<遊去の話>

「遊去の部屋」「遊来遊去の雑記帳」に掲載した記事と過去の出来事についての話です。「遊去のブログ」は現在進行形で記します。

コロちゃん<飛出し注意!>

2017-12-25 10:58:43 | 「遊去の部屋」
<2005年3月23日に投稿>
 2月1日のことでした。この日は急に寒さが戻って今年一番の冷え込みになりました。この辺りでも雪が積って道路は凍結です。この日は朝11時頃に家を出ればよかったので、その頃には道路の凍結はもう緩んでいましたが、山の中の道を走らなければならないので日陰になっているところでは注意が必要です。多少、雪はあるものの危ないほどではありません。それでもこの辺りでは、雪はめったに降らないのでドライバーは慎重になっています。私の前を走る車も始終ブレーキを踏んでいました。その度に後ろの赤いブレーキランプが点灯するので気になって仕方がありません。
 ブレーキランプを見ているとその人の運転経験や性格までも想像できるような気がします。それによってこちらも無意識のうちに車間距離の取り方を変えているのですが、そのあたりの人の感覚というのは凄いものだなあと思います。前の車の赤いランプの点灯の様子からどうやってそこまで読み取ることができるのでしょうか。もちろん車全体を観察してはいるのでしょうが、いずれにせよ、膨大な情報量をすごいスピードで処理しているはずです。機械にはとてもまねのできないことだろうと思います。
 前を行く大きなワゴン車が道の真中でいきなり駐車ランプを点灯させました。そして徐々に速度を落とし、道の真中で停車したのです。山間の道で少し雪が積っているとはいえ、そこは直線の道でした。その車の前に他の車は見えません。私はその車の後ろに停車するべきか、それとも対抗車線に出てその車を追い越すべきか迷いました。結局、私はその車の横を通って先に進みましたが、その車の前には何もありませんでした。2車線(片側1車線)の道路で、道の真中に駐車ランプをつけて停車するとは一体どういうわけなのでしょうか。少し雪が多くなってはいましたが、止まるなら道路の端に寄ってから停車するようにしてほしいと思います。
 その車の前に出てから私もちょっと不安になりました。どうしてあの車はあんな止まり方をしたのだろう。あの様子は、どうしたらいいか分からなくなって決断できないままにずるずるとその場に止まってしまったという感じです。私の車には余計な装置は何も着いていません。もしかしたら、あの車はこの先の道路の状況を何かつかんだのかも知れない。それで先に行くのを中止したのならちょっとまずいぞ…。そんなことを考えながらもそのまま走り続けていると道路脇のあちこちに車の止めてあるのが目につきました。いつもならこんなところに車が止まっていることはありません。しかもみんな頭を山の方に斜めから突き刺すようにしています。人は乗っていません。こんなところに車を止めても何もないのにおかしいなあと思っていると、止め方はだんだん派手になり、前が変形しているものや沢の中まで入り込んでいるものまで現れました。つまり、止めていたのではなくて動けなくなっていたのでした。私の車は4WDなのでこういうときには心強いのですが、この先、10キロくらいの間はジェットコースターのような道が続くので、ブレーキが利かなくなったときのことを考えて慎重に走りました。

 帰りは、空もすっかり晴れ上がって快適に走っていましたが、途中から急に空が曇りだし、いきなり吹雪のようになりました。雪で前が見えません。それでもゆっくり走って難なく家に帰れたのですが、そこから気温がぐんぐん下がり出しました。部屋の中でストーブをつけても室温が10度以上になりません。早めに寝ようと思いましたが、コロの夕方の散歩が4時過ぎだったことを考えると、ちょっと気になって、寝る前にもう一度オシッコをさせてやろうと散歩に出かけました。
 11時頃でした。外は凍てついています。それだけに星はきれいでしたが、私はそれより早く散歩を終わらせて家に帰りたかったのです。コートを着て、頭にはフードを被り、うつむき加減で真っ暗な農道を小走りに走ります。これでトボトボ歩いたら「マッチ売りの少女だな」などと凍えながら考えていましたが、でもまあ、こういう考えは正面を向いているときには浮かばないものなのです。このときは、実際、寒くて顔を上げるのも嫌で、前を見る気もしませんでした。それに月はなく星明りだけですからどうせ前を見ても同じです。足元だけを見ながら体が半分かじかんだような気分で走っていたのです。
 コロは私の左前方を走っていました。走るといってもコロの場合は鼻を地面すれすれに保ちながら走ります。つまり、コロは匂いで世界を捉えているのです。私は目で回りの様子を捉えているので明るさによって見える世界が左右されるのですが、コロにとっては昼も夜も同じです。コロの世界を視覚的にイメージするなら、この世界は『匂いの靄(モヤ)』で覆われていて、それが場所によって濃くなったり薄くなったり、また、その靄の色も様々に変わります。例えば、薄黄色の靄の中を走っていたと思うと、それがすーっと緑の靄に変わったり、今度はいきなり赤い靄の中に飛び込んでしまったり…ということがあるわけで、いつ何が起こるか見当がつきません。それを瞬時に嗅ぎ分けながら走っているわけですから、その集中力はかなりのものだろうと思います。そして、毎日毎日のその結果が、コロの頭の中では『匂い地図』になり、そのどこかに変わったところがないかを慎重に確認しながら走っているというわけです。一度嗅ぎ落としたらそこは更新されないままになってしまうわけですから一瞬たりとも気を抜くわけにはいきません。特に通り過ぎようとしたときに微かな匂いをキャッチしたときには間髪を入れず身を翻して反転するという習性があるのです。
 この日もコロはやりました。暗闇の中で、私をさえぎるように前に飛び出したのです。私は前かがみになって走っていたので足元しか見ていません。コロが見えたときにはもう間に合いませんでした。いつもは私も何とかかわしているのですが、このときは夜で、しかも体がかじかんでいたので思うように体を動かすことができません。結局、両足ともすくわれるようにコロに躓いて、私の体は前方へスローモ-ションで飛んでいきました。
 人間は倒れそうになったときどういう動作をするかというと、足で地面を蹴って、意外にも、「倒れる方向」に飛び出そうとするのです。「倒れる方向」に体を急速に移動させる動作によって体勢を立て直そうとするのですが、実は、この技術が応用されてやっと二足歩行ロボットを倒れにくくすることができたということです。
私もこのときは無意識のうちに地面を蹴って前に飛び込んでいました。ところが足の前にはコロがいるので体は前に飛びましたが、足はコロに引っかかって前には行けません。それでどうすることもできないまま上体は前に倒れていきましたが、そのとき頭に浮かんだのは、左手に持っているスコップを放すべきかどうかということでした。もちろん、これは手首の骨折を避けるためにということです。躓いてから倒れるまでに1秒もありません。しかし、その間に考えたことは3つや4つではないのです。頭の中がすごいスピードで働きだし、それで体の動きがスローモーションのように感じられるのかもしれません。それにしても、潜在的にこれだけの情報処理能力を持ちながら、普段は何も使わず、それをただ眠らせているというのはもったいない話のようですが、実は、そこが生物の計り知れない器量の大きさだと思っています。
 手が地面に着いた瞬間、私はさらに強く地面を蹴ったらしく太腿の付け根でビチッという音のしたような感じがありました。そのまま私はアスファルトの路面に激突するはずだったのですが、実は、そうはなりませんでした。
 このときにも私はどのくらいの怪我をするか試算していたみたいです。手が地面に着いても、とても腕だけで体を止めることはできません。頭の中では顔面が路面にぶつかったときの打撲シーンも見えていたので、つまり、どう倒れれば最も怪我を少なくできるか考えていたのです。ところが、どうにもならないと思った瞬間、体がいきなりぐるぐると回ると背中からまともにどさりと落ちました。柔道なら「一本」というところです。幸いにもそこは道の端の草の生えているところだったのですが、落ち方があまりにもまともだったので、私は体を動かそうという気にもなりませんでした。
 10秒ほど経ってから、まず腕をちょっと動かしてみました。大丈夫です。それから足を動かそうとしました。左足が動きません。さっきのビチッという音のしたところです。『靭帯でも傷めたな。』そんなこと考えながら右足を試してみるとこちらは動きます。背中は大丈夫なようです。草の生えているところだったので助かりましたが、そのとき、ハッとしました。ここは犬の散歩コースです。『まさか、背中の下に…。』 すぐに今はそれどころではないと思い直しましたが、もし背中の下に犬のウンチでもあれば、それこそ「泣きっ面に蜂」です。それでもそれが乾いていればまだいいが、しかし、今日の夕方のものなら…、でもまあこの冷え込みではこの時間なら凍りついているだろう…と、こんなピンチのさなかでもこんなことが頭に浮かんでくるのです。考え方は合理的でも、状況を考え合わせれば全く不適切なことをやっているわけですが、もしかすると、これも生物の器量の大きさを示すものなのかも知れません。
 これも元を正せば全部コロが悪いのですが、そう思って、コロは、と頭だけを動かして捜してみると、コロは道の反対側でオシッコをしながらこちらを見ていました。「コロ」というとコロは少しこちらに来ましたが、私から1mくらい離れたところでうろうろしながら心配そうな顔をしています。とはいっても、私のことを心配しているのではありません。
 コロの行動は率直です。だから見ていなくても分かります。コロは私が躓いたあと、自分は何ともなかったので、そのまま気になる匂いのするところへ直行したのです。そこであちこち嗅ぎ回り、匂いを残した相手の情報を捉えて整理し自分のデータを更新します。それから今度はそこに自分の情報を残そうとするのですが、できるだけ誇大にしようと努めるので、オシッコをかけるときもできるだけ高い位置にかけようとして反対側にひっくり返りそうになることさえあるくらいです。オシッコをかけ始めたときには、コロにとっては匂いのことはすべて解決しているので、ここでやっと次のことを考えはじめるわけですが、ここまでにだいたい1分か2分はかかります。『そういえば、さっき何かあったかな。えーっと、えーっと…、あっ!』ということで、このときになってようやくコロは初めて自分が極めてまずい状況にいることに気が付いたというところでしょう。ちょうど、そのときに私がコロを呼んだので、とりあえず私の方にやっては来たものの自分が叱られるのではないかということを心配して、コロは私の手の届かない範囲に身をおいて、いつでも逃げられる体勢でうろうろしながら自分のことを心配していたのです。
 ここで起きられなかったら凍死です。もしそうなったら新聞にどう載るでしょう。『田んぼ道で凍死!犬はそばで大あくび。』とにかくコロは寒さには強いのです。雪の上でも丸くなって寝ています。とにかく起きなければなりません。しかし、そのまま起きるのは無理なので、まずは体をごろりと回転させて腹ばいになりました。こうなればとにかく這うことはできます。それから腕を使って体を起こすと何とか立ち上がることができました。立つことはできたのですが、歩こうとすると左足の付け根に激しい痛みが走りほとんど動かすことができません。一歩で10cmくらい進むのがやっとです。これでは家に着くのはいつのことやら分かりませんが、それでも進まなければ帰れません。一歩進んでは一呼吸し、また一歩進んでは一呼吸しながら歩き始めました。
 手にはコロの鎖を握っていたのですが、私が進みはじめるとコロもさっさと歩き出して鎖がすぐにピーンと張ってしまい、その瞬間に足に激痛が走るのです。私が、「コロ!」と呼ぶとコロはハッとしたように戻って私の横にぴたりと付きました。コロも自分が大変なことをしたことは分かっているのです。それで私の右に行ったり左に行ったり後ろに回ったりしていいところを見せようとするのですが、私が動き出すとすぐにまた前に飛び出してしまうのです。そのうちに私も慣れてきて少しそのリズムがつかめるようになったので、『これは治るのに1ヶ月はかかるだろう。でも治るのならまだましだ。』などと考えながら何とか家に辿り着くことができました。
 それにしてもうまく回転したものです。若いときに前方に飛び込んで手をついて前転するような受身をよく練習していたのですが、それを練習しながら、いつも、こんなもの、実際の役に立つわけがないと思っていました。これは道場の板間だからできるので、地面の上では石がごろごろしているから逆に背中を傷めてしまうだけだろうと思っていたのです。しかし、今回のように石の落ちていないところで転ぶこともあるわけで、これも役に立つこともあることがわかりました。だけど、今回、受身ができたのは、よくよく考えてみると、実は左手にスコップを持っていたためでした。もちろん、このスコップはコロのウンチを片付けるためのものですが、これを左手に握っていたため、左手は手のひらを地面につけることができなかったのです。右手は手のひらをついたので力が入ったのですが、左手は手の甲をつく形になったので力が入らず肘がくにゃりと曲がり、それでそのまま体が左に回転してしまったというわけなのです。結果としては、これがこれまでで最高の受身になりました。足の付け根の損傷は受身のせいではありません。地面を蹴ったときに限界を超えて力が入ってしまった結果です。普通に歩けるようになるまでに1ヶ月、軽くジョギングできるにはさらに3週間かかりましたが、もう山も歩けるし、季節の良くなる時期までに治ってよかったです。
 というわけですから、みなさんも散歩するときには手にスコップをお忘れなく。

2005.3.23

★コメント
 『くどい。くどすぎる。長いなあ。』 今回、読み返してみた印象です。これを読むのは大変だと思いました。だけど私としては当時のことをほぼ完全に思い出すことができました。ただ、「靭帯を傷めた」というところは、おそらく「肉離れ」だったのではないかと思います。
 それにしても、用事があったとはいえ、今なら峠越えは止めて引き返すのではないかと思います。仕事が少なくなった今から見ると、以前の忙しかったとき、どうやって切り回していたのだろうかと不思議になります。しかもその時代にたくさんのものを作っています。どうやって時間を作っていたのだろうかと思います。忙しいときほどたくさんのことができるというのは本当だなと思います。今はその後始末の時期なのでたっぷり寝て、昼寝もして、それでいいのでしょう。
2017.12.25

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