としてスムーズな山歩きをプレゼントしてくれたのかも知れないと考えてみました。もちろん本気ではありませんが、そう考えると、タヌキも今頃は安らかに眠っているような気がして私も穏やかな気持ちになれるのでした。
 ヘミングウェイの小説「キリマンジャロの雪」では、冒頭、『キリマンジャロは、高さ19,710フィートの、雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂きはマサイ語で“神の家”と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍てついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高いところまで、その豹が何を求めて来たのか、今まで誰も説明したものがいない。』とあります。
私は、帰り道、車を運転しながら、「あのタヌキは何を求めて木に登ったのだろう」と考えていました。

★コメント
 この後、タヌキは木にも登るということを聞きました。だけど、好んで登るというのではなく、追い詰められたりすると木に登ることもあるという程度ではないかと思います。だからうまくはないのでしょう。しかし、垂直なつるつるの立木を2mも登るというのはただごとではありません。人間の背丈に換算すれば8mくらいのポールを登ることになるからです。
 私は若い頃、山でイノシシに襲撃されれば木に登ればいいと考えていた時期があります。それは子供の時によく木登りをして遊んでいたからですが、あるとき山の中でそれを思い出し、木に登ろうとしてみました。ところが、どっこい、全く登れないのです。ショックでした。体重が増えたためでしょうが、何事につけ、やはりリハーサルは大切だなと思いました。今は正面から向き合って気力で勝負するしかないだろうと思っています。野生動物は無駄な争いはしないから、十中八九は向こうが逃げるはずです。
 それにしてもこのタヌキは哀れでした。今も鮮明に覚えています。キリマンジャロの豹のように何かを求めてということならともかく、追い詰められてということならなおさらです。生あるものは必ず死ぬわけで、さて、自分はどういう死に方をしたいのか、となると、やはり「自然の中で」と思うのですが、その前に整理する必要のあることが山のようにあり、なかなか片付きそうにありません。
2020年8月31日

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