<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

菜の花、二つ

2023-10-20 10:49:03 | 「遊来遊去の雑記帳」
春の食材
 <2005年3月19日に投稿>
 畑の菜の花が一斉につぼみを膨らませてきました。この一週間で一気に数を増やしています。つぼみの先が黄色みを帯びて、もう2,3日もすれば花を咲かせることでしょう。その希望に満ちた最後の瞬間に、私は、非情にも、それらのつぼみを次々と摘み取っていくのです。菜の花にとっては子孫を残すために、これまで冬の間に温存してきたエネルギーを一気につぎ込んで勝負に出たところが、私にとっては待ちに待った瞬間というわけです。とはいっても取り尽くすということはありません。それに植物は「摘み取る」というような穏やかな手段でへこたれるような柔な生き物ではありません。10本摘まれれば新たに20本の新芽を出し、20本摘まれればさらに40本の新芽を出すという具合で、まるで日本神話のイザナギ・イザナミのやりとりみたいです。私が食材に使うくらいの量なら大丈夫です。それに全部取り尽くしてしまったら来年食べられないから私の方も困ります。そういうわけで、ほどほどに食べて、その残りが花を咲かせ、そこへミツバチがやってきて、as busy as a bee と、大忙しの春本番となるわけです。
 菜の花が咲くと私は株間にしゃがんで下から菜の花を見上げて時間を過ごすことがあります。そうすると菜の花の茎がにょきにょきと天に向かって伸び上がり、まるで巨木の森にいるようで、その天井を埋め尽くす黄色い花の間から青空を覗き見ることができるのです。そしてその狭い空ではたくさんのミツバチが花から花へ飛び回っているのですが、ミツバチは本当にじっとしていることがありません。一つの花に止まるとちょっと蜜を吸ってすぐ他の花に移ります。するとその花にはすぐにまた別のミツバチがやってくるのですが、これもまたすぐに飛び去ってしまいます。それは、もう蜜がなかったからなのか、あるいは元々一回でほんの少ししか蜜を吸わない習性なのか、それとも一つの花の蜜を吸っている間に、他の花の蜜の方がおいしそうに思えてくるのか、それはミツバチに聞いてみなければ分かりませんが、いずれにせよ、実に生き生きとしていて、蜜を吸うこと以外は何も考えてないという様子です。
 私も、春の匂いに包まれたひと時を菜の花の森で過ごした後は、たいていのことは大したことではないように思えてきて気分も穏やかになるようです。それまでの間、もうしばらくは菜の花料理を食べながら待ちたいと思います。
2005.3.19


<こちらは書きかけの原稿です。出てきたので一緒に出します。2005年の4月末に書いていたものです。>
春は菜の花
 私の小さな畑は、今、菜の花でいっぱいです。昨日は、夕方、畑に行く途中でおもしろいものを見ました。雨上がりだったので、少し向こうの里山の上に霞がかかり、その後ろから弱く太陽の光が射しているのです。畑の少し手前で止まってちょっとしゃがむと、里山の前に沸き立つような菜の花の黄色を重ねることができました。おぼろ月夜よりずっと幻想的でした。ああ、カメラを持ってくるんだったと思いましたが、あとの祭り。仕方がないのでただじっと見て、その借景を目に焼き付けておきました。
 周りの畑には殆んど菜の花はありません。その理由は簡単で、普通は、春になるまでに野菜はみんな収穫してしまうからなのです。それから春に向けての野菜の作付けをするので、冬の終わりは更地のようになっているというのが篤農家の畑です。
 私はというと、根を食べる物以外は根こそぎ収穫することはしません。自分の食べる部分だけを取っています。葉菜は、一つの株からは一枚か二枚の葉を取るだけで株ごとは取ることはしません。それでも数株あれば一回食べる分くらいは集まります。しばらくするとそれぞれの株はまた新しい葉を伸ばしてくるので、そうしたらまた次の葉を取って食べることが出来るのです。そうすると野菜はずっと成長を続けられ、畑に住んでいる他の生きものたちも大きな影響を受けることがありません。生産効率は低いかも知れませんが、それで足りるように工夫して食べているのであまり問題はありません。
そういうわけでうちの畑はいつも何か野菜が生えています。この冬は春のじゃがいもを植えるのにその野菜が邪魔だったので引き抜いて緑肥にしようかと思いましたが、まあ、せっかくここまで生きてきたものを抜き取ってしまうのも不憫な気がしたので、やはり種を実らせるところまではそのままにしておくことにしました。
 それからひと月たって、畑は菜の花の黄色でいっぱいになりました。菜の花のつぼみは後から後から出てきます。これはいい食材になるので、春先には私は毎日それを摘みに畑へ出かけます。昨日も行ったら畑に来ているのは私だけではありませんでした。まだまだ冬の寒さが残っている中で、たくさんのミツバチが花から花へと飛び回り忙しく蜜を吸っているのです。そのせわしないことといったらありません。菜の花は小さな花がたくさん集まっているのですが、その一つに頭を突っ込んだかと思うと1秒か2秒で次の花へ移ります。じっとしていることがありません。次から次へと花を渡って行くのです。
花からみれば次から次へとミツバチがやって来るわけです。おそらく一つの花の蓄えている蜜はほんの少しでしょう。だからそれがなくなった後にやってきたミツバチは空振りというわけで、すぐに次の花に行かなければなりません。もしかすると、このミツバチのせわしなさは殆んどが空振りというところから来ているのかも知れません。初めのうちは「当たり」続きだったのが、次第に「外れ」が増え、飛行のエネルギーを考えてそろそろ損益分岐点に迫ってくると何時別の畑に行くかの決断をしなければなりません。しかし別の花畑では別のグループが同じようなことを考えているのだろうし、そうなると、もう止めて巣に帰ろうとする怠け者やまだきっといいところがあると考える強気のもの、みんなが行くなら自分も行くとか、文句ばかり言ってけなすのが得意なものなど、人間社会と同じように色々な性格があっても良さそうです。
 私は菜の花畑の中にしゃがみ込んで下から空をバックに菜の花とミツバチたちを眺めていました。
<ここで終わっています。締めを書こうとして、そのまま忘れてしまったようです。>

★コメント
 私は菜の花畑が好きです。子供の頃の記憶と重なるからでもあるでしょう。菜の花畑に寝転んで空を見上げると哀しいほどの懐かしさに包まれることがあります。むっとする菜の花の香りと暖かい日差しを浴びながらみる青空が遠い記憶を呼び覚ますのでしょうか。ただ、ぼぉーとしているだけですが、自分の畑でそれが楽しめるのは恵まれていると思います。
 子供の頃に菜花を食べた記憶はないのですが、その頃の菜花は菜種油を取るために栽培されていたのではないかと思います。だから菜花を食べてしまったら種はできないから食材にはしなかったのでしょう。だけど小学校の修学旅行で奈良に行ったとき、そこで出された弁当に菜花の漬物が入っていたことを覚えているので、地域によっては食べていたようです。
 私が菜花を調理し始めたのは学生の頃からですが、最初は先の方だけ摘み取っていました。友人の畑で20cmくらいの長さに摘んでいるのを見て驚きました。こんなことでも最初は分からないものなのですね。今はぽきん折れるところまでなら大丈夫なようで、手で探って摘んでいます。
 食べ方は色々ですが、塩漬けにしたものが一番うまいと思います。このところ「塩」の力は凄いと感じていて、少しの塩に2~3日漬けるだけでおいしくなるのには感動します。保存が目的ではないので塩の量はそのまま食べられる程度の少量にしています。この2,3年、ようやく自分なりの調理法を見つけ出すことができるようになりました。
 今、畑では菜花が本葉を出したところです。種を播く野菜もありますが、多くは自生してくるので畑はあちらこちら冬野菜だらけです。邪魔になる草を取りながら野菜の芽を見つけると嬉しくなります。自然に生えてくるものが好きなんですね。それらを活かすようにするので畑はぐじゃぐじゃで野原状態になるわけです。雑然としたものが好きなところは「無為自然」の道教にも通ずると言い訳をしています。
2023年10月20日

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