<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

「まつろわぬ青春の日の行方(4)」 <堆肥をつくろう>

2018-08-21 07:57:28 | 「学生時代」
 卒業できるかどうかは別にして、一応、4回生なので卒業後の進路について考えることもありました。友人と研究室で農業試験場というのはどんなことをしとるんやろという話をしていると、横で話を聞いていた出浦先生が「見てきたら」といって、試験場に連絡を取ってくれました。後で分かったのですが、卒業生が何人もそこで働いていたのです。友人と試験場を訪ねると職員の方が丁寧に案内してくれました。
 今、思うと、わけのわからないことばかり言っている学生の話に出浦先生はよく耳を傾けてくれました。その影響もあってか、あるとき先生の机の前の本棚の上一列に、農文協の日本農書全集全13巻がどかっと並びました。「買ったよ」と先生は嬉しそうに話されるのですが、『こんな本、読んでいて大丈夫なのかな』と思いました。私には非常に興味のある本でしたが、どうも大学の方向性からは外れているように見えたからです。

 「堆肥作りの木枠、津田さんに頼んだから見てきて」と先生に言われたことがありました。その頃、私は有機農法に興味があったので研究室で先生によく堆肥の話をしていたのです。堆肥をつくるときには草を積んでいくのですが、そのとき木枠を使う方法があるという話をしました。1.8m×1.8mの正方形で、高さは45cmあります。そこに草を詰め込んで踏み固めると、一度木枠を外し、少し上の方に移動させます。再びそこに草を詰め込み踏み固めると木枠をさらに上に移動するということを繰り返し、高さが1.8mになるところまで積み上げます。私はそれを本で読んだのですが、もちろんやったことはありません。自分で作っていたのはもっともっと小さいものです。自分の小さな畑ではそんな大きなものは必要なかったからですが、「農業」をする場合にはその規模が必要になります。
 先生にそういわれたとき、私はどういうことなのか意味がわかりませんでした。「津田さん」とは農薬化学の津田先生のことだと思ったからでした。研究室を出ながら同期の伸明と「津田先生が何で堆肥の木枠を作るんやろ」と話していると、後ろで「津田はわしや!」という声が聞こえました。振り返ると、そこには作業服を着た年配の人が立っていて、農場でいろいろな仕事をしているということでした。もちろん私たちとは初対面でした。農薬化学の津田先生以外に「津田さん」がいるとは思いもよらなかったのです。
 農場に行くと堆肥作りの木枠が置いてありました。目の前で見ると想像していたよりかなり大きく、ここに草を詰め込むには膨大な量が必要です。おそらく2~3t。どこにそんなたくさんの草があるのだろうと思いました。これが現実でした。私は本で読んで、木枠があれば堆肥が作れ、それを畑に入れれば健康的な農作物がどんどんできると考えていたのです。
 詰め込むのに必要な草の量のこととそれを確保するのに必要な土地の面積のことを話すと、先生はそこまでは考えていなかったようで、回転椅子の背もたれに深々と体重を乗せると「ふぅ~ん」と唸っただけでした。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする