<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

夢のコンサート!

2020-12-31 08:43:36 | 「遊去の部屋」
<2002年7月16日に投稿>
 コンサートが近づいてくると、いろいろなことが起こってくるものである。3日前の未明のこと、今回も例に漏れずやってきた。
 私の番が回ってきたので、前に行き、椅子に座り、ギターを持って調弦を始めた。弦を替えたばかりなので、さすがにのびやかな音がする。そのやわらかな響きに、この分なら今日はうまく行くかも知れないと思いながら次の弦を合わせにかかった。つやのあるいい響きがした。その残響を聞きながら次の弦へと移る。前にも増して美しい。今日はどうしたのだろうか。こんなことならもっと早く弦を替えればよかったかなぁと思いながら全体のバランスをみた。ちょっと1弦が低いかな。軽くネジをまく。すーっと響きが調和した。もう一度和音を弾いてみる。いいような気がするがちょっと4弦が気になる。それでわずかに音を下げてみた。4弦と5弦のバランスはこんなものだろう。それで全体のバランスをみるためにAmを弾いてみた。何かおかしい。どこが悪いのかわからないが、妙に合っていないのだ。そのとき思い出した。5弦は昨日替えたばかりだ。ほかの弦は3日前に替えたのだが、いつも他の弦が安定してきた頃を見計らって、最後に5弦を替える習慣がある。だから5弦はいちばん狂いやすい。さっき、それを忘れて4弦を5弦に合わせてしまったので、全体が微妙に崩れてきたのだ。
…シマッタ、音叉ハギターケースノ中ダ。今サラ音叉ヲ取リニ行クワケニハイカナイゾ
 取りあえず、1弦から音を拾って、それに5弦を合わせてみた。
…マア、コンナモノダロウ
 次に5弦に4弦を合わせてみる。それから5弦と2弦を合わせて、1弦と2弦を比べてみた。まるっきり合ってない。
…ドウイウワケダ、コレハ
 3弦と2弦を合わせてみる。2弦が低い。
…オカシイナァ、コンナニ違ウモノダロウカ
 1弦と5弦をもう一度確かめてみる。1弦が高い。
…マタ5弦ガ下ガッタカ?
 1弦と6弦をみる。まるっきり合っていない。
…ナンダ、コレハ  マサカ、6弦ガD?
 会場の方でパイプ椅子の動く音がした。誰かが立ち上がって横の方に出て、脇を通って帰って行った。
…トニカク1弦ニ合ワセヨウ
 二人が立ち上がって、ばらばらと帰って行った。
…ダイタイ合エバ、スグニ始メヨウ
 また一人時計を見ながらそそくさと帰って行った。
…コノ1弦ハドウ見テモ低スギル
 ばらばらと数人が立ち上がり会場を出て行った。
…コノ際、モウ一度5弦カラヤリ直ソウ
 また何人かが立ち上がった
…モウイイ  気ノ済ムマデ合ワセルサ
     ………   ………  ………
 音の響きが良くなってきた。
…コレナラ、マズマズカナ
 顔を上げると、誰もいなかった。パイプ椅子が列を乱して並んでいた。会場の隅で主催者が一人、帰るに帰れない様子で立っていた。
 私は、これならいつも山でやっているコンサートと同じだと思い、気楽に弾き始めた。よく澄んだいい音がした。
…初メカラ、人前デ弾コウナドトスルカライケナイノダ
 爪弾きの音が次々生まれ、宙に広がり、やがて消えていく。谷川の水を流れる泡粒のように、何の気負いもなく、ただ生まれたままに現れて、そして漂い、消えていく。
…コレデ良カッタノダ  初メカラ無理ヲスルコトハナカッタノサ

 なお、3日後のコンサート本番では、少々調弦に時間はかかったものの、帰った人は誰もいなかった。


★コメント
 これは初めてHPに載せた話です。と言っても自分で投稿したのではありません。知り合いから、私のHPとして「遊去の部屋」というのを作ったから原稿を送ってくれと言われたのです。その頃はHPがどういう性格のものかも知りませんでした。ようやくEメールを使い始めたばかりで、一瞬にして世界中どこにでも届くということに信じられない思いで感動していました。何しろそれまで外国と連絡を取るときには手紙だったのです。しかも重さで郵便料金が決まってくるので向こうが透けて見えるようなエアーメール用の薄く軽い紙を使っていたくらいで、まさに「未来社会」に迷い込んだ気分でした。今ではすっかり慣れてしまいましたが、これは、あの重い飛行機が空を飛べるわけがないだろうと感じたのと同様に「送信」ボタンを押したあとには今も本当に届くのだろうか気分が残ります。

 調弦については、普段は弾く前に軽く合わせるくらいですが、途中で音をチェックしてみて腰を抜かすほど呆れることがあります。ひどく音が狂っていても気付かないことにショックを受けるのです。それほどいい加減な日常を送っていながらコンサートで人前に出ると突然音が気になり始めます。しかも何度聞いても、いや、聞けば聞くほど、高いか低いか分からなくなってくるのです。プロの演奏家を見ていると演奏中にでも瞬間的に音を合わせています。自分もあんな真似がしてみたいと思ったものですが、高いか低いかも分からないのにそんなことのできるはずがありません。

 数年前に気付いたのですが、ドレミファ…の正確な音程と自分の体にぴったりくる響きとの間に微妙なずれがあるようなのです。ギターやピアノの場合には気にせず弾いていますが、バイオリンの場合には音を探りながら弾くためにそれに気付きました。特に半音は、例えば、上がるときと下がるときとでは、自分にいいと感じる幅が長くなったり短くなったり変化するのです。特に古い曲の場合にはそれが強く出ます。そんなときはピアノの鍵盤で確かめてみるのですが、そうするとどうも何か「平均的」に聞こえます。その辺りが「癖」なのかなあと思います。
 古い時代ほど人々の感覚は個性が強く出て、現代に近づくほど教育的な効果で平均化されてくる傾向はあると思いますが、それは洗練化であると同時に味わいを失う過程でもあるでしょう。
 そういうわけでじっと聴けば聴くほど合っているかどうか分からなくなってくるという現象も頷けます。実際に、弦は押さえると音は高くなります。その状態で押さえない開放弦とぴったり合わせても合っていることにはなりません。今はチューナーがあるのでメーターの針を見ながら視覚的に合わせることもできるのですが、私はチューナーで合わせた後「良くない」と思うことがしばしばあります。そんな時には自分の感覚に合わせ直しますが、弾き始めたらそれほど違いは判らなくなるようです。「適当」でいいのかも知れません。
2020年12月31日

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