<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

ブルーチーズ

2019-01-31 16:22:20 | 「遊去の部屋」
<2003年3月3日に投稿>

 酒のツマミに何かないかと冷蔵庫を開けてみると、一番上の棚に、食べかけのブルーチーズがあった。半年ほど前にもらったものだが、普通のチーズと違ってかなり塩分が多いので一度にそうたくさんは食べられず、洋酒を飲むときにほんの少しずつ食べていたのだった。いつもは日本酒なのでブルーチーズは食べない。あまり合わないような気がするのだ。

 チーズはクラッカーと合わせるとうまさが倍増する。このことは、実は外国人ばかりのホームパーティーの席で知ったのだった。もともと私はそれほどチーズが好きな人間ではなかったのだが、何となく洋風の食べ物へのあこがれということもあってチーズを食べるようになった。もしかすると、こういう種類の食べ物を好むタイプの人間になりたかったのかも知れない。だからそれほどおいしいとは思わず、それかといって嫌いというのでもない、何もないときの酒のツマミに便利なので、つい買う習慣がついただけなのだ。
 スーパーの乳製品の棚からチーズを取るときいつも気になるものがあった。カマンベールチーズ。値段が倍くらいした。値段が高いとそれだけうまそうな気がする。色も真っ白だし、これはきっとうまいに違いないと思って買ってみた。家に帰って早速口に入れてみたが思わず吐き出した。頭に思い描いた味とあまりにもかけ離れていたからだ。あとで知ったのだが、表面の、あのクリームのような白いものは白カビだった。私には腐っているような味だったが、実際に腐っているのか、もともとそのような味なのかの区別がつかなかった。そこで別の店でもう一つ買ってみたが、結果は全く同じ味で、二度と食べる気はしなかった。

 ホームパーティーの席でテーブルの上にカマンベールチーズを見つけたときにはドキッとした。まさか、こんなところで再会するとは。勧められたら大変だと思ってチーズから視線を外すようにした。ところが他の人たちは実にうまそうに食べていた。テーブルの上にはたくさんロウソクが並べられていて、その金色の光に照らされると、あの白いカマンベールチーズがきらきらと輝き、まるでレンブラントの絵を見るようだった。それをナイフで薄く切り取り、クラッカーに塗り付けてから口の方に運ぶ。それが、もじゃもじゃの口ひげをしたドイツ人の厚い唇で砕かれてパリッという音を立てたとき、私はもう一度試してみようという気になった。
 海苔のことを考えればわかることだが、海苔だけパリパリ食べてもうまくない。ちょっと醤油をつけて、ほっかほかの白い御飯に乗せれば、こんなにさっぱりしておいしいものはない。この組合せが文化なのだと思った。クラッカーとカマンベールチーズの組合せには、さすがに人をうならせるだけのものがあった。

ブルーチーズは、どうしてブルーかというとチーズの中に緑色のものが点々と混じっているからだ。その青いもの(実は緑)。ちょっとめんどうなのでここで説明しておこう。「青」という言葉は「緑」に対しても使われる。信号の色を見て、外国人が、「日本人、チョットオカシイネ。アレ、ミドリデス。アオデハアリマセン。」と鬼の首でも取ったかのように誇らしげに言うことがあるが、日本語では、「青」は色を表すだけではなく、「若い」「未熟な」の意味でも使われる。野菜なども緑色をしているのに「あおもの、青果」と呼ばれるのはこのような意味から来ているものと思われる。「青田」なども同じだろう。
 ところで、ブルーチーズには「緑」のものが混じっているのに「ブルー」と言っている。これはいったいどういうわけだろう。今度、外国人に「信号」のことを言われたら、「どうしてグリーンチーズと言わないのか」と返してみよう。それにしても「緑」に対して「青」を当てるところが共通している点はおもしろい。
 さて、ブルーチーズに混じっている青いものは、実はアオカビだ。アオカビは日常生活では食品が古くなっているかどうかの目安に使っている。たいていはカビが生える前に食べてしまうようにしているが、カビが生えても別にどうということはない。醗酵させるのが目的ではない限り、新鮮な方が味はいいからカビが生えるまでも放っておかずに早く食べた方がいいということだ。それでもカビが生えたときはカビをこすり取ってから食べる。たいてい火を通して食べるから気にならないが、わざわざカビを付けたまま食べることはしない。
 昔は正月が過ぎるとよく餅のカビ落としをさせられたものだった。そのカビが生えないようにするために水餅(水の中に餅をつけておいたもの)にすることもあった。そういうわけで、わざわざカビを一緒に、しかも火を通さずに食べるというのはあまり馴染みのないことなのだ。そこでブルーチーズを食べるということも意味に多少の変化を生じて、「食べる勇気(度胸)があるか」を問うという側面を持つことになってしまったのだ。
 これは、伝統食品としてブルーチーズを食べている人たちに対しては大変失礼なことであるが、所が変わればそれが馴染むまでのある期間そういうことが起こってしまうのは仕方のないことである。だけどブルーチーズはまだ馴染みやすい方だろうと思う。ヨーロッパのある地域にはダニを振り掛けたチーズがあるそうで、そのため特別のダニを培養しているということであるが、これなどは馴染むまでにどれだけ年月がかかるかわからないだろう。

 ブルーチーズの味はというと、これはとても言葉で表現できるものではないが、複雑で、わずかに舌がひりひりし、喉が少し、いがらっぽくなるような感じがした。うまいと思う人にはいいがそうでない人にはやや異様な味だろう。ちょっと口に入れると《うまい》というわけではないのだが、その癖のある味のためにもう少し味を確かめてみたい気持ちになる。それでちょこちょこ食べているうちに、その癖のある風味に馴染んできて、そうなると、もう《うまい》のか《まずい》のか分からなくなってしまうのだ。《うまい》のならどんどん食べたくなりそうなものだが、そうでもない。しかし、ちょっと箸を置いて、ワインを飲みながらバロック音楽を聞いたりしていると、口の中から次第にブルーチーズの風味が消えていく。そうすると妙に口がさびしくなり何か食べたくなるのだが、いくぶん腹が落ち着いているときはメインディッシュではだめで、ついまたブルーチーズに箸をつけてしまうのだ。

 私がアルコールを飲むのはいつも寝る前である。だいたい夜中の12時か1時頃。そのあたりから1時間くらいを《心のケア》に当てている。というのは嘘で、ただ酒を飲みながら音楽を聴いたり、日記を書いたり、裏の白い広告に落書きをしたりしているだけなのだが、その時間をランプの光で過ごしている。光によってこんなに変わるかと思うほど空間が美しく見えるのだ。光の美しさは暗さによって引き立てられるということだろう。が、そのかわり本を読むのには適さない。すぐに目が痛くなるから止めた方がいい。
 その日もちょうど見つけた半年前のブルーチーズでワインを飲んでいた。ワインの白や赤は料理に合わせるものとされているのだが、私は、ランプの光にすかしたときの色が美しいので赤ワインを飲むことが多い。また、さっぱりした白に比べて多少癖のあるところも気に入っている。ワイングラスの中の赤紫の輝きを楽しみながらブルーチーズに箸を付けたとき、ふと、少し緑の量が多いような気がした。手にとってランプの光に近づけてみると確かに表面にも点々と緑色のものがあった。アオカビが増殖していたのだ。もともとアオカビの入っているのがブルーチーズなのだから、それが増えたくらいどうということはないと思ったが、念のため箱の裏を見ると、賞味期限は4ヶ月前に切れていた。
 私は賞味期限なんか気にしたことはない。大丈夫かどうかは自分の目と鼻と舌で確かめる。ちょっと味をみればたいていのものは大丈夫かどうかのレベルではなく、どのくらい傷んでいるか、あとどのくらい持ちそうか、どうしたら食べられるかまで瞬時に判断できるのだ。そしてそれに応じて料理法を工夫すればそれでいい。そうやって発展してきた食文化はたくさんあるはずだと思っている。
 ブルーチーズはあまり馴染みがないが、もう、すでにいくらか食べてしまっているし、それほどおかしな味がしたわけではなかった。このくらいなら大丈夫だと思うのだが、何しろチーズはタンパク質や脂肪などが濃縮されている。この点はちょっと危ない。御飯やパンのようなデンプン主体のものならちょっと腹をこわすくらいで済むことが多いのだが、タンパク質の場合は微生物による作用を受けるととんでもないものになることがある。こういうときは量をたくさん摂らないことが肝心だ。とりあえず、その日のブルーチーズは打ち切って明日の朝まで様子を見ることにした。
 朝になっても体に異状はなかった。これなら大丈夫だと思ったが、とりあえず、その日一日は様子を見ることにした。ブルーチーズは、冷蔵庫に入れるとそのまま忘れてしまいそうな気がしたので、いつでも目に付くように台所の棚の上に置いてある。それからは台所に行くたびにブルーチーズが目に入る。見ようと思わないのに否応なく目に飛び込んで来てしまう。その結果、どういうものか、私とブルーチーズの間には奇妙な緊張感が生まれることになってしまった。
 ブルーチーズの自己主張が始まった。棚の隅から私をじっと睨んで、『おい、どうした。食べないのか。ん?』という感じで、かなり挑戦的である。私も、確かに昨日の晩は気持ちも食べる方向に向いていたのだが、朝になって何事もなく、昼頃になり体調も間違いなく大丈夫であることが分かってからは、ブルーチーズを一晩外に出しておいたことが妙に気に掛かり、その間に、もしかするとさらに悪くなったかも知れない、いまさらあえて危険を冒すだけの価値があるだろうかと都合のいいことを考えてしまうのだった。
 棚の上にブルーチーズが陣取ってからというもの、それを見るたびに自問自答してしまう。わざわざ自分が食べなくても、このブルーチーズを食べたいと思っている生き物は他にいくらもいるはずだ。ブルーチーズにしたって歓迎された方がいいに決まっている。コロなら大丈夫だろうと思うのだが、コロはチーズはあまり好きではない。それならよく窓の外にやってくる黒猫はどうだろう。きっと食べそうだが、ここで食べ物の味を覚えられても困るしなぁ…。どうして野ねずみは食べないのだろう。断りもなくここに住みついてしまった野ねずみはパンや小麦粉、煮干までかじるのにブルーチーズは一向に食べた様子がない。アニメではネズミはチーズを巡って大騒ぎをすることになっている。ネズミと野ねずみでは嗜好が違うのかも知れないが、ネズミには違いないのだからちょっとくらい食べても良さそうなものだ…。
 3日経ち、4日経ちするうちに、もう自分で食べる気はしなくなってしまった。困ったなぁと眺めていると、ブルーチーズは前よりも少し黒味を帯びて一段と逞しくなったように見えた。緑がさらに暗く濃くなっている。いよいよアオカビが攻勢に出た。どうするか。ここまで放っておいたのはまさに私の責任だ。冬だから大丈夫だろうと考えたのが甘かった。考えてみれば、冬とはいえ台所の寒さなど、冷蔵庫の中でさえ増殖したツワモノの敵ではない。私も初めはこんなに何日も置いておくことになるとは考えなかったのだから仕方がないが、ここで捨てれば単に自分の無策を露呈するだけのことになってしまう。何か決め手がないものか。
 ブルーチーズは、日に日にふてぶてしさを増している。とうとう地肌に艶が出て、それが異様に凄みを帯びている。『これが本当のブルーチーズというものさ。そこらの青くさいものとは比べものにならないよ。今、これを食べないでグルメなどとほざいたら、それこそヘソが茶を沸かすというものさ』
 ブルーチーズは、まだ台所の棚の上でふんぞりかえっているが、冬も終わりに近づいた今、いよいよ決断のときが来たようだ。
2003.3.3

 先日、NHKの教育テレビで「16世紀、グルメ王の食卓」という番組を放送していました。その中に一回「グリーンチーズ」という言葉が出てきました。それで辞書を調べたところgreen cheese という言葉は見つかりませんでした。blue cheese はあります。そしてその注釈に「米国式の牛乳製チーズ」とありました。番組は、舞台がイギリスで、製作もBBCなので、イギリスでは「グリーンチーズ」というのかもしれません。あるいは、私の聞き違いで「グリーンピース」と言った可能性もあります。というのは、この本当の発音は「グリーンピーズ」だからです。そういうわけで本当のところはまだ分かりません。



★コメント
 このチーズ、そのあとどうしたのか覚えていません。食べなかったのではないかと思いますが、捨てることはしなかったでしょう。庭に置いて、コロが食べたか、猫が食べたか、あるいは蟻が食べたか…。
 「グリーンチーズ」のことが気になったので、この放送の後、知り合いのイギリス人にメールで問い合わせてみました。当時はすごいと思いました。外国にいても一瞬で連絡がつくのです。彼女は知人や職場の人たちにも尋ねてくれたのですが「誰も知らない」ということでした。ただ、16世紀ということなら、もしかするとハーブを刻んで入れたようなものがあったかもしれないと言っていた人がいたそうです。それにしてもBBC製作の番組なのに、現代のイギリス人たちが聞いたことがないという「グリーンチーズ」、あらためて気になり出しました。今ならネットで調べれば見つかるかもしれません。まさに隔世の感です。
2019年1月31日

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