<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

「まつろわぬ青春の日の行方(6)」 <学生は鍛えるべし!>

2018-10-22 08:20:46 | 「学生時代」
 農芸化学科の4回生で、生化学の単位を落としていた学生が3人いました。私もその中の一人でした。必修科目なのでそれを落としていると卒業できません。あるとき3人は教授室に呼び出され、懇々と説教されました。そして、最終試験の通告を受けます。試験範囲は「コーンスタンプの生化学」1冊ということでした。この本は500ページ以上あります。不可能だと思いました。しかし、やるしかありません。試験日までには2か月くらいあったのではないかと思いますが、その日から死に物狂いになりました。その本は今も手元にあります。すべてのページにその痕跡が見られ、荒削りながら、そのときには「生化学」というものがどういう世界なのかはわかるようになりました。そして物事に対する取り組み方を教えられました。
 後から聞いた話ですが(おそらく伸明からだと思います)、試験期日の迫ったある日、出浦先生は生化学の教授のところに「単位をやってほしい」と頼みに行ったというのです。そうしたら教授は「自分は嫌われても、憎まれても、学生は鍛えなければならない、これが自分の使命だ…」というような意味のことを話されたそうで、この言葉はさすがに効きました。おそらく、必死で勉強している私の姿に鬼気迫るものがあったのでしょう。見るに見かねて、出浦先生は教授のところに行ってくれたのでしょうが、教授の話に出浦先生も納得されたのだろうと思います。

 どうしてこういうことになったのかというと、入学当初は私も勉強しました。学びたかったのです。高校を出てから4年の間、工学系の夜間大学に籍を置き、昼間はいろいろなアルバイトをしながら自分のこれからするべき仕事を探り続けていたのです。ようやく農業分野にその進むべき方向性を見い出し、再び受験勉強をして入学した農学部なのですから。
 しかし最初は一般教養が中心です。それはそれで良かったのですが、じれったくなった私は2回生になるころに畑を借りて農業のまね事を始めてしまいました。この辺りから私の興味は大学の授業よりも現場の方に向かい出しました。大学での講義は本を読めば十分であるような気がしたし、その方が自分の勉強の仕方にも合っていると思いました。それで畑に行くことが多くなり、授業にも出なくなりました。その結果、単位は取れず、4回生のときには卒業に必要な単位数の半分しか取れていないありさまでした。

 2回生のころから土壌肥料の研究室には出入りしていました。農業についての質問をするためですが、そのときに助教授の駒井先生から出浦先生を紹介されたのです。有機農業に関心を持ち始めていた私は、大学での授業に興味を失いかけていて大学を止めようかと考えていました。そのことを出浦先生に話すと「大学の4年なんかすぐに終わるよ」と言われました。『そうかもしれない。今のうちにいろんなものを見ておいた方がいいかな』と単純に考えて学生を続けることにしたのでした。
 そんな出来損ないの学生にもきちんと向き合ってくれる人たちが他にもたくさんいました。みんな厳しい時代を生き抜いた辛抱強い人たちで、感謝あるのみです。

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